第十三話 ラーメン屋
窓の外の景色はもう色あせてなかった。心躍るような高揚感の方は未だ失ったまま。
なんか落ち着いている。僕らが出会ったのは必然で、こうやって旅をするのが本来の姿なんだと錯覚するほどに僕は二人でいることに違和感を覚えない。
でも、なんでエミーリアはあんなにも心引かれる笑顔をしていたんだろう。僕がちゃんと報告したからかなぁ。僕がちゃんと話せたからかなぁ。僕も嬉しかったよ。エミーリアならなんだって話せるような気がする。いつか僕のこと全部話そうと思う。きっと分かってくれるはずだ。
馬車は常歩、揺れが心地よい。やがて太陽も天高く昇って草原に伸びていた馬車の影が最も短くなる頃、馬車は止められた。また白いクロスのテーブルが置かれ、パンの皿、ハムの皿と並べられていく。
スープがあったら最高なので僕はバックパックから食材と調理器具を取り出し、ダンジョンにいる時みたいに手早く火を焚いてパパっと作ってやった。僕のスープをまずいって言った人なんていない。思ってた通り、エミーリアにも、ギルドの御者さんにも褒められた。
お腹いっぱい食べて馬車に乗ったら眠たくなってしまった。気付いたら馬車の中は魔石の明かりで照らされ、僕にはブランケットが掛けられていた。エミーリアが横で僕を軽く揺らしている。ああ、分かってる。
「着いたみたいだね」
僕は座席から立つとエミーリアに続いておぼつかない足取りで馬車を降りる。馬車が動き出す。見渡すと商店が並ぶ街路。店は結構閉まってる。降りた所はホテルの前ではない。
馬車は常歩でひづめを鳴らして石畳の上を去って行く。屋根の荷台にはまだ僕のバックパックが結び付けられていた。ああ、って思っている間に馬車は建物の向こうに消えていく。
道端に置いて行かれてしまった。どういうことってエミーリアに眼で訴える。
エミーリアはいつものように、ふふふと笑う。
「カケラ、大丈夫よ。馬車には先に行ってもらっただけ。御者さんがホテルを取ってくれているはずよ。私たちはちょっと寄り道」
「いや、そういう問題じゃなくて」
僕のバックパックを馬車の上に置くだけでも精神的苦痛なのに僕より先にホテルに行くって。エミーリアも分かってくれてると思ってた。
「荷物だけでも取って来る」
う~ん、とエミーリアはあごを触る。
「馬車は大通りしか走れない。サバラシの大通りは街を巡るように作られてるの。だから馬車はこうやって走る」
エミーリアは手で大きく円を描く。
「私たちは路地をこう歩く」
指先を下から上へ縦に引く。
「私たちの方が早いかも。それともカケラは馬車を追っかけて大通りをこう走る?」
また大きく円を描く。
「ホテルがどこかも知らないんでしょ。しかも夜だし、馬車を見つけるだけでも大変。荷物は絶対に大丈夫。ギルド長の御者さんはブロンズ以上じゃないとなれないの。そこら辺の冒険者が束になってもどうにもならない。泥棒なんて一ひねり」
ううう~ん。確かにそう言われるそんなんだけど。頭では分かるんだよ。だけど、気持ちの方が。
「いったん忘れましょ。連れて行きたい美味しい店があるの。カケラ、行きたくない?」
美味しい店? 行きたい!
