なんで、京都には個人店のパン屋さん多いん?
京都市は政令指定都市の中でも屈指のパン屋の多さを誇っております。
何故、パン屋さんが多いのか?それは江戸時代のとある業種の事から説明しないといけません。
江戸時代、京の都は「西陣織の街」「細工物(かんざしや根付)の街」「茶道具の街」と書き出すと枚挙に暇がないほどの「匠の多く居る街」でした。
彼等はご飯作る時間を惜しんで仕事をします。ですが人間お腹は空くわけでそこに出てきたのが「仕出し弁当」を作り配達する業種の登場です。
時代が下り、明治になると東京で「あんパン」が登場し、京都の仕出し屋さんで勤めていた料理人たちが東京へ向かいパンの作り方を学んでくると京都に戻りパン屋を始めます。
暫くの間は新しいもの好きと健康志向(当時パンを食べると病気予防になると言われた)の人以外にには受けなかったのですが、遂に職人達がパンの有用性に気付きます。
「手で食べられてすぐに仕事に戻れる!」
しかも仕出し屋さんの弁当と違い、お豆腐屋さんと同じく早朝から仕込みをしてパンを焼いて出すので朝、昼とパンを食べるって流れができます。(仕出し屋さんだと昼と夜)
そして職人相手に仕出し弁当作ってる所は次々と業種変更し江戸時代には町ごとに一軒はあった仕出し屋さんがパン屋さんへと変わり、WW2後はパン食が広がり今に至ります。
京都のパン屋さんは
①東京であんぱんを学んできた人の系譜のパン屋
②神戸で仏蘭西パンを作っていた工房で学んだ系譜のパン屋
③、①の系譜の市内のパン屋で学んだ
④、②の系譜の市内のパン屋で学んだ
⑤、ドイツ系やその他のパンの作成法を学んだパン屋
⑥ホテルのパン部門で勤めていて独立
⑦フランスやドイツなどの本国の人が京都に来てパン屋を開いた。
あたりになります。