15.悪夢再び
襲撃事件から随分と時間が経った。
ジェームズ殿下が十歳になる誕生日に、クリスティンとの婚約を発表した。
聖水需要がなくなり、治癒の奇跡も巧く使えないクリスティンは、王宮へ移住することが決まった。
クラリスは聖教会に残り、聖女の修行を続けているらしい。
お父様の話では『もう聖教会に挽回の目はない』とのことなので、私とショーン殿下の婚約も近々解消されるだろう。
そうすればクラリスも王宮へ移住し、救い出すことができる。
一方の私は魔法薬需要が続き、毎日忙しい日々を送っていた。
毎日公爵令嬢としての教育を受けつつ、一日三時間を魔法薬作りに費やしている。
ショーン殿下と会う時間はなんとか確保しているけれど、目が回りそうだった。
久しぶりに会ったショーン殿下が、私の顔を見て告げる。
「なんだか顔色が悪い。無理をし過ぎじゃないか?」
「大丈夫ですわ。かつてのクラリスたちよりも、ずっと人道的な生活をしておりますし」
そう言って微笑んだけれど、ショーン殿下の顔色は冴えない。
「君が無理をする必要は、もうないんじゃないかな」
「私は何も無理なんてしておりませんわよ?」
「議長派閥は貴族院で信用を失い、今や影響力は一割程度だと聞く。
聖教会の影響力も、聖女の力が信用を失い信徒は減る一方だ。
ここで君が体を壊したら、全てが台無しになるんじゃないかい?」
そうは言うけど、助けを求める声があるなら応じたい。
これは『クラリス』の記憶がそう思わせてるのかなぁ。
『ミレーヌ』はそんな女の子じゃない気がするんだけど。
今は一日百本の魔法薬を作れてる。
半数を希釈魔法薬として流通させ、残りを国内外の貴族たちに流通させている。
ほとんどの病を治す万能薬として、お父様の求心力の源になってるらしい。
今ここで手を抜くと、せっかく追い詰めた聖教会が力を復活しかねない。
クラリスたちを聖教会から奪還するまで、手を緩める訳にはいかない。
ショーン殿下が私の手に手を重ねて告げる。
「もう少し、私たちを信用してくれてもいいんじゃないかな。
ここまで来たら、必ずクラリスも救い出してみせる。
聖教会の権威もほとんど形骸化させるのに成功してるんだ」
私はニコリと微笑んで応える。
「だとしたら、なおのことですわ。
あと一歩なのでしたら、気を抜くことなく最後まで走り切りましょう。
それに私、殿下たちのことも頼りにしてましてよ?」
「……だと、いいんだがな。
そうそう、ロディが君と会いたがっていたよ。
今度のジェームズ婚約披露会、来てくれるんだろう?」
私は頷いて応える。
「ええ、もちろんですわ。
私たちの社交界デビューになりますわね。
少し早いですが、きちんと着飾っていきますとも」
本来なら社交界入りは十三歳頃が通例だ。
十一歳となると、やや早いどころではない。
だけど第二王子の婚約披露会なら、友人として参加しない訳にもいかない。
何より私は、未だに第一王子の婚約者なのだし。
私の言葉に、ショーン殿下が苦笑を浮かべた。
「今回が最初で最後のエスコートになると思う。
せめて君に恥をかかせないよう、精一杯頑張るよ」
私はにっこりと微笑みを返した。
****
婚約披露会の当日、私は青いドレスを着込み、お母様と一緒に王宮へ向かった。
「お母様、私はちょっとクリスティンの控室に行ってくるわ」
「ええ、行ってらっしゃいミレーヌ」
お母様に見送られ、控室への廊下を歩いて行く。
控室に入ると、クリスティンに微笑んで告げる。
「おめでとうクリスティン。これであなたも第二王子妃候補ね」
「あら、どうせなら王妃候補が良かったわ」
微笑んで応えたクリスティンも、まんざらでもなさそうだ。
純白のドレスを着込んだクリスティンは、双子だけあって前世の『クラリス』を彷彿させる。
どこか懐かしい気持ちと、何故か不安な気持ちがないまぜになる。
――きっと、嫌な思い出が蘇るからだろう。
「ショーン殿下は来ないのかしら」
「殿下は先に会場で貴族たちに挨拶をしてくると言ってたわよ?」
婚約するジェームズ殿下の兄として、貴族たちとの関係を深めておきたいのかな。
クラリスと一緒に真面目な顔で『弟をよろしく』とか言ってそうだ。
他愛ない言葉を交わしながら、ジェームズ殿下を待つ。
「――遅いわね。そろそろ出番だと思うんだけど」
ふと嫌な予感が走り、部屋を見回す――従者が誰もいない。
この既視感はまさか――。
「クリスティン! 私はちょっとジェームズ殿下のところに行ってくるわね!
