32.凶刃
夜会は平穏なまま終わり、私たちは解散してそれぞれの帰路についた。
時刻は八時過ぎ――辺りは真っ暗で、森の中なんて何も見えはしない。
暗い道で馬車も速度を落とし、近衛騎士たちもピリピリとした緊張感を漂わせている。
ロディも剣の柄に手をかけながら、窓の外を注視していた。
なんだか息苦しい空気が続く。
「……ねぇ、警戒し過ぎじゃない?」
「そんな訳あるか。
次に動きがあるとしたら、間違いなくここだ。
これを逃すと、奴らの好機なんてなくなるからな」
うーん、だけどこう息苦しいんじゃ居心地が悪い。
私がため息をつくと、ロディがフッと笑った。
「お前は気を抜いていて構わんぞ。
俺たちが仕事をするだけだ」
「そうはいかないでしょ!
私にだって力が――」
突然、馬車が揺れて馬の悲鳴が上がった。
御者が倒れ込む音が聞こえ、フリーランド伯爵が大きな声で指示を飛ばしている。
ロディが緊張した声で告げる。
「ほら来なさった。
ミレーヌは馬車から動くなよ」
「ロディはどうするの?!」
「俺はお前の傍で待機だ。心配するな」
外からは「毒矢だ!」という声が聞こえる。
暗い森の中から、毒矢を放ってきたのか。
近衛騎士たちが剣で矢を捌いているみたいだ。
地面に落ちた矢を見ると、全体が黒く塗られている。
「え、こんなものを剣で叩き落としてるの?」
高速で飛んでくる真っ黒な矢――そんなもの、どうやって?
ロディが私を窓から引き離して頭を抑えつけてきた。
「馬鹿、伏せとけ。
矢で狙われる」
「ちょっと?! 苦しいってば!」
「我慢しろ」
森の中から人が出てくる気配がする――数が多いな?!
近衛騎士たちが応戦して剣を打ち鳴らす音。
周囲から聞こえるその音は、どんどん増えていく一方だ。
ついには馬車の扉をこじ開けようとする音まで聞こえだした。
ロディが声を上げる。
「ミレーヌ! しっかりついて来いよ?!」
「――何をする気?!」
ロディが馬車の扉を蹴破り、向こう側に居た人間を吹き飛ばした。
そのまま私の手を掴み、馬車の外に飛び出す。
「父上! ここは任せました!」
私はロディに手を引かれて、森の中へと突っ込んでいった。
****
森の茂みの中を、なるだけ速く駆け抜けていく――なんて、ドレスを着ていてできるか!
私は茂みにドレスを引っ掛けながら、裾を引き裂かれつつ走った。
すぐに周囲の茂みから鎧姿の人たち――異端審問官が私たちを取り囲む。
「ミレーヌ! お前は防御の奇跡を祈ってろ!」
「ロディは?!」
「俺のことは構うな!」
ロディは言うが早いか、周囲の異端審問官に切りかかっていった。
――ああもう! この無鉄砲!
仕方なく、私は足手まといにならないように自分に対して防御の奇跡を祈る。
私を金色の膜が包み込み、周囲の異端審問官から隔離する。
異端審問官はなんとか膜を攻撃するけど、その全ては弾かれて行く。
私の周囲に居るのは……三人か。
ロディは他の異端審問官と切り合ってるみたいだ。
……あれ? 異端審問官って『並の騎士より強い』って話じゃなかった?
ロディは彼らと互角以上に切り合い、負けずにやりあってる。
数の不利も、森の木を利用して巧く逃げ回ってるみたいだ。
周りに居るのは……十人を超えるのかな。入り乱れて数えきれない。
逃げ回るロディを援護するように、黒ずくめの人たちが加勢してきた。
ロディが囮になり、黒ずくめの人たちが数を減らす。
実力では勝る異端審問官たちも、ロディが戦いの場をかき乱すことで黒ずくめの人たちに数を減らされて行く。
だけど、周囲からは後から後から異端審問官が湧いてくる。
「どれだけ居るのよ?!」
「知るか!」
ロディの短い返答は、まだまだ元気だと言ってるみたいだ。
やがて近衛騎士たちもこちらにやってきて、形勢が一気に逆転した。
異端審問官たちはあっという間に数を減らし、最後の一人も切り捨てられた。
****
黒ずくめの人が私に告げる。
「無事ですか、お嬢様」
「……ええ、問題ありません。ありがとう」
お父様配下の人たちは頷くと、森の中へ消えていった。
あんなに大勢の護衛を付けてくれてたのか、お父様。
フリーランド伯爵はロディの頭を撫でまわしていた。
「よく生き残ったな、ロディ!」
「ガキ扱いすんなよ、父上!」
フリーランド伯爵の指示で、異端審問官の死体が集められていく。
どうやら、エバンズ子爵の死体はないみたいだ。
「襲撃に参加してなかったのかしら」
ロディが鼻を鳴らして応える。
「爺さんだったからな。荒事は避けたんだろ」
馬車に戻るjと、馬と御者が息絶えていた。
近衛騎士たちが御者の周囲で祈りを捧げている。
うーん、これは移動で困るし、周りで見てるのは近衛騎士だけ。
「近衛騎士の皆さん、これから起こることは黙っていてくださいね!」
叫んだ私は、邪神様に奇跡を祈る。
――邪神様、馬と御者を生き返らせてください!
