未知の生物が落ちてきた
カポカポと、馬の歩みがゆっくりなものとなった。
周りはのどかな田園風景で、濃い緑が辺り一面に広がっている。
ほとんどを大聖堂の敷地内か、暗い牢獄の中でしか過ごしていないから、緑が広がる光景は、新鮮なものではあった。
相変わらず空はどんよりとして、分厚い灰色の雲が今にも落ちてきそうだけど、私がここにいる以上は、厄災の影響はこの辺では感じ取れない。
「少しは、落ち着いたか?もう聞いたとは思うが、俺の名前はレオン。レオン・ディール。ある国の傭兵団に所属している。名前は?教えてくれないか?」
レオンは、前を向いたまま話しかけてきた。
家名……
この人はわざわざ家名を名乗った。
それなりの身分の人?
いや、でも、それは分からない。何とでも言える。
確かめる手段のないその真偽よりも、私の名前……
「…………シャーロット」
教会側が勝手に用意した名前ではない。
私が生まれた時に、主神様が与えてくれた名前だ。
両親もそれを聞いたから、シャーロットと名付けてくれた。
でも教会は、高貴な者を意味するシャーロットを名乗らせてはくれなかった。
教会の用意した、エルナトと呼ばれていた。
シャーロットと、名乗れることが嬉しい。
初めて発した言葉は、やはり自分のものではない、少しだけ高い声だった。
「シャーロットか。長旅になるから、疲れて具合が悪くなったりしたら、遠慮なく教えてくれ。できるだけ負担のないようにするつもりだけど、なにぶん荒くれ者の集まりだから」
会ったばかりの拾い物の私に、気遣い溢れる、どこまでも優しい声がかけられる。
私を油断させて、懐柔するためのものなのかどうなのかは、判断ができない。
ここで殺してくれても、それは構わない。
私の生死は、もう、どうでもいいことだ。
ただ、この体で目覚めた時ほどの、人に対する恐怖は感じられなかったから、私の方からもレオンに話しかけていた。
「どこに、行くのですか?」
「アースノルト大陸だ。海を渡るから、それなりに時間はかかる」
月の大陸とも呼ばれているもう一つの大陸に行ける。
それは、願ってもないことだった。
これで確実に、この大陸は終わる。
この人達は、港が封鎖されると言っていた。
と言うことは、あの大陸は、こっちの大陸からの亡命者を受け入れるつもりはないのだ。
どこにも逃げることが叶わない星の大陸の者達は、わずかな領地や食料を巡って、戦争が、大きな争いが、この大陸内の至る所で起きるはず。
それは、この世の終わりのような光景が広がるのではないかな。
「俺が最後まで面倒を見るから、心配しなくていい」
レオンは、私の沈黙を何と思ったのか、見当違いなことを言っている。
「そこまで貴方の重荷に、なるつもりはありません」
「いや、重荷どころか、軽すぎだろ。今までちゃんと食べていたのか?俺は絶対にシャーロットを飢えさせたりはしない。覚悟していろよ」
覚悟とは?
やっぱり、見当違いな言葉に首を傾げていたけど、その言葉の意味はすぐに分かることになる。
レオンは、休憩のたびに私にアレコレ食べさせようとする。
投獄されていたあの一ヶ月で、まともな食事をもらえなかったから、私の味覚はすっかりおかしくなっていた。
それは精神的なものなのか、誰のものか分からないこの体でも、食べ物が美味しいとは思えなかったのだ。
休憩中にレオンからもらった食事を、こっそり捨てようとキョロキョロ辺りを窺っていた。
木々が目隠しとなっているここなら捨てられるんじゃないかなと、そこに足を向けた瞬間、
「ぴぎゃっ」
「ひゃっ!?」
上から突然白い物体が降ってきて、驚いて尻餅をついていた。
捨てるつもりだったお皿の中身は、転んだ拍子にその辺に撒き散らしてしまっている。
そして、投げ出された足、膝の上では、白い何かが団子みたいに丸まって、ぷるぷると震えていた。
「シャーロット!何があった!?」
レオンがすっ飛んで来て、周りを警戒するように見渡している。
「ご、め、んなさい。何か、上から降ってきて、驚いて……」
膝の上の白い物体をおそるおそる片手で持ち上げると、白ではなくて、薄い茶色の小動物だった。
「チンチラだな」
レオンはこれを一瞥しただけで、その正体が何かを教えてくれた。
「チンチラ?ですか?」
「その辺にいる、野生の生き物だ」
チンチラと呼ばれたものは、手の中から抜け出すと、私のお腹辺りにしがみつき、そこから離れない。
耳を凝らすと、キュッキュぷっぷと鳴き声らしきものが聞こえる。
レオンも引っ張ってみたけど、やっぱり器用に私にしがみ付いて離れなかった。
「しょうがない。そろそろ出発の時間だから、そいつも一緒に連れてきたらいい」
レオンは、お人好しすぎじゃないかな。
小動物まで拾っていくつもりなのか。
でも、より面倒な人を拾っていくくらいだから、小動物くらい大したことないのか。
それとも、非常食にするつもりなの?とも、思わなくもない。
しがみ付いたままのチンチラを見ると、丸みのある耳をピンと立てて、小さな鼻をヒクヒクさせて私の匂いを嗅いでいるように見えた。
野生の動物は、こんなに人慣れするものなの?
「なんだ?今度は動物か?」
レオン以外で、唯一私に話しかけてくるレインさん(残りの二人は、私がいないものと思っているようだ)が、チンチラを覗き込んでくる。
レインさんが木に寄りかかってそこにいたのは、私の悲鳴を聞いてレオンの後を追ってきたからなのか。
「レオンがオヒトヨシなのはいつもの事だ。ソイツの名前を決めないとな」
「名前を……?」
レインさんの物言いから、レオンが動物を拾うことはよくあるようだ。
名前か……
チンチラ
「チン……」「やめてください」
なんだかレインさんが不穏な名前を口にしそうで、途中で遮ってしまっていた。
そのレインさんは、ニヤニヤしながら私を見ている。
人をからかって楽しみたいのか、ほんの少しの間で、何となくだけど、この人がどういう人なのか知ることができた。
躊躇なく人を殺すくせに、随分と軽く、飄々としたところがある。
そんな性格だから、逆に簡単に人を殺めることができるのか。
こんな人がレオンの兄だと言うのだから、やはりレオンも信用するべきではない。
どうせ私も利用しているだけであって、月の大陸へ渡ることができれば、この人達ともそこでお別れだ。
港町あたりで姿を眩ませたら、追ってはこないはずだ。
「モフー」
この先のことを考えていると、唐突に後方から意味がわからない言葉が聞こえた。
それを言ったのはレオンのようだけど、
「おめでとう。そいつの名前はモフーになったようだな」
ポンっと、レインさんに肩を叩かれて、ようやく意味を理解できたところだった。




