ぽっちゃり令嬢は婚約破棄を望む
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「カレンはもう少し食事に気を遣うべきだ…」
婚約者のオリバーが呆れ気味に放った言葉に、カレンは心の中で思いっきり舌を出した。
普通に一人前を食べただけなのに、どうしてそんな嫌味を言われなければいけないのだろう?
「姉上はいつも小鳥がついばむ量しか食べないぞ」
ここ最近、この国の若者達は『女性は妖精のように華奢である方が美しい』みたいなブームに毒されている。
そのせいで食事制限し過ぎて倒れる娘が続出。
先日は、コルセットを締めすぎてアバラ骨を折ってしまうという事件まで起こった。
健康第一のカレンには理解出来ない話である。
流行に敏感なオリバーは、すぐに影響されて「痩せろ!痩せろ!」と会う度に言ってくる。
本当にいい迷惑だ。
ガリガリになるまで痩せるのが美しいとか本気で言っているのだろうか?
最初に言い出したヤツに説教をしてやりたい。
カレンはまだ16歳だが、他の娘のように毒されたりはしないのだ。
だって健康でいる事が一番幸せな事だもの。
少しだけぽっちゃりしているカレンが、堂々とそう思えるのには理由があった。
実は、カレンには前世の記憶があるのだ。
あまり鮮明には覚えていないが、こことは別の日本という不思議な国で生きた記憶だ。
カレンの前世は、とても体が弱くて病気がちだった。
遊ぶ事も学ぶ事も食べる事も生きる事も、何も思い通りになんて出来なかった。
だからカレンは思うのだ。
今世では絶対に、やりたい事をやって好きな物を食べて長生きして幸せになりたいと。
「騎士団でお手伝いをしてきなさい」
両親は、これは名案だと嬉しそうにカレンに言った。
騎士団にはオリバーがいるのだ。
回復魔法を使えるカレンは、役に立つはずだと考えたのだろう。
オリバーとは昔から折り合いが悪かった。
顔を合わせる度に、オリバーの優秀な姉上と比べられて馬鹿にされるのだ。
子供の頃は、意地悪をされる事はあったけど、見下されたり嘲けられる事はなかった。
婚約の話が出てからおかしくなった気がする。
オリバーは他の女性に対してはとても紳士的だ。
「優しくて優秀な方が婚約者で羨ましいわ」
なんて事を言われたりもする。
冗談じゃない。
辞退できるなら辞退したいが、オリバーの家の方が格上なので、カレンから嫌だと言う事は許されないのだ。
「婚約破棄でもしてくれないかしら?」
カレンはそっと心の中で呟いた。
騎士団の施設には回復魔法使いの娘達が溢れていた。
両親と同じような事を考える人は多いらしい。
「私は、何の役にも立てそうにないわ」
カレンの使える回復魔法は弱かった。
病気や怪我は治せない。
少しだけ疲労回復が出来る程度だ。
時間もかかるし、直接触れなければ効果はない。
こんな能力に需要なんてあるだろうか?
