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第二十九話 船員見習い

僕らはエレヴァス大陸の玄関口ベルーハに向かう。帆船が切った白波の向こうにマロモコトロがあった。あそこが僕の全てだった。水平線に広がるその大きな姿から今でも島だったとは思えない。


「さようなら、マロモコトロ。さようなら、僕の故郷。いつの日にまた」


見知らぬ土地で僕はことを成し遂げられるのだろうか。身が硬直し、口角にぐっと力が入る。マロモコトロが地平線にゆっくりと沈んでいくようだった。僕は洞窟を出た時のことを思い出していた。


不安で怖かった。責任の重圧にも耐えられなかった。ヘルトラウザと幼馴染ルチア・リクストとの別れ。それがなければ、生涯あの洞窟から出ることはなかった。今だから断言できる。


あの時、僕は帰る所がなくなってしまった。僕は自分を追い詰めたし、追い込まれもしていた。今回は違った。見知らぬ土地、でも、帰る所があるんだ。エミーリアも傍にいる。ダンジョンでも一緒だ。


出来るかどうかじゃない。僕は絶対にできる。やり遂げていつの日にまた帰って来る。


大海原にもうマロモコトロの影はなかった。目指すはエレヴァス大陸。必ず“知恵の果実”を手に入れ、最後の扉の向こうに行く。


「皆、聞いてくれ! 船長から話がある!」


船員の声だ。マロモコトロと別れを告げるため上甲板に上がっていた僕ら乗客は皆、船員に注目する。働く船員たちも仕事の手を止め、ある人はしゃがんだ姿勢から突っ立ち、ある人は立ち止まって仕事道具を置く。


ベルベット生地のコートを着た人が人垣を割って現れた。船長だ。皆の視線が集まったのを確認するとその人は言った。


「スタンピードという未曽有の大災害が起こり、我々は存亡の危機にさらされた。繁栄を極めた都市も、実り豊かだった土地も、廃墟荒野になった例は枚挙にいとまがない。マロモコトロも多分に漏れず滅びてしまうだろうと誰もが思っていた。なのにマロモコトロは奇跡的に平穏を保てた。それはまさに尋常ならざる諸君らの働きによるものだ」


首元にスカーフ、頭には長つば反り帽子、そして、大仰な手袋をつけた船長は聴衆に向かって僕らを紹介する。


「特にエミーリア嬢。群がる蟻を踏み潰すごとく魔物を退治していったと聞く。そして、カケラ・カーポ殿。彼は多くの冒険者を救出し、そのうえエミーリア嬢の戦いを助けたという」


船長は船員に指でちょいちょいとサインを送る。樽が一つ、船長の横に運ばれてきた。


「諸君は魔物たちとの戦いに勝利した」


大仰な手袋をはめた手を大きく広げる。広げた先には無数に積み上げられた木箱の山。


「見てくれ。この魔石の量。いうなればこれは諸君らの戦利品だ。諸君らの勝利のあかしでもある」


船長は樽の前に立つと船員に向かって大仰な手袋をはめた手を差し出す。その手に、船員がさっと小槌を置く。


「そして、この樽の中身は、諸君らのおかげで儲けにあずかった船主から諸君らへ向けて心ばかりのお礼の品」


船長は小槌を振り上げると樽の上板に落とす。飛沫しぶきとともに上板がバンっと裂けて跳ね上がった。


「さぁ、飲んでくれ。祝い酒だ。共に諸君らの勝利を祝おうぞ」


うわぁぁっと喝さいが上がる。皆、一斉に酒樽に殺到する。集まって人たちに船員が次々とコップを手渡していく。船長はその光景を満足げに眺めていたかと思うと踵を返し、僕らに向かって来る。エミーリアの前に立つと帽子を取り、頭を下げる。


「無謀とも思える戦いでしたが、さすがエミーリア嬢。生きてまたご拝顔賜りましたこと、まことに光栄に存じます」


エミーリアは淑女の笑みをたたえつつ、カーテシーで答える。次は僕の番だ。緊張する。


「カーポ殿、お初にお目にかかる」


船長は名乗り、帽子をまた取って礼をする。僕も名乗って深々と礼をした。


「この度のご活躍、大変感銘を受けました。しかも、カーポ殿はまだ若年だという。どんな青年かお目にかかるのを楽しみにしていたんですが、正直驚きを禁じ得えません。失礼になるかもしれませんが、お幾つなのでしょうか。差し支えなければお教え願いたい」


