第二十五話 ファン
ボス部屋は水を打ったようだった。僕一人、広い神殿の遺跡に置き去りにされている。バーバラ・カウベルとサイエス・グレイは死んだ。エイブラハム・アディントンとローズ・サージェントの二人はそろってあの扉から夜空のような空間へダイブした。
扉から出たバルログを見て、何となくわかった。あれはきっと二人の成れの果て。ダンジョンの奥底に眠る神は二人に力を与えたのか、それとも罰を与えたのか。
僕は罰を与えたんだと思う。招待された者ではなく、お呼びでないやつがやって来た。で、怒ってスタンピード。
脳裏に浮かんだのは瓦礫と化したダウラギリと逃げ惑う街の人たち。
全て僕のせい? 確かにヘルトラウザは僕のことを選ばれし者と言っていた。けど、ダウラギリに来たらそうじゃなかった。僕は冒険者の中でも底辺も底辺。皆がそんな扱いをするなら、普通そんなこったろうと思うじゃないか。
現に最後の試練も失敗した。“知恵の果実”を得たのはエイブラハム・アディントンとローズ・サージェント。試練を課しといて罰を与えるなんてどうなん? 彼らこそ選ばれし者の資格がある。そういうルールだろ? 何の不服がある。
ダンジョンの奥底で眠る神よ。あなたはどうしても僕じゃなきゃダメだっていうんだな。なら、分かった。僕が行ってやる。ギロリと“知恵の果実”の部屋に視線を送る。祭壇の近くにあった扉はすでに消えていた。
くっそー。“知恵の果実”は食べてないけど扉の向こうへ行くつもりだった。
“知恵の果実”はどうしても必要。しかも、僕じゃなけりゃぁスタンピード。
なぜ、ヘルトラウザはそれを教えてくれなかったんだ。もしかして、ヘルトラウザも知らなかった?
いや、そんなことはない。考え得るに僕へのプレッシャーを心配した。一生涯、ダンジョンボスにチャレンジしないかもしれないと。どこまで僕に甘いんだ。
こうなってしまえば悔やまれる。エイブラハムとローズを叩きのめして“知恵の果実”を奪えばよかった。ダンジョンボスに比べればよっぽど簡単だった。契約に従って分けて貰えると考えたのがまずかった。
もう同じ失敗はしない。“知恵の果実”は必ず手に入れる。とはいえ、その前にスタンピードだ。このままここにいて全てが収まるのを待つか、それとも僕も魔物を追って外に出て戦うか。
もちろん、戦う。
「力ある者はそれに見合った義務を背負わなければならない」
それはヘルトラウザの言葉。選ばれし者に課せられた宿命だとも言っていた。今回は試練をクリア出来なかったけど、少なくともこれだけはやり遂げる。一人でも多くの人を救う。僕はボス部屋をあとにした。
☆
ヘルトラウザが運命を全うしたように、僕も宿命にちゃんと向き合わなければならない。エミーリアが親切にしてくれてもそれに甘えてはいけないんだ。他人の想いに飲み込まれない。それにエミーリアもとどのつまりは冒険者。
地位も名誉も全て手に入れているゴールドとはいえ、“知恵の果実”を目の前にして黙っていられようか。それどころかそもそもが、それ目当てだってことも有り得る。
“知恵の果実”を、僕と分けるって手もある。いや、それはない。エイブラハムとローズは扉の向こうに行って、見るも無残な姿に変わり果ててしまった。僕はエミーリアを想えば、エミーリアに“知恵の果実”を一口も譲ることは出来ないんだ。
結局、僕はエミーリアに何も出来ない。けど、エミーリアは僕に色々としてくれる。何か下心があったとしてもだ。
どこかで一線を引く。僕はやらなければならないことがある。そのために洞窟を出る時、その覚悟を自分に示して見せたではないか。それを忘れかけていた。自分を取り戻さなければならない。
