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五話 サラーム

アンカラの街外れにあった牧場でもらった、今後の旅の相棒となるフタコブラクダ・タケの背中の上で揺られながら、私たちは今日も旅を続けていた。


アンカラを出発して、カイセリの街を通過し、アララト山を通って、タブリーズ、テヘラン・・・といった先に、次の目的地であるイラン、通称ギリシャがある。


カイセリには古代からのカイセリ城というものがいまだに残っていて、その城の部分がかすかに遠目から見えた。


それにしても、動物を手に入れておいて本当に良かったと思う。

特にタケと私は折り合いがよく、駱駝は通常30キロほどしか歩こうとしないのに、このタケはその倍の距離の中を、私を乗せて歩いてくれていた。

このタケをくれたアンカラ牧場の主人や、その息子イフサンが言っていたのだけれど、タケは百頭近くいる駱駝の中でもずば抜けて頭がよく、しかも体力も倍ほどあるらしい。

そんな子の子は、頭がいいからといって気取っているわけでもない、飼い主の私でもこんな器量のいい駱駝はいないと思うほど、いい駱駝だった。


しかも不思議なことに、私が歩いているときにタケに話しかけると、決まって返事をする。返事といっても、人間の言葉なわけもなく「ブルルルッ」という、動物独特の、馬のような鳴き声をするだけなのだが、私がそのつど発した言葉によってニュアンスのようなものを変えている気がする。

もしかすると、この子は賢すぎて、人間の言葉さえも理解できるのかもしれないと思うのだった。


他人の目から見れば意味不明なタケとの交流は、人間同士で会話するよりもずっと心が沸いてくる感じがした。人はきっと、これを「楽しい」と呼ぶのだと思う。

なぜなら、私は今まで、こんな気持ちになったことは一度もないのだから。

でもタケと一緒なら、どんなに旅が辛くなっても、やっていけそうな気がした。


「タケ、体は痛くない?辛くなったら休んでいいのよ」

「ブルルッ」


タケは、意気揚々とした目で鳴いた。

この目を見てみると、何を言いたいのか、「良い」「悪い」というのが、なんとなくだけれど判断がつく。


まだ出会って日は浅いけれど、私とタケのこのコンビは最高なんじゃないかと思いながら、私たちはトルコの国を横断し続けた。

この道中で私は、分からない何かを少しだけ掴みかけているような気がしていた。



―――そして毎晩、宿にもちゃんと泊まる。

宿に到着すると、決まって店の主人や客、その周辺の人は、まるで世界に一つしかないものを見るかのような目で私たちを見つめた。

けれど私はその視線を浴びせられるのが恥ずかしいとも思わなかったので、まずタケを店のところに留めておくと、フロントの人に交渉を始める。


最初は「駱駝が一緒だ」というとなかなか泊めてくれないけれど、旅の途中で私は、あるとっておきの手段を手に入れた。

この言葉を言えば、客数を巡って小競り合いを続けているホテルたちは絶対に泊めてくれるのだった。


『泊めてくれないのなら、あっちのホテルにします。あっちのホテルは、少し別料金を払えば駱駝も泊めてくれるそうだし、安いから』。



こうはき捨てて踵を返そうとすると、店の店主は間違いなく私を引き止めた。


「待って下さい。駱駝もお泊めしますから、どうかうちに泊まっていってください」


と、苦笑をしながら、手をゴマを擂るようにして言うのだった。

向こうも冷静に考えてみたのかもしれない。駱駝だからといって、よっぽどしつけが悪くなければ特別部屋を汚す事も無いだろうし、駱駝一匹泊めて別料金を払ってもらえるのなら、向こうにとっては利益というわけだ。

そう結論がついた瞬間が、交渉が決裂したということで帰ろうとする時だというのもあるかもしれない。


これを世間は「小賢しい手段」と罵るかもしれないけど、こういう事情なのだから仕方が無いし、向こうはもう既に泊めてくれると言っているのだからよしとしよう。


そして、タケも一緒に入れるように一回の部屋を調達してもらうと、早速私たちはその部屋に入って、タケは旅の疲れを落とすように自分の舌で一通り体の毛づくろいをしたあと、眠り始める。


