20.聖女との婚約
「お帰りなさいませ、お父様!」
一か月ぶりに公爵邸に戻ってきたお父様に、思わず抱き着いて行く。
お父様は幼児をあやすかのように私を抱え上げ、くるくると回った。
「ただいま、ミレーヌ。
良い子にしていたかい?」
「当然ですわ!
お父様こそ、良い子にしてらして?」
「私は当然、悪い子だったとも」
お母様がクスクスと笑みをこぼしながら近寄ってくる。
「お帰りなさい、ヴィンセント。
それで……どうなりましたか?」
お父様が私を見上げながら応える。
「何も問題はないよ。
少し休暇を取ったら、再び貴族院の再編を行うことになる。
聖教会の解体も進めないといけないね」
「お父様! そろそろ下ろしてくださいまし!」
「――おっと、我が家の淑女がお怒りだ」
ようやく下ろしてもらえた私は、お父様を見上げて尋ねる。
「私、邪神の巫女であることをばらしてしまいました。
それでも何も問題がないのですか?」
お父様が微笑んで頷いた。
「ああ、問題ないよ。
きちんと陛下にも確認を取ってきた。
仮に問題になったとしたら、国外に家族で逃げればいい。
私たち親子を止められる軍隊など、いやしないさ」
うーん、そりゃあ『近衛騎士団を蹴散らしてたクラリス』と互角の実力なら、そうかもしれないけど。
私の奇跡も合わせれば、ほとんど無敵と言っても良いかもしれないけども。
本当に大丈夫なのかな~?
お父様の手が私の頭を撫でる。
「心配は要らない。
何か兆候があれば、私が先に勘づく。
お前もしばらく、ゆっくりするといい」
「えっと、そういうことなら、納得いたしますけど」
ん? あれ? お父様、少しお痩せになった?
「お父様? 魔法薬は飲まれなかったんですか?」
「あれは怪我人に優先して飲ませていたからね。
私は怪我をしなかったから、クラリスの相手をし終わってからは飲んでいないよ」
そんな……希釈魔法薬ぐらい、口にしてもいいだろうに。
こういうところ、お父様は変に意地っ張りな気がする。
お母様が私に告げる。
「さぁミレーヌ、あなたは部屋へ戻りなさい。
疲れているヴィンセントを休ませてあげましょう」
「――あ、それもそうですね。
では、失礼いたしますわ」
私は淑女の礼を取り、足取りも軽やかに階段を上って部屋に戻った。
****
国王の私室に、ショーン王子の姿があった。
「父上、お呼びでしょうか」
「ショーン、クロスランド公爵が帰還した。
ついては以前からの話を先に進めようかと思っている」
ショーン王子が小首を傾げた。
「以前からというのは? なんのことでしょうか」
国王が呆れたように告げる。
「お前がクラリスとの婚約を望んでいたのだろうが。
今の聖教会に聖女クラリスを置いておくと、何をされるかわからん。
『婚約のために王宮に滞在してもらいたい』という名目で、お前が連れて来い」
ショーン王子の顔がパッと華やいだ。
「――では、クロスランド公爵が許可を出したのですか?!」
「いや、それはまだだ。
私から話を切り出すのが難しかったのでな。
だからショーンよ、クラリスと共にお前がクロスランド公爵から許可をもらって来い。
私が直接言うより、子供のお前たちの方が角が立つまい」
ショーンが眉をひそめて尋ねる。
「しかし、クラリスは洗脳されていたとはいえ、王国騎士を何人も手にかけています。
そんなクラリスを王家に迎えて、問題はないのでしょうか」
「ない訳がない。
次期王妃が疵物であることを、お前は覚悟せねばならん。
必ず貴族たちや遺族たちからの反発が出る。
だが、その程度に屈する様では婚姻など最初から分不相応と知れ」
ショーン王子が国王の言葉を口の中で噛み締めた。
「……わかりました。
ではクラリスを迎えに行ってまいります」
ショーン王子が辞去し、部屋を去っていった。
私室に居た王妃が国王に尋ねる。
「ショーンは大丈夫でしょうか」
「あの子はお前に似て賢い。問題はあるまい」
国王は王妃の手に手を重ねた。
王妃は頷き、国王に体を預けた。
****
聖教会前は、緊張感に包まれていた。
メッシング大司教殺害の犯人がわからないまま、一か月が経過している。
再び襲撃されることのないように、私兵たちはピリピリとした空気で周囲を警戒していた。
そんな聖教会前に、ショーンを乗せた王家の馬車が止まった。
護衛は最低限の騎兵が六人。
ショーンが馬車を折り、聖教会前の私兵に告げる。
「クラリスに会いに来た。現在の責任者は誰か」
私兵たちが顔を見合わせて相談し合う。
大司教亡き後、次の大司教の座を巡って激しい抗争が繰り広げられていた。
複数の派閥が権利を主張しあい、現在の聖教会に主導者と言える人間が居ないのだ。
私兵たちの様子でそれを察したショーン王子が、彼らに告げる。
「では、クラリスの身柄を預かっているのは誰か。
今回は婚約の件で話をしに来た。
『クラリスを王宮に迎え入れたい』とその者に伝えよ」
私兵の一人が頷き、中へ駈け込んでいった。
