4.読書の時間
その日は病み上がりということもあり、作法の授業もなく午前を過ごした。
絵本を読んでみるけど、今の私にはあまり面白いとも思えない。
十八歳の『クラリス』の記憶があるせい、なんだろうなぁ。
普通の五歳児とは違う頭と心を持ってしまった気がする。
「ねぇエイミー、書庫に行っても良いかしら」
エイミーは頬に手を当てて考えこんだ。
「書庫ですか? 何をしに行かれるんです?
あそこは旦那様の大切な書物がしまわれて居る場所。
子供が遊び場にして良い場所ではありませんよ?」
「もちろん、読む本を探しに行くのよ?」
エイミーが驚いたように目を見開いた。
「絵本があるじゃありませんか」
「なんだか、今日はそんな気分じゃないの」
エイミーは渋々と頷いた。
「では、見に行くだけですよ?
お嬢様では中身を読めないと思います。
それを理解したら、部屋に戻ってくださいますか?」
「ええ、わかりましたわ」
私はエイミーの手を取り、二階にある書庫へと向かった。
****
書庫の扉を開けると、中でお父様が調べ物をしていた。
「旦那様、いらしてたんですか?」
「ああ、ちょっと気になることを調べにね。
それよりエイミー、なぜミレーヌを連れてここに?」
「それが……」
エイミーが私の顔を見つめてきた。
「私が本を読みたいとねだったのですわ。
今日は絵本を読む気分じゃありませんの」
お父様の目がわずかに見開かれた。
「……そうか、では本を傷めないように読むといい」
やった! 許可が出た!
早速私は、お父様が脚立の上に置いていた本を一冊手に取った。
重たい! やっぱり五歳児に、この大きさの本は重たいな!
私は脚立の段に本を置き、表紙を眺めてみる。
えーと、『邪神の歴史』か。お父様、こんな本を読んでたんだなぁ。
中を開いてみると、ページには神聖文字がびっしりと書かれてた。
だけど『クラリス』は聖女修行の中で、神聖文字を勉強してきてる。
なので私にも何が書いてあるのか読むことができた。
なんでも、邪神の歴史は一千年以上昔から続くらしい。
遥かな昔、聖神様と邪神様を敬う国家が入り乱れていたみたい。
聖神様を敬う国家は邪神様を敬う国家に攻撃を仕掛けては、征服を繰り返したとある。
最終的に邪神様を敬う国家は全て滅び、今の聖神様を敬う国家群のみになったそうだ。
これじゃあどっちが悪いのかわからないなぁ。
ぺらぺらとページをめくっていくと、邪神様の姿が記してあった。
黒く長い髪をした綺麗な女性――それが邪神様なのだという。
その名前は封印と共に忘れられ、今では記録にも残ってないそうだ。
一方の聖神様の名前も、神聖にして犯さざるべきものと言われてる。
その名前を知るのは、聖教会の最高司祭のみなんだとか。
『クラリス』も教えられたこと、なかったしなぁ。
その本を読み終え、次の本を手に取ってみる。
これは……『聖教会史』? なんで聖教会のことを、お父様が調べてるんだろう。
中身を読んでも、難しいことがいっぱい書かれているだけで面白くない。
知らない単語も多いし、これは『クラリス』の知識でも読み解けなかった。
聖女って、ほとんど祈ってばかりだったからなぁ。
早々に本を閉じて元の場所に戻した。
そんなことを繰り返していると、お父様がエイミーに告げる。
「エイミー、外で待っていてくれないか」
「はい、かしこまりました」
あれ? どうしたんだろ?
エイミーが外に出ると、お父様が書庫のドアを閉めた。
そして私に振り返り、ゆっくりと近づいてきて目の高さを合わせてくる。
「ミレーヌ、ひとつ教えてくれ。
お前は本当にミレーヌなのか?」
心臓が跳ねあがるかと思うほど驚いた私は、必死にそれを隠しながら応える。
「なんのことでしょうか?