「何をしている?」
オリバーの迷惑そうな声が背後から聞こえた。
そんなに嫌なら声をかけなければいいのに。
カレンは心の中でため息をつく。
「騎士団のお手伝いが出来ればと思いまして」
下を向いて答えるカレンに、オリバーは嘲笑するように鼻を鳴らした。
「手伝いだと?お前がか?」
「はい、少しですが回復魔法を使えますので」
「そういえば、疲労回復が出来るとか言ってたな」
「はい…」
「じゃあ、やってみろ」
「はい?」
「だから、俺にかけてみろと言ってるんだよ」
オリバーはいつもこうだ。
自分から絡んでくるくせに最終的には文句を言う。
どうせ今回も酷い事を言われるのだろう。
魔力量の多い人は手をかざすだけで一瞬で治すらしい。
カレンにはとてもそんな事は出来ない。
ほんの少ししか魔力がないのだ。
まず、寝台にうつ伏せになって全身の力を抜いてもらう。
カレンは気を集中させて手に魔力を集めた。
あまり遅いと怒られるだろうから、なるべく早く、でも丁寧に効果が出るように。
そっと背中に触れて魔力を流し始める。
肩や首は疲れが溜まりやすいから念入りに。
なかなか良いペースで回復が出来ているかもしれない。
どうかこのまま、嫌な事を言われませんように…。
カレンの願いはあっさりと潰された。
ガバッと起き上がったオリバーは低い声で言ったのだ。
「この程度の回復魔法が役に立つと思ったのか?」
カレンは黙って下を向いた。
「時間もかかり過ぎだし、触らなければ回復が出来ないなんて無能すぎる!恥を知れ!」
怒ったように冷たく言い捨てると、オリバーはどこかへ行ってしまった。
ほらやっぱり、こうなってしまった。
だから騎士団になんて来たくなかったのだ。
カレンの目には涙が溢れた。
今まで言われ続けたオリバーの言葉が胸につき刺さる。
「そんな体型で恥ずかしくないのか?」
「姉上のように素晴らしい女性になってくれ」
「無能すぎる!恥を知れ!」
カレンは、気にしないようにしているだけで、傷つかないわけではないのだ。
はしたないとは思うけれど涙が止まらない。
床に座り込んで声を上げて泣いてしまった。
「あの…大丈夫?」
見知らぬ男性の声に、カレンはビクリと体がこわばる。
貴族令嬢としてあるまじき姿を見られてしまったのだ。
慌てて顔を上げると、髭の伸びた男性がハンカチを差し出してくれていた。
前髪が長くて顔はよく見えないけれど、のんびりとした穏やかな雰囲気の男性だった。
ここは団員が自由に仮眠できる部屋だが、あまり使われてはいない。
他にもっと綺麗で広い休憩室があるからだ。
入り口に使用中の札だって掛けられていなかった。
誰もいないと思っていたのに…。
きっとこの人は最初からこの部屋にいたのだろう。
寝台にはカーテンがかかっているので気付かなかった。
オリバーとのやり取りも全て聞かれていたのだ。
カレンは、恥ずかしさと情けなさで余計に涙が止まらなくなった。
小さな子供のように泣きじゃくるカレンを見て、男性はしばらく困っていたが、やがて大きな手で優しくカレンの頭を撫で始めた。
あやすように撫でられる度に、カレンのフワフワな髪は楽しそうに揺れる。
この状況は何なのかしら…。
カレンは何だか可笑しくなった。
上を向くと男性の心配そうな顔が目に入る。
「えーと…これ使う?」
受け取ったハンカチは花の香りがした。
その男性は不思議な人だった。
髭も伸びてるし髪もボサボサで年齢不詳。
ここにいるって事は騎士団員なのだろうけど、剣を携えているだけで制服は着ていない。
「私、役立たずなの…」
愚痴なんて言うつもりはなかったが、思わず口に出してしまった。
「回復魔法が使えるんだろ?役立たずじゃないよ」
男性の穏やかな声がカレンの耳をくすぐる。
この人は欲しい言葉をくれるのだ。
「魔力が弱いから疲労回復しか出来ないのよ」
「疲労回復だって素晴らしい魔法だと思うけどな」
「本当にそう思う?」
「疲れってなかなか取れないからね」
「ふふふっ…おじさんみたいな事を言うのね」
「君から見たら僕は十分おじさんだよ」
「そうなの?」