「あ、じゅ、十五です」


「十五!」


おお、神よって言わんばかりに船長は視線を空に、手のひらを上に向ける。


「マロモコトロにこんな少年が育っていたとはな、驚きだ。うちの息子も十五で、マロモコトロにいる。大きなことなんて出来そうもないように見えるが、もしかしてそうじゃないかもしれない」


船長が大仰な手袋をつけた手を僕に差し出した。


あ、握手! かっと体が熱くなった。足が地についていないようにも感じる。めまいのようなふわふわした心持ちで手を伸ばす。その手を、船長はがっちりと掴んだ。そして、満面の笑み。


「貴殿は親である我らの希望であり、息子らの指針を示す輝かしい星だ。エレヴァス大陸での活躍を大いに期待している」


手を離すと船長は観衆に向き直る。


「さぁ、諸君!」


船長は呼びかける。


「大いに飲んでくれたまえ。酒樽はまだ幾つもあるぞ。干し肉も山ほどある。全部船主のおごり。船員は交代だ。我々もこれから忙しくなるぞ。今日は一時の休息。何もかも忘れて楽しもうぞ」


そう言うと船長は傍にいた操舵士の肩をぼんっと叩き、お前は飲み過ぎるなよと笑顔で去って行った。


船室に引っ込んでいた乗客も早速聞きつけたか、上甲板に上がってきている。酒樽に集まって酒を酌み交わし、干し肉にかぶりつく。あっちこっちで立ち話、がやがやと騒がしい。


「カケラ・カーポ殿。ご挨拶が遅れました。私はこういうものです」


男が立っていた。シルクのチュニックにマントといったいで立ちで、僕に名刺を差し出す。


そこには『ラスティ・ネイル 調達部長 コッラッド・エイベル』と書いてあった。いわゆるギルドと呼ばれる組織は十の冒険者ギルドに六つの商業ギルドの総称である。ラスティ・ネイルはその内の商業ギルドで、冒険者ギルト、ストレンジ・アフィニティの代理店的な役割を負っている。


「魔石の積載作業に手間取りまして出航を伸ばしてもらい、スタンピードでご尽力頂いたお二方にはお待たせし、大変なご迷惑を掛けてしまいました。なんせこの通りの物量でして」


商業ギルドの男は無数に積み上げられた木箱に視線を巡らす。今日出航だったのは乗客が埋まらなかったのじゃなかったんだ。


「エレヴァス大陸にてなにかご用命の際にはこのわたくし、ラスティ・ネイル調達部コッラッド・エイベルにお声がけください。では」  


帽子を軽く取ってぺこりと一礼すると商業ギルドの男は去って行く。それと入れ替えに船員が一人、僕の前に現れた。


「あのぉ、カケラ・カーポさん」


僕と同じぐらいの歳だ。見習いの船員なのだろう。


「僕はロイ・ウッズです。まだ見習いです」


見習いの子は僕をじっとみる。目をそらしたかったが、そうしてはならないと思った。その子の目をじっと見返す。


「あ、あのぉ、僕はカケラ・カーポさんを尊敬しております。僕もきっとカケラ・カーポさんのように人をあっと驚かせるような偉業を達成したいと思います」


「偉業?」


思わず声に出してしまった。この子が成したい偉業を馬鹿にしたのではない。僕のを言っている。僕のは偉業でも何でもない。僕は自分がふがいないばっかりに“知恵の果実”を奪われてしまった。何も成してない。 


「はい。偉業です」


違うというべきか。だとしたら、この子の夢を壊すことになる。船長は僕を、指針を示す輝かしい星だと言った。この子がそう思うなら、わざわざこの子の夢を壊すべきではない。だからこそ気にかかる。君の偉業って何? 


「君は将来何をしたいんだい?」


「はい」


見習いの子は、よくぞ聞いてくれましたとばかり嬉しそうに返事をする。


「僕は世界の海を制覇したいです。まだ見ぬ海、どこかにあるかもしれない大陸を発見したいと思います」


そう言ういか言わないところで大声が飛んできた。


「見習い! 何さぼってんだ! いっちょ前にお前が宴会に入れると思っているのか! 十年早いぞ!」


見習いの子は渋い果実を食べた時みたいに顔をひん曲げた。僕の胸がキュッとなった。これは僕だ。僕は手を差し伸べた。


見習いの子は、え?って顔になる。僕はうなずいて見せた。見習いの子はズボンで両の手を拭き、その両手を差し出す。ゆっくりと進む手。それが僕の手を包むように軽く掴んだ。かと思うとさっと手を引っ込めて一礼する。


「おかげで僕は、これからずっとがんばれます。ありがとうございました」


そう言うと上司の船員のもとに駆けていった。


「いい子ね」


傍で見ていたエミーリアがそう言った。


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