愚かな者たち
処刑場として使用された広場から離れ、路地に入ると、肩で息をしていた。
吐くのは何とか堪えて、胸を押さえて気持ちを落ち着かせる。
喉の奥が重い。
これが現実なのだという事だけは分かったけど、自分の置かれた状況も、これから何をすればいいのかも分からない。
私がここにいてはいつまでもこの国は聖女の恩恵を受けてしまう。
国から、大陸から、離れたい。
いっそのこと、もう一度死ねば……
何の為にこの体で生きているのか分からないのだ。
そんな事を考えながら、広場から逃げるようにアテもなく歩いていると、物陰からすっと出てきた足に引っかかって、およそ綺麗とは言えない地面に、体が倒れ込む。
膝と、地面についた手に痛みが走り、あれだけ痛めつけられたのに、慣れることはないのだと改めて嘆く。
「痛いな、お嬢ちゃん。俺の足を痛めつけて、どうしてくれるんだ」
目の端に涙を滲ませていると、明らかに身なりの良くない男達に囲まれていた。
ニヤニヤと、値踏みするように私を見ている。
地面に手をついたまま、髪を掴まれ、顔を覗き込まれる。
嫌な笑いを浮かべた強面が間近に迫り、引っ張られた髪が痛くて、また、私は痛みに晒されるのかと苦悶に顔を歪めていた。
「身代金が取れなければ、どこかに売るのもいいな」
勝手に金勘定を始める始末だ。
「その前に、体の具合を確かめるのもいいな。血を見たら、興奮しちゃってさぁ。若い女が殺されて血を流す姿が、あんなにも興奮させてくれるとは思わなかったな」
地面に押し倒される。
瞬時に、これから起こる事を悟る。
どうしようもない者達。
救う価値などない、愚かな者達。
ボーッと、私を押し倒している男の背後の空を見上げていた。
灰色の空。
晴れ間は見えない。
こんな者達に、加護など、与えたくはない。
何故こんな目に遭わせるために、私をまだ存在させているのか。
どこまで、私を痛めつければ気が済むのか。
もう、これ以上の苦痛の中で生きたくはない。
身知らぬ男達に穢されることを受け入れたくはない。
例え、他人の体だったとしても。
私にできることは、
私にできることは……
あの悲惨な拷問の最中でも自死を選ばなかったんだ。
こんな男達にくれてやるものなんかない。
グッとお腹に力を入れ、私の肩を押さえつけている男の腕に、思いっきり噛みつく。
悲鳴をあげて腕を引っ込めた男を蹴り付けて、その下から逃れ、地面を転がるように走り出す。
抗ってまで生きたいわけじゃないのに、それでも体は動く。
必死に足を動かす。
追ってきている男達を一瞬振り返って見たのがいけなかった。
「ふぶっ」
正面にいた誰かに思いっきりぶつかり、そして抱き止められ、一瞬の間に外套の中に引き寄せられる。
視界が薄暗くなった途端に、
「この国は、どこまでも、腐っているな」
知らない男の声が頭上からした。
いつぶりか分からない、人の体による温かなものに、守られるように包まれる。
複数人いるこの人達がどんな人かもまだ分からないのに、妙に心地良いものだった。
「うぁ、ぐっ」
ほんのわずかな間に、くぐもった悲鳴が聞こえ、血飛沫が飛び散ったのが、隙間から見えた。
おそらく、この外套も血で汚れていると思う。
この人達は、躊躇なく人を殺すことができる人達。
「レイン、時間をかけるな」
今度は、別の男の声がした。
ドサドサと、人が倒れる音が立て続けに聞こえ、覆っていた外套が外され視界が明るくなると、そこには多くの血溜まりと、倒れて動かない男達の姿があった。
それらを前にして、呆然と立ち尽くす。
剣をしまった男と目が合うと、何故かニヤリと不敵な笑いを向けられる。
年上だけど、まだ若い。
「レオン。お嬢ちゃんが困っているぞ」
守るように私の肩に腕を回していた人は、ボーッと広場の方を見つめていたけど、名前を呼ばれたことにより、ようやく私の肩から腕を離した。
この場にいる男達は、5人。
「遅かったか……では、あの地震も関係があるのか」
「聖女を処刑などと、狂気の沙汰だ。おそらく全ての前触れだろう」
「ここが真っ先に戦場となり、滅ぼされるだろうな」
「それも、この国の愚か者達が選んだ末路だ」
この人達は、何を話しているのだろう。
「レオン、自棄になるなよ」
「ならない」
私のすぐ間近にいる、レオンと呼ばれた人がこの中で一番若い人だ。
さっきも今も、悲しげな顔で広場の方向を見ていた。
そして、また思い出したかのように私に言った。
「大丈夫か?怪我はないか?必要なら、家族の元へ送り届けるが」
“レオン”から少し離れる。
改めて顔を見上げると、黒い髪に黒い瞳の、穏やかな雰囲気をもつ青年だ。
ただ、鍛えてあるのだろうその体型は、平均よりは大きい。
殺された時の私の年齢と変わらないように見える。
そもそもこの体は一体、何歳なんだろう。
「相変わらずのお人好しだな、レオン」
「世の中の人間全てを救えないぞ。ましてや、この国の人間を救ったところで」
「星の聖女、エルナトを救えなかったように」
言外に放っておけと、男の人達は口々に言うけど、
「目の前にいる一人くらいは救える。せめて。それに、選べばいいだけだ。家族と最期を迎えるかどうかは」
この人はゆずらなかった。
そして、やはり意味は分からなかった。
男達が全員一斉に、私の首が晒されている広場を向いた。
「むごい事を……」
「何故あそこまでの事ができるのか」
彼らは一体何者で、どうしてエルナトを気にかけているのだろうか。
「俺はもう少し調査してくる。港が封鎖されるまでには戻るつもりだ。お前たちは、そのオマケの子をどうにかして、その後は先に戻って報告だ。急げよ。時間はないぞ、レオン」
「分かった。歩けるか?」
レオンが、私に手を差し出してくる。
港を、封鎖?
この人達は船に乗るの?
「喋れないのか?怖い思いをして、言葉が出ないのだな。ここは危険な場所になる。君はどうする?家族は、帰る場所はあるのか?」
未だに喋らないでいた私に、さらに丁寧に問いかけられたから、首を振って答えていた。
「なら、俺達と来るか?」
レオンがそれを言った途端に、
「おい、連れて行くのか?」
「代わりにはならないんだぞ」
止めようとする人がいれば、
「レオンの好きなようにさせてくれ」
レインと呼ばれていた、唯一剣を抜いた人がさらにそれを止めた。
何処に行くつもりなのだろう。
私をどこに連れて行く気か分からないけど、どうせなら、こことは違う大陸に連れて行ってくれればいいのに。
そうすれば、この国を中心とした大陸の大半が、禍に見舞われて混乱に陥る。
例え私が連れて行かれた先で、また酷い目に遭うとしても、この国の最後を見届けることができる。
私の沈黙を肯定と捉えたのか、レオンは、私を気遣いながら手を引いて歩いていく。
目立たないように王都を抜ければ、馬を預けていたようで、それに乗って港を目指していた。
レオンは、私を自分の後ろに乗せて、手綱を器用に操る。
私が王都から離れて行くほどに、星が動き、この国から様々な加護が離れていくのが手にとるように分かった。
“星”は大気に潜む精霊達。
その中の凶星は居座り続けて、災はこの大地に降り注ぐ。
厚い雲に覆われた国を背にして、レオン達一行はどんどん離れていく。
密かに私が願う通りに。
 




