第十七話 堕天のむつごと
バーバラは一人っ子で、シングルマザーの家庭に育った。けど、全然寂しくなかったという。母親が孤児院の院長だった。孤児院の子供たちが兄弟のようなもので、逆に小さい頃は凄い大家族だと誇らしく思ったそうだ。
孤児院は聖都ロトルアにあり、イリュシュカ教の分派“知恵の結晶”の支援により運営されている。
イリュシュカ教はというとその起源を二千年も遡り、今も変わらず帝都に教皇聖座を置き、移り変わる全ての朝廷から信仰を集めている。 “知恵の結晶”はそのイリュシュカ教から四百年前に別れた。貴族や皇族、皇帝のイリュシュカ教に対し、“知恵の結晶”は民間へ信仰の場を広げていく。
バーバラが魔法を学んだのはその母親が“知恵の結晶”の修道女だったというのもある。バーバラは特別だったようだ。母親は元貴族でどんないざこざに巻き込まれたのか、幼きバーバラを連れて帝都を出奔、“知恵の結晶”に改宗し、聖都ロトルアに入った。
全財産を“知恵の結晶”に寄付したという。その功績で、“知恵の結晶”から孤児院の運営を任されたし、バーバラも聖都ロトルアにある“知恵の結晶”の魔法学校に通えた。
バーバラが僕に関心を持ったのはまさにその孤児院ってところだ。僕みたいな者を見れば経験上、色々と想像してしまうし、気持ちがうずうずするんだろう。こんな若くから肉体労働者としてダンジョンで働く僕みたいなのを見てしまうと。
ただ、それだけでないっていうのは否めない。グロリアに信用できる者がいなかったこと。精神的苦痛が続いて誰かと心許して話さないと頭がおかしくなってしまうこと。僕を選んで喋っているというのは信用というよりどちらかというと安心。僕が取るに足らなくて何を話しても当たり障りがないとバーバラは考えてる。
僕がエイブラハム・アディントンに近寄るとエイブラハム・アディントンはすっごく機嫌が悪くなる。ローズ・サージェントもバーバラに僕を近寄らせないでと激怒していたしね。だから、そんな僕がわざわざ貴族二人に、バーバラが二人をよく思ってないですよってチクると誰が思おうか。バーバラにとって僕は体のいいガス抜き。
でも、いいんだ。何の問題もない。僕としてもバーバラと喋れて、っていうかほぼ向こうから一方的なんだけどな、結構楽しかった。聖都ロトルアの話なんか良かった。マロモコトロに居たらなかなか聞けない。
とはいえ、正直言うとバーバラはなんだかなぁ、ちょっと引っ掛かることもあった。バーバラはいつも貴族二人に怯えていた。何をそんなに怯えることがあるのだろうかと。
普通に怖いっていうのはよく分かる。僕もあの二人は怖い。けど、ダウラギリに連れてこられた理由が分からないっていうのはね、ちょっと変だ。
あの貴族二人がバーバラを手放さなかったのは間違いなくボス戦と関係している。他に何があるというのか。彼らはダンジョンボスハンターを自称しているんだ。使えないやつは見殺しにしているしね、めちゃくちゃ分かり易い。
ダウラギリのダンジョンボスは一体ではない。機動力重視のやつ、打撃力重視のやつ、そしてリーダー格と、人間型が三体いて、その他に獣種が一体。
ポーターの僕を戦力外とするなら、四対四の、まさにパーティ戦の様相を呈する。僕が単独でダンジョンボスに挑めなかった理由でもある。
僕はどこのダンジョンにどんなボスがいるか全て把握している。それはヘルトラウザの教育の賜物。貴族二人もこのダンジョンボスの情報を掴んでいた。そして、その攻略法にバーバラが必要だった。バーバラが手の内にあるうちに貴族二人はダウラギリにやって来た。ただそれだけのこと。
☆
僕らはボス部屋の前にいた。ダンジョンの終着点に相応しい、人の背丈の五倍もある大きな扉だ。威圧感は半端ない。本当に入室するかい、今なら無事戻れるよと僕らに覚悟の有無を確かめる。
皆の緊張も伝わって来る。もちろん、僕も緊張している。ローズ・サージェントが長身のエイブラハム・アディントンをその肩口から見上げた。二人は視線を合わせ、ローズがうなずいて見せる。心の準備が出来たという意思表示だと思う。それを受けたエイブラハムがこう言った。
「俺はすばしっこいやつをやる。タンクは俺に気を取られるな。守りに徹しろ。別のでかいやつが攻撃してくる。ローズとヒーラーを守るんだ。ヒーラーは誰がやられようと俺が指示するまで何もするな。分かったな」
世間では、ボスは一匹だという固定概念がある。バーバラとサイエスはまさにそれで、受けた指示の意味がピンと来ていない。互いに顔を見合わせる。
ダウラギリではダンジョンボスがどういう魔物か誰も知らない。ダウラギリのダンジョンでボスを倒したのは七十年前、貴族たちのパーティだったという。ボス部屋の宝箱から入手したアイテムを証拠とし、その他の情報は一切出さなかった。
確かイリュシュカの寺院では長年にわたって情報を集め、各個ダンジョンの攻略法を編み出していると聞いた。
因みにエイブラハムとローズはお互いを呼ぶ以外、他の者を名前で呼ばない。おそらくは初めっからとっかえひっかえのつもりなんだろう。名前を覚えるつもりがなく、タンクとかヒーラーとか役職で呼ぶ。
僕の扱いはそれよりも下げられる。ポーターと呼ぶのはローズだけ。エイブラハムはもっとひどくて機嫌が良ければ僕をガキと呼ぶ。大体は、おい、だけどね。ボス戦での指示はもちろん、僕にはなかった。
ほっとした。あったらどうしようかと思った。けど、安心したのも束の間。ローズが僕の前に手のひらを差し出す。
「ハイエーテル」
え?
