21.聖女の罪
その騎士は、戦場に忽然と現れた。
帝国軍の最前線、それよりも遥か前方に、ただ一人で立ち尽くしていた。
不審に思った王国兵が、百人ほどで隊列を組み突撃していく。
――近づいてきた王国兵たちは、騎士の剣閃一振りでものを言わぬ躯と化した。
王国騎士たちが前に出て、一般兵たちを下がらせた。
殺気をまとい襲い掛かってくる小柄な騎士に、王国騎士たちも応戦していく。
だが全身鎧を着込みながらも馬より速く走る帝国騎士は、一振りごとに十人単位で躯を築き上げていった。
報告を受けたクロスランド公爵が前線に急行し、号令をかけて騎士たちを下がらせた。
それから小柄な騎士――洗脳されたクラリスとクロスランド公爵との、三日三晩に渡る戦いが始まった。
「――死者百八十七名、重傷者五十二名、軽傷者は二百名を超える。
それがあの戦いでクラリスが剣にかけた人数だ」
クラリスの顔面が蒼白に染まっていた。
血の気が引いた唇が震え、言葉が見つからないようだった。
そんなクラリスの肩を、ショーン殿下が強く抱きしめる。
「そんなに多数の被害が出たのか……」
お父様が小さく息をついて応える。
「私の対応がもう少し早ければ、被害は半分にできたかもしれない。
そこは私の落ち度だろう」
私は慌てて声を上げる。
「でも、怪我人なら魔法薬で治ったのですよね?!」
「怪我人はな。だが、騎士八十七名、一般兵百名の失った命は戻らない。
彼らの家族、その恨みをクラリスは現在も背負っている。
その自覚を持ってもなお、君たちは話を続ける気があるのかな?」
クラリスは顔を伏せ、体全体を震わせていた。
想像以上に過酷な真実。
十一歳の女の子が背負うには、余りにも多すぎる命だ。
ショーン殿下が力強く告げる。
「クラリス、私たちは将来を誓い合ったはずだ。
共に歩めるのならば何も怖くはないと。
その言葉は、嘘だったのか?」
「……ですが、こんな私が殿下の妻になるなど、周囲が許してくれません」
「不可抗力だ。帝国の魔法薬で洗脳された結果なのだから。
それを理解しない者も、できない者も居るだろう。
だが私が必ず守り抜いて見せる」
クラリスはうつむいたまま応えられないみたいだ。
――ああもう! 前世の私、こういう所が嫌い!
私は立ち上がって声を上げる。
「クラリス! あなた、私からショーン殿下を奪い取る覚悟はどこに行ったの?!
殿下の隣で生きて行きたいから、今この場所に来ているのでしょう?!
その程度の覚悟で、友達の婚約者を奪うつもりだったの?!
私、そんなに安い女に見えたのかしら! 失礼しちゃうわね!」
顔を上げたクラリスが、唖然として私を見上げた。
「ミレーヌ……」
「いいこと? 私の友達なら、胸を張って生きなさい!
戦場で戦士が死ぬのは当たり前なの!
それで恨み恨まれようが、その程度全部飲み込んで見せなさい!」
ショーン殿下もクラリスに告げる。
「ミレーヌの言う通りだ。
ここで引いたら、ミレーヌに失礼になる。
私たちの覚悟は、この程度じゃなかっただろう?」
クラリスがしっかりと頷いた。
その目がお父様の目を見据える。
「……死んでしまった方へは、どうお詫びして良いかわかりません。
ですがこの国をよくすることで、きっと報いていけると信じます。
お願いです、クロスランド公爵。私たちの婚約を認めてくださいませんか」
しばらくクラリスの視線を受け止めていたお父様が、クスリと微笑んだ。
「ミレーヌのアシストか。少し反則だが、約束は約束だ。
――いいだろう。ミレーヌとの婚約解消を認めよう」
ショーン殿下とクラリスが見つめ合い、力強く抱きしめ合った。
嬉しそうに涙をこぼすクラリスを、殿下の腕が包み込んでいる。
私は腰に手を当て、鼻から息を吐き出した。
「本当に、世話の焼ける友達ね!」
****
新しく温かい紅茶が振る舞われ、お父様がクラリスに静かな声で告げる。
「いいかい、クラリス。
王族に連なる者は、直接手にかけずとも人の生死をその手に委ねられる。
今回、君は戦場で直接命を奪った。
だが今後ショーン殿下の伴侶となれば、間接的に命を奪うこともある。
それが望むと望まないとに関わらずね」
クラリスは静かにお父様の言葉に耳を傾けていた。
ショーン殿下が告げる。
「私は王族として、そのような教育を受けてきている。
だがクラリスはまだ、その教育を受けていない。
