第二十二話 毒を持つ蛇の王
「いいか、よく聞け。あれはバジリスクってバケモンだ。目に魔力を宿している。邪眼というやつだ。目を合わせると視線を通じて怨嗟の炎が体の中に入り、体の内で燃え上がる。要は目を合わせなければいいんだ。俺なら出来る。生きてこのダンジョンから出たいだろ。バジリスクを倒すには盾が必要なんだ。死にたくないだろ。だったら俺の盾を出せ。さぁ、早く」
盾を渡す気がないって言えりゃぁ良かったんだけど、それがなかなか難しい。何とか目で訴えてみる。
当然、それはサイエスに通じない。僕がビビって動けなくなってると思ってる。サイエスはじりじりといら立ち、遂にはバジリスクだけでなく僕にもキレた。掴んでいた胸ぐらをさらに引き付けると力一杯押し離す。背負っているバックパックに僕は打ち付けられた。
「このフンコロガシが!」
そう吐き捨てるとサイエスは腰にぶら下げていた革袋から銀貨を取り出す。
「金剛堅固」
銀貨がみるみるうちに盾と化す。
「鏡面仕上げ」
その表面は滑るようにつるつるとなり、鏡のように“知恵の果実”の神殿を映し出す。サイエスは呪文を唱える。
「天涯地角」
剣にも変幻自在の魔法を掛けた。アーメットヘルムのバイザーをがちゃんと下す。さらに呪文。
「翼賛傀儡」
盾と剣を手に、フル防御のプレートアーマーのサイエスが神殿を進んでいく。バジリスクの姿は祭壇にはなかった。神殿の遠く奥からするすると石柱を縫うように濃いエメラルドグリーンの胴が滑っていたかと思うとプレートアーマーのサイエスにバジリスクが襲い掛かる。
プレートアーマーのサイエスは反応した。即座に鏡の盾をバジリスクに向ける。バジリスクはピタッと動きを止める。
威嚇するように舌を出し、喉を鳴らす。バジリスクは自らの邪眼を嫌った。盾に移る自分と目を合わさないよう右に左に首を動かす。鏡の盾はというと確実にそれを追う。
バジリスクはまた、シャーっと喉を鳴らした。いらだっているのか、それともプレートアーマーのサイエスの恐怖心をあおっているのか。
むろん、どちらも違った。盾を構えて前にばかり集中してたら後ろはがら空き。石柱の間からしっぽが飛び出す。プレートアーマーのサイエスはそれを後ろからまともに食らった。
吹っ飛ばされる。バジリスクの威嚇はただ単にフェイント。注意を引き付けるためのフェイクだった。プレートアーマーのサイエスは正面からしたたかに石柱に打ち付けられ、どさっと床に落ちる。
アーメットヘルムが胴から外れた。カラカラカランと石板タイルを転がって止まる。横たわるプレートアーマーにサイエスの頭がない。
プレートアーマーはがらんどう。サイエスはどこに。“翼賛傀儡” は鎧騎士の分身を造り、遠隔操作する魔法。石柱に飛ばされたプレートアーマーは分身の操り人形だった。
サイエスは石柱の影から飛び出した。素早く、鎌首をもたげたバジリスクの下に入る。顎下の真っ白な鱗は濃いエメラルドグリーンの頭部や背と比べ、一枚一枚が小さく薄そうだった。真下に入ったから邪眼の恐れもない。
「天涯地角! 伸びろ! いっけぇぇぇぇ!」
サイエスの剣がバジリスクの下あごを捉えた。鱗を貫き、内側から頭部に達しようとする。サイエスは吠える。
「うおおおおおぉぉぉぉ!」
サイエスの雄たけび。サイエスは勝利を確信していた、と思う。
「う? うがああああぁぁぁぁ!」
バジリスクは邪眼で知られる。けど、それだけじゃない。毒を持つ蛇の王とも言われている。息は草木を枯らし、その血は岩をも溶かすという。
