33.満天の星の下で
私はロディの首に抱き着いたまま泣いていた。
泣いている私を、ロディが優しく抱きしめてくれている。
「……もう泣くなよ。俺は元気だからさ」
「馬鹿! ロディの馬鹿!」
「はいはい、俺は馬鹿ですよ」
それ以上は言葉にならない私を、ロディが抱え上げて馬車に乗せる。
ロディが振り向いてフリーランド伯爵に尋ねる。
「最後の異端審問官はどうなりましたか、父上」
「自害したよ。死体は持ち帰り、可能なら蘇生してもらおう」
目の端に映ったその異端審問官は、エバンズ子爵に見えた。
この人がロディの命を……。
ロディが私の頭を撫でながら告げる。
「そんな怖い顔すんな。俺は無事だ」
「でも……でも!」
「お前らしくねーぞ。
いつものミレーヌに戻れ」
近衛騎士たちが隊列を組み、馬車が走り出した。
私はロディの胸の中で馬車に揺られるうちに、だんだんと意識が遠くなっていった。
****
クロスランド公爵邸に戻ったフリーランド伯爵が、すぐさまクロスランド公爵を呼び出した。
従者が屋敷に駆け込んでいくと、間もなくクロスランド公爵が慌てたように姿を見せる。
「何事か」
「はい、帰路で襲撃に遭いました。
異端審問官の数はおよそ五十。
捕虜一名と、エバンズ子爵の死体を持ち帰っております」
クロスランド公爵が厳しい目でフリーランド伯爵を見据えた。
「ミレーヌは?」
「ご無事ですが、今は眠っておられます。
奇跡の力を使い過ぎたかと」
フリーランド伯爵が、森の中の一部始終を報告した。
クロスランド公爵がため息をついた。
「そうか、死者蘇生か。恐ろしい奇跡を起こしたものだな」
「しかし、その力で息子の命が助かりました。
この場でお礼を申し上げます」
「それはミレーヌに直接伝えればいい。
今はミレーヌを早く休ませたい」
フリーランド伯爵が馬に縛り付けられている異端審問官を見た。
「あれはどうしますか」
「配下の者に任せて構わない。
洗いざらい情報を吐いてもらう」
公爵が手を挙げると、屋敷の影から黒ずくめの男たちが現れた。
異端審問官の捕虜とエバンズ子爵の死体を担ぎ上げた男たちは、そのまま屋敷の裏手へ消えていった。
クロスランド公爵が馬車に近寄り、ロディからミレーヌを受け取った。
「ご苦労だった、ロディ」
ロディが照れ臭そうに応える。
「守る代わりに死んじまいましたけどね」
「ミレーヌが無事ならそれで構わん」
――何気にひでぇこと言ってないか?
ロディがわずかに不満げな顔をしたが、ミレーヌの寝顔を見て微笑みに変わった。
何よりも守りたい者を守れた安堵感に包まれ、ロディも大きく息を吐いた。
****
目が覚めると、お昼を過ぎているようだった。
強い日差しの中、ベッドで伸びをする。
――なんか、よく寝たなぁ?!
ハンドベルを鳴らしてエイミーを呼び出し、服を着替えていく。
「お父様は?」
「書斎におられるかと」
私は部屋着に着替えると、書斎に向かって歩きだした。
廊下に出ると、ロディが外で待っていた。
「……どうしたの? ロディ」
「いや、ハンドベルが聞こえたからさ。
やっと目が覚めたのかと思って」
私は小首をかしげて尋ねる。
「どうしたの? まだ体がおかしいところある?」
ロディが肩をすくめて応える。
「いーや? 絶好調だよ、おかげさまで。
――お前はどうだ? 無理をしてないか?」
「私もたっぷり寝たから、元気いっぱいよ?