しばらくショーン王子が待っていると、一人の司教が姿を現す。
「お待たせしました、ショーン殿下。
私はマスラニー司教と申します。
それで、『聖女クラリスを預かりたい』とのことですが……本気ですか?」
ショーン王子が頷いて応える。
「父上から話を進める許可は頂いた。
これからクロスランド公爵と直接話し合い、婚約の切り替えを交渉する。
そのためにもクラリスは王宮で身柄を預かりたい」
マスラニー司教の目が、計算高くショーン王子を値踏みした。
「……聖女クラリスは罪人、その意識はありますかな?」
「彼女に罪はない。あれは不可抗力だ。
それでも責める者がいるなら、彼女をかばうのが私の役目だ」
しばらく思案してから、マスラニー司教が微笑んで頷いた。
「そういうことでしたら、聖女クラリスをお引渡ししましょう。
これを機に、私とも是非懇意にして頂ければありがたく存じます」
「考えておく」
そっけないショーン王子の言葉に、マスラニー司教が小さく舌打ちをした。
「……おい、聖女クラリスを連れて来い」
私兵が三人頷き、聖教会内部へと歩いて行った。
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公爵邸に向かう馬車の中で、クラリスは安心したように息をついた。
「ようやく息苦しい場所から逃げられました。
もうあそこは聖神様を信仰する場所ではありませんね。
あれでは信徒も、逃げる一方でしょう」
ショーン王子が苦笑を浮かべて応える。
「やはり、そこまで酷いのか。
マスラニー司教も大概だが、他の司教も大差はなさそうだな」
「どんぐりの背比べですね。
誰もが聖教会を率いる力を持たず、足を引っ張り合ってます。
せめて協力し合えば、立て直すことも可能でしょうに」
ショーン王子がクラリスの手に手を重ねた。
「そんな場所から君を救いだせて、ホッとしている。
だがこれから、私たちはクロスランド公爵と交渉しなければならない。
私たちの未来のため、一緒に戦ってくれるか」
クラリスが微笑んで頷いた。
「そう仰ってくださるなら、どこまでも」
微笑みあう二人は、固い決意を新たにして馬車に揺られていた。
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「ミレーヌお嬢様、旦那様が応接間でお呼びです」
「応接間で? 何かしら」
私は読んでいた本を閉じ、椅子から立ち上がった。
スカートの裾を直すと、ゆっくりと歩きだす。
確か、先ほど馬車の音がしていた。
でも、戦場から帰ったばかりのお父様に会う人なんているんだろうか。
応接間のドアをノックして中に入る。
「失礼します。お呼びでしょうか、お父様」
客人は私に背中を向けて座っている。
子供のような姿――っていうか、ショーン殿下とクラリス?!
驚く私に、お父様が微笑んで告げる。
「お前は私の横に座りなさい。
――さぁショーン殿下。お話であれば伺いましょう」
私がお父様の横におずおずと座ると、緊張した様子のショーン殿下が口を開く。
「父上から許可を頂いて話をしに来た。
ミレーヌとの婚約を解消し、新たにクラリスと婚約したい。
今なら、時期は悪くないはずだ」
――話って、そのこと?!
思わず口を開けた私に、クラリスが頭を下げて告げる。
「ごめんなさい、ミレーヌ。
あなたのパートナーを奪ってしまうことになって」
「そんな……それは前から織り込み済みですもの。
クラリスが気にすることじゃないわ」
お父様が低い声で告げる。
「それでショーン殿下、あなたは我が娘ではなく、聖女クラリスを妃とする――その考えで間違いないかな?
聖女クラリスが背負うものも、すべて理解しているのか。
今ならまだ、話を聞かなかったことにできるが」
ショーン殿下は真っ直ぐお父様を見つめ返した。
膝に置いた手が、細かく震えている。
その手にクラリスが手を重ね、彼女もお父様を強い眼差しで見据えた。
「私が何を背負っているのか、それは誰も教えてくれません。
ですがどんな厳しい道でも、私は耐えてみせます。
ショーン殿下と共に歩めるのなら、何も怖くありません」
殿下の手がクラリスの手を握り返す。
「クロスランド公爵、私たちの意思は翻らない。
聖教会が崩壊寸前なのも確認してきた。
王家が聖女を取り込んでも、利権が生まれることはないはずだ」
お父様が足を組み替えて告げる。
「聖女クラリスの罪をはっきりさせずに話を進めるのは、アンフェアというものだろう。
戦場で私が見てきたクラリスの行い、その全てを語らせてもらう。
その上でなお、二人の気持ちが揺るがないのであれば――私も応じよう」
私は思わず声を上げる。
「お父様?! 知らずに済むなら、教える必要はないじゃありませんか!」
お父様は私に応えず、黙って二人を見据えていた。
ショーン殿下が頷く。
「いいだろう、公爵。彼女に伝えてやって欲しい」
お父様がニヤリと微笑み、ぽつりぽつりと話をしだした。