いったいどうされたの? お父様」
「お前はさっきから、神聖文字の書かれている本を読み解けているようだね。
一方で、共通語で書かれている書物には見向きもしない。
神聖文字は高位貴族の教養ではあるが、全ての人間が知る訳でもない。
お前はどこでそれを覚えたんだい?」
それは――。
言ってしまっていいのだろうか。
信じてもらえるかな、『未来からやってきた』なんて。
でもお父様なら信じてくれる気がする。私の言うことを疑う姿なんて、想像できないし。
――だけど。
『今の私』が純粋なミレーヌじゃないって知ったら、お父様はどう思うだろう。
まったく別人の魂が混じってると知って、それでも変わらず愛してくれるだろうか。
言うのが怖い。
お父様の愛を失うのが、死ぬほど恐ろしい。
私が何も言えずに固まっていると、お父様が優しい微笑みを向けてきた。
「そうか、私にも言えないことか。
だが忘れないでくれ。
私はお前の味方であり続ける。
何があろうとお前を守って見せるとも」
「……お父様、ごめんなさい」
私はお父様に抱き着いて、静かに涙を流した。
どうか、もう少し私に勇気が出るまで、黙っていることを許してください。
****
私はお父様と一緒に書庫を出た。
お父様が私と手をつないで歩いて行く。
「どこへ行くのですか?」
お父様がウィンクを飛ばしながら応える。
「決まってる。ダイニングだよ。
もう昼時だからね。
オリビアの快気記念に、家族で食事をとろう」
やった! お父様やお母様と一緒にご飯!
私が思わずスキップをしてしまうと、お父様がクスリと笑った。
「どこでそんなものを覚えたんだい?
貴族令嬢がそんな足運びをしてはいけないな」
おっと、『クラリス』の記憶がうっかり出ちゃったか。
私は軽く咳払いをして、貴族令嬢として教育された通りに歩き直した。
嬉しさを体で表現したくても、それができないのかー。
やっぱり貴族って息苦しい世界なんだなぁ。
****
ダイニングにはとても長いテーブルが置いてあった。
確か、貴族たちが大勢会食をするために長くしてあるのだと『クラリス』の時に知った。
そのテーブルの端にお父様が座り、その隣に子供用の椅子が用意されて私が座った。
間もなく、身支度を終えたお母様が現れて私の正面に座った。
私たちの前に、昼食のスープやお肉、サラダが並べられていく。
私の前には小さな小皿に盛られたサラダと、スープとパンの籠が置いてあった。
お父様がお母様のグラスにワインを注ぎ、自分のグラスにも注いでいく。
私はお水の入ったグラスだ。
三人でグラスを持ち上げ、お父様が告げる。
「オリビアの快気を祝って――乾杯!」
「かんぱーい!」
三人でグラスを一気に空ける。
お母様が小さく息をついて微笑んだ。
「またワインを飲める日が来るだなんて、まるで夢のよう」
お父様がお母様を見ながら頷いた。
「その様子だと、本当に健康になったみたいだな。
だが三か月は屋敷から出ないようにして欲しい。
医者も手が尽きた病が、突然治ってしまっては疑われるからね」
「じゃあ、お薬はどうしたらいいのかしら」
「適当に処分しておけばいいさ。
役に立たない薬など、飲むだけ毒だ」
お父様は嬉しそうにお肉を口に運んでいた。
お母様も楽しそうに食事を食べ進めていく。
元気なお母様、それを見て喜ぶお父様を見て、私の食事も進んでいく。
家族三人の楽しい昼食は、あっという間に終わってしまった。
食後の紅茶が出され、お父様が人払いをした。
なんだろう? また何か言いたいことがあるのかな?
お父様が紅茶を見つめながら口を開く。
「午前中、調べていてわかったことがある。
かつて邪神を崇拝する信者は、金色を聖なる色と定めていたらしい」
金色――つまり、邪神様の奇跡の色だ。
聖神様を崇拝する聖教会は白銀を聖なる色と定めてる。
これも聖神様の奇跡の色だからだと思う。
お父様が言葉を続ける。
「侍女たちの話では、ミレーヌとオリビアが金色の光に包まれていたそうだ。
それに間違いはないね?」
お母様が頷いた。
「ええ、それは確かよ。でも、それがどうしたの?」
「その光を決して他人に見られてはならない。
聖教会の人間にそれを知られると、ミレーヌが邪神の教徒と疑われることになる。
見られたら最後、ミレーヌは命を狙われることになるだろう。
聖教会は邪神の教徒に容赦はしない――それは歴史が証明してるからね」
お母様が不安げな表情でお父様に尋ねる。
「我が家の力でもミレーヌを守ってあげられないの?
クロスランド公爵家は、このヴァリアント王国でも屈指の家格を持つのよ?」
お父様が難しい顔で応える。
「まず無理だろう。王家でも守るのは不可能だ。
――だからミレーヌ、決して人前であの力を使ってはいけないよ」
「……はい、わかっています。お父様」
お父様はようやく優しい微笑みを浮かべ、私に頷いた。