8.招待状
八歳の誕生日を迎える夏、私は毎月恒例のお茶会にショーン殿下を招待していた。
婚約関係も早二年、お互いが婚約者という自覚を持ちつつあった。
紅茶を飲みながらショーン殿下が告げる。
「近頃、貴族院が騒がしいらしい。
クロスランド公爵派閥が優勢になって、バンライク議長派閥が挽回を図っているという噂を耳にするよ。
私のところにも、議長派閥の貴族がやってきては機嫌を取ってくる」
「まぁ、色気のない話題ですわね。
でも殿下にしては珍しい話題でもありますね。
何か気になることでも?」
ショーン殿下がティーカップを置いて応える。
「近づいてくる貴族たちから、聖女たちの様子を聞くことができた。
覚えているかい? ミレーヌ。
六歳の時のお茶会で同席していた聖女たちのことを」
私は紅茶を一口飲んでから応える。
「ええ、もちろん覚えておりますわ。
緊張していて可哀想でしたわね」
「彼女たちは毎日過酷な祈りを強要されているそうだ。
貴族の話では、『まだ倒れないのだから、もっと搾り取れるはずだ』と言っていた。
聖教会が流通させている聖水の需要がまだあるのだろう」
私は小首を傾げて尋ねる。
「でも、お父様の作る魔法薬の方が効果が高いと聞きますわよ?
それでも聖水需要がありますの?」
「議長派閥は聖教会派閥でもある。
その中でクロスランド公爵の魔法薬を使うのは裏切り行為なのだそうだ。
幸い、軽い病なら聖水でも癒すことができる。
深刻な病を患った者たちは、公爵の魔法薬を求めて鞍替え済みだそうだ」
まぁ、そうだろうなぁ。
あれから一年、私の作る魔法薬は生産量も効能も増していくばかり。
クラリスとクリスティンが二人がかりで一日二十作るのが精一杯なところを、私は一人で五十作れる。
そのうち半数を希釈魔法薬として民衆に流通させても、二十五は貴族に流通させられる。
お母様と同じ程度の病なら、私の作る魔法薬で完治できるらしい。
一方でクラリスたちの作る聖水では、症状を緩和するのが限界なのだそうだ。
だからなおのこと、彼女たちには増産を求める声が強いのだろう。
民衆に流通してる希釈魔法薬も、医者にかかるより安価に病を完治できるらしい。
希少な医者や高価な医薬品を使わずに病や怪我を癒せる希釈魔法薬も需要は高止まりだと聞く。
一方で裕福な家庭も医者や医薬品が行き渡りやすくなり、民衆全体で聖教会の奇跡に頼らなくなりつつあるのだとか。
ここまではお父様の計画通り、かな。
「殿下は聖教会の動きをどう見ますか」
「それを確かめるために、先日聖教会に慰問に行ってきた。
大司教は変わらず穏やかだったが、司教たちはヒステリック気味だったな。
聖女たちにも会ってきたが、やはり顔色は悪そうだった」
彼女たちが倒れる前に私が生命力を回復させてるといっても、まだ八歳の子供に一日中奇跡の祈りを強要してるのだ。
遊びたい盛りにそんな待遇じゃ、そりゃあ疲れて顔色だって悪くなる。
「信徒たちはどうでした?」
「熱心な信徒はまだ参拝に訪れるようだが、従者の話では一時期ほどの数が居ないそうだ。
このままなら、参拝に訪れる信徒は減る一方だろう」
聖教会の追い込みは巧くいってるってことかな。
『クラリス』の記憶では、聖女の奇跡が民衆に施されることはなかった。
それでも奇跡を起こせる存在にあやかりたいという思いで信徒たちは聖教会に喜捨し祈りを捧げる。
だけどその奇跡が魔法薬に劣るという事実を目の当たりにして、聖神様への信仰心が陰ってるんだ。
――こうなると、クラリスたちの立場が気になる。
「ショーン殿下、聖女たちをどうしたら救えると思いますか」
「……王家の力でも、聖教会に命令することはできない。
だが要望くらいなら通せると思う。
現状から救い出すことはできなくても、息抜きをさせることくらいはできるかもしれない」
私は少し考えてから告げる。
「ではお茶会という名目で王宮に招待しましょう。
その場では子供たちだけにしてもらい、聖女たちに羽を伸ばしてもらう。
国王陛下たちの前でなければ、聖女たちも少しは緊張が和らぐのではないかしら」
ショーン殿下が頷いた。
「わかった、その案を父上に提案してみる。
父上も聖教会とは縁をつなぎたいと思っておられるようだ。
ジェームズの婚約者として、どちらかを提案すれば応じてくれるかもしれない」
「私たちだけでは聖女たちも緊張するのではなくて?
