第二十一話 邪眼
扉が開かれた。その向こうも神殿。けど、まっさらで新しい。天井はなく、ダンジョンなのに青空が広がっている。
僕がボス部屋に来て、ダンジョンボスが倒された。条件が満たされたんだ。僕はヘルトラウザを思い出す。
「あなたは選ばれし者。あなたがそこに行けば扉は開かれ、“知恵の果実”が与えられる」
世の中に出ると勇者とかいて、自分という存在がいかにちっぽけなもんかすぐに分かる。誰しもが井の中の蛙。僕の場合は洞窟だったんだけどね。
見た目も悪く人気もない。僕なんかお呼びでないと思ってた。ヘルトラウザには可哀そうだけど、どこでどう間違ったか、僕に憑りついたのは誤りだった。
けど、そうじゃなかった。ヘルトラウザは間違ってなかった。僕のために費やした日々は無駄ではなかった。
誘われるように、僕の足が勝手に階段を上がる。嬉しさはもちろんある。僕はヘルトラウザの人生そのもの。それに応えられるんだ。
喜びに浸っていると出し抜けに、バーバラに気付く。僕の後ろを付いて来ていた。玉座の傍で僕の横に立つと新たに出現した部屋に戸惑いの表情を浮かべている。
「前のボス部屋ではこんなこと起こらなかった。もしかしてもしかすると」
慌ただしく視線を巡らせる。神殿の中央、奥に祭壇がある。その上の宙に、黄金に輝くリンゴ。はっとしたバーバラは口元を両の手で押さえる。
「“知恵の果実”!」
僕に視線を向ける。興奮し、赤らんだその頬とその目の色はぞくっとするような色気を放っていた。
「なぜ扉が開いたの。どういう条件か分からない。あなたは知っていた? 知ってたのね、カケラ・カーポ」
あああっと喜びの声を上げると僕の前でひざまずき、僕の手を取り、懇願する。
「あなたがいたからよ。これはきっとあなたのおかげ。あれはあなたのもの。それは分かっている」
バーバラは頬を涙で濡らしていた。
「でも、お願い。私からあれを奪わないで。私はこの日のために厳しい修行に耐え抜いた。私は全てを捧げたの。“ぎゃくふう”も“マホカンタ”も、それが全部無駄になっちゃう。なんでもするわ。なにがいい。あなたの好きなこと何でもやってあげる」
ひざまずき、泣く。まるで命乞いでもしているよう。
「私は世界を変えたいの。理不尽なこの世界を見るのはもうたくさん。私にも一口。良いでしょ、カケラ・カーポ。ねぇ、お願い」
ヘルトラウザが言っていた。
「“知恵の果実”の部屋では最後の試練があなたを待っている。あなたは自分が選ばれし者だということを証明しなくてはならない」
バーバラは完全に取り乱している。安心させてあげないとどんどんおかしくなってしまう。
「いいよ、バーバラ」
バーバラの表情がパッと明るくなった。喜色でいっぱいとなる。
「でも、残念ながらまだ終わってないんだ。むしろ試練はこ」
バーバラは握っていた僕の手を離したかと思ったら落ちていた石を握る。ドコンという鈍い音とともに僕は床に伏した。一瞬、何が起こったか分からない。頭がズキズキ痛い。どうやら僕はバーバラに石で殴られたようだ。頭を二回ほど細かく振るとバーバラを探す。
バーバラはすでに祭壇に向かって走っていた。ダメだよ、バーバラ。
「行ってはいけない! 早く、早く戻って来るんだ!」
這いつくばってバーバラを呼んだ。僕は今まで発したことのない、これ以上ない位の大きな声を出してその名を連呼する。でも、全然ダメだった。バーバラは祭壇までもう少し。
もう少しだけど、立ち止まる。もちろん僕の声を聞いてくれたのではない。行く手を遮られ、足を止めることを余儀なくされた。バーバラを止めたのは濃いエメラルドグリーンの巨大な蛇。そいつが祭壇の前で大きくて太い胴を延々と滑らせている。
頭だけが石柱を折り返す。首周りに大小さまざまな角がたてがみのように生えていた。鎌首をもたげ、コバルトブルーに浮いた黒い瞳がバーバラを見据える。
