7.対抗策
聖教会本部を、貴族院議長ブライアン・バンライクが訪れた。
神経質そうな細面に刻み込まれた皴が、老練の政治家の風格を感じさせる男だ。
応接間でワインを飲むバンライク議長の前に、メッシング大司教が姿を現す。
温和そうな面持ちでメッシング大司教が告げる。
「本日はどういったご用件ですかな?」
不機嫌そうなバンライク議長が告げる。
「治癒の奇跡はまだか。
配下の貴族共の催促が煩くなってきている」
メッシング大司教が困ったように笑った。
「まだ新しい聖女たちは未熟ですからな。
あと数年はまともな奇跡を使えますまい」
バンライク議長がワイングラスをテーブルに置き、ため息をついた。
「近頃、クロスランド公爵が新しく開発した魔法薬を流通させている。
それを飲むと難病すら完治してしまうと噂が立っている。
おかげで開戦派の貴族たちの一部が保守派に鞍替えをした」
メッシング大司教がソファに座りながら応える。
「それはそれは……まるで聖女の作る聖水のような代物ですな。
それで、現物は手に入ったのですか?」
「いや、クロスランド公爵のガードが堅い。
奴が直接、病で困っている貴族たちに手渡しているようだ。
現物を手に入れるのは困難だろう」
医者が手の施しようがない病気すら治癒してしまう魔法薬だ。
そんなものを手に入れて、手放す貴族が居るとも思えなかった。
メッシング大司教が小さく息をついて応える。
「そうですか……民衆の間でも近頃、新手の魔法薬が流通していると聞きます。
こちらも流通量が少なく、手に入れるのは難しいでしょう。
効能は医者にかかる手間が減る程度の弱いものだと聞きますが、聖教会に訪れる信徒が減りつつあると報告があります」
バンライク議長がジロリとメッシング大司教を睨んだ。
「貴族共の寄付金はどうなっている?」
「……そちらが減少傾向にあるのは、現状では避けられませんな。
先代聖女が奇跡を施せなくなって十年近い。
奇跡の代償に寄付金を募っていたのですから、これは致し方ありません」
バンライク議長がため息をついた。
「このままではまずい。
議会の主導権をクロスランド公爵派閥が握りかねん。
これまで優勢に議会を維持してきたが、有力貴族が数人寝返ると致命傷になる」
「国王陛下はなんと?」
「あのボンクラは私の言いなりだ。
だがクロスランド公爵が巧みに奴の意思を操り始めた。
このままでは税制改革などと言い出しかねんぞ」
メッシング大司教の顔色が変わり、眉根をひそめた。
「それは困りましたね。
現状の聖教会優遇政策を崩されると、我々の影響力が更に削られます。
聖神様の御威光を広くあまねく知らしめなければなりません」
「それで? どうする気だ」
しばらく考えたメッシング大司教が応える。
「……こちらも聖女に聖水を作らせましょう。
未熟でも絞り出せば奇跡を起こすぐらいはできるはず。
その聖水を貴族たちに流通させることは可能だと思います」
「一日の生産量は?」
「やってみないとわかりませんが……一瓶作るのに一時間。
寝る間も削らせて作らせれば、二人の聖女で二十から三十は作れるかと」
バンライク議長が「ハッ」と笑った。
「七歳の小娘どもから一日十五時間搾り取るのか。
それで命が持つのか?」
「問題ないでしょう。睡眠時間など三時間もあれば充分。
それで命が削れようと、次の聖女を見繕うまで」
バンライク議長が楽し気に微笑んだ。
「いいだろう。三十と言わず五十でも構わん。
とにかく治癒の奇跡を貴族たちに施さねばならん。
隣国の奴隷権益があれば、我らはさらに潤う。
奴隷制度のある国を征服すれば、隣国の国民全てを奴隷としても文句は出まい。
国内も国外も、奴隷を欲する貴族共は腐るほどいるからな」
メッシング大司教がニコリと微笑んで応える。
「既に我が国では違法な奴隷が流通しているという噂を聞きます。
まさか議長が関わってはおりますまいな?」
バンライク議長がニヤリと微笑んだ。
「まさか! 私が法を犯すわけがあるまい。
だが配下の貴族が先んじて手を出しているかもしれんなぁ」
「ハッハッハ。食えないお人だ。
異教徒が奴隷に身をやつしようと聖神様の教えに反することは有りません。
聖神様を信仰しないものはどう扱っても良い――それが古来よりこの国に伝わる習わしです」
バンライク議長が立ち上がって告げる。
「では聖水の手配、なるだけ早急に頼むぞ。
クロスランド公爵の動きが早い。
ぐずぐずしていると手遅れになる」
「ええ、わかりました。承りましょう」
納得した笑みを浮かべるバンライク議長は、応接間を後にした。
残されたメッシング大司教が顎髭をしごきながらつぶやく。
「さて、聖女たちが何年もちますかな……。
二十年、いや三十年は持ってもらわないと困るというものです」
ゆっくりとソファから立ち上がった大司教は、聖女たちに新たな指示を出すために応接間を後にした。
****
夕食の席で、お父様が微笑んで告げる。
「聖教会が動き出した。
どうやら聖女の奇跡を施した聖水を対抗策として持ち出したようだ」
お母様が不安げに頷いた。
「ええ、その噂は聞いています。
まだごく一握りの貴族の間でだけですが、聖水を使って病を治していると。
――でも、その効果は限定的なのだとか」
私は小首を傾げて尋ねる。
「聖女の奇跡ですか?