私は体についた砂埃などを落とすためにお風呂に入ってから、洗濯物をホテルに頼んでから、ベッドに入る。




・・・こんな生活を、私たちは毎日毎日繰り返していた。

だからといって飽きるというわけでも、特別面倒だと思うこともなく。

毎日毎日、前日と比べると常に世界や風景は違う。だから飽きないのだと思う。

そして昨日はあんな人に出会っただとか、あんなバザールを見かけただとか、あんな光景を目にした・・・などという事を、昼、タケの背の上で思い出していた。


けれど、道中がすべて美しいわけもなかった。

ホームレス、つまり一文無しで家を失った人というわけだが、そんな人々が寂れた街角に力なく座り込んでは、そこそこお金がありそうな人が通りすがろうとするたびに、大人から子供まで物乞いをしている。

それが美しいと呼べる世界でないことは、誰の目にも明らかだった。

日本でもホームレスというのは問題になっていたが、あんな風に露骨に物乞いをする人は滅多におらず、とにかくダンボールの中で死んでいるかのように体を横たえている人ばかりらしい。



そんな世界のことも度々思い出しながら、私たちはただひたすら先へ進み続けた。






―――あれから歩き続けて、一体何日が経ったのだろうか。

時計もカレンダーも持っていない私は、時間などを知るためには自然を頼りにするしかなかった。

時間は、影がどこに傾いているかなどで大体が分かってきた。

日付に関してははもはやもう関係さえなかった。いちいち数えていたら、きりがない。


けれどこれで分かったことがある。

人々は「時計やカレンダーがないと不便だ」と言うけれど、カレンダーがなくても生きてはいけるのだし、時計は、自然に頼ろうとすればすぐに分かる。


一番の課題である、自分が人間なのか、機械なのか、どういう存在なのか・・・未だにまったく判断がつかずにいるけれど・・・。


でもそれさえも、この旅をしていれば分かるかもしれないと、少しだけ思えるようになっていた。


そういえば、天野教授は今、どうしているのだろうか。私がイスタンブールのバザールへ足を運んだ時点で、もう日本の方では私がいなくなった事に気づいていただろう。

9時ごろに、あの日も本当は私の体内検査は行われていたはずなのだから。


旅に出た理由は書いていなかったけれど、天野教授はどう解釈したのか。検査が嫌で逃げたと思っているのだろうか?それともすべて理解してくれたのだろうか。

でもきっと教授は、私のことを怒っているのだろう。こんな身勝手な事をされて、怒らない人間などよっぽど心が広い人間しかいないと思う。



そんな事を思っていた頃、少し遠くの蜃気楼の上に古びた看板が立っていたのが何となく見えた。私は、ぼんやりとしていた目をしっかりと見開いてその看板に書いてある内容を読んだ。


『イラン』


看板にはそう書かれている。やっと国境までやってきたのだ。

少し熱くてボーッとしていた頭も、すぐに覚めた。


「タケ、あそこが国境よ。あの看板を通り過ぎれば、イランだわ」

「ブルッ」


そういうと、少しだけタケの歩む速さが早まった気がした。タケも、やっとここまでやって来れたことが嬉しかったらしい。


こうしてやっと私たちは、国境の看板を通り過ぎて、イラン共和国へ入った。

これからしばらくして、恐らくタブリーズに到着して少し滞在したあと、ザンジャーンを通過し、テヘランについて、カーシャーンを通って、エスファハーンに到着したら、少し大目の休養ということで、4日ほどその場所に滞在することにしていた。

タケの体力の問題もあるし、やっぱりちゃんとした休養を取っておかないと、何かに集中したり、何となく気分が悪くなったりするらしい。

旅でそれは禁物なのだと、どこかで一泊をしたホテルで居合わせた老人の客に言われた事があった。

確かに言うとおりで、私は別としてタケが倒れたりしたら元も子もない。


ちなみに砂漠があり、駱駝などが活用されているイランなどでは駱駝用の宿舎があるらしい。

タケもたまには、牧場にいた頃の、藁の敷いてある部屋で眠りたいだろう。



それから私たちはイランの小さい街と街の間を横断していった。やがて夜になり、今日はこの少し小さめで古そうな宿に泊まった。

やはりイランというためか、ちゃんと駱駝用の宿舎も用意してある。とはいうものの、その小屋に泊めてあるのはたったタケを含めてたった三匹程度だった。

店の主人曰く、昔はもっと賑わっていたらしいのだけど、時代が進むにつれ、駱駝連れの客人もその数を減らしていったのだという。確かに最近は車なども、全世界に普及しているのだから、それに比べてかなり足の遅い駱駝などがあまり活用されなくなるのは、ごく当然のことかもしれなかった。

