第三十四話 幼馴染
ルチア・リクストは待合席兼カフェのほぼ中央、男四人たむろしている席の前に立った。
「援助してくれないかなぁ。今月、少しお金が足りないの」
話の内容を皆に隠すつもりはないらしい。僕にも聞こえる声でルチア・リクストはそう言った。四人のうち、男の一人が答える。
「俺たちは今からダンジョンに潜る。他を当たれ」
この男も隠す気はないらしい。シーンと静まり返っていた待合席兼カフェに声が響く。
「あれ? そんなこと言ってなかったじゃん。なんで急に?」
男が顎でくいっと僕らを指す。ルチア・リクストは、はぁ?って顔して僕らへ振り向く。
「新入り? あれがどうしたの」
「お前、何も知らねぇんだな。黒いリボンのついた広つばの帽子の女がエミーリアで、あのでっかいバックパックを背負ってるのがカケラ・カーポだ」
ルチア・リクストは、へぇーって感心している。
「で、何であいつらがあんたのダンジョン探索に関係あるの?」
「バカだな、お前は。あいつらがクエストを次々コンプリートすりぁ俺たちは飯の食い上げになるだろ。やつらがここに来るって聞いたからその前に俺たちゃ、幾つかクエストを受注したってわけよ」
ルチア・リクストは僕らにジト目を向けつつ、ふぅーんと気のない返事をする。男は言葉を続ける。
「港町ベルーハから三日四日掛かるっていうのによ。なんでこんなに早いんだ。俺たちぁ仕事を確保出来たからいいけどよ。まっ、安心しな。二番手のあいつならまだ悠長に構えているぜ」
「んじゃぁ、そうする」
あっさりだ。援助を断られたけどルチア・リクストに未練は全くない。ぷいっと顔を背けると踵を返す。先を急ぐようにずかずかと僕らに眼を合わさず、前を横切って市庁舎から出て行く。
「エミーリア、先にホテルへ行っててくれないか。ちょっと用を思い出した」
僕にしては珍しくちゃんと自己主張できた。正直いうと、ダンジョン都市ガトゥンに来る途中、何度もルチアは死んでいるかもしれないと思った。海を渡るのも大陸の街道を進むのも女の子一人では大変だ。いや、奇跡に近い。ルチアが生きていたって分かっただけでもテンションが上がる。
「そう。いいわ。ホテルの名前はロイヤルパーク」
エミーリアは淑女の微笑みを崩さない。僕の突然な申し出に反対どころか余計な詮索もしなかった。僕はホテルの名前だけ頭にしっかりと入れ、ルチア・リクストを追う。
市庁舎のロータリーにラッキーさんの馬車が止められていた。ラッキーさんは馬車にもたれかかり腕を組んでいる。その前を通った。けど、声を掛けるなり何なりあっていいもんなのにラッキーさんは僕から目を反らす。
ルチア・リクストが市庁舎を出て、そのすぐあとに僕だ。僕らは同じような歳頃に見えただろうし、追っかけている体が訳アリって言っているようなもんだ。ラッキーさんは変な風に誤解しているのかもしれない。
いや、ラッキーさんだけでない。何の素振りも見せなかったけどエミーリアも。そう思うと顔が、かぁーって熱くなってくる。僕は別にルチア・リクストが好きなわけじゃない。彼女は生活に困っている。そりゃぁそうだ。着の身着のままで女の子が一人、ガトゥンに来れたのだけでも奇跡なのに、これ以上ダンジョン都市で何が出来る。
魔法も知らない。戦う訓練も受けていない。僕はただ、僕に出来ることがあるんじゃないかと思ってるだけ。
大手道を進むルチア・リクストを視線で追いつつ路地に入る。バックパックの秘密のポケットからヘルトラウザの魔石を取り出す。それを手の甲に、特製のベルトでセット。
「迫真! スキル躍動!」
ベルトの端をぎゅっと絞る。
「“羅・塵中”」
僕の体は消える。ヘルトラウザのスキル“羅・塵中”が発動した。もう如何なる者も僕を感知出来ない。ルチア・リクストと少し距離を置き、僕はその後ろにつく。ルチア・リクストはというと公園に入り、ベンチに腰を掛ける。そこでうたた寝を始めた。