真実を知るのは、その後でも構わないと思っていた。
今回は厳しかったけれど、君に必要な試練だったと思う」
クラリスが黙って頷いた。
私は紅茶を一口飲んで息をつく。
「だとしても、十一歳の子供にする話じゃないわよ? お父様。
せめてもう何年か、待てなかったのかしら」
お父様がクスリと笑みをこぼした。
「私が言わなくても、殿下の婚約者ともなれば陰に日向に言われることになる。
その時にショックを受けていたら、とても殿下の伴侶として認められなかっただろう。
周囲の貴族たちに、クラリスの覚悟を最初から見せつける必要があるんだ」
お父様、そこまで先を読んでこの場を設定したのか。
食えない人だなぁ、やっぱり。
お父様の手が私の頭を撫でる。
「しかし、これでミレーヌがフリーになってしまったね。
新しく婚約者を見繕わなければならない。
少し忙しくなるかもしれないな」
「え?! すぐに新しく婚約者を作れっておっしゃるの?!」
「そりゃあそうさ。
もうじきお前は十三歳になる。
社交界に出るのに、公爵令嬢が婚約者もなしというのでは体裁が悪いからね」
ショーン殿下が微笑んで告げる。
「それなら、フリーランド伯爵令息はどうだ。
本人はまんざらでもなさそうだが」
「ショーン殿下?! なんでそこでロディが出てくるわけ?!」
クラリスがクスリと笑った。
「あら、不満なの? いつも仲良くしてるじゃない」
「私が近づいてるんじゃなくて、ロディが近づいてくるからでしょ!」
お父様が顎に手を当てて考えこんでいた。
「……家格はだいぶ落ちるが、本人たちの相性が良いならそれも有りか」
「なーしーでーすー! お父様まで何をおっしゃるの?!」
お父様が立ち上がって告げる。
「いい情報をもらった。今度フリーランド伯爵と話をしておこう。
彼なら子供たちのことも、よくわかっているだろう」
「お父様?! 決定事項みたいにおっしゃらないで?!」
用事は済んだとばかりに部屋を去っていくお父様を、私は必死に追いかけて抗議を続けた。
****
その年の夏、ショーン殿下とクラリスの婚約が発表された。
婚約披露会は仲間たちが集まり、二人を祝福した。
クリスティンが唇を尖らせて拗ねていた。
「私の婚約披露会は姉様がぶち壊しにしたのに、姉様だけずるい!」
ジェームズ殿下がクリスティンを宥めながら告げる。
「だから今日は、私たちの婚約披露会も兼ねている。
おまけの扱いだが、第二王子だから仕方がないな」
「なんでよ?! 第二王子だからって王様にならないと決まったわけじゃないでしょ?!」
元気なクリスティンに、ショーン殿下が苦笑を浮かべた。
「確かにその通りなんだが、義妹になるクリスティンに面と向かって言われるときついな」
クラリスがため息をついて告げる。
「ごめんなさいショーン殿下。
今度、きつく懲らしめておくわ」
私やロディ、フルヴィオにパトリシアは笑いながら四人のやりとりを見ていた。
――私は知っている。クリスティンと双子のクラリスは、その気になれば彼女以上に苛烈になることを。
まぁ、前世の『クラリス』がその姿を見せたことは、幼い時だけだったけど。
ジェームズ殿下も、クラリスに胸を刺された事を気にしてる様子はない。
これなら『クラリス』の記憶にあるような悲劇は、もう起こらないだろう。
フルヴィオがジュースを片手にロディに尋ねる。
「それでロディとミレーヌの婚約はいつになるの?」
ロディがフッと笑って応える。
「俺はいつでもいいんだが、ミレーヌが頷かなくてな」
「頷かないわよ?! 何を寝言を言ってるの?!」
「だが、公爵はもう話をまとめようとしているぞ?
書類は出来上がっているらしいから、あとは正式に締結するだけだそうだ」
――お父様、いつの間に?!
パトリシアが口元を隠して笑みをこぼしていた。
「ミレーヌって意地っ張りだから、強引にでも婚約しないといつまでもフリーのままでしょうしね」
「パトリシアに言われたくないわよ?!
あなたもフルヴィオと婚約すればいいじゃない!」
「嫌よ、余り者同士でくっつくなんて。
私はもう少し高望みをしてみたいわね」
フルヴィオが肩を落として告げる。
「そりゃあ同格の伯爵家だけどさぁ……。
余り者って決めつけるの、酷くない?」
ロディがフルヴィオの背中を叩きながら「頑張れよ!」と激励していた。
賑やかな婚約披露会は、今度こそ平和に過ぎていった。