「ほら、行きたいって顔に書いてある。路地には馬車は入って行けない。ここで待っていて貰うのも先に行って貰うのも同じ」
そう言うとエミーリアは路地に入って行く。そこは飲食店が立ち並ぶ通り。ダウラギリほどではないにしろチラホラと人と行き交う。やがて、エミーリアはラーメン屋の前で歩を止める。暖簾は掛ってない。
「エミーリア、空いてないよ」
「売り切れ次第終了のお店。でも、大丈夫」
エミーリアは構わず戸を叩く。スズキさん、スズキさんと連呼する。戸だけが少し開く。そこから金髪碧眼のおじさんが顔を出した。
「あ! あああああっ! エミーリアちゃん!」
ガラっと勢いよく戸が開く。金髪碧眼のおじさんが、さぁ入った入ったとエミーリアと僕を中に入るようにうながし、カウンターの椅子を引き、座ってくれと椅子の上を埃でも払うように叩く。エミーリアはその椅子に腰を下ろした。僕も横に座る。金髪碧眼のおじさんはカウンターの中に入る。
「売り切れたんじゃないの」
エミーリアが笑顔でカウンターの中を指差す。
「ちゃんとあるのよ」
麺を二つ、金髪碧眼のおじさんが手に取るとゆで始める。
「おうよ。腹が痛くなったとか難癖付けられた時のためにいつも二食残してんだ」
どんぶり二つをさっとお湯にくぐらせると特製醤油ダレをそそぐ。鶏油かラードか、それに加え、さらに細かいネギを入れる。チャーシューを焼いている一方で、スープをどんぶりに流し込む。ゆであがった麵のお湯を切り、箸ですだれのように取ると何重にも畳むようにスープの中に丁寧に沈める。
どんぶりの半分を占領するほどのチャーシューを乗せ、二つに割った半熟煮卵一個分、そしてほうれん草とメンマをトッピングする。
へい、おまちとどんぶり二つがエミーリアと僕の前に並ぶ。あまり手際の良さとどんぶりの中の見た目に驚いた。
醤油スープに浮かぶお月様のような煮卵に雲のような麺。森の緑のようなほうれん草に山を思わせるチャーシュー。どんぶりの中はまるで夏至祭に見上げた夜空のようだった。僕はこの感動をエミーリアに伝えたかった。笑顔を向ける。
エミーリアの笑み。伝わったようだ。のびないうちにさぁ早く、と箸とレンゲを渡される。受け取るとまずはレンゲ。スープを一口。次に麺に箸を伸ばす。それからは夢中だった。食べれば食べるほどおいしいんだ。何もかも忘れて無我夢中になってしまった。
食べきるのは、あっという間だった。幸せの余韻が波打ち際のさざ波のように行ったり来たりしている。消えて行きそうなその波をいつまでも逃さないように目をつぶって追う。
「まさかなとは思ったが顔を見て一瞬、血の気が引いたぜ。なんにしろ無事で良かった。こういうのは普段イキってるやつにやらせとけばいいんだ」
こういうのとはスタンピードだ。エミーリアは、ふふふと笑う。
「そういうわけにはいかないの」
「無理すんなって。人間だって旬っていうもんがあるんだ。もうベテランの域だろ。流石にどっか痛むところはあるはずだ。で、この子は?」
「スタンピードの中で出会ったの」
僕のことだ。あ、挨拶をしないと。
「あ、あのぉ、僕、カケラ・カーポです。よろしくお願いします」
「今、パーティを組んでるの。これからずっと一緒に旅をする」
「羨ましいね、カーポ君。エミーリアちゃんと組むってことは、強いんだろ? カーポ君も」
「ええ。私以上よ」
「へえぇぇぇ、驚きだっ。俺には子供に見えるが」
はは。大人だと思ってる。見た目そのまんまだよ、十五歳。褒められているような褒められていないような。僕は頭を搔くしかなかった。
「やっぱ、ダンジョンは廃坑か」
「はい。まちがいありません」
「そっかぁ」
感慨深げな声色だった。ちょっとした沈黙が店に漂ったけどそれを振り払うように店主が明るく言う。
「それにしてもエミーリアちゃん、全く変わらないね。十五年間ずっとそのまんま。俺はこんなに老けて、いいおっさん。こんなに差が開くなんてな。あの頃は俺も結構モテたんだぜ。こうなると調子に乗って結婚してくれって土下座したのがエミーリアちゃんに申し訳ないぜ」
エミーリアは見たことのないような苦笑いをする。その表情は結構新鮮で、そういう顔もキュートだと思った。
「この街サバラシもダウラギリが無くなればもう終わりだ。おそらくは十年持つか持たないか。ダウラギリあってのザバラシだもんな」
おじさんの声色はしんみりと独り言のようになる。
「俺はここに骨をうずめようかと思う。他に移って店を開く歳でもないしな。出来るだけ店を続けてこの街の行く末を最後まで見守りたい」