24.金色の予兆
私たちが十三歳を迎える秋、いよいよ社交シーズンが開幕する。
この二年間、ヴァリアント王国内は平穏そのものだった。
私たちは社交界デビューに向け、作法や教養をさらに磨いていた。
クラリスとクリスティンは作法だけで精一杯だったみたいだけど、二年前とは見違えるほど動きが整った。
教養は聖女様ということで、ある程度多めに見てもらえるだろう。
新調した青いドレスを姿見で確認しながらエイミーに尋ねる。
「どう? 似合ってるかしら」
エイミーは嬉しそうに微笑んだ。
「とてもよくお似合いですよ」
「ロディも褒めてくれるかなぁ」
「それは問題ないのではありませんか?
フリーランド伯爵令息は、いつもお嬢様を褒めてらっしゃいますし」
そうなんだけど、なんでも褒めてくるから『本当に似合ってるのかなぁ?』って不安になるんだよね。
試着していたドレスを着替え、リビングで紅茶を味わう。
穏やかな午後を過ごしていると、侍女たちが窓の外をみて不安げに話をしていた。
「どうしたの?」
「お嬢様、空をご覧ください」
空? 空がどうしたんだろう?
侍女たちと一緒に窓の外から空を見上げると、金色のカーテンが空にはためいて見えた。
「何、これ……」
金色は邪神様の色、もしかして邪神様に何かあったのかな?
「礼拝堂に行きます」
私は一人、礼拝堂に足を向けた。
****
礼拝堂でしゃがみ込み、邪神様へ祈りを捧げる。
――邪神様、何かあったんですか?
『そろそろ私の封印が砕ける頃ね。
聖女が封印を放置して随分経つわ。
封印から私の力が漏れて、空に現れてるのよ』
――危ないことはありますか?
『私の力に危険はないけど、あなたはちょっと大変かも。
あなた、巫女として力が強すぎるのよ』
――どういう意味ですか?
『今にわかるわ。
力の使い方にはくれぐれも注意しなさい』
――はぁ、わかりました。
私は立ち上がってため息をついた。
もうちょっと具体的に教えてくれてもいいのに。
――あ、そろそろ魔法薬を作る時間だ。
私は魔導工房に足を向け、礼拝堂を後にした。
****
魔導工房で、私は頭を抱えていた。
目の前には百本に及ぶ魔法薬の薬瓶が並んでいる。
その全てが、輝かしい金色の光を放っていた。
「今まで無色透明だったじゃない……」
試しに木桶に汲まれている水に治癒の奇跡を込めてみると、ただの水も金色に輝くように変化した。
「つまり、原料の問題じゃないのね……」
私の祈りを込めると金色に変化するように変わったんだ。
私が腕を組んで困っていると、お父様が工房に入ってきた。
「――ああ、やはりお前にも変化があったか」
「お父様? どうなさったの?」
お父様が窓の外を見て告げる。
「空に異変があったからね。
邪神に変化があったんじゃないかと思って、様子を見に来たんだ」
「そのことですが、邪神様の復活が間もないそうです。
聖神様の封印がもうじき破壊されるとおっしゃてましたわ」
お父様が私に振り向いて尋ねる。
「では、空の現象は邪神の影響なんだね?」
「ええ、そうおっしゃってました。
危険はないそうなんですが、魔法薬は色が変わってしまいましたわね。
これは、そのまま流通させて良いのでしょうか」
お父様が顎に手を当てて考え込んでいた。
「……魔法薬の需要は高いままだ。
流通を止めると不満が爆発しかねない。
このまま流通させるしかないだろう」
「ですが金色は邪神様の聖なる色。
聖神様にとっては忌むべき色ですわ。
聖教会がなくなって二年経ちますけど、大丈夫なんですか?」
お父様も悩んでいるようだった。
「異端審問官たちも、今は野に散っている。
組織だって動くことはないと思うが、警戒だけはしておこう。
クラリスたちに何か影響があったりはしないのか?」
「ないと思いますわ。
邪神様は聖神様を特に気にしておられませんし。
聖神様が邪神様を敵対視しているだけだそうですから」
お父様は頷いて私の頭を撫でた。
「では、この魔法薬はいつも通り出荷しておこう。
お前もなるだけ周囲に気をつけておきなさい」
「はい、わかりました」
お父様は頷くと、踵を返して工房から出ていった。
私は金色の魔法薬を見てため息をつく。
この魔法薬、効能も上がってるんだろうなぁ。
またこの魔法薬を求めて騒動が起こらないと良いんだけど。
私も部屋に戻るため、魔導工房を後にした。
****
翌日、午前中からロディが公爵邸にやってきた。
「ようミレーヌ、無事か?」
