舞華⭐︎001
「ねえ、異世界ってあるじゃん」
「異世界ではすごく良い世界もあって、その世界の人と入れ替われる方法があるらしいよ」
「でも、その世界の自分と会うと良くないことが起きるんだって」
そんな噂を耳にした。でも、そんなこと、できるわけない。
「ねえ、舞華ちゃん」
「ん? あ、ハマちゃん。どうしたの?」
話しかけてきた子はハマちゃん。本当は浜茄子って名前だけどね。大きめの眼鏡をかけているんだけど、それも似合っていて可愛い。親友なんだ。
「すごい良い世界に行ける話ね、聞いたんだけど」
「あ、私も聞いたよ。その話」
「うん! それでね、その世界に行くチャレンジしてみようと思うの」
「そっか。でも、大丈夫?」
「大丈夫だと思うよ。明後日くらいにチャレンジしようと思って」
「おお……。うーん、心配だけど、ハマちゃんが言うなら」
「大丈夫だよ。それに、試すだけだから」
「それなら良いのかな……?」
「あっ、もう家着いちゃった。舞華ちゃん、またね」
「うん、ハマちゃん、またね」
ハマちゃんが話していた良い世界に行ける話。試すと言っていたけれど、やっぱり心配だ。私が先に試してみて、危険だったら伝えよう。怖いけどね。 そう思っている内に家に着いてしまった。家に入ったら、まず課題かな。今回のは量が多いし難しいんだよね。ノートとテキストを開いて、問題を解く。しかし、実際に解けたのは数問。あとは、ノートに消し後をつけただけで、結局解けなかった。
「このままじゃダメだなあ。あの先生怖いし」
私はそんなに賢くないし、おしゃれでもないし、友達少ないし、なんか良くないな。それに、お母さんはうるさいし、学校は遠いし、今日は天気悪いし、なんか悪いな。
そうだ。私、試すだけじゃなくて、良い世界に行っちゃえば良いんだ。そこならきっと、先生は優しくて、お母さんはうるさくなくて、学校は近くて、友達もいっぱいできて……幸せな毎日が過ごせる!
これは良い考えだと、その日はわくわくしながら過ごした。
次の日。目覚まし時計のするどい音で目が覚める。でも、まだ時間はあるし、もう少し寝てしまえ。意識が遠のいた次の瞬間。
「舞華ーッ、いい加減起きなさいっ遅刻するわよ」
「うわ、え、もうこんな時間! やばっ」
ドタドタと部屋から出て、朝ごはんを麦茶でお腹に流し込む。そのまま洗面所に行って、顔洗って、着替えて、髪くくって。よし、完成。
「行ってきまーす」
「お弁当忘れないのよ〜」
家を出たところで、ピタリと止まった。そうだ。良い世界に行く方法、試してみないと。昨日の雨でできた水たまりの前に立ち、いろいろやってから、水に手を入れた。すると、水たまりに映った私の髪型が変わった。表情も。
「えっ! あれ、きゃーっ!」
私は水たまりに吸い込まれた。浅いはずなのに、どんどん奥まで沈んでいく。途中で、別の私とすれ違った。それと同時に、あれが良い世界の自分なんだと思った。
「きゃああ、あ、あ……あ?」
気づいた時には水たまりの前に突っ立っていた。何か違う気がするけど、風景はいつもと同じ。成功したのかな。とりあえず学校に向かう。残念ながら道は遠いままだったけど、変化はあった。クラスメイトの子が話しかけてくれたのだ。
「よー! マイカおはよう! 髪型変えたんだ!」
「おおっ!? あっうん! おはよう」
「それより聞いてよー! 昨日二組の子がーー」
この人は確か、同じクラスで、竹って名前だった気がする。話しかけずらかったけど、少し憧れてたから嬉しい。いろんな人の話をしてくれて、それを聞きながら、教室に向かうのは、わくわくした。でも、席に着くと、ハマちゃんのことを思い出した。ハマちゃんの席は空っぽで、あまり使われていないようだった。
「ねえ、海原浜茄子って子がいたと思うんだけど……」
「ん? その子は、なんか怪我で入院中らしいよ」
「ええ!? 入院?」
「いや、それだいぶ前に知ってるはずだけど。マイカ大丈夫?」
「いや、全然大丈夫だけど……」
「それにしても、その子と仲良かったっけ」
「まあ、うん」
「ふーん」
授業が始まった後も、ハマちゃんのことで、頭がいっぱいだった。入院? どういうこと? 前の世界では元気だったのに。だいぶ前ってことは、ひどい怪我だったのかな。心配で心配でたまらないよ。
そしてそれは、放課後になっても収まらず、竹さんにも、なんだか変だと指摘された。
「こうしちゃいられない。お見舞いとかに行かないと」
走り出したところで、ハッとした。
「病院、知らないんだった」
「ただいま……」
「おかえり。あれ、元気がないの?」
「ううん。なんでもない」
ショッキングなことが多くて疲れてしまった。なにかで気をまぎらわそう。何かないかな。
「そういえばマイカ、課題、明日提出のがあったはずよ。終わってるの?」
「あっ、そうだっけ」
終わってなかったらどうしよう。どうか難しくありませんように。しかし、前と同じページを開いて唖然とした。すべて終わっていたのだ。これは嬉しい。もしかして、この世界にいた私がやっていたってこと? とてもラッキー。
「終わってたー!」
「そう、今日の晩ご飯はハンバーグよ」
「やったあ!」
