16.帝国の侵攻
目を覚ますと、そこは公爵邸の私室だった。
ゆっくりと体を起こす――まだ、力が入り切らないか。
邪神様の封印がほとんど解けてる状態でも、あの奇跡は負担が大きかったらしい。
ハンドベルを鳴らし、エイミーを呼ぶ。
部屋に飛び込むように入ってきたエイミーが、涙目で告げる。
「お嬢様……よかった。
あれから一週間もお眠りだったんですよ?」
「そんなに? それで、クラリスは?」
エイミーはゆっくりと首を横に振った。
「現在、我がヴァリアント王国はそれどころではございません。
ショーン殿下は捜索を行っているようですが、北部から帝国が攻め込んできております。
王国の北半分では人の出入りが多く、人を探せる状態ではありません」
「そんな……じゃあ、クリスティンやジェームズ殿下は?」
「お二人は無事です。
現在、王宮で暮らしております」
私はようやく小さく息をついた。
「そう……それならまだ良かった。
――お父様は?」
「旦那様は最前線で指揮を執っておられます。
詳しい話は、私には何とも……」
北の帝国か。友好国だったはずなんだけどな。
なんで攻めてきたんだろう?
――わからないことは、神様にでも聞いてみるか!
「エイミー、着替えます。手伝って頂戴」
私はネグリジェから部屋着に着替え、礼拝堂へと向かった。
****
礼拝堂で一心に祈りを捧げる。
――邪神様、いったい何が起こってるんですか。
『帝国があなたの魔法薬に目を付けたのよ。
”違法な魔法薬を我が国に流通させた”と因縁をつけてね。
”違法でないなら製法を開示せよ”と要求してもいるわ。
あなたのお父さんとしては、飲めない要求よね』
そんな無茶苦茶な。
そこまでして、あの魔法薬の製法を知りたい訳?
でもあれは邪神様の奇跡を込めた魔法薬。
私以外には作れないしなぁ。
――クラリスはどうなってますか?
『帝国軍に回収されたわ。
今は帝国領で、洗脳を強化されてるわね。
もう以前通りのクラリスだと思わない方が良いわ。
あれじゃ、ほとんど殺戮兵器よ』
――何がどうなったら、あのクラリスがそんなことになるんですか?!
『聖神の奇跡を寿命を削りながら使ってるのよ。
並の騎士じゃ、もう歯が立たないわ。
最前線にクロスランド公爵が居るのは、クラリスに対抗するためよ。
今の彼女と張り合えるのは、公爵だけだもの』
――それじゃ、お父様がクラリスを殺すことになりませんか?!
『このままなら、どちらかが命を落とすわね。
力は互角、命を顧みない分、クラリスが有利かしら?』
――そんなのんきなことを言わないでください! ここから奇跡で癒せないんですか?!
『身柄を確保する前に癒しても、再洗脳されるだけよ。
公爵と戦ってる最中なら、クラリスが殺されるだけ。
あなたはまず、クラリスを取り戻すことから始めなさい』
そんな無茶な……お父様と渡り合うほど強いクラリスを、どうやって取り戻せってのよ……。
十一歳の子供が戦場に行くのも無理がある。
私が戦場に行くのを、周りは許してくれないはずだ。
――何か、何か手はないんですか?!
『今はどうしようもないわね。
あなたたちが戦場に赴ける年齢になるまで耐えなさい。
それまでクラリスが生き残ることを願いながら』
――そんなの、待てません!
邪神様のため息が聞こえた。
『あなたなら、きっとそう言うと思ったわ。
命がけの賭けになるけど、乗る気はある?
勝率はかなり低いわよ?』
私は迷わずに返答する。
――それでクラリスが助かるならば!
『そう。それなら仲間を集めなさい。
あなた一人では万が一にも成功の目はないわ。
クリスティンと二人がかりなら、勝ち目がなくもない』
私はしっかりと頷き、邪神様からの言葉を聞きとった。
****
「――という訳なの! お母様、王宮に行かせてください!」
お母様は困惑した顔で眉をひそめた。
「そんな危険な真似、許せるわけがないでしょう?」
「でも! クラリスとお父様の命がかかってるんですよ?!