まだ聖女たちは七歳、とても奇跡をつかえる年齢じゃありませんよ?
お父様が頷いた。
「聖教会に忍ばせている密偵の報告だが、幼い聖女たちを朝から晩まで酷使しているらしい。
それで一日に二十本を製造するのが限界だそうだ。
その効能も、私の流通させる魔法薬より数段落ちる。
飲み比べて、やはり私の魔法薬を求めたいという要望も届いている」
――そんな馬鹿な。
癒しと守りが得意だった『クラリス』ですら、初めて治癒の奇跡を起こせたのは十歳を超えてから。
クリスティンに至っては十五歳でようやく簡単な治癒を施せる程度だったはず。
七歳で治癒の奇跡なんて、何をどうしたら起こせるんだろうか。
私が不安になりながらうつむいていると、お父様が私に告げる。
「聖女たちは日に日に衰弱しているらしい。
おそらく、命を削るような真似を強要されているのだろう。
助け出してやりたいが、聖教会の内部までは手が出せない」
お母様がお父様に告げる。
「ヴィンセント、なんとかしてあげられないのかしら。
ミレーヌと同い年の女の子が衰弱死なんて、見過ごせないわ」
「……今はまだ、打つ手がない。
だがこのままでは早晩、聖女たちは倒れるだろう。
そうなれば聖教会も手を緩めることを期待するしかない」
クラリスとクリスティンが、そんな酷い目に……。
どちらに対しても、複雑な心境だ。
クラリスは前世の自分。
そしてクリスティンは前世で『クラリス』と陥れた子。
でも『クラリス』の記憶がある私には、クリスティンは妹のようにも感じてる。
今はまだ陰謀に加担していない訳だし、罪がある訳じゃない。
私はため息をつくと、夕食を切り上げて席を立った。
「礼拝堂に行ってまいります」
私はエイミーを連れ、礼拝堂に足を向けた。
****
礼拝堂で邪神様に祈りを捧げる。
せめて、クラリスたちの命が助かりますようにと。
クラリスが聖女になって以降、邪神様の声は途絶えてる。
それでも祈りは邪神様に届くはずだ。
『あなた、随分お人好しなのね』
驚いて思わず目を開けてしまった。
今のは……邪神様の声?
――邪神様、なぜ声が聞こえるんですか?
『簡単な話よ。
聖教会は、私を封印する祈りを捧げる時間すら惜しんで聖水を作らせてるの。
だから封印が弱まったのよ』
そこまでして、お父様の魔法薬に対抗したいのか。
――このことはお父様に報告した方が良いのでしょうか。
『そうね、教えておくといいわ。
聖教会は封印の意義も理解してないみたい。
このまま封印が弱まっていけば、あなたが起こせる奇跡も強まっていく。
結果的にあなたたちが有利になっていくわね』
――クラリスたちを救うことはできませんか?
『うーん、生命力を回復してあげることはできるけど。
でもそれをやると、あなたたちに不利になるわよ?』
――構いません。あの二人が死んでしまうよりマシです。
『わかったわ。
それじゃあ毎日零時頃に奇跡を祈りなさい。
あの二人はその時間にようやくベッドに入れるの。
誰にも見られない部屋の中でなら、私の奇跡も施せるわ』
そんな夜遅くまで働かされてるの?!
七歳相手に、何を考えてるんだろう。
――わかりました。零時頃ですね?
『あなたも寝不足には気を付けなさい。
早い時間に眠ってから夜に起きるように。
あなたが体を壊したら、全てが台無しなのだから』
――はい、ありがとうございます。
私は祈りを終え、立ち上がってエイミーに告げる。
「ダイニングに戻ります。お父様に報告しなくちゃ」
小首をかしげるエイミーを連れて、私はダイニングに引き返していった。