寝顔を覗き込む。くりくりとした可愛い目、愛嬌のある丸顔。改めて確かめるべくもなかった。間違いなくルチア・リクスト。けど、残念だったのは僕を二度ほどじろじろ見たのに何もピンと来なかったことだ。
淡い期待を持っていた。記憶にあるルチアは洞窟の鉄格子の前でいつも、まるで僕が見えているかのように暗闇の中の僕にしゃべりかけていた。今日あった出来事とか、勉強や友達関係での悩みとか。
そういうわけで僕がルチアのことを何でも知っているっていうのもあった。だからか、僕は勝手にルチアなら僕を見て、僕って分かってくれると思ってた。実際はルチアが洞窟の中の僕を見たことはないし、そもそも僕の名前さえ知らない。僕のことを洞窟の中の悪魔くんって呼んでいた。
ルチアが冒険者になるって村を旅立ってから僕も洞窟を出た。当然、ルチアは僕が洞窟を出たことも知らない。
真っ青な空にハケでさっと描いたような白い雲がたなびく。爽やかな風が肌を撫で、小鳥のさえずりが木漏れ日の合間から聞こえてくる。ルチアはベンチですやすや眠っていた。記憶にあるルチアの寝顔と一緒で安らかな、愛くるしい寝顔だった。
ルチアはほとんど毎晩現れ、鉄格子の前で僕に聞かせるように絵本を読んで、それからしゃべるだけしゃべって、疲れたら鉄格子に体を預けて眠り、日の出とともに起きて家に帰って行った。
僕はゆっくりとルチアから距離を取る。ここにいては通行人の邪魔だ。ヘルトラウザの魔石の能力 “羅・塵中”が発動しているからと言ってそれは感知されないだけで事実僕は道を遮っている。
植木の袂に腰を下ろす。僕とルチアの間を行く道の先に花屋の露店があった。ツインテールで金髪碧眼、赤いワンピースの女の子が道行く人に声を掛けている。十五歳前後、僕らと同じ年ごろに見えた。花売りはなかなか上手くいかないようだ。声を掛けた相手にまるっきり無視されている。
ルチアが気持ちよさそうに眠っていて起きそうにもないのでそちらの方が気にかかって来た。花屋は十人以上声をかけ、カップルを強引に捕まえたところでやっと男の方に花を買ってもらった。男はというと女性にそれをプレゼントする。女性はまんざらでもないらしい。顔はスンとしてたけど、去って行く足取りは軽くなっている。
ルチアに動きがあった。起きたようだ。猫が顔を洗うように目をこすり、ふわぁぁとあくびをする。ベンチから立ち上がると公園の道を進んだ。入って来たところと違う出入り口を出る。公園の中を突っ切ったかたちだ。その先は商店街。
多くの人が行き交っていた。商店だけでなく、道には露店も並んでいる。“羅・塵中”を発動していてもこの中を行くのは危険だ。何といってもここは冒険者の街。感知できないからと言って勘のいい人もいるはずだ。騒ぎを起こさないために屋根へ上がった。屋根づたいにルチアを追う。
雑踏の中でルチアが立ち止まった。肉串の屋台の前。ルチアは、じぃっと見ている。買うのかと思ったら歩き出した。他に目もくれず、人込みを縫うように商店街を抜ける。それから三ブロックほど行く。行きついたのはダンジョンを囲う石壁の袂だった。
ダウラギリではその区画に格安の団地が二棟あった。ここガトゥンでは十棟もある。ルーキーはここからのスタートだというけど、それは違う。ここはルーキーにもなれない肉体労働者、ダンジョン探索や簡単なクエスト受注さえも出来ないただ使われるだけの者たちが集まる場所。
“8”と壁に書かれた棟に入っていく。ルチアは市庁舎の待合室兼カフェで男に援助してほしいって言っていた。ここから抜け出すには何か特別な技能を身に付けなくてはならない。それにはお金が要る。特に魔法習得にはお金がかかった。
丁度、僕にはお金がある。手持ちで金貨百枚。僕はそれを全部、ルチアに上げていいと思った。ただ、どうやって上げればいいのか分からない。ルチアは洞窟の僕だと知らない。いきなり行って何といえばいい。
“8”と書かれた棟の前で、僕は途方に暮れる。