ちなみにこのホテルで出会った人から、ある忠告をされた。

イランでは、女性の身分が低い上に、髪や肌を隠すような服装をしていなければいけないらしい。しかも派手な色なども禁物だった。

それも早速、近くの店で買い揃え、明日からはこの格好で旅をすることになった。

これはこの国の宗教・ムスリム、つまりイスラム教という色が圧倒的に強いからだった。

イスラム教は、他の宗教を徹底的に排除するらしい。それを強調するためにも、厳しい服装の指定などがあるのかもしれない。


こうして、私たちは一晩しっかりと睡眠と休養をとって、また朝になると旅立ってゆく。

どうも外国の人々というのは、外国人に親切をするという習慣が当たり前になっているのだろうか、私が旅立つ前に、そのホテルにいたほかの客が、なんらかの食べ物を持たせたりしてくれたり、途中で寄ったバザールで買い物をすると、少しまけたり、おまけをつけてくれる人が少なからずいた。

会った事もない他人にも関わらず、気さくに話しかけてきたり、すれ違い際に挨拶をしてくれたり・・・

私だったら絶対にありえない、しなさそうな事を、異国の人々は、ごく普通、当たり前のようにしている。

そんな国にいて、気づけば私はまだこの国に留まりたいと思った。トルコでも、イランでも。


―――なぜだろう。

なぜこの人たちは私のような、ろくに表情も作らない、人間かも分からないような人間にまで同じように接してくれるのか。

私は、今日もまた、ホテルの去り際に、イランで採れるようなフルーツをくれたおじさんに尋ねてみた。


「私は見ず知らずのよそ者なのに、なぜ親切をしてくれるのですか?」

「だって、同じ人間じゃないか。同じ国の人であろうと他所から来た人であろうと、同類には変わりない。仲間じゃないか」

「では、もし私が人間の姿をしていても、人間の母親から生まれてきていなかったらどうしますか?」

「でも、生きてるじゃないか。母親が機械だろうと人間だろうと知ったこっちゃないさ。命を持って、熱い血潮が流れていて、心も持っているのだからね」


そのおじさんは、少し皺が刻まれている顔を更にくしゃっとさせて笑っていた。


同じ人間・・・仲間。

同じような形だからといって、どうしてこの人々は知らない人でも仲間と思えるのか、私はまた不思議だった。


けれどここの人たちは、私を一人の人間として受け入れてくれている。私を人間として、生かしてくれている。

この世界では、知らず知らずのうちに機械でも何でもない、人間になっているのだ。


(少しだけ、人間だと思う方に傾いても良いのかもしれない・・・)

