第十九話 ドラゴンの魂
オログ=ハイは倒れた時、後頭部を強打したのだろう。カウンターの顎も相当効いている。生まれたばかりの小鹿のようにやっと立ち上がるも、いまだ足元がフラフラでおぼつかない。超グロッキー状態。
サイエスのおっさんはというとまるで計算してやったかのように左手で拳を握り、よしって言っている。
オログ=ハイが放つ“会心の一撃” の威力は攻城兵器カタパルト並だと聞いた。そのスキルが発生していたらオログ=ハイは間違いなく今ので終わっていた。
喜んでいないでむしろ残念がっても良かったのに。けどそれは女性にモテ、明るく自己肯定感の強いサイエスのおっさんのやることだ。多くは求めまい。
オログ=ハイの表皮に変化があった。あっちこっちどんどん黒ずんでいき、色が変わったところはどうやら硬化しているようだ。瞬く間に全身黒一色になる。その姿はまるでプレートアーマーを着こんでいるかのよう。
浮かれている暇はない。僕は慌ててバーバラの袖を引いた。
「“奈落底なし沼”だよ」
バーバラは眉をひそめる。注意散漫、敵の魔物と同じように僕にも注意が向いてしまっている。僕はもう一度、今度は強く、バーバラの袖を引く。バーバラは、はっとして、うんと頷く。
「サイエス。“奈落底なし沼”よ。敵の動きを止めるの」
サイエスは振り向くとバーバラに、分かったと言う。そして、“奈落底なし沼”を唱えた。
サイエスは金の属性。火と土の魔法が使える。“奈落底なし沼”は土属性の魔法において難易度が高くない割には敵の動きを止められるし、場合によっちゃぁ仕留められる。使い勝手のいい魔法だ。
オログ=ハイは地に沈んでいく。今や己の体重もデメリット以外の何物でもない。さらにはもがけばもがくほどそれに拍車がかけられる。あっという間に地面の下に消えていった。
かと思った。地表の一点から幾つもの針が飛び出す。その一本の太さは槍の柄ほどか。それが宙高く伸びるとそれぞれ中ほどで折れ曲がり、その先端は放射線状に別れる。“奈落底なし沼”の範囲外を大きく円を描くようにその全てが地表に突き刺さる。
それはまるでクモかザトウムシの足のようだった。地表に突き刺さった先端が地面に食い込んでさらに沈んでいく。踏ん張っているんだ。足元が沈んでいくのと比例してオログ=ハイの体が“奈落底なし沼”の中から持ち上げられていく。頭、胴、足と、やがてそれは完全に“奈落底なし沼”から抜け出す。宙にぶら下がるように僕たちを見下ろしていた。
なんという恐ろしい姿。巨体が、傘の骨のように広がった足にぶら下がっている。しかも、節足動物と見紛う黒光りする体皮。それが宙を飛ぶようにゆっくり僕らに近付いて来る。ぞっとした。
その瞬間、光の筋が走る。瞬く間に一直線。節足動物とかしたオログ=ハイの胴を貫く。
光彩陸離之矢。
ローズの魔法が完成したんだ。オログ=ハイは腹を大きく穿たれ、下半身はというと胴から切り離されて“奈落底なし沼”の上にドボンと落ちる。見る見るうちに沼に飲み込まれていった。
「がああああああぁぁぁぁ」
けど、オログ=ハイはバカな分タフだった。命を落とさず“堕天のむつごと”の効果でさらに変形を始める。無くなった胴から下の変わりが生まれた。どうやら本当にクモかザトウムシになるらしい。風船が膨らむようにまん丸い胴体が現れる。
ローズはハイエーテルをいっきに飲み干す。そして、エイブラハムに視線を向ける。その相手のウルク=ライダーはというとすでに原型をとどめていない。
触手が何本も生えている。エイブラハムは結構ダメージを入れているようだ。けど、まだ決定打に至っていないように思える。エイブラハムの、こちらへの助勢は無理とみた。
ローズは弓を引くモーションに入る。もう一度、“光彩陸離之矢”をやるつもりだ。まぁ、ローズとしてはそうするしかないのだろうけど、玉座に座っている魔物はまだ無傷で残っている。
バーバラの袖を引く。バーバラはびくんとしたかと思うと跳ね上がるように僕から数歩離れる。触らないでと言わんばかりに僕が引いた袖を自らの脇に隠し、血の気を失った顔色で僕に視線を向ける。
「あの姿に騙されてはいけない。もう一押しで倒せるかも。“堕天のむつごと”と言ってもちゃんとダメージが通ってるんだ。回復したわけでも不死身になったわけでもない」
バーバラは、はっとした。
「 “光彩陸離之矢”なんて必要ない。サイエスの“天涯地角”で十分」