少し家格の落ちる家の子も混ぜてはいかが?」
「そうだな……確かに、王子と公爵令嬢だけでは息が詰まるだろう。
騎士団の中から同年代の子供を持つ家に声をかけてみる。
伯爵家ぐらいなら、聖女の方が格上になるだろう」
そうかなぁ……クラリスたちは庶民の出身なんだけど。
聖教会という後ろ盾があっても、それを実感する経験を今までして来ていないはず。
でも騎士の家柄が混じってる方が、少しは気分がマシになるか。
「きちんと令嬢も招いてくださいね?
男子ばかりが多くても息が詰まるでしょうから」
ショーン殿下が苦笑を浮かべた。
「ああ、そうだね。確かにその通りだ。
わかった、では令嬢も手配してみよう」
そんな婚約者らしくない話題を交わしながら、午後の時間が過ぎていった。
****
クラリスは一心不乱に祈りを捧げ、聖水を作り続けていた。
朝は六時に起床し、短い朝食の時間を終えるとすぐに祈りの時間に駆り出される。
昼食の時間すら与えられず、夜は十時になるまで祈りを捧げ続けた。
それでようやく、一日十五本の聖水を作るのが限界だ。
クリスティンは同じ時間をかけても、一日五本の聖水を作るのが限界だった。
二人は命を削るように奇跡を祈り続け、解放されると遅い夕食を口にしてから倒れ込むようにベッドに横たわる。
入浴すら満足に行えない日が続いたが、不思議と朝になると前日の疲労感が抜ける日々を過ごしていた。
それもまた聖神様の奇跡なのだろうと思い、クラリスは祈りを捧げている。
一方のクリスティンは、聖神への信仰心が薄らいでいくのを感じていた。
本当に神が慈悲深い存在なら、こんな過酷な真似を己の代理人たる聖女に課すわけがない。
そんな思いが、さらに祈りの力を削いでいく。
聖女の修行も満足に行えずに聖水作りに没頭する二人は、起こせる奇跡の大きさも一年前と変わらない。
その状況を理解しながらも聖水作りを優先しなければならない現状に、メッシング大司教も内心で歯噛みしていた。
教会への寄付金も参拝する信徒も減る一方。
聖教会の影響下にあった貴族たちも、既に三割はクロスランド公爵の派閥に取り込まれた。
反聖教会派閥であるクロスランド公爵は、聖教会が持つ利権を着実に切り崩して来ている。
一年前から聖教会優遇政策の改革が始まり、教会の所有地に課される税金は上がった。
宗教税も始まると言う噂があるが、これはバンライク議長にきつく申し立てて食い止めている。
これ以上、貴族院での影響力を削ぐわけにはいかない。
苦心しているメッシング大司教のところに、側近が報告にやってくる。
「大司教、王家から書状が来ております」
メッシング大司教が穏やかな笑みで応える。
「中身にはなんと?」
「聖女たちを王宮のお茶会に招きたいそうです。
どうやら国王はジェームズ第二王子の婚約者として聖女のどちらかを考えたいとのこと。
これはチャンスではありませんか」
メッシング大司教が顎髭をしごいた。
貴族院でどんな話し合いが行われようと、国王が承認しなければ全てが無効だ。
つまり、王家を抱き込んでしまえば聖教会は挽回の目がある。
欲を言えばショーン第一王子を取り込みたいが、既に婚約済み。
ならば第二王子と聖女を婚約させ、第一王子を失脚させればよい。
第一王子の婚約者はクロスランド公爵令嬢、両者を共に失脚させることで政敵を一度に葬れる。
後のことはバンライク議長に任せれば巧く事を運んでくれるだろう。
メッシング大司教が頷いて告げる。
「わかりました。
聖女たちにも休息は必要でしょう。
そのお茶会の誘い、応じてあげようではありませんか」
側近が頭を下げて下がっていった。
今後、月に一度くらいは王宮に聖女を招かせてもいいだろう。
当日くらいはきちんと入浴もさせなければならない。
丸一日聖水作りができなくなるが、見返りを考えれば安いものだ。
メッシング大司教はバンライク議長に手紙をしたためるため、己の部屋へ戻っていった。