17 鳥の国から ごほうびと罰と 1997年8月
すずがも通信105 1997年8月号 鳥の国から
ごほうびをいただきました。それも、鳥からです。生きものにかかわる仕事をしていると、ほんとうにうれしいごほうびをもらうことがあるのです。
下北岬ですわっているセイタカシギが見られたのは5月25日。翌26日には巣が7つも見つかりました。今年はカラスの群れがずっと残っているので、繁殖はとても無理だろうと思っていた矢先でした。
調査に入られる北川先生の他は、カラスの注意をひかないように、岬に近づくどころか、のぞきもせずに、無事にかえりますように、と祈っていました。下北岬の近くにはこの春できた竹内が原の湿地があります。ヒナがかえりさえすれば、ここで餌をとったり、カラスから隠れることもできるでしょう。
6月13日の朝、遠くで騒ぐセイタカシギの声を聞きつけました。ヒナです!干潟の砂入れのために作られた工事用の通路をたどって、鈴が浦の岸に出てきています。竹内ヶ原とは反対方向なのに、なんでこちらにきてしまったのでしょうか。1羽きりのヒナは親鳥に誘導されて鈴が浦を200mも泳いで横断し、UFO島に上陸しました。親たちは、丸浜川へヒナを連れてこようとしていたのです。
丸浜川に入るには、高さ2mもある垂直の導流堤を越えなくてはなりません。ヒナにはどうしようもない障壁です。親たちは翌日も導流堤のあたりで騒いでいましたが、15日にはいませんでした。このヒナは生きのびられなかったのでしょう。かわいそうなことをしました。
19日の朝。今度は2羽のヒナを連れた家族が鈴が浦の岸伝いに丸浜川をめざし、親たちが導流堤の上で騒いでいるのを見つけました。ヒナはすぐ下にいるに違いありません。今ならうまく誘拐できるかも知れない、それっ。
長いたも網を持った主人と佐藤君を、親たちが必死で攻撃しています。親の警戒声を聞くと、ヒナは外敵に見つからないようにぴったりと伏せてじっとしています。干潟の泥に伏せていたヒナは簡単につかまり、主人が両手に1羽ずつ、高くささげ持って親に見せながら、小走りに戻ってきました。餌場で放されたヒナは、10分ほどで親といっしょになり、誘拐作戦は無事に終わりました。
22日の日曜、11時すぎ。また鈴が浦の岸に親子が出てきました。ヒナ4羽、ふ化してからあまり日がたっていないごくごく小さなヒナです。またまたたも網の出動となりました。長旅に疲れきって水に浮いていたヒナもいたそうですが、幸いに4羽とも無事にとらえて丸浜川に放し、親といっしょになったのを見届けて、誘拐部隊が戻ってきました。ところがまもなく、もう1家族があらわれました。今度はふ化後1週間くらいのわりあい大きなヒナ2羽。ためらいもせずに海に出て、けんめいに泳ぎはじめました。すると、岸にいた若いカワウの群れが、何を思ったかいっせいに水面に出て、ヒナを取り囲むように泳ぎだしたのです。ヒナの足やしっぽを軽くひっぱるものもいます。2羽が離れてしまい、あぶない、と思った瞬間、若いカワウがヒナの首をくわえ、振りつけて放り出しました。ヒナは水面でちょっともがいたきり、動かなくなってしまいました。まわりのカワウはさっさと泳ぎ去り、もう1羽のヒナは泳ぎ続けて無事にUFO島にたどりつきました。
このヒナも無事につかまり、丸浜川には3組の親子が入りました。最初は親鳥が六つどもえになって大げんかをはじめ、どうなることかと思いましたが、次の日にはなわばりが定まったらしく、観察舎前にヒナ2羽の一号家族、向かって右手にヒナ4羽の二号家族、左にヒナ1羽の三号家族が落ちつきました。
親たちは放し飼いの大型カモメ、カラスやゴイサギといった捕食者ばかりか、カルガモやコチドリといったお隣さんまで追い払うのに大わらわ。岸の人間までは気がまわらないらしく、肉眼でヒナをゆっくり見ることもできて、にぎやかな毎日です。
7月8日の時点で、ヒナたちは1羽も欠けずに大きく育っています。9日には、いちばんヒナが大きかった三号家族が姿を消しましたが、飛べるようになったヒナを連れて移動したのでしょう。ヒナの生長はめざましく、2日も間をおくと見違えるように大きくなるのがわかります。あと一週間もすれば、どのヒナも飛べるようになることでしょう。
11年前、水車「せせらぎ1号」を動かしはじめたころのまっ黒な丸浜川。水車の真下の泥の中から、たった1匹の赤虫(ユスリカの幼虫)を見つけた時の感激。そう、それから11年たって、セイタカシギの親鳥たちが、何百メートルもの長旅をヒナに強いてさえ、連れてこようとする場所になるなんて。そしてヒナたちがぜんぶみるみるうちに大きくなり、まもなく飛ぼうとしているなんで、誰が予想できたでしょう。こんなごほうびをもらってしまってよいのでしょうか。
妙典の区画整理事業地内で、今年再びコアジサシのコロニーができました。工期がせまっており、調整がたいへんな中で、区画整理組合のみなさんがとても好意的に対処してくださっています。佐藤君、石川君が再三にわたって繁殖状況をチェックし、様子を見ながら工事をするということになっています。
東京湾の原油流出事故は、これといった影響を受けずにすみそうです。翌早朝に暗渠水門の出口にオイルフェンスを張ってくださった市川南消防署をはじめ、担当の千葉県自然保護課やあちこちのみなさまから大きなご配慮をいただきました。これもほんとうにありがたかったです。沿岸部に油が漂着する事態が起きず、季節が夏で海鳥が少なかったことも幸いして、日本海のような大事に至らずにすみ、ほっとしました。
7月8日の夜。2日前に保護されたオカヨシガモのヒナの体重が増えはじめ、ほっとしていました。餌のところに出ていないので、おおいをめくってみると、ヒーターと壁のすき間にはさまって動けなくなり、熱のために死んでいました。すき間を広くあけるか、ぴったりふさいでおけば起きなかった事故です。ものごとがうまく運んでごほうびをもらうのは人間なのに、私の失敗で罰を受けて死ぬのは鳥のほう。後悔しても反省しても、またいつか必ず次の失敗をするのです。
くじけず、めげず、あきらめず。生きもの相手の仕事には、それっきゃない!
ごほうびと罰ともども、ずっしりとこたえている鳥の国です。