一睡もできなかった夜が明けた。リビングでルームサービスの朝食をとって、チェックアウト。エミーリアと馬車に乗ってザバラシを出た。
夜には次の街に入り、一晩泊る。早朝出立し、ダウラギリを出て三日目となる夜、目的地港街ギャラベリに着く。ギルドマスターの御者さんとはホテルの前で別れた。
コンシェルジュによるとエレヴァス大陸に渡る船が出るのは三日後となる。僕はホテルに引き籠った。エミーリアもどこへも行かないようだ。リビングで読書をしていた。お茶を楽しみ、時にはルームサービスでスイーツも頼む。
僕らの間に全く会話がなくなったわけではない。ルームサービスを頼む時は必ず声を掛けてくれた。食事の時も同じ。ただ、会話は「美味しいね」とか、「綺麗ね」とか、何気ない一言二言のみで僕が積極的に喋らないのをエミーリアが不審がるような素振りはない。終始、僕に何も問わず、僕に何も強要しない。
それが二日続いた。明日に乗船となってエミーリアは僕にこう切り出す。
「ねぇ、カケラ。私たちはマロモコトロには当分帰って来れない」
ダンジョンもない、僕を想ってくれる人もいない。エミーリアはどうか分からないが、少なくとも僕はマロモコトロに帰って来る理由はもうない。マロモコトロは今夜で最後になるかもしれない。
「今夜、街に出ましょう。マロモコトロを私たちの記憶に留めるために楽しい夜を過ごすの」
僕は意固地になっているわけじゃない。やらなくてはならないことのために僕が僕でいる必要があるって言っているだけ。エミーリアも嫌いになったわけでもない。僕らの関係は親子でも恋人同士でもない。ただのビジネスパートナー。パーティの仲間ってだけ。持ちつ持たれつだ。
賛成だ、行こうと僕は答えた。でも、どこに行くんだろうと考えた。また、美味しいお店? もちろん、僕には僕のスタイルがある。それは曲げない。
「バックパックは持って行く、それでいいのなら」
絶対に嫌な顔をすると思った。港街ギャラベリは大陸への玄関口で新しいものがどんどん入って来る街だ。進歩的でお洒落なこの街の住民に、デカいバックパックとクラシカルな行商人姿の僕が受け入れられるのだろうか。
エミーリアはまるで問題ないとばかり、にこりと微笑む。
「きっと忘れられない楽しい夜になると思うわ」
なんか嫌味に聞こえた。僕が変なことを言い出したからエミーリアも引くに引けなくなったのかと思った。
案の定、ホテルを出ると僕に注目が集まる。でっかいバックパックを背負ったこの姿だ。でも、それでいい。ダウラギリではフンコロガシと呼ばれていたんだ。辱められるのは慣れている。それでこそ僕というもの。
エミーリアが言うには、目的の店はここからツーブロック先。そこに行くのに十五分とはかからない。時間は夕暮れに近かった。
なぜか瞬く間に多くの人が僕の後ろに連なっている。どの表情も喜色を浮かべていた。僕に引き寄せられるように集まったのは主に子供たちや僕のような青年。
なんか変だ。蔑みの目で見られるか、鼻で笑われるかと思っていた。エミーリアはふふふと笑った。
「そのかっこだもの。みんな、すぐにあなたがカケラ・カーポだと分かるわ」
どういうこと? 僕が知れ渡っている? それもいい意味で?
「この人たちは?」
「あなたのファンのようね。ダウラギリでのあなたの活躍がもう広まったんだわ」
後ろに連なった彼らは僕を追い越し、僕の周りを取り巻くように一緒に歩いた。傍で、袂で、彼らは僕を振り向かそうと躍起になって僕の名前を呼ぶ。ペンと紙を持って僕の前に掲げたりもしていた。
バックバックには小さい子供がぶら下がっている。進むたびにその数もどんどん増えていく。でも、全然重たくなかった。僕も、このバックパックも、皆から認めてもらえたような気がした。