帝国軍だけでも苦しいのに、クラリスが前線で暴れていたら味方の被害も多くなります!
この手しか、王国が助かる道はないと思うんです!」
お母様も眉根を寄せて思案をしていた。
仮にも公爵夫人のお母様なら、今の戦況が意味することも理解して下さるはず。
「……いいでしょう。ですが、陛下の説得はあなたたちがやりなさい。
私はあくまでも反対ですからね」
「はい! ありがとうございます、お母様!」
私とお母様を乗せた馬車は、夕方が迫る中を王宮を目指し駆け抜けていった。
****
王宮についた私は、すぐにショーン殿下とジェームズ殿下、そしてクリスティンを集めてもらった。
応接間で待つ私たちに、ショーン殿下たちが姿を見せて告げる。
「こんな時間に、いったいどうしたんだい?」
「クラリスを救う手段が見つかったんです!
でも、それにはみんなの協力が必要なの!」
困惑するショーン殿下たちに、私は邪神様から教えられたプランを伝えていった。
ショーン殿下が腕を組み、顎に手を当てて考え込んでいた。
「……私たちだけでは無謀すぎる。
最低でも近衛騎士団の助けが必要だ。
だけどそんな作戦、父上が許してくださるとは思えない」
ジェームズ殿下は腰に手を当て、天井を見上げながら思案していた。
「いや、このままクロスランド公爵が落ちるのも怖いと思う。
そのことを強く押せば、近衛騎士団を繰り出すくらいはできるんじゃないかな」
私は頷いて告げる。
「でも、近衛騎士団でも長くは持たせられない。
できれば何か一つ、切り札があればいいんだけど」
クリスティンが指を鳴らして声を上げる。
「姉様を正気に戻すのでしょう?
それなら、仲間を全員呼ぼうよ!
私たちの絆の強さ、今こそ見せる時よ!」
ショーン殿下が呆れたように応える。
「相手は正気を失ったクラリスで、騎士たちを平気で切り殺す状態なんだよ?
私たちを前にしても、気にせず切りかかってくるだけだと思うけど」
ジェームズ殿下がクリスティンの肩を叩いた。
「私はクリスティンに賛成だ。
一瞬でもいいんだ。
ためらう時間がわずかでもあれば、付け込む隙が生まれる」
私は声を荒げて告げる。
「無謀よ! みすみすみんなを死なせるわけにはいかないわ!」
ジェームズ殿下が呆れた顔で応える。
「君がそれを言うのかい?
ミレーヌとクリスティンだけに危険を背負わせるつもりはないよ。
命を賭けるなら、みんな一緒だ。
君らが襲われたら私たちが守る」
ショーン殿下がため息をついた。
「そうだな……近衛騎士団はクラリスを抑えるのに精一杯と考えるのが妥当だろう。
なんせ、あのクロスランド公爵と互角なんだから。
私たちを守る余裕は、無いと見て良い。
それなら私たちは、自分たちの身を自分たちで守ろうか」
「みんな……」
私は思わず涙ぐみながらショーン殿下たちを見た。
三人はにこやかに微笑みながら頷く。
ショーン殿下が手を打ち鳴らす。
「そうと決まれば、ロディたちをすぐに呼び出そう。
私とジェームズは父上を説得してくる。
ミレーヌはここでロディたちを待っていてほしい」
そう言い残し、ショーン殿下とジェームズ殿下は応接間を後にした。
お母様が小さく息をつく。
「子供って本当に無謀よね。
少しは親の心配も考えて欲しいものだわ」
「お母様も、子供の心配を考えて欲しいものだわ。
お父様が居なくなるのも、クラリスが居なくなるのも私は嫌なの。
二人を救うには、もうこれしかないんですもの」
私はクリスティンと作戦の打ち合わせを小声で開始する。
今回は私たち二人の連携が要だ。
そして私たちの絆で、クラリスを必ず取り戻す!




