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第三十五話 バー

日が沈もうとしていた。もうそろそろホテルに行かないとエミーリアが心配するだろうと思ってたところ、“8”の棟からルチアが姿を現した。どこにいくのだろうと僕はそのあとを追う。


三ブロックほど歩き、商店街に来たところで道を反対の方に折れる。次第に飲食店が多くなり、奥に進めば進むほど通行する人の数も多くなっていく。街並みもがらりと変わり、飲み屋だけじゃなく接待を主とする店や売春宿などいかがわしい店がひしめき、行き交う人には多くの呼び込みが声を掛けている。


僕はルチアを見失わないよう雑踏をかいくぐる。ルチアはバーに入った。援助がほしいなら他を当たれってギルドで男に言われてた。援助してくれる人がそこにいるんだろう。でも、またダメってことも有り得る。そん時は僕が援助してもいい。


ただ問題はどうやってルチアに声を掛けるかだ。ルチアの前に立てば間違いなく言葉が詰まる。どうすればいい。僕は必死に考えた。流れる人の向こう、ルチアが入ったバーのちょっと先にツインテールの女の子、昼間公園で見かけた赤いワンピースの花屋がいる。夜はこっちへ公園から移動してくるんだ。


昼間カップルが花を買っていた。通行人たちを見渡すと結構多くのカップルがいる。赤いワンピースの子はなかなかの商売人だ。なるほど、そういうことか。花を渡せば女性は喜ぶ。話下手でもなんとかなる。


僕は路地に入る。ヘルトラウザの魔石を手の甲から外して“塵中じんちゅう”を解く。バックパックから金貨を一枚取り出し、人の波を縫って花屋の前に立つ。髪をツインテールに結んだ子が、いらっしゃいませとにこやかに言った。見詰められて僕は目を伏せる。


「あ、あのぉー、花」


と言って金貨を差し出す。下から覗き込むように赤いワンピースの子を見た。赤いワンピースの子は金貨を見て困惑している。


あ、そうかと思った。おつりはいらないと言う。赤いワンピースの子の笑顔が、ぱぁっと花が咲いたように変わった。うきうきし、まるで花園の花を摘むように、店にある花を一つづつ手に取る。花や葉が痛んでいたり、しおれていたリするのは弾く。質がいいやつをまとめて花束を作った。どうぞ、と僕に手渡す。


僕はそれを受け取った。バックパックのポッケにそれを挿そうともぞもぞしてると赤いワンピースの子が手伝ってくれる。花屋を去る時、赤いワンピースの子は何度も何度も頭を下げてくれた。僕は何回も手を振る。


バーの前に立つ。そおっとドアを開け、ルチアの姿を見とがめると中に入る。客はフロアに半分ほどだったけど、がやがやと賑わっていた。皆、話に夢中だ。ルチアは奥のテーブルで僕の方を背に男と向き合っている。


援助が受けられるかどうか気になるところだ。近くに座って話を聞きたい。けど、テーブル席は知らない人と相席になるので無理。それに僕にはバックパックがある。テーブルとテーブルの間隔が狭くて自由に行き来出来ない。


しょうがなく、カウンターへと向かう。バックパックが置けるスペースがある入口に一番近い席を確保し、バックパックを床に置く。ルチアは男に上手く話せているんだろうか。距離もあるし、皆の話す声が大きくて全く会話は聞き取れない。


「ご注文は?」


バーテンダーが立っていた。あっと思った。そうだ。注文をしなくてはいけない。


「え、ああ、それじゃぁミルクセーキを」


そう言うとルチアの方に視線を移す。一生懸命聞き耳を立てればルチアの話が聞こえるかもしれない。


「ミルクセーキ?」


バーテンダーの声で酒場が水を打ったように静まる。え?って思った。バーテンダーはというと驚いているような、怒っているような顔をしている。背中からは嫌な視線を感じる。皆の注目の的になっていた。カウンターの二つ向こうの男が言った。


「マロモコトロの英雄様はミルクセーキだとよ」


その言葉を皮切りに酒場は湧き上がる。皆、手やテーブルを叩いたり、足でばんばん床を踏みつけている。ルチアは、あ、あんたは、とばかりに僕を指差してあんぐりと口を開けていた。


なんで僕がここにいるんだよって顔だ。僕はうつむいた。皆に笑われているのもそうだけど、今になってルチアを追ってきた行動が恥ずかしくなってきた。バーテンダーが言った。


「マロモコトロの英雄かなんだか知らねえが、あいにくうちの店にはミルクセーキはないんだよ。他のやつを注文してくれねぇか」


「え? ええ。じゃっ、じゃぁ、ミルクを」


僕がそう言うと酒場はまた大爆笑の渦となる。手やテーブルを叩く音、床を踏む靴の音まで激しくなる。


「ダウラギリを救ったなんて嘘じゃねぇのか」とか、「確かに酒場でミルクを飲む英雄なんて聞いたことねぇ」とか、「どう見ても強そうじゃねぇなぁ」とか、「変なかっこしやがって」とか、「テーブルの下で震えてたのがたまたま助かっただけじゃねぇの」とか、罵詈雑言が飛び交う。


