19.不器用な親子
なんだか温かい光を浴びた気がして、私の目が覚める。
ゆっくりと目を開くと、なぜかベッドに寝かされている私と、覗き込む仲間たちの姿。
「やったわ! 姉様の癒しが効いたのね!」
私は体を起こしてクリスティンに応える。
「――ということは、クラリスは正気に戻ったの?」
クラリスを見ると、小首をかしげながら頷いた。
「よくわからないけど、そういうことみたい。
――でも、正気を失ってたってどういうこと?」
私はフッと笑みをこぼして告げる。
「覚えてないなら、知らない方が良いわ。
あなたが不幸にしかならないもの」
「そうなの? うーん、それはそれで気になるわね……」
部屋に居たお母様が手を打ち鳴らした。
「はいはい、ミレーヌはもう目が覚めたわ。
あなたたち、夕食がまだだったでしょう?
夜食を頼んでありますから、食べてしまいなさい」
言われてみれば、お腹がペコペコだ。
侍女たちによってダイニングテーブルの上に並べられたサンドイッチを、私たちは我先にと奪い合って食べていった。
パトリシアが上品にサンドイッチを口にしながら告げる。
「クラリスあなた、そんなにお腹が空いてたの?」
小首をかしげながらクラリスが応える。
「なぜかはわからないけど、史上まれにみる空腹具合ね。
聖水作りをやらされてた時でも、ここまでお腹は空かなかったわ」
フルヴィオがパンをジュースで流し込みながら告げる。
「僕ら、成長期だからね。
あれだけ大暴れしたら、そりゃあ空っぽになるよ」
クリスティンは仲間たちに目もくれずにサンドイッチにかぶりついていた。
苦手な奇跡を連発してたもんなぁ。お腹も空くかぁ。
用意されていた八人分の夜食はあっという間に食べつくされた。
侍女が用意したデザートのフルーツ盛りもペロッと平らげた。
その食べっぷりに、お母様が感心したようにつぶやく。
「欠食児童が八人揃うと壮観ね……」
私もようやく腹八分目、というところで一息ついた。
「クラリスの件は片付いたけど、帝国軍がまだ残ってるのよね。
お父様たち、大丈夫かしら……」
クリスティンがため息をついて告げる。
「ミレーヌの場合、もっと深刻な問題があるんじゃない?」
「私の場合? 何があったっけ?」
ショーン殿下が呆れるように告げる。
「君が『邪神の巫女』だってことが、少なくとも父上には知らされてる。
君の奇跡を目撃した人間も、金色の光を見ているよ。
聖教会の異端審問官に見つかったら、逃げられないんじゃないかな」
「あー、そっか。クラリスを取り戻すのに必死で、そんなこと忘れてたな……」
私の正体、とうとうバレちゃったか。
私は腕組みをして考えを巡らせる。
「こうなったら、『邪神の巫女』らしく邪神様を復活させる儀式でもしようかしら……」
ロディが私の後頭部を叩いて告げる。
「そんなことしてどうすんだ、バーカ」
「いった?! なんで叩くのよ?! レディの頭を何だと思ってるの?!」
フルヴィオがため息交じりで告げる。
「真相を知ってるのはごく一部、奇跡を目撃したのも近衛騎士団と僕らだけ。
それに聖教会は大司教も亡くなって、内部分裂寸前って聞いてる。
さらに帝国が攻めてきてる今、クロスランド公爵の責任を追及することもできないよ。
何かあるとしても、帝国を追い返してからじゃないかな」
ジェームズ殿下が楽し気な笑みで告げる。
「ミレーヌが悪人じゃないのは、私たちが充分に知っている。
今はそれでいいじゃないか」
「殿下……みんな、ありがとう」
みんなが笑顔で頷くと、お母様が告げる。
「あとのことは、ヴィンセントに任せておけばいいのよ。
それで追われる身となるなら、その時に考えればいいわ。
――もう時間も遅いし、子供たちはベッドに入りなさい」
みんなが返事をして立ち上がり、客間から出ていった。
私もお母様と一緒に再びベッドに潜り込み、安らかな眠りに落ちた。
****
王宮で仲間たちを解散したあと、私はお母様と一緒に公爵邸に戻った。
その場ですぐにお母様に告げる。
「ねぇお母様、魔法薬を量産したらお父様は助かると思いますか?」
「え? あなたが一人で作るの?
あれはヴィンセントとあなたが協力して作っていた物でしょう?」
私は胸を手で叩いて応える。
「本質的には邪神様の奇跡が主成分ですから!
ただの水に奇跡を込めるだけでも、同等の効能があると思います!」
お母様が少し思案してから応える。
「確か、怪我も治療できるのよね?
