第三十話 酒宴
まん丸い月が夜空に浮かんでいた。風を受け、いい感じでピンと張った白い帆が月明かりに照らされ、まるで光を発しているかのように輝いている。
皆、飲んで食べ、大いに楽しんでいる。エミーリアの周りには多くの船員や男たちが集まっていた。美しい女性を間近にし、みんな舞い上がっているようでエミーリアの一言一言に対するリアクションが大きい。しぐさや表情にうっとりしている者もいる。
エミーリアもエミーリアで結構飲んでいるようだ。彼らと接して楽しんでいるのか、それともただ単に酔っているのか、声を出して笑っている。かと思えば、身振り手振りを交えて喋ったり、相手の話をふんふんと聞いてやったりしている。
僕は多くの人と接したけど、大体は話を聞く役。お酒が飲めないんでシラフ相手に皆、詰まらないのだと思う。それとも僕との会話が続かないんで手持ち無沙汰になってしまったのか、結構な頻度で人が入れ替わる。
皆が求めていたのは、スタンピードでの武勇伝。けど、僕の返事は誰に対しても、無我夢中で覚えてない、だった。そう言うと二割ぐらいの人は察してくれたと思う。本当は言いたくないと。僕はまだ十五歳だ。そりゃぁそうだってなるはず。
他の八割は本当だと思ってくれたようだ。本気に残念がっていた。僕はバックパックの前で、ホテルに貰ったレモネードを飲んでいる。確かに僕の話が詰まらなくって間が持たないってことはある。けど、僕がこうしてゆっくりと皆が楽しんでいるのを眺められるのは他に理由がある。
乗客の大多数が女性、ブリタニー・コニーたち。その他の乗客でも女性はちらほらいる。そして、船員たちは男。他に商業ギルドの人たちや一般行商もいる。酒宴が盛り上がらないはずはない。
時間と共に人の輪がほぐれ、小さなグループが幾つも出来て、そのグループの中で一対一が出来るとその人たちは消えていく。皆、生を謳歌している。僕どころではない。瞬間瞬間大事に生きているんだ。
「みんな、楽しんでいるわね」
「あ、ブリタニーさん」
タイミングが悪い。今もっとも会いたくない相手。大勢いるけど二人っきりのようなもんだ。皆、どこで誰が何をしているなんて知っちゃかいない。助けの綱のエミーリアも当然のごとく飲んで船員たちと会話を楽しんでいる。
「僕たちのクラン加入のこと、考えてくれた?」
案の定だ。うまく断る自信がない。僕はうつむくしかなかった。
「分かってるわ。言ってみただけ。あなたはあなたの夢がある」
「僕の夢?」
ブリタニーさんには前にもそのようなことを言われた。その時はピンと来なかったけど、今はちょっと違和感を覚える。
「そう。だから君も皆にあんなに酷いことを言われていてもがんばれた。僕も夢がある。だから、がんばってる」
そういやぁ、ブリタニーさんは社会を変えたいと言っていた。
「冒険者が報われる社会にするためにはギルドを変えないといけない。僕たちのクラン、バラッドのようにギルドも共和制にする」
推しの名前を書いて投票し、最も多く書かれた名前の人がリーダーになるってやつだ。
「エヴァンジョエリ卿の教育機関を卒業した者は“明けの星団”とギルドの幹部に割り振られる。それを正す。だけどそれは、ダンジョンとダンジョン都市をエヴァンジョエリ卿から奪うってことじゃない。エヴァンジョエリ卿にはちゃんと税金を払うわ。僕たちは冒険者全員が政治参加して、分け隔てなく、自分たちのために自分たちが政治をしようというだけ。それを辺境から始める」
そういうことか。それでブリタニーさんたちはマロモコトロに来てたんだ。僕を問い詰めたストレンジ・アフィニティのギルド長の苦々しい顔を思い出す。
ブリタニーさんが動けば動くほどギルトどころかエヴァンジョエリ卿との軋轢が凄くなりそうだ。簡単な道のりではない。
「まず、僕の考えに賛同してくれる仲間を出来るだけ多く集める。君がバラッドに入ってくれたらその辺も君の人気で期待できたんだろうけど。実力の方も折り紙付きだしね」