「おじさんはね、疲れが溜まるんだよ」
「疲労回復魔法が必要なくらい?」
「そんな素敵な魔法があるなら、是非お願いしたい」
男性はゴロリと寝台に横になって楽しそうに笑った。
「とても時間がかかるのよ?」
「ゆっくりできて最高だね」
「触れないと出来ないから、触れてもいい?」
「あぁ、お願いするよ」
私は、なるべく効果が出るように慎重に魔法をかけた。
背中、肩、首、腕、腰、足…。
どうか体中の疲れが全て消えてなくなりますように。
「なるほどね」
男性は、まるで謎が解けたと言うようにつぶやいた。
「そう言えば、まだ自己紹介もしてないね」
すっかり回復魔法をかけ終わった後に言われて、カレンは吹き出してしまった。
男性の名前はソルさん、32歳。元冒険者で今は騎士団に在籍しているらしい。
「とても良かったから、またお願いしたいな」
ソルは、疲れが取れたよと嬉しそうに笑った。
それから度々、カレンは仮眠室に訪れるようになった。
ソルはいつも奥のソファーに座って、小窓から空を眺めていた。
あまり仕事はしてないみたいだ。
穏やかなソルの隣はとても居心地が良い。
両親に持たされた差し入れは、ソルと一緒に食べるようになった。
オリバーに差し入れたって文句を言われるだけだもの。
拙い回復魔法だって喜んでくれるし、カレンの話をいつも楽しそうに聞いてくれる。
『このままずっと、ソルさんと過ごせたらいいのに』
カレンは密かにそんな事を考えた。
ソルもカレンに色々な話をするようになった。
遠い町の話。魔物討伐の話。冒険の話。婚約者の話。
実は、ソルには12も年下の婚約者がいたそうだ。
その子は、生まれた時から知っている可愛い妹のような存在だったらしい。
ソルは20歳になった時、ずっと夢だった冒険の旅に出る事に決めたそうだ。
婚約者が大人になったら戻ってくると約束をして。
当時8歳だった彼女は嬉しそうに頷いたそうだ。
「無事に戻ってきてね?素敵なレディになるから」
しばらくは手紙のやり取りをしていたが、段々やり取りは減っていった。
ソルは色々な場所へ行き、色々な仲間と出会い、たくさんの冒険をした。
10年の年月が流れて、ソルは30歳になった。
あの子は素敵なレディになっただろうか?
もしかしたらもう、別の男を好きになってしまったかもしれないな…。
あどけないあの子の笑顔を思い出しながら、ソルは故郷に戻った。
待っていたのは一枚の手紙だった。
『どうか私を忘れて幸せになって下さい』
書いてあるのはそれだけ。
震えるような文字は、所々ぼやけていた。
あの子は2年も前に病気を患って亡くなっていたのだ。
何も知らされなかった。
あの子が、連絡しないで欲しいと言ったそうだ。
ソルの心にはポッカリと穴が空いてしまった。
あんなに楽しかった冒険を続ける気さえ起きなかった。
「あの子は16歳で亡くなったそうだよ」
ソルは悲しそうに笑ってカレンを見つめた。
「君が笑うと僕は救われるような気持ちになるんだ」
だから、カレンには笑っていて欲しい…とソルは小さな声でつぶやいた。
カレンは彼女の気持ちが分かるような気がした。
病気で弱っていった彼女は、そんな姿をソルに見られたくなかったのだろう。
カレンは自分の前世と彼女の姿が重なって、胸が締め付けられるように痛んだ。
「ソルさん、薔薇を見に行きませんか?」
騎士団の訓練所の裏庭に、珍しい品種の薔薇が咲いているという話を聞いたのだ。
ソルは時折り悲しそうな顔をするけれど、カレンといると楽しそうに笑う事も増えてきた。
カレンはそれがとても嬉しかった。
綺麗な薔薇を見たら、心が軽くなるかもしれないわ。
裏庭に向かって2人でのんびり歩いていると、団員達の話し声が聞こえてきた。
「モルミナ姫って本当に妖精のように美しいんだよ」
「お前、会った事あるのか?」
「ちょっと見かけただけだが、それは美しかったぞ」
「妖精姫とか最高だな」
「お前は婚約者がいるだろ?」
「そうだな」
「婚約者いるのか?どんな娘なんだ?」
「最近はあまり会っていない」
「俺は定期的にお茶してるぞ」