ハンバーグは、一口かじると口いっぱいに、肉の旨みが広がった。おまけにチーズも入っている。食べても食べても飽きない。お母さん、こんなに料理上手だったっけ。
あっという間にハンバーグを食べ終えて、とても良い気分でお風呂に向かった。
「いやー、ここ、やっぱり良い世界だ」
私は、お湯につかりながら満面の笑みを浮かべていた。しかし、水面に映る私が無表情なこと、大切な親友のことが頭から消えかかっていることには、気が付かなかった。
「マイカ〜! 早く起きなさい」
「ん? あぁ、はあーい」
朝、大きな声で目が覚めた。なんで目覚まし時計がないんだろう。そうだ。確か……。なんでだっけ。よく寝たはずなのに、なんだかぼんやりする。
「おはよう。お母さん」
「おはよう。さあ、ご飯食べてね」
ぼんやりしたままトーストを食べたが、あまり食べた気がしなかった。そのまま身じたくをして、家を出る。
ぼんやりしていた私だが、歩いて学校に向かう途中に水たまりを見て、ハッとした。
何をしていたのだろう。何を忘れかけていたのだろう。そうだ。もとの世界に戻って伝えないと。誰に? 誰だっけ。眼鏡をかけていて……名前はなんだっけ。顔はどうだっけ。どんな人だったっけ。いや、そもそも人だったっけ。家族? 友達? どうだったんだっけ。
しかし、水たまりに車輪が映った時、もうその疑問すら無くなっていた。
「学校……! 時間ない!」
走って、なんとか教室まで駆け込んだ。
「セーフ! おはよう!」
「マイカおはよー。今日遅いじゃん。寝坊?」
「そうそう、寝坊しちゃって」
「も〜。あ、そうそう、前まで流行ってたドッペルゲンガーの話あったじゃん」
「へ? ドッペルゲンガー?」
「だあっ! やっぱり真面目に聞いてない! いい? それは、これこれこういうもので……」
「ふんふん」
聞くところによると、自分のドッペルゲンガーと出会うと死んでしまうらしい。そして、ドッペルゲンガーの世界に行けるという話だった。
「……え、それで終わり?」
一通り説明したあと、竹は、最近知ったという新しい噂について話し始めた。
「それがさ、ドッペルゲンガーの世界に行く時に、絶対自分のと出会っちゃうらしいんだよ。だから、試そうとしてたのに、残念」
「そもそも試そうとしないでよ」
「ま、できないだろうけどねー。ただの噂だし」
「あ、もう時間ない」
「もう先生きちゃうかー。また話そ!」
話している間は気にしていなかったが、なんだか朝より体調が悪い。授業の内容も耳に入らなかった。保健室に行こうかな。でも、もうすぐ休憩時間だし。
「……カ。…イカ。 ……マイカ?」
「うお! あれ、竹?」
「マイカってば。居眠りしてたよ。教科書で隠れてたら良いものの」
「やばば……」
「それはそうとさ、今日の帰り、コスメ買いに行こうよ! 新色が出たんだよ! 超可愛いやつ!」
「それはいいね」
「他の友達も誘うね〜」
「マイカ、今日歩きできたの?」
放課後、私は竹たちと店に行くことになった。けれど、自転車通学なのに、なぜか歩きで来てしまったため、家に自転車を取りに帰ることとなった。
「ごめん! なんか今日ぼんやりしてて……取りに行ってくる!」
急がないと。さっきの場所でみんな待っている。スピードを出して、竹たちのところへ向かった。
「遅いよマイカ〜」
「ごめんごめん。さ、お店行こっ」
「しゅっぱ〜つ」
そこからは、目当てのものを買って、お菓子を食べたり、服を買ったりして、買い物を楽しんだ。
「これ、可愛くない!? 前来た時、見落としてたかも! 見つけられて良かった〜!」
「これ美味し〜。見た目もキラキラで最高だし」
「あ、これ私が今ハマってるやつだ!」
楽しい時間はあっという間に過ぎ、あたりも暗くなってきた。
「じゃあ、また明日ね!」
「バイバーイ」
自転車で家に帰る。家に入ると、気が抜けたのか、眠気を感じた。今日は早く寝よう。リビングにカバンを置いて、お風呂に向かった。お湯につかる。
「まあ、今日は楽しかったな……」
自然と顔に笑みが浮かぶ。明日は新しく買った服を着ようかな。わくわくしてきた。楽しみなことを考えたら、眠気も無くなってきたし、やっぱりまだ起きてようかな。
お風呂から出たあと、パジャマではなく、楽な服装に着替えた。
「ちょっとコンビニにでも行ってくるね」
「いってらっしゃい」
しかし、コンビニに向かう途中もぼんやりしていた。家で寝たほうが良かったかもしれない。でも、ちょっとくらい大丈夫だよね。近いし。
信号機が青に変わったのを確認して、横断歩道を進んだ。
「……! おい! そこのキミ!」
「え? 私?」
声をかけられて振り向いた。
「危ない! くる……」
言葉の続きは、大きなブレーキの音に遮られた。視界がまわって、唯一見えたのは、青だったはずの信号機だった。
「あれ? マイカ今日休み?」
「まだきてないってことはそうなんじゃない? それか遅刻」
「そうかー。風邪かな」
「そうかもよ。ま、時間だし席に座ろ」
先生が深刻そうな顔で告げた。
「悲しいお知らせがあります。昨日……」
その日の夜、舞華のいない風呂場の浴槽。水面には、微笑むマイカが映っていた。