あまりにも酒場が五月蠅かったのか、それとも僕を嫌ったのか、ルチアはというと逃げるように、対面の男の手を引いて店を出て行ってしまった。あ、ああと思った。とんでもない大失敗だ。何とか挽回しなくてはならない。僕も席を立とうとする。バーテンダーが言った。


「注文しといて帰るってのはなしだぜ」


バンッ! と目の前に大ジョッキが置かれる。なみなみと注がれたミルクの二割ほどが置いた時の衝撃で跳ねてカウンターに広がる。うわッと思った。カウンターを流れるミルクは僕の膝にボトボトと零れ落ちる。


僕はあわててバックパックに手を突っ込むと金貨一枚取り出し、テーブルに置く。


「だ、代金です。こ、これでいいですよね」


「はぁぁ? 誰にものを言ってんだ。金の問題じゃぁねぇ。この俺様にミルクを出さしておいていけねぇなぁ。飲むまで返さねぇ」


後ろに何人も立ってた。


「すげぇー。金持ってんじゃねーか」

「俺たちにおごれよ」

「見ろよ。バックパックに花束挿してるぜ」

「そうか。お目当てはルチアか」


酒場は笑いではち切れんばかりだった。叩く音も激しさを増している。恥ずかしい。どうしていつもこうなんだ。僕は何にもやってないのにこの人たちはなんで僕をいじめるんだ。目を閉じて耳を押さえる。


頭がヒヤッとした。それから液体が額から次々と流れ出る。それが頬を伝って首筋から服の中へ広がる。顎からも滴り落ちている。乳臭い匂いで分かった。僕はミルクを頭からかけられている。


頭が真っ白になった。どれぐらいそうなっていたか分からない。随分と長い時間だったように感じる。けど、おそらくはほんの短い時間。酒場の騒ぎが突然ピタリと止む。あまりの不自然さに耳にある手をゆっくりと降ろす。


聞こえてきたのは聞き覚えのある金属音。それはサバトンが床を踏みしだく音。徐々に近づいてきて僕のすぐ傍で止む。


ぎゅっとつぶっていた目を開ける。そこにいたのは勇者ブラッディ・ファルコン。百九十ラル(センチ)の長身で人垣の向こうから僕を見下ろしていた。


目が合うとブラッディ・ファルコンはプイッと目線を反らす。人垣を無造作にどけると空になったジョッキを握っている男の首根っこを掴んだ。その男をカウンターの、僕から一つ空いた向こうにまるで荷物を下ろすように座らせ、ブラッディ・ファルコン自身は僕の横の席に付く。


「ミルクを」


ブラッディ・ファルコンは金貨をピンと親指ではじく。チャリチャリチャリンと金貨はカウンターで跳ね、バーテンダーの前で止まった。


ぞわっと鳥肌が立つ。酒場のどの顔も青ざめている。ミルクを注文したのにあざけりの言葉を誰も言わない。金貨を出したのに誰もおごれと言わない。皆、口をあんぐりと開け、額から汗を滴り落とし、溶けかけた氷の彫刻のように固まっている。


まるで時間が止まっているようだった。注文しても動かないことにいら立ったのかブラッディ・ファルコンはギロリとバーテンダーに視線を向ける。まるで電撃魔法を受けたかのようにバーテンダーはビクッて跳ねる。そして、ごくりと喉を鳴らした。恐る恐る動き出し、狂おしいほどに重たい空気の中、なみなみと注がれたミルクのジョッキをゆっくりとブラッディ・ファルコンの前に置いた。


ジョッキに皆の視線が集まる。あちらこちらでごくりと喉の音が鳴る。ブラッディ・ファルコンはおざなりにそれを掴むと隣に座らせた男の頭に持って行く。そこでミルクをじょぼじょぼとこぼした。男はというと全く動けない。かけられるままそこでじっとしていた。


注ぎ終わるとブラッディ・ファルコンはジョッキをカウンターの上にドンと置く。


「おかわりだ」


途端、ヒヤァーっと、どこからともなく悲鳴が上がる。それを皮切りに誰彼構わず全員が飛び跳ねるように席を立つ。どの椅子も転がり、どのテーブルもひっくり返った。躓いて床を打つ者、鉢合わせして尻もちをつく者、海千山千でつわものの冒険者とは思えないパニクリぶりで誰もが酒場から逃げ出していく。


あらためてブラッディ・ファルコンの恐ろしさを思い知らされた。僕も逃げたくてどうしようもなくなっている。


僕を助けてくれた? って思いはもちろんある。でも、ブラッディ・ファルコンの恐ろしさには勝てなかった。ブラッディ・ファルコンはというと何もなかったかのようにカウンターに座っている。僕はその背中に一礼し、バックパックを掴むと転がるようにバーをあとにした。



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