「結婚するなら妖精姫みたいな娘がいいなぁ」
「妖精姫レベルの女がその辺にいるわけないだろ?」
「現実を見ろよ」
「俺は妖精姫と結婚できるなら何だってするぞ!」
「俺もだ」
「お前は婚約者がいるだろ?」
「別に婚約破棄をしたって構わない」
「酷いヤツだな〜」
「俺だって妖精姫と結婚出来るなら婚約破棄する!」
「お前は婚約者いないだろ!」
団員達は楽しそうにお喋りを続けていた。
「別に婚約破棄をしたって構わない」
それは、オリバーの言葉だった。
「薔薇を見るのは、また今度にしよう」
ソルはカレンの肩をそっと抱き寄せて、くるりと向きを変えると仮眠室へ戻った。
カレンの目からポロポロと涙が溢れ落ちる。
「私だって婚約破棄できるならしたいわ!」
ソルは何も言わずに優しく頭を撫でてくれた。
「私だってオリバーなんて大嫌い!ソルさんの方が何百倍も何千倍も好きだもの!」
ソルは優しい眼差しでカレンを覗き込んだ。
「じゃあ、僕と結婚しようか?」
「………出来るものなら…ソルさんと結婚したいわ」
「本当に?」
「ほ、本当よ」
「なら決まりだ」
ソルはカレンの額にチュッと口付けをした。
カレンの顔は瞬く間に真っ赤になって、涙なんてどこかに飛んでいってしまった。
それから数日後、本当にソルとの結婚が決まったのだ。
「ソルさんって、本当に謎が多い人よね」
「謎が多い男の方が魅力的だろ?」
ソルはカレンを抱き寄せると優しく頬にキスをした。
「お髭がくすぐったいわ」
カレンは恥ずかしそうにクスクス笑う。
髭を剃って髪を切ったソルは、誰もが見惚れてしまうほどに美しいのだが、カレンはまだ知らない。
「こんにちは、オリバー君」
騎士団長の制服を着たソルがオリバーに声をかけた。
オリバーは慌てて敬礼をする。
初めて会った騎士団長が、自分に声をかけてくる理由が全く分からない。
「君に、とても良い話を持ってきたんだよ」
ソルは優しく穏やかに微笑みながら言った。
「モルミナ姫との縁談の話だよ」
「……え?」
「君は、モルミナ姫と結婚したいんだよね?」
「え、いや、あの、自分には婚約者がいまして…」
「別に婚約破棄したって構わないんだろ?」
「いえ、そんな事は……ないです」
「裏庭で話しているのを聞いたけど?」
「あれは!…冗談っていうか、本気ではなくて…」
「そうなの?でも、もう決まってしまったよ」
「………え…?」
「モルミナ姫はね、妖精のように美しいんだけど、少し困った性癖があるんだよ。男性を痛めつけるのが大好きなんだ。だから結婚相手が見つからなくて、陛下は何年も悩んでおられた」
「………え…?」
「婚約破棄をしてまで結ばれたいと願う君の気持ちを伝えたら、陛下はとてもお喜びになって、すぐに話を進めるそうだよ」
「ま、待って下さい!婚約者はどうなるんですか?」
「カレンの事?」
「ど、どうして…名前…知ってるんですか?」
「僕とカレンはとっても仲良しなんだよ」
「……な、何を言って…」
「君が否定した疲労回復魔法だって、何度もかけてもらった事があるんだ」
「か、回復魔法を…かけてもらった…?」
「あれは素晴らしいよね。でも、自分の魅力に無自覚のカレンには困ってしまうよ。優しく全身に触れられるたびに理性を保つのが大変だった」
「カ、カレンは俺の婚約者…なのに…」
「僕も男だから君の気持ちは分かるよ?可愛い娘を虐めたくなる気持ちも理解できる。でもね、本気で泣かせてしまうのはルール違反だ」
「カ、カレンは……」
「カレンの事は心配しないで。僕が大切に一生愛して守っていくから」
「そ、そんな………」
真っ青な顔で項垂れるオリバーを残して、ソルは颯爽と立ち去っていった。
後日、ソルとカレンの結婚式が執り行われた。
それは国王陛下も参列した盛大な式だったそうだ。
あまりにも幸せそうなカレンの姿に刺激を受けた若者達は『やはり女性は少しぽっちゃりしている方が可愛いのではないか?』ブームを巻き起こす事になるのだが……
それはまた別のお話。
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