私は不思議とそう思い始めていた。





やがて私たちは、着々と都心の方へ近づいていっていた。エスファハーンはもう目前に立っていた。

通りすがる人も増えはじめ、今まで出会わなかった、駱駝に乗った人も少し稀だが出会うことがあり始めた。


向こう側から駱駝に乗ってやってきた人たちは、同じように駱駝に跨っている私に親近感を持ったのか、にこにことしながら笑顔で私に

「サラーム!」

と、通りすがるときに言ってきた。私も、そんなに大げさに言わずに、返事を返してやった。恐らくあの人たちは、キャラバンだろう。

ちなみに、今の「サラーム」とは、ペルシャ語で「こんにちは」の意味だった。


でも、あのキャラバンたちは、愉快そうに駱駝に乗っていた。物売りとは、そんなに楽しいものなのだろうかと、つい首を傾けてしまう。



そんな風に、絶えず色々な人たちと出会いながらも、私たちはとうとうエスファハーンに到着した。もう夕方になり、夕日がこのストリート街を赤く染めていた。

それからこの石畳のメインストリート・チャハール・バーグ通りを、私はタケから降りて手綱を持ち、歩き始めた。

服は同じようでも、顔などが日本人とはまったく違う人々が、大勢行き交っている。さらに、私と同じような境遇なのか、やはりそうやって駱駝を連れている人がちらほらいた。

最初の頃に来ていたらたちまちに人々の視線を一身に集めることになっていたのだろうが、今となってはみんな事情を知っているので、そんなことにはならない。


この通りを少し曲がったところにホテルの看板が見えたので、私たちは即座に路地を曲がり、ひとまずそのホテルに置かせてもらう事にした。

タケは、ホテルの従業員に駱駝用の別室へ案内されていった。


私はフロントから部屋の鍵をもらうと、すぐにその部屋を探し当てて入り、ひとまずシャワーを浴びて、飲み物などを飲んでゆっくりする事にした。


実は今日、あまり水分補給をしていなかったから、久々の水分は本当に蘇るかのような気分さえした。

この飲み物はアーブ・ミーヴェというもので、言うなればフルーツ・ジュースの事だった。

話によると、季節ごとに色々な果実が採れるから、その時期ごとにジュースの種類も変わってくるのだという。

私が今飲んでいるのは、オレンジ色に少し白みの掛かったもの。

これがなかなかいけている味だった。異国のジュースは、こんなにおいしいものなのかと思ってしまうほどだ。



それから一息ついて少し経ったあと、私は、街へ繰り出してみることにした。たまには自分の足で歩くべきだったし、図体の大きいタケをむやみに連れていたら、迷惑にもなるだろうと思ったし、見物をする場合は、タケの手綱を持っていると大変だという事もあった。

どうせ今は、疲れを癒すためにリラックスをしている頃だろうし。


というわけで、街案内を頼りに、私は街を一人で歩き始めた。


一番大々的に出ていたのは、エマーム広場という場所だった。

古代の人の「政治と経済と信仰、このすべてが結集された、最高の広場を」という構想のもと、1598年から本格的な建造に入り、完成には何十年という月日を要したという。

今では、ユネスコの世界遺産に登録されている。



けれどその広場へ到着してみると、私はその建物に呆然とした。この建物の、模様の巧妙さといったらなかった。

庭の部分と人が歩くためのタイルの部分でしっかり整備されていて、その鮮麗された、洋風な感じが異様で、物語の世界にいるかのような錯覚に陥りそうだった。

なかでもすごいのは、天辺がドーム型をした建物で。ターコイズブルーを基調とし、唐草模様のようなものが白と金で無数に刻まれている。

周りを見ても、この建物に呆気を取られている人たちばかりだった。


できるものなら、ずっとでも見ていたくなるようなもの。

これがきっと「美しい」というものなのだろう。日本では絶対に見られない、イランの古代文明だからこそ造り上げる事のできた美しさだと思う。


どこの国の古代文明も、科学力などは今の方が進んでいるが、芸術面では古代の方が力を入れていたり、それゆえに素晴らしい技術を見出す事ができたりしていたのだろう。


内装もすごい。天井はかなり高く、不思議な形の窪みなどがたくさんあるのだが、それがまた、唐草模様と共に不思議な幻想を創り出していた。これがすべて、人間の手自ら作られたものだと思うと、驚かずにはいられない。