あなたは絶対にここから動かないで!」
戸惑う表情のクリスティンをその場に残し、私は駆け出していた。
****
王族の控室に向かって駆けていく――ドアの前に衛兵が居ない。
どうか杞憂であって欲しいと願いながら、乱暴にドアを開けた。
ドアの中では、白いドレスに身を包んだクリスティンと、何が起こったか理解していないジェームズ王子が抱き合っていた。
その足元に、大量の血液がこぼれ落ちていく。
「――クラリス!」
私の声に、クリスティン――に変装したクラリスが振り返る。
その目はどろりと濁っていて、とても正気には思えなかった。
クラリスは驚くほど俊敏に私の横を駆け抜けていく。
追おうか迷ったが、どう見ても優先度はジェームズ殿下だ。
人の目がないのを確認し、私はすぐさま邪神様への祈りを捧げる。
――邪神様、どうかジェームズ殿下の命をお救いください!
体から大きな力が抜けていき、それがジェームズ殿下に注がれていった。
力の奔流が終わって目を開けると、気絶するジェームズ殿下が倒れ込んでいる。
その胸は鋭利な刃物により切り裂かれているけれど、服が破れているだけで体に傷はなさそうだった。
私は脱力してその場にへたり込み、大きく息を吐く。
――良かった、助けられた。
おそらく、命を失う手前だったから間に合ったんだ。
急激な眩暈を感じた私は、なんとか踏ん張ろうとしたけれど――耐え切れずに倒れ込んだ。
「クラリス……待って……」
彼女を追わないと……。
なぜこんなことになったのか。
なぜクラリスばかりがこんな目に遭うのか。
今度こそ、クラリスもショーン殿下も救えたと思った――のに――。
私の意識は、そこで途絶えた。
****
ミレーヌが戻ってこないのを心配したクリスティンが、ジェームズ王子の控室を訪れた。
そこには倒れ込むミレーヌと、呆然とするジェームズ王子の姿。
「何があったの? ねぇジェームズ」
一瞬、ジェームズ王子はクリスティンを怖がる素振りを見せた――だがすぐに「ああ、本物か」と息を吐いた。
「本物? 本物ってどういうこと?」
「……私にも意味がわからない。
だがクリスティンがやってきて、人払いをした後、私の胸を刺したんだ。
今も何故生きているのか、それすらも理解できていない」
クリスティンがすぐに気が付いて周囲を見回した。
「姉様はどこに?!」
「私は知らないぞ。兄上と一緒じゃないのか?」
クリスティンは「ミレーヌをそこで守っていて!」と叫び、会場へ向かって駆け出した。
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ジェームズ王子の控室にショーン王子を連れて引き返してきたクリスティンが、改めて事情を説明していた。
「――という訳なの。
私そっくりというなら、犯人はクラリス姉様しかありえないわ」
ショーン王子が困惑して眉根を寄せた。
「まさか、ありえない。
クラリスは人を傷つけることを何よりも嫌う人だ」
「私もそう思う。
ミレーヌなら何かを見たと思うんだけど、起きる様子がないのよね」
少し考えたショーン王子が告げる。
「すぐにクラリスを捜索しよう。
それと、クロスランド公爵に今回のことを報告してくる。
二人はここを動かないでくれ」
頷くジェームズ王子とクリスティンを残し、ショーン王子が駆け出した。
――間違いであってくれ!
悲痛な願いが、廊下に残響音として響き渡った。
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ショーン王子から事情を聴いたクロスランド公爵が難しい顔で告げる。
「何者かに洗脳された、と見るのが可能性が高い。
だがクラリスほど気弱で優しい少女が、人を死傷させるほどとなると……」
クロスランド公爵には一つだけ心当たりがあった。
隣接するアズレッド帝国には、強烈な洗脳魔法薬があるという。
死兵を作り出すことすら可能という、そんな魔法薬ならあるいは――。
クロスランド公爵の部屋に、部下の一人が息を切らせて駆け込んできた。
「閣下! 緊急事態です!
アズレッド帝国が不可侵条約の破棄と宣戦布告をしてきました!
現在国境では守備軍が応戦中ですが、旗色は悪いとのことです!」
――ならば、やはり帝国の工作員が入りこんでいたか。
「すぐに王国軍を編成しろ!
指揮はリッカーズ伯爵に任せろ!
周辺領地へも援軍要請を飛ばせ!
――それと、議長の動向はどうなっている!」
「はっ! 議長は依然、自宅から外に出た様子はありません!」
――嫌な予感がする。
「議長宅へ押し入れ! 強制捜査だ! 容疑は反逆罪で構わん!」
「はっ!」
部下が部屋の外へ駆け出すと同時に、入れ替わりに別の部下が駆け込んでくる。
「閣下! 聖教会が襲撃を受けました! メッシング大司教が暗殺され、犯人集団は逃亡中!
現在、聖教会の私兵が追跡中とのことです!」
さすがのクロスランド公爵も、事態を飲み込むのに時間がかかった。
だがおそらく、犯人は議長と目星をつけた。
汚職の生き証人である大司教の口を封じ、自身は帝国に亡命する――おそらくはそんなところだろう。
帝国の目的はわからないが、今は防衛線を確保するのが先決だ。
「聖教会の捜査は後回しでいい!
今は総力を挙げて帝国を迎え撃つ!」
部屋から出ていくクロスランド公爵の背中を、ショーン王子は茫然と見送った。
あそこまで余裕がない公爵を見るのは初めてだった。
それはつまり、王国存亡の危機ということだ。
――クラリス、どうか無事でいてくれ。
ショーン王子は聖神に対し一心に願った。