僕がそう言うとバーバラの背筋に悪寒が走ったのか、ぶるっと肩を震わせた。マジ僕を怖がってる。
そんなことより早くしないと、という意味で僕は宙を近付いてくるオログ=ハイを指差して見せる。バーバラはオログ=ハイと僕を交互に見、まるで敵でも見るような眼を僕に向けると叫んだ。なんだかもう、やけっぱちだ。
「サイエス! “天涯地角”!」
ローズは“光彩陸離之矢”のモーションを終えた所で止めた。サイエスはというと背中のまま、頷く。そして唱える。
「“天涯地角”! 伸びろ!」
サイエスの剣がまるで矢を射たように伸びる。剣先がオログ=ハイの胸を貫いた。オログ=ハイはまさに風前の灯だったようだ。うつろになったかと思うと完全に姿を消し、現れた魔石が“奈落底なし沼”に落ちる。
ドボンと泥が跳ねると沈んでいく。オログ=ハイの魔石はデカかった。通常は大きくてもリンゴほどの大きさなんだけど、メロンほどある。みるみるうちに沈んでいく。
「魔法を解いてくれ! サイエス!」
あ、っと思った。僕としたことが思わず声を荒げてしまった。サイエスはオログ=ハイを倒してホッとしたような、得意げのようなアハハというな顔をしていたけど、僕の言葉にむっとする。
「言われなくてもそうする」
サイエスは“奈落底なし沼”を解く。僕は半分ほど埋まってた魔石を掘り出す。エイブラハムは戻って来てた。ローズの横に立っている。ウルク=ライダーを倒したようだ。二人は玉座の魔物を見据える。
玉座の魔物が立った。来る!
僕はオログ=ハイの魔石を抱え、飛ぶ。パーティの後方に着地すると振り向く。今さっき僕がいた所にウルク=ハイが立っていた。
すね当てに手甲、頭にはバルブータと呼ばれる兜をかぶってる。頭部全体をすっぽり覆い、目鼻口にT字状の穴が開いたやつだ。手には大剣を持っている。胸当てはない。
ゴブリン種の上位種オーク。その中で、戦闘向けの大型なやつがウルクであり、さらにその中で魔狼に騎乗するのがウルク=ライダー、知能が高くリーダーとなり得るのがウルク=ハイ。そのウルク=ハイが大きく息を吸った。エイブラハムが叫ぶ。
「耳を押さえろ!」
今日二回目の指示。エイブラハムはホント大事なこと以外、僕らに何も言わない。それだけに分かりやすいんだけどね。ウルク=ハイはというと咆哮を放つ。壁にぶつかったような衝撃と体を痺れさすような振動。
耳を守ってなかったらバーバラもサイエスも一時的に聴力を失っていた。これはスキル。ウルク=ハイの“ドラゴンの魂”。
それは相手に対し、物理的に影響を及ぼす他に、バフや道具にかけた魔法をも消し去る。エイブラハムの体を覆う“捷疾羅刹”の金色も、光の剣と化す “光輝燦爛”の輝きも突風に飛ばされたようにきれいさっぱり消え失せる。けど、“ドラゴンの魂”はそれだけじゃぁない。
四種類のブレスが放てる。ウルク=ハイはまた大きく息を吸い込んだ。
「バーバラ! 全員に“ぎゃくふう”!」
三度目の指示。もちろん、バーバラはこの指示の意味を即座に理解する。ブレスに対抗するには“おいかぜ”か “ぎゃくふう”だけであった。“おいかぜ”はブレス攻撃軽減で二回掛け、三回掛けと重ね掛けが出来、ブレス攻撃を無力化させていく。
“ぎゃくふう”はブレス攻撃の反射。掛けるのは一度だけで良い。似てるようで全く違った。覚えるのなら“ぎゃくふう”だと誰もが思う。けど、そういう魔法ほど習得は難しい。才能も必要だけど習得に費やす時間が半端ない。習得を始めて後で才能がないと知るのは最悪だ。
バーバラは、その数少ない習得者の内の一人だった。だから、エイブラハムとローズは手放さなかったんだ。例えるなら際限なく引いていたくじで、やっと当たりが来たってこと。
これを機にブレスを得意とするダンジョンボスを出来るだけ倒して回ろうという考えなんだ。バーバラはエイブラハムに“ぎゃくふう”をかける。
次にローズ。そして、サイエス。僕の番となって、ウルク=ハイの吸う息が止まった。膨らんでいく腹や胸も限界のようだ。体全体をふいごのごとくに動かしている。吸引が終われば当然、強烈な息吹が待っている。サイエスが急げとバーバラに言う。
「ぎゃくふう!」
バーバラは自分自身に“ぎゃくふう”を掛ける。ウルク=ハイが灼熱の炎を吐いた。濁流のごとくな劫火が、エイブラハムら四人へ津波のように押し寄せる。僕はというとジャンプし、石の柱に飛び付く。ヤモリのように張り付いて柱の胴を裏に回りながら出来るだけ上に登っていく。