突然、バーバラの体から白い煙が上がった。バーバラは声も上げず、ふらふらと二歩、三歩さがったかと思うと倒れる。仰向けに大の字に横たわるその姿は異様だった。口と目から炎が上がってる。体の中から燃え上がっているようだった。
絶句した。なんで僕の言うことを聞いてくれなかったんだ。バーバラだけには敵がどういうやつか、ちゃんと話してやったじゃないか。それで僕の言う通りにちゃんとなったじゃないか。“知恵の果実”も分けると言ったはずだ。それなのに僕を出し抜こうとするなんて。
せめて生きてダンジョンから出てほしかった。その気持ちに嘘はない。ダンジョンに入って三日、バーバラと喋れて、っていうかほぼ向こうから一方的なんだけど結構楽しかった。聖都ロトルアの話なんか良かった。マロモコトロに居たら都会の話なんてなかなか聞けない。
そういや、バーバラのお母さんは“知恵の結晶”の修道女だった。教団の名から分かるように“知恵の果実”は教義の根幹だと言っていい。はじめっから、それも子供の頃からだろう、バーバラは“知恵の果実”を得ることを望んでた。
バーバラの口から聞いたわけではない。だけど、当たらずして遠からずじゃないのかな。その雰囲気からほど遠い冒険者となったことからもうかがえるしね。エイブラハムとローズにも嫌々付いて来たんじゃないと思う。僕とおんなじだ。やつらはダンジョンボスハンターを自称していた。バーバラも千載一遇のチャンスだと思ってた。
嫌々付いてきているのはポーズだった。でも、エイブラハムとローズを怖がっていたのは本当のことだろうな。自分の邪な心を二人に悟られるかもしれないんだ。なにしろあの二人だ。海千山千、目の前のお宝が“知恵の果実”と分かればどういう反応をするか全く予想できない。やはり隙を見て奪うのが一番。バーバラは当初からそう考えていた。
実際、あと一歩だった。バーバラは皆がウルク=ハイの咆哮のダメージから回復していないのをいいことに “知恵の果実”を奪おうとした。
ただ、僕は誤算だったろうな。肉体労働者の可愛そうなガキのはずだった。もしかして、“ぎゃくふう”もわざとタイミングを遅くして僕に掛けないようにしたのかもしれない。
まんまと僕らは騙されていた。もともと母性を感じさせる雰囲気を持っていたしね。僕に優しくするのもそう。
エイブラハムが怖い。体を狙われているとか狙われてないとか、何が目的なのとうそぶいたのは最も効果的だったんじゃないのかな。
挙動不審な態度をそれが自然であるかのように周囲に思わせ、最後に出し抜くという悪意と不安をエイブラハムといわずローズからも隠し通せた。エイブラハムが怖い。これは僕だけじゃなく、きっとサイエスにも言っている。
「フンコロガシ。盾のスペアだ」
そのサイエスがブチギレていた。バーバラが殺されたのがよっぽど頭に来たんだろう。サイエスはそういうところがある。もっとも、相手がバーバラだしね。サイエスはダウラギリに来た時からバーバラを気に入っていた。
ルキフィナさんもそれは知らなかったと思うよ。これがきっとサイエスがグロリアに入った真相さ。そんな馬鹿なって思う人はよっぽどのお人よしだね。ダンジョンでのサイエスの態度を見ていたら誰でもそう思う。
「聞こえているか、フンコロガシ! スペアだ、早く!」
仇を討とうというんだね。心意気は買う。けど、あんたでは無理。敵を知らなさすぎる。死に行くようなもんだ。僕はサイエスの言葉を無視した。サイエスは僕の胸ぐらを掴む。そして、自分の顔に僕を引き寄せた。目が血走っている。
「ビビるな、フンコロガシ。気をしっかり持て。俺には策がある。言うとおりにすれば助かる。だから、俺の盾を出せ」
僕は答えなかった。睨まれるがまんま僕もサイエスの目をじっと見据える。絶対に渡さない。