ちょっとお腹が空いたかしら」
私が歩きだすと、ロディも後ろを付いてきた。
そのまま二人で書斎に行き、お父様を訪ねる。
「お父様、少しよろしいかしら」
お父様が顔を上げて私に微笑んだ。
「ああ、目覚めたんだね。ミレーヌ」
書斎の中に入り、お父様に尋ねる。
「あのあと、どうなったのでしょうか」
「捕虜から情報を搾り取っている最中だ。
――ミレーヌ、まだ蘇生の奇跡は使えるかい?」
「……使えると思いますが、それが何か?」
「エバンズ子爵も蘇生し、情報を搾り取りたい。
協力してくれないか」
私はすぐに応えられなかった。
ロディの命を奪った人を、蘇らせたくなんてない。
うつむく私に、お父様が優しい声で告げる。
「安心するといい。蘇れば死より苦しい思いをさせてやる。
きちんと報いを受けさせるとも」
私はお父様の顔を見上げて目を見つめた。
「……それは、本当ですか?」
「ああ、約束しよう」
私は少し考えて、ゆっくりと頷いた。
……なんだか、初めて『邪神の巫女』らしい選択をした気がする。
私はお父様に連れられて、屋敷の地下室へと向かっていった。
****
国王の執務室を、クロスランド公爵が尋ねていた。
「それで、本日は何用か」
国王の言葉に、クロスランド公爵が微笑みで応える。
「異端審問官の問題が全て片付きそうです。
付きましては王国軍の部隊をお借りしたい。
国内の拠点を全て潰し、奴らの息の根を止めます」
国王が顎髭をしごいて応える。
「なるほど、それは重畳だな。
しかしミレーヌが奇跡を使うという噂、あれはどうするつもりだ?」
「それについては――報告書をこちらに。
異端審問官の問題が片付き次第、着手できればと」
クロスランド公爵から書類を受け取った国王が、それに目を通していく。
「……ふむ。これで国が安定するのか?」
「これ以外では、さらなる混乱が待っているかと。
未だ聖神信仰が残る以上、他に手はありますまい」
国王は少しの間、思考を巡らせた。
「いいだろう。お前の好きにするが良い」
「はっ」
執務室から立ち去るクロスランド公爵を、国王は楽し気に見つめた。
「吉と出るか凶と出るか。
奴の読みだ、外すことはないだろうがな」
国王はつぶやくと、執務を再開するために机に向かった。
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私とロディは、それからも社交に精を出した。
昼間のお茶会にも参加するようにし、噂話を聞いて回った。
だんだんと交流する貴族子女も増えてきて、私の元には様々な噂が集まるようになっていった。
――その中に、『元異端審問官が次々と捕まっている』というものがあった。
夜会の帰りの馬車で、私はぼんやりと外を眺める。
ロディが心配するような声で私に告げる。
「どうした? 疲れたのか?」
「んー……私はやっぱり『邪神の巫女』なんだなぁって思って」
ロディがフッと笑った。
「今さら何を言ってるんだよ?」
「人の命を救うより、自分の復讐を選んだのが私なの。
エバンズ子爵に『死ぬよりつらい苦しみ』を与えることを選んだ。
それが私なんだなって」
その結果、搾り取られた情報で各地の元異端審問官が捕まってる。
彼らもきっと、同じような目に遭うのだろう。
こんなの、まさに『邪神の巫女』のやり口じゃないか。
ロディの手が私の頭を撫でた。
「お前は俺の命を救った。御者の命もだ。
慈悲のない存在なんかじゃない」
「――ちょっと! セットした頭を触らないで!」
ロディが楽しげに笑い声を上げる。
「そうそう、それくらい元気なのがミレーヌだ。
――気にし過ぎるなよ、過ぎたことだ」
そう、なのかなぁ。
私は自分が汚れてしまったような気分で、馬車に揺られながら公爵邸に戻った。
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しばらくして、王宮から布告が出た。
邪神様の存在を知らしめ、『邪神は聖神の姉であり、邪悪な存在ではない』というものだ。
かつての姉妹神による争い、その敗者に『邪神』というラベルが張られた事。
そしてその邪神様は現在、聖神様の封印が解かれて力を取り戻していること。
――なにより、その邪神様の巫女が私であることが記されていた。
お母様と一緒に布告書を読んだ私は、唖然としていた。
お父様は優雅にワインを飲んでいる。
「お父様?! これはどういうことでして?!」
「どうもこうも、読んだままだよ。
お前の奇跡を隠し通すのは、もう無理だ。
ならば『お前は何者か』という話にいずれ行き着く。
だから怪しげな噂になる前に、真実を国家として知らしめただけだ」
「だからって、邪神様の存在をこんなに大々的に知らせるなんて、何を考えてらっしゃるの?!」
お父様がフッと笑みを作った。
「今の我が国に、聖神を妄信する人間はほとんど居ない。
お前の作る魔法薬の効能を疑う者も、だ。
邪神が邪悪でないことは、すぐに納得される。
多少の反発はあるだろうが、それは抑え込んでみせるとも」
私は眩暈を感じて頭を押さえた。
お父様、手段を択ばないにも程がないかな?