ローズは眉を真ん中に寄せ、凄く不機嫌な顔をしてる。ケープ風のフラウンスがポイントの、ブラックのベルスリーブワンピースを着ていた。
「ハイエーテルと言っただろ、ポーター」
差し出した別の方の手には杖がある。髪はショートヘア。左の額に赤いあざがあって、サラサラなブロンドでそれを隠している。
「あ、はい」
ローズからの指示はクエストで初めてだった。完全に油断していた。あたふたとバックパックをまさぐり、ローズの手のひらに小さく長い小瓶を置く。
エイブラハムが馬鹿にしたような、ちょっとムッとしたような、そんな表情をちらりと僕に見せた。ふんと鼻を鳴らし、何もなかったかのように扉を押す。
目の前に遺跡化した神殿が広がる。ずらりとならんだ石柱のずっと奥、水たまりがあってその先に十段ほどの階段があり、玉座がある。
そこに四体、魔物がいた。玉座に座っているやつとその左右で突っ立っているやつ。右側のやつはデカかった。少なく見積もっても五マール(5M)はある。
左のやつは傍にワーグらしい狼型の魔物を置いている。まるで飼っているかのようで狼型の魔物は左のやつに寄り添っている。
バーバラとサイエスは息を呑む。ボス部屋に魔物が複数いるのがよっぽどショックだったんだろう。バーバラについていうとダンジョンボスは初見ではないと思う。他のダンジョンで戦っているはずだ。どんな理由か知らないけど十中八九、このボス戦のためにここまで連れて来られたのは言うまでもない。
もちろん、サイエスは生涯初めてのダンジョンボスだ。そのリアクションからサイエスが想像したのとは違ったと解釈できる。全員力を合わせ一匹の魔物を倒す気でいた。それが大きな間違いで、これは魔物対人間のパーティ戦。二人はここに来て、やっとエイブラハムの指示が理解できたようだ。
因みに僕も初のボス戦だ。エイブラハムはというと僕のことなんて頭にない。肉体労働者の僕がパニクって連携を乱さないか心配してもいいもんなのにな。あるいは僕が怖気ついてボス部屋に入って来ないと踏んでいるのか。
いずれにしても邪魔しようものなら叩き切られてしまうんだろうな。敵への罠の餌とか何かに利用しようとも一切思われていない。バトル狂のエイブラハムにとって戦場で全く役にたたない僕の命なんて価値なぞ何にもない、ゴミにもならない取るに足りないもの、ということか。
皆、歩を確かめるように一歩一歩慎重に進む。僕も皆から五歩ほど離れた距離を保ちつつ、その背中を追う。石板タイルの床は所々水たまりがあり、部分的に浮いたり沈んだり、それこそ石板タイルが割れてたり、剥がれてズレていたりしている。苔むしているところもあった。
石柱は等間隔に整然と並んでいる。一個一個の胴回りは太く、大木の幹のようにどっしりと地に立つ。中には朽ちて崩れ落ちたものや半分程度のところからポキッと折れたものもある。
まさにボス戦に相応しい部屋。僕らが半分近付いたところでボスたちは動き出す。左側の魔物が玉座の前にひざまずく。そいつに向けて、玉座の魔物が手をかざす。
「堕天のむつごと」
なんとも禍々しいどす黒いオーラ。それがひざまずいた魔物を包む。右側のでかいやつも玉座の前でひざまずいた。
「堕天のむつごと」
―――禁呪。
それが牙を剝くのは戦いが始まってから。今のところは何の変化もないし、こちらにも影響がない。エイブラハムとローズはもうすでに分かっているはず。バーバラとサイエスは、それが何かは知らない。