「無事だけど……どうしたの? 急に」
ロディが窓の外を指さして告げる。
「『あれ』だよ。あんなの、邪神の影響に決まってる。
お前には異変はないのか?」
「うーん、あったと言えばあったし、なかったと言えばなかったかなぁ?」
ロディが呆れ顔で応える。
「なんだそりゃ。ハッキリしろよ」
私も腕組みをしながら告げる。
「それがねー? 私の作る魔法薬の色が変わっちゃったのよ。
これから流通する魔法薬は金色に輝いちゃうの。
お父様は元聖教会の異端審問官を心配してらしたわ」
ロディがきょとんとした顔で尋ねる。
「なんだそりゃ? 聞いたことないな」
――異端審問官。
聖教会の敵を駆逐する為に存在する組織だ。
特別な戦闘訓練を受けた彼らは、下手な騎士より強かったりする。
聖神様を絶対視し、聖神様の敵を許さないという狂信者。
聖教会の裏組織だから、一般の人たちはあまり存在を知らないらしい。
私の説明を聞いて、ロディが眉をひそめた。
「そんな奴らが金色の魔法薬なんか見たら、ヤバいんじゃないか?」
「でも、もう彼らは解散して後を追えないらしいの。
再び集合して組織的活動をすれば、お父様なら気付くと思うし。
クロスランド公爵家に歯向かえる組織は、この国にはないと思うわよ?」
二年前から貴族院議長を務めるようになったお父様は、多くの力を持つようになった。
今ならお父様の一存で王国軍の一部隊くらいなら動かせてしまう。
もちろん、お父様はそんな公私混同をなさる方ではないけれど。
敵対派閥もいなくなり、多数派を取り仕切る大貴族であるお父様に逆らえる人は居ない。
……はず、なんだけどね。
異端審問官たちって、損得抜きで動くから先が読めないんだよなぁ。
そんなことをロディと話していると、フルヴィオとパトリシアもやってきた。
「二人も来てくれたの?」
「そりゃあ、僕らも心配だからね。
たぶんショーン殿下たちも午後から来ると思うよ。
だからお昼をご馳走になってもいいかな?」
パトリシアがため息をついた。
「フルヴィオ、図々しいわよ?」
「だって、一度帰るのも面倒じゃないか。
どうせだからみんなでランチにしようよ」
私は苦笑を浮かべながら、侍女にランチの追加オーダーを出した。
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ランチを終えて紅茶を飲んでいると、案の定ショーン殿下たちもやってきた。
これで八人が勢ぞろいだ。
ショーン殿下が地図を手にしながら告げる。
「私の方でも、昨日から調査を命じておいた。
午前中に報告書を受け取ったから、その内容を共有しておこう」
地図を広げたショーン殿下が、指で王国領内を指さしていく。
「金色のカーテンは王国領内の空に現れてるみたいだ。
他国の上では確認できていない。
これが何を意味するのか、ミレーヌはわかるかい?」
「邪神様は『力が封印から漏れ出てる』とおっしゃってたわ。
たぶん、邪神様はこの国の土地に封印されてるのでしょうね。
もう間もなく封印が破壊されて、邪神様が解放されるはずよ」
クラリスが眉をひそめた。
「そんなことになって、大丈夫なの?」
「聖神様だって、封印されてなくても害はないじゃない?
邪神様も『害はない』って言ってたし、問題ないわよ」
ジェームズ殿下が腕組みをして唸った。
「だが異端審問官が野放しなんだろう?
クロスランド公爵が神経質そうにしていた。
かなり気にかけてるみたいだ」
「お父様が? 何かあったのかな。
昨日から流通してる金色の魔法薬のことかしら」
クラリスが首を横に振った。
「金色が忌むべき色だって知識は、聖教会でも知る人が少なかったはずよ。
民衆たちでそれを知る人間はいないし、元聖教会の人たちもほとんどは知らないわ」
ショーン殿下が頷いた。
「一部の人間が『これは邪神の色だ』なんて言っても、治癒の力を持つ魔法薬の方がありがたいからね。
相手にされずに終わるだけだと思う。
ただ、魔法薬を製造しているクロスランド公爵が少し心配かな」
「お父様なら、異端審問官の集団に襲われても返り討ちにできるわよ。
この家もお父様子飼いの組織が護衛してるし、異端審問官が近づけば自滅するだけよ?」
クリスティンが小さく息をついた。
「それなら、今はまだ心配しなくてもよさそうね」
ロディが頷いた。
「だが封印が破壊されたらどうなるかはわからない。
油断はしないで行こう」
八人で頷き合い、その場は解散となった。