「……クラリスたちはどうなるのですか?
聖女としての立場は?」
「それは変わらないとも。
お前は聖女クラリスや聖女クリスティンと並ぶ存在として知られた。
今後は邪神と聖神を並べて信仰する様に変わっていく。
お前たちが友人であれば、それも可能だ」
ロディがため息交じりでお父様に尋ねる。
「俺とミレーヌの婚約はどうするんですか。
我が家じゃ、『邪神の巫女』を守る力なんてないですよ」
お父様が少しつまらなそうに応える。
「ロディが婿養子に来るしかあるまい。
我が公爵家なら、ミレーヌも守り切れる。
この家からミレーヌを出すわけにはいかなくなったからね」
あ、一応婚約は維持してくれるのか。
私は胸をなでおろして息をついた。
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王宮のバルコニーで、私はクラリスやクリスティンと手をつないで国民の前に姿を見せた。
空に輝く金色のカーテンは、私たちを祝福するかのようにきらめいている。
道を埋め尽くす民衆が、私たちを祝福するかのように声を上げていた。
私たちはその声に応えるように両手を挙げ、笑顔を返した。
セレモニーが終わると、私たちは談話室で一息ついた。
「なんだか、大変な騒ぎになったわね……」
クラリスが楽しそうに告げる。
「でも歓迎してくれる民衆ばかりだったわ。
あれなら大丈夫よ」
クリスティンは鼻息荒く告げる。
「聖女が邪神の巫女に奇跡の力で負けてられないわ!
これからは聖女修行も身を入れてやっていくわよ!」
私は呆れながら応える。
「クリスティン、あなた癒しの奇跡は苦手じゃないの。
私に並べるのはクラリスくらいだと思うわよ?」
「それでもよ! 元祖聖女の意地があるわ!」
やれやれ、意固地なところは変わらずか。
私たちは朗らかな空気でお茶を楽しんだ後、談話室を後にした。
****
夜になり、公爵邸のバルコニーで私は、ロディに背中から抱き締められながら空を見上げていた。
だんだんと色が薄くなる金色のカーテン――これは気のせいじゃない。
五分もしないうちに金色のカーテンは消え失せ、一か月前の星空を取り戻していた。
「……あーあ、消えちゃった」
「どうなったんだ?」
「邪神様の力が元に戻っただけよ。
封印でため込んでいた力を、全て放出し終わったの。
もう死者蘇生も簡単にできないから、命を粗末にしないでね」
「へいへい。あんな目に遭うのは一度切りで充分だ」
私はロディの顔を見上げながら告げる。
「いいの? 『邪神の巫女』を妻なんかにして」
「それが誰でもない、お前だから構うこたーねーよ」
私はクスリと笑って告げる。
「じゃあロディは『邪神の巫女の夫』ね。
せいぜい悪辣に生きないとね?」
「ケッ! 柄じゃねーな。
俺は俺、それは変わらん」
私は抱きしめてくるロディの腕を撫でながら応える。
「それなら私と一緒ね。
私は私。そこは何も変わらないわ」
かつて十八年生きて謀殺された『クラリス』。
その記憶を持ってこの世に戻ってきた五歳の『ミレーヌ』。
――だけど! 十三年生きた私は、ただ一人のミレーヌだ!
あと五年でロディを婿養子に迎え、クロスランド公爵家を支えていく。
『クラリス』が味わった悲劇は、もう跡形もない。
これから先は、幸せだけを追い求めてやる!
「ねぇロディ」
「んー? なんだ?」
「ちゃんと私を幸せにしてね」
「……任せとけ。お前は何も心配要らねーよ」
私はエイミーの目を盗んで、こっそりとロディと口づけを交わした。
降り注ぐかのような満天の星空、一生で一番の思い出に残る夜だった。
お読み下さりありがとうございました。
これにて一応のエピローグです。
その後も色々ありそうですけどね。
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