本当にできるか不安だったけど、私の中から大きな力が抜けていく感触があった。
そっと目を開けると、馬がゆっくりと立ち上がっていくのが見えた。
慌てて御者の首を触ってみる――脈がある!
揺すり起こしてみると、御者も朦朧としながら置きあがった。
驚く近衛騎士たちを尻目に、私は御者に治癒の奇跡も施しておいた。
「――ふぅ。これでいいかな?」
フリーランド伯爵が震える声で尋ねてくる。
「今のはいったい……何事ですか」
「あー、ちょっと蘇生の奇跡を祈っただけですわ。
今だけ使える、特別な力です」
フリーランド伯爵が困惑しながらも頷いた。
「なるほど、聖女の奇跡と似たようなものですか。
それにしても人を生き返らせる力とは……恐ろしい」
「そうかしら? 別に邪悪な力じゃありませんわよ?
まぁ、迂闊に使うなとは言われてますけど」
御者が馬を確認し、御者台に乗りこんだ。
どうやら馬車は出発できそうだ。
フリーランド伯爵が私に告げる。
「そのお力、まだ使えますか?」
「うーん、まだ余力はあると思うので、大丈夫だと思いますわ」
「では――この異端審問官を蘇生できますかな?」
フリーランド伯爵は手早く死体を縄で捕縛すると、私の前に転がした。
「え……この人を蘇らせてどうするんです?」
「無論、異端審問官の情報を吐かせます」
なんだか怖い予感しかしないけど、断れる空気でもない。
仕方なくもう一度、蘇生の奇跡を祈って異端審問官を蘇らせた。
猿ぐつわまでされた異端審問官が、近衛騎士の馬に括りつけられていく。
ロディがドアの壊れた馬車に乗りこんで手を伸ばしてきた。
「ほれ、帰るぞ」
「はーい」
私がロディの手を取り、ステップに足をかける――次の瞬間、ロディが私を地面に押し倒した。
「――いった?! 何をするの、ロディ!」
私の声にロディは応えない。
その背中には、真っ黒な矢が深々と突き刺さっていた。
****
フリーランド伯爵が怒りの形相で指揮を執る。
「森の中だ! 逃がすな!」
近衛騎士たちが森の中へ踏み入っていく。
逃走する人間の気配がしたけど、私はそれどころじゃなかった。
私の目の前で、ロディが矢を受けて倒れている。
私をかばったの? なんでそれでロディが倒れてるの?!
頭が真っ白な私は呆然としながら、動かなくなったロディの顔を見つめていた。
私の肩に誰かの手が置かれる。
「――ミレーヌ嬢、蘇生の奇跡をお願いできますか」
その一言が意味すること。それを考えたくはなかった。
フリーランド伯爵がロディの背中から矢を無理やり引き抜く。
背中から湧きだす血は、なんだか勢いがないような気がした。
「ミレーヌ嬢、お願いします」
フリーランド伯爵の懇願する声に、私は黙って頷く。
――邪神様、どうかロディを……蘇らせてください。
ロディが死んでしまったことを認識したくなかった。
だけど、奇跡を祈るには認識するしかなかった。
心が苦しい。でも、奇跡が成功すれば――。
私の中からまた大きな力が抜けていく。
目を開けると、口から血を吐きながらロディが息を吹き返していた。
――邪神様! ロディの傷を癒して!
急いで治癒の奇跡を施し、ロディの傷を塞ぐ。
目を開けると、ロディもふらふらと起き上がっていた。
「――あー、なんかヤベーところに行ってた気がする」
私は無言でロディの首に抱き着いていた。