だとしたら前線の兵士たちは助かると思うけど。
――それなら、希釈魔法薬を多めに作った方が良いわね。
重傷者はそれほど多くないはずだし」
私は小首をかしげて尋ねる。
「戦争なんですよね? 重傷者が少ないんですか?」
「だって、ヴィンセントが前線に居るのよ?
あの人が陣頭指揮を執って、大きな負けを喫することはないわ」
なんともすごい信頼感だ……さすが夫婦。
「でも希釈魔法薬は水で薄めるだけですし、原液の方が早く運べるんじゃないですか?
扱い方はお父様ならご存じですし、私はいつも通り一日百本作って送ろうと思います」
「前線で希釈する容器も水も確保するのは大変なのよ?
しようのない子ね……わかったわ。ヴィンセントの代わりに私が手伝います。
輸送はヴィンセントの部下が屋敷に残っているから、彼らに頼みましょう」
こうして私はお父様が帰ってくるまで、いつも通り魔法薬を作って前線に送る日々が始まった。
****
帝国軍の指揮官は焦っていた。
偶然手に入れた『王国の聖女』という秘密兵器。
その威力は確かなものだった。
だがその姿が忽然と消え、翌日から王国軍が一気呵成に攻めたて始めたのだ。
数で勝るはずの帝国軍も、陣頭指揮を執るクロスランド公爵の武力の前になすすべがない。
何度か打撃は与えたはずが、敵戦力が減る様子も見られない。
それどころが日増しに勢いを増しているようにすら感じていた。
「ええい、敵の兵站はどうなっている?! 数が減らないなら、補給路を絶て!」
「閣下! 敵軍は巧妙に我が軍を包囲しております!
包囲網を抜け出て背後を突くのは困難かと!」
数で劣る癖に、要所を確実に堅守し背後に回りこませない。
工作兵も送り込んでみたが、全て音信途絶となった。
一か月に及ぶ遠征で帝国兵たちに疲労の色が見える頃、司令官は本国からの通達を受け取った。
「……『撤退せよ』か。致し方あるまい。
このまま壊滅するよりはマシと考えるしかないか」
おそらく、戦後賠償金は高くつくだろう。
それはここで戦い続けて敗北しても変わりはしない。
勝利の目がないなら、兵を温存して帰還するのが司令官の新たな役目なのだ。
「夜闇に乗じて引き上げる! 敵の攻撃をしのぎ切れ!
一兵でも多く本国に連れ帰るぞ!」
翌朝、帝国軍の前線基地はもぬけの殻となっていた。
クロスランド公爵も深追いはせず、全軍に帰還を命じた。
こうして帝国軍の侵攻は食い止められ、ヴァリアント王国は窮地を脱した。
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王宮に戻ったクロスランド公爵は、すぐさま国王に報告を上げた。
「陛下、ただいま戻りました」
満足げな国王が鷹揚に頷く。
「ご苦労、クロスランド公爵。
やはり貴公に任せておけば、不安はないな」
「それは買いかぶりです。
娘の魔法薬による支援と、宰相の巧妙な兵站管理。
これがなければ敗北は必至だったでしょう」
「……それほどか。
では、今回は九死に一生を得たと言ったところか」
クロスランド公爵が頷いた。
「グリーンウッド侯爵にも、今回の戦勝の褒章を是非。
それと可能であれば、我が娘にも恩赦を与えて頂ければと」
国王が顎髭を撫でながら尋ねる。
「恩赦? 何のことかわからんが。
貴公の娘は父親が不在でも、魔法薬を作り続けた功労者。
それ以上でも、それ以下でもあるまい」
「……部下から報告を受けております。
陛下も娘の秘密を共有したと。
それを不問とするのですか」
国王が鬱陶しそうに手で公爵を追い払った。
「くどい。知らんものは知らん。
貴公は自宅に戻り、ゆっくりと疲れを癒せ。
聖教会が崩壊した今、国家を立て直すのに貴公の力が必要だ。
またしばらく、忙しくなる」
「はっ、かしこまりました」
謁見の間から立ち去るクロスランド公爵の背中を見ながら、国王がつぶやく。
「やれやれ、親子そろって不器用なことだ」
この場で『邪神の巫女』を追求すれば、おそらくクロスランド公爵は国王を処断するつもりだっただろう。
だがそれでは国が乱れ、再び帝国の侵攻を許しかねない。
奇跡の目撃者には緘口令を敷いてあった。
クロスランド公爵には、バンライク議長の代わりに貴族院を牽引してもらわねばならないのだから。
暗愚な国王も、時には国家を考え行動することもあるのだ。