そしてしばらくこの広場を見て回り、その見るものすべてに美しさのあまりため息をつかせながら、私は他の場所へ移っていった。

イランの名所は、何もエマーム広場だけではない。


これからいく場所がすべてここみたいに美しいとは限らないけど、それでもなぜか、行ってみたくなったのだった。

きっと少しまえの私なら「関係がない」などといって、自分からは行こうとしなかったんじゃないかと思う。



そして次に行った場所は、チェヘル・ソトゥーン宮殿と呼ばれる場所だった。

名前の通り普通の宮殿なのではないか・・・と思いながら到着してみたら、ここも呆気に取られた。

宮殿の周りは木々が生い茂っていて、宮殿の建物の目の前にある縦長いため池にその緑と、正面に6本の柱が建っているその宮殿がため池に水面に揺らめいている。

この宮殿の柱はすべてで20本なのだが、正面にもその柱が映るので、40本に見えてしまう。


それを見ていると、自分がいた世界から違う世界へやってきたのかと思ってしまうほどだ。

ふっと、日本にもこんなオアシスのような場所があればいいのに、と考え込んでしまう。


そのためか、池の角に建てられている、私より少し背の低い像もなんだか奇妙だった。

人の形をした人が、何人か、外側に向かって円になるように立っているのだが、どうも変な顔だと思った。

横にいる人間が、獣の顔を持っているようなのだ。

よくみると、ライオンのような顔もある。どうやらライオンというのはイランを象徴する動物らしく、そのせいかと思う。


そんなチェヘル・ソトゥーン宮殿にしばらく見入っていた。見れば見るほどに、さっきのエマーム広場と違う雰囲気がある。





この後、私はほかにも、ここら辺にある名所をめぐって回った。どれも、とてもではないが人間に作れるようなものなのかと思ってしまうようなものだった。


それから歩き回って疲れきった足を休めるため、ホテルへ戻った。私が椅子にゆっくりと腰掛けた時にはもう真っ暗だった。


その時、私はタケの存在を思い出した。ついここの古代の建物にばかり関心が向いてしまっていて、タケの様子を見に行っていなかった。


そして少し人気がなくなった時間帯に、私は駱駝小屋に足を運んだ。

覗いてみると、なんら異常はなく、私の存在がある事を察知したタケは、私の方を見つめて、一声鳴いた。


「タケ、私がいない間、何も無かったわね?」


私はタケの顔を少し撫でてやりながら尋ねてみた。

どうせ何も異常がないのだから、このままタケは、気持ちよさそうな顔を続けるものだとばかり思っていた。

けれど違った。

私が聞いた途端に、タケの目つきが少し変わった気がした。もともと感情を目つきと行動で表すのだ、この駱駝は。


タケは目つきが変わったかと思うと、今度は、懸命に首を大きく動かし始めた。

どうやら最初に出会ったときのように、繋がれている部分に注目を引きたいらしい。


どれどれ、と思ってみてみた私は、はっとした。


「これは・・・」


ホテルなだけあって、駱駝を留めておく紐のところは鍵が施されているのだが、その鍵穴が、いかにも乱暴に開けようとしたような傷跡が残っている。

無論、鍵が合わないのであけられなかったようだが、私がいない間に、一体何があったというのだろう。


―――誰か外部者が入ってきて、鍵をこじ開けようとしたに違いない。

―――でも、なぜ他人がこんな事を?


・・・そうだ、この鍵をこじ開けようとした人間は、きっとタケを無理やりこの小屋から出そうとしたのだ。

出して、一体何を目的としていたのか、考えてみると私はぞっとした。


例えば、駱駝などをただの道具としか考えていない人間がいるとする。いや、広い世界だ、一人くらいいるだろう。

そんな人間がタケを連れ出そうとするわけは、簡単だ。

動物虐待、こき使う、売りさばく。

そもそも人の鍵を勝手にこじ開けようとする人だ。ろくでもない人間だということは明白だった。

そんな人間がタケを手に入れたら、そんな事を本気でする可能性は十分にある。


幸いにもタケが、誰かも分からない人間についていってしまうような軽い駱駝ではなくて良かった。

ここで、一番気難しい駱駝を貰い受けておいたのは正解だったと思えた。


あの牧場主さんから聞いた話によると、駱駝や馬は怒らせると始末が悪く、とにかく足で蹴り飛ばしたり踏んづけてみたり、もう散々な事をされるらしい。


この様子だときっとタケは、その人間に対してその怒りを発動させたのだろう。少し安心ができた。


でも、まだ気は抜けない。

きっと駄目でも、なんらかの手を打って、もう一度捕まえに来ようとするだろう。

こちらもホテル側に、なんらかの手を打ってもらわなくてはならないのだ。



私の中に、今の、そしてこれからの旅に不安が過ぎっていった日だった。





書き始め:2008、11、10

書き終わり:2008、11、12

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