普段堂々と、いや、ちょい悪おやじを気取るサイエスとは思えない悶絶絶叫だった。手を剣から放し、のたうち回る。剣はどす黒い紫色に変わっている。
サイエスの体も手から徐々に紫色に染められていった。剣はというと溶けて形を失う。まるで泥のようにぼとりぼとりと石板タイルの上に落ちる。
バジリスクの毒は強力であるのは当然としてその恐ろしさは相手を選ばないこと。それは金属とて例外ではない。その毒性は剣をも侵し、その使い手にまで到達するという。
サイエスの手もどす黒く変色していた。どろどろに溶けて泥のようにぼとりと落ちる。サイエスは女の子のように悲鳴を上げた。天を見上げて、死にたくない、どうか助けてとひざまずき、紫色の顔で泣きじゃくる。神に祈ろうにももう両手はない。毒は瞬く間にサイエスを侵していく。崩れ落ちたのは、上半身からだった。倒れた後もそれが続き、石板タイルにどす黒い泥が積もり、人の形を象る。
僕は歩を進めた。扉を抜け、真新しい神殿に入る。見上げると真っ青な空。振り向くと、扉が閉じようと動き出している。ああ、そういうことだったんだ。
バーバラとサイエスを止めることが出来なかった。僕は押しが弱い。親分肌でもなければ、可愛がられるタイプでもない。誰も僕の言葉に耳を傾けてくれないのは分かっていたはずだ。
バーバラとサイエスにこの部屋に入るのを諦めさせる必要はなかったんだ。無理なことをするより、誰よりも早く、僕が行動すれば良かった。この部屋は僕への試練。僕が一人でバジリスクを倒さなければならない。
今、まさに扉が閉じられようとしている。そのほんの狭い隙間にエイブラハムとローズが姿を現したかと思うと入って来て、素早く石柱の影に入る。
ああ、なんてこった。何で入って来る。エイブラハムの体は金色に輝いていた。すでに臨戦態勢。早速あの素早さから“光彩陸離之矢”の小さい版を五月雨のごとく無数に放つ。ローズは例によって光を集め、矢の成長を図っていた。
魔力の全てを全身から寄せ集め、出来るだけ大きな光の矢を創る。サポートはエイブラハム。きっと先ほどのサイエスの死を見たんだろう。剣は役に立たないと判断した。
残念ながら攻略法としては十分とは言えない。案の定、エイブラハムの光の矢は全て弾かれていく。二人の表情は蒼白になる。属性以前に魔法が全く効かないんだ。
バジリスクの鱗は強度というより魔法防御に特化している。体内に強力な毒を持っているから鱗を強くする必要はない。
強度を捨てた訳だから、逆に言うと魔法は全く効かないと考えた方がいい。魔法はダメ。視線を合わせば体の内から焼かれる。剣で刺せば毒に侵される。だったら倒し方はたった一つ。単純で、なおかつ原始的。それほど固くない鱗。ゆえにただ単にぶっ叩く物理攻撃その一択。
イリュシュカ教ではボス部屋の攻略法が研究されていたというけど、その辺が限界。エイブラハムとローズはここまでは知らなかった。彼らの戸惑いがそれを物語る。ローズは石柱の影で動かず息をひそめ、魔法の威力を上げるため魔力を絞り出している。自分の魔法ならバジリスクの鱗を突破できるとまだ思っているのだろうか。いや、彼らは海千山千だ。一縷の望みにかけている。
エイブラハムはというと何とか注意を自分に向けていることには成功している。持ち前の素早さでどうにかバジリスクを翻弄していた。
魔法防御の鱗でダメならもしかして、バジリスクの開けた口にローズが魔法をたたき込むって作戦なんじゃなかろうか。息をひそめるローズはエイブラハムのタイミング待ち。鱗がない所に魔法を叩き込む。それならバジリスクにダメージを与えられるかもしれない。




