第二十四話 追放
エイブラハムとローズは笑った。それは今まで見たことのない顎を外すかと思うほどのバカ笑いで、二人とも腹を捩らせ、肩を預け合い、狂ったように笑い声を上げている。
やがてエイブラハムは脇腹を押さえつつ息絶え絶えに言った。
「なぁ、聞いたか? ローズ。ギルドにハメられたばかりか、カルトのヒーラーにも騙された。こんなにバカにされたのは生まれて初めてだ。バカにされ過ぎて、情けなさ過ぎて、俺としたことがバカみたく笑ってしまったよ」
「ええ、そうね、エイブラハム。私たちがダンジョンボスハンターと名乗っているのをこいつらはきっと陰で鼻で笑っていたのよ。表では怯えた風に見せかけてね」
二人の、あまりの喜色満面さに肌が粟立つ。狂気を感じた。もしかして被害妄想? それはまるっきり的外れ。どちらかというと被害者は僕たちだ。
「知ってるか、ローズ。“知恵の果実”は食すと不老不死になれるとも、超人になれるとも、神になれるとも言われている」
それも違う。どちらかというとバーバラが言っていた『世界を変える』の方が当たりに近い。エイブラハムがギロリと僕を見る。声色がどす黒く、重くなった。
「俺たちがカルトやエヴァンジョエリに、それを渡すと思うか」
エイブラハムは“知恵の果実”を両手で握るとパカッと二つに割り、その一方をローズに渡す。
「で、でも。契約が」
僕のコミュ力で何とかしようとなんて思わない。生き残った者で均等に分けるというのはお互いが決めたルールだ。何があろうと今更異論なんて許されない。けど、どういうわけかエイブラハムは胸の内ポケットから契約書を取り出す。そして、僕にこれ見よがしに見せたかと思うとそれをビリビリに破って捨てた。
「近づくな!」
左手には半分になった“知恵の果実”を、もう片方の手には魔力を。“知恵の果実”に魔法を放たんとかざしている。まさかの“知恵の果実”が人質。
実力が劣る相手に誰もこんなことはしない。エイブラハムは僕を強者だと認めている。ちょっとした動きでも見逃さないとばかりに刺すような眼光で僕を見据えた。かざす手の魔力もチリチリと小さなスパークが発生している。
奪われるのなら破棄した方がましだと言いたいのだろうか。けど、本当にやれるのか?
「これで契約は破棄だ。お前は追放。俺たちとお前の間にはもう何もない。とっとと失せろ」
むちゃくちゃだ。エイブラハムへ一歩踏み出そうとしたその時、突然“知恵の果実”が跡形もなく消し飛んだ。エイブラハムの魔法“雷撃”が放たれたんだ。
「近づくなと言ったろっ!」
度肝を抜かれた。脳天を撃ち抜かれたようなショックで僕の頭の中は真っ白になる。心の隅でエイブラハムならやるかもしれないと思ってはいた。思ってはいたけど、それでも僕は精神的にダメージを受けてしまう。
それほどまでに“知恵の果実”は僕の心の多くを占めていた。ローズが半分になった“知恵の果実”をさらに半分に割っている。その映像だけが僕の目に淡々と流れる。
半分になった片方をローズがエイブラハムに手渡す。二人は四分の一となった“知恵の果実”を喉の渇きを潤すかのようにむしゃむしゃむさぼる。あっという間に“知恵の果実”は失われた。
“知恵の果実”を食べた二人は目をつぶる。劇的な変化が訪れるのを今か今かと待っていた。けど、何も起こらない。二人は不審に思い、顔を見合わせた。と、その時、変化が起こる。
霧が晴れて景色が浮かんで来るように、背丈の十倍ほどの大きな扉が突如二人の後ろに現れた。それが開かれる。