本心を隠そうともしない。ブリタニーさんらを助けたってだけで僕はバラッドに誘われているわけじゃなさそうだ。確かに情だけでは何も動かないし、動かせない。物事を思惑通り進めるには打算も必要ってことだ。
「でも、こればっかりは仕方がない。今は諦めるよ。前にも言ったと思う。君の夢が成ったら、僕のもとに来てほしい。極東のバングウェル。そこにあるダンジョン都市メルセダリオで僕はずっと君を待っている」
「どうだった? ブリタニー」
ぬぅっと人影が僕らを覆った。影の主は背中にバトルアックスと盾を背負い、プレートアーマーを身に着けた妖艶な美女。職は戦士。パーティではタンク役だと思う。
彼女はスタンピードで助けた時は何も装備していなかった。お尻と胸でバランスをとっていると思うぐらいグラマーでムチムチの肉感的な姿態が思い出される。思わず僕の顔が、かぁっと熱くなってしまった。
「だめでした」
ブリタニーさんはおどけて降参のジェスチャーを見せる。グラマー美女はというと口に手を当てる。
「あら、まぁ。ブリタニーがフラれるなんて珍しい。しかも、二度」
「あなたこそ」
ブリタニーさんはニヤリと笑うとグラマー美女の胸元をつんつんと突く。
「いい人は見つからなかったようね」
細マッチョのボーイッシュ女子がグラマー美女の後ろからすっと出る。
「やっぱり船員じゃぁな、こいつをどうにかするなんて荷が重すぎる」
ブリタニーさんは声を上げて笑った。グラマー美女はそれを見て、口をとんがらせる。
「そんなの初めっから分かってるわ」
そう言うとその場にドカッと座り、片肘を膝につけ、体を斜に傾ける。その後ろにはでっかい魔石が付いた大仰な杖を持った、胸元の広いドレスを着た女性がいた。ロングヘアで金髪碧眼。手足が長く、細面で眉が長い。スタンピードで助けた女性だ。細マッチョの子と一緒に来ていて、グラマー美女の後ろに立っていたようだ。
金髪碧眼の女性がその場で片膝にしゃがむとグラマー美女の肩に手をおく。
「気を落とさないで。男性はごまんといる。きっとあなたの望む男性は必ずどこかにいるわ」
細マッチョのボーイッシュ女子は、くくくと笑いを堪えて言う。
「あんたより強い男なんてそうそう見つかるかって。諦めな」
「うるせぇ」
グラマー美女は完全に拗ねている。細マッチョの子があきれつつ言った。
「こいつはね、自分より強い男と結婚して、その男に家庭を任せる。で、自分はダンジョンで稼ぐ。どう考えてもそんなの叶わぬ夢じゃんか」
確かに。男が家事をして子育てするなんて聞いたことがない。そのうえ、その男が強いとなりゃぁ叶わぬ夢と言われても仕方がない。
「そこにいくと俺の夢はまだ現実味がある。俺はそもそも武者修行のために冒険者となったんだ。いつか剣技を極め、いち流派を起こす。冒険者としてダンジョンに潜るのは当然として、ブリタニーと一緒に居れば相手にも事欠かない。ドミニカもそう。俺と一緒のようなもんだ。ブリタニーと居ればネタに事欠かない。なぁ、そうだろ? ドミニカ」
ドミニカとは金髪碧眼の女性のことだ。うんとうなずいた。
「わたしは本を出したい。ブリタニーの道のりを描くわ。どの時代でも読まれる本を世に残すの」
「それについてなんだけど」
ブリタニーさんもデッキに腰を下ろす。皆の目の色を確かめるように一人一人しっかりと見据えると言った。
「僕がやろうとしていることを全て、カーポ君に話した」
細マッチョの子もグラマー美女も金髪碧眼の女性もそれぞれが顔を見合わせる。雰囲気が変わった。くだけて開放的な酒宴の中でここだけがピリピリと異様な空気となる。
僕の喉がごくりと鳴る。よくよく考えれば僕はエミーリアと行動を共にしているんだ。エミーリアはエヴァンジョエリ卿の寵愛を受けていると噂されている。もしも僕がこのことをエミーリアに話したらどうなるか。
「聞き捨てならないな」
貴族崩れの男だ。酒が入ったコップを六つ、器用に手に持って立っていた。