扉の向こうは夏の夜空のようだった。無限に広がる暗い空間に幾つもの星がきらめいている。エイブラハムとローズはうなずき合うと扉の中にダイブする。彼らは行ってしまった。
ダン! と扉は閉じられた。
僕はやっぱり選ばれし者ではなかった。固く閉ざされた扉を見上げた。彼らの方がよっぽど選ばれし者たちだった。数多くのダンジョンをコンプリートしている。そこにいくと僕はどうだ。
ダウラギリのダンジョンボスが四体いるってだけでビビってた。いや、百歩譲ってそれは仕方ないとしよう。相手は四体なんだ。攻略法が分かっていたって上手くやれるとは限らない。敵の数だけ運の割合も多くなるし、何しろ敵は数体同時にかかって来るんだ。
だったら別のダンジョンンにいけばいいだけじゃないか。全てのダンジョンボスを知ってるんだ。僕と与し易いやつのダンジョンに行けばよかっただけのこと。ヘルトラウザはよく僕に言っていた。あなたは選ばれし者だと。
そうかもしれない。そうかもしれないけど、結局資格がなかった。“知恵の果実”の部屋は選ばれし者の試練の部屋のはずだ。それに失敗した僕が選ばれし者ではないということは明白。
グラっと地面が揺れる。なんだ? 部屋全体が揺れている。その揺れ方はなんか変。小刻みで、地震というよりかは振動に近いか。
ダンジョンが怒ってる。僕は直感的にそう思った。そこに、ガンッ!と恐ろしい扉の音。振り向くとエイブラハムとローズがダイブした扉が開いていた。それに呼応するようにこの部屋の扉も開く。さらにはその向こう、ボス部屋の扉。
ガン、ガン、ガンと開いていった一方で、ダンジョンの振動は停止する。そして、不穏な空気。禍々しい魔力がこの部屋全体に満たされていく。それは扉の向こう、ボス部屋をも一杯にした。けど、まだ収まろうとはしない。流れ出て来る源はもちろんエイブラハムとローズがダイブした扉。
ぞぞっと背筋に悪寒が走った。肌が粟立つ。エイブラハムらがダイブした扉の向こうから強大な魔物が迫ってくるような予感がした。僕はバックパックから黒色の魔石を取り出す。それを手の甲に、特製のベルトでセット。
「迫真! スキル躍動!」
ぎゅっと縛り付ける。
「羅・塵中」
姿を消した。ヘルトラウザのスキル“羅・塵中”が発動した。もう如何なる者も僕を感知出来ない。踵を返すと走り出す。姿を消したと言えども実体はそこにある。“知恵の果実”の部屋を出るとすぐそこの壁に張り付く。
ヤモリのようにドア枠沿いに壁を登っていく。天井と扉の一番高いところの角に身を寄せた。眼下に現れたのはスライム。あっという間に大群となり、潮が満ちるようにボス部屋を一杯にしていく。次は軍隊アリ、さらにはゴブリン。
それだけではない。ワーグもアサシン・カミキリも、ビックスコーピオンも。スケルトン種やマミー種、ゾンビ種も溢れ出していた。ヴァンパイア種や幽霊種や昆虫種はイナゴのように飛んでいる。
―――スタンピード。
物凄い数の魔物が“知恵の果実”の部屋から出て来てボス部屋を抜けていく。それが延々と三時間。
ゴーレム種、巨人種と続き、最後に現れたのは全身に炎を纏った巨人バルログ。悠々と“知恵の果実”の部屋の扉を抜けるとボス部屋の扉へと向かう。炎の鞭と炎の剣を振り回しつつ石柱を押し倒し、のしのしと進む。ボス部屋の扉は“知恵の果実”の部屋より一回り小さかった。
屈んで上半身を扉に入れる。ダンジョンの先を覗き見ているようだった。これ以上先はその巨大な体躯では通れない。炎の巨人バルログはゴキゴキゴキと体中の関節を外したかと思うとダンジョンへ飛び込む。巨大な炎の塊が吸い込まれるように、炎の尾を引いてダンジョンの向こうへと消えて行った。




