四話 砂漠の舟
「飛行機に乗って、移動をしながら各国を旅する」
という当初の計画を完全に狂わせてしまう出来事が突如して数日前に起こった。
飛行機を飛ばす為のコンピュータープログラムに大きな異常が、東南アジアの国々で起こっているらしい。不幸なことに、確認をすると、私が行く場所として定めていた場所への飛行機は、すべてその異常のせいで飛べなくなっていた。
追い討ちを掛けるように、復旧は早くて半年、一年近く掛かるそうだった。
つまり、私は、他の国に移動しようとしても、飛行機では一切身動きができなくなってしまったということだった。
唯一移動ができるのは、無難なものだと、徒歩か、駱駝を用いるしかないようだった。
駱駝は、このイスタンブールのようなトルコの名だたる大都市にはないようだが、だいぶ下ったあたりに駱駝の牧場があるらしく、そこに行けば、お金さえ払えば駱駝の一頭くらいは貰えるのではないかという話だった。
とにかく私は、部屋に出していた私物をすべてトランクに詰め込んで、部屋の外に出た。
そしてフロントの方に部屋の鍵を返して、部屋を貸してくれていた礼を言って、数日泊まっていたホテルを後にした。
行く先は、アンカラという地だった。確かこの地名も、本で見たことがあるような気がする。
その本によると、アンカラというところはシルクロードでもなかなかに重要な都市だったらしい。
地図も昨日そこら辺で買ってきたし、これで道に迷う心配もなくなってきた。
どうやらアンカラという地は、このトルコの首都らしい。通りでシルクロードの重要な都市として語られるわけだ。
アンカラは昔、紀元前189年に古代のローマ帝国に占領されていたらしい。そのローマ人は、占領したアンゴラに、ローマ風のものを色々と建てたらしく、それが現代に至る今でも残っているというからすごい。
どうも人間というのは、昔のものに執着するようなところがある気がする。
それは全人間に共通する、過去へのロマンというものだという人もいるらしいけれど、実際には、それが邪魔になって問題になっていたりもするらしい。
ロマンの世界を尊重するのか、現実の発展を優先するのか、そこでどういう人間なのかまでが問われるというわけだ。
でも、どちらが正しいのか、間違っているのか、ばっさりと切ってしまう人もなかなかいないらしい。誰にも分からない。
古代が好きな人間はきっと、普段「こんな素晴らしいものを壊そうとするのは邪道だ」と言っているのだろうし、逆に人間の発展を望み、古い建物を壊そうとする人は「過去にばかり囚われているのは馬鹿らしい」と、会う人々に、自信ありげに語るのだろう。
けれど、真っ向から「これはおかしい」と、誰もが納得のいく話をする人は、本をざっと見た限りではいなかった。
そう思いながら、私はゆらゆらと歩いていった。
その道先で、通りすがった人に
「ここからアンカラまで、歩きだとどれくらい掛かるでしょうか?」
と尋ねてみたら、ものすごくぎょっとしたような顔をしばらくされたけど、落ち着きを取り戻してその人は
「あ、あぁ、そうだねぇ・・・多分だけど、宿に泊まったりして一週間ってところなんじゃないかな?」
と、苦笑いをしながら答えてくれた。
確かに、いくら私でも、一週間、食べず眠らずでただひたすら歩き続けるというのは不可能のような気がする。
まぁ、そのホテルで夕食を食べて一晩泊まって、そこで朝食を食べてまた歩き出すという形を取れば、やっていけそうだった。
実際にキャラバンは、徒歩だったり、駱駝やロバに積荷を乗せて引いているのだから、同じ人間の私に出来ないことはないはずだった。
一週間後にアンカラに到着すれば、駱駝に乗って旅を続けることができる。私はただ純粋にそう信じ、歩き続けた。
―――それから、そう信じていた日がやってきた。一週間後だった。何としたことか、なぜだか体が重くなりつつあった。足もまるで引きずっているような感覚だし、これは一体どういう事なのだろう。
けれども、足を止めるわけにもいかず、トボトボと道を歩き続けていた。
すると、やっとこの体の重さを報ってくれると言わんばかりに、「これよりアンカラ」という看板が目前に出てきた。
更にその先には、一面に赤い屋根の広がる大きな都市が見えている。
「やっと着いた・・・これでやっと、駱駝に乗る事ができる」
私はため息混じりにつぶやいて、しばらくその看板を見つめた後、看板を通り過ぎていった。
そしてまた、1時間ほど歩いていると、やっと都心部の方に入ったのか、とても賑わってきて、建物が密集している。
さて、駱駝のいる牧場のことを聞かなくてはならなかった。ちょうど通りすがった中年の女性なら、いかにもここら辺の事を熟知していそうな感じだった。
「駱駝を飼っている牧場を知りませんか?」
「牧場?・・・あぁ、あそこね。この道を右にまがって、次の十字路を左に曲がって・・・しばらく行くと、看板に案内が出てるよ。・・・でも、何か用でもあるの?」
「はい」
「なら仕方が無いけど・・・あそこの牧場の主は、気難しいから、頑張ってね」
「どうも」
私はその中年のおばさんに軽く頭を下げると、私は教えてもらった通りに歩き始めた。
でも、あの「気難しい」というのは、どんな感じだろうか。私が牧場のことを尋ねてみた途端に、少し顔をしかめていた。
赤の他人がそこまで知っているくらいなら、よっぽど扱いが大変な牧場主なのだろう。
そんな気難しい人が、突然訪ねてきて、唐突に「この牧場の駱駝を一匹欲しい」と言ってきたら、その主人は果たして、気前よくどんと一匹くれるだろうか。
私は足を動かしながらも、少しだけ考え込んでしまった。
その気難しい牧場主を説得するだけの力がある言葉を、今までの生涯で一度でも発した事があっただろうか。
天野教授も、世間からはかなり気難しい性格だと思われていたらしいけど、私からしたら、優しいような人だった。
だからいくら気難しい人と呟いてみても、まず、そんな人種を見た事がないから、どうすればいいかもはっきりと分からないのだった。
私はまたもや難しいことに直面しつつも、先ほど出会ったおばさんが言っていた通り、その牧場の案内看板を発見した。
「えっと・・・『この道を真っ直ぐ行って少し山の方に入ると、駱駝のいる牧場アリ』・・・か・・・」
私は、案内看板の文章を小さな声で読み上げてみた。
駱駝の名が出ているということは、駱駝が飼育している事でかなり有名な場所という事なのだろうか。
とにもかくも、体中重くても、やっとここまでやって来たのだ。いくら気難しい牧場主だからといって、何もせずに戻ってしまうのも何だかばかばかしい気がしたので、その看板の道順を覚えて、また歩き始めた。
しばらく街角を歩き続けていると、だんだん人々のざわめきも耳につかなくなってきて、モダンな感じのする赤い屋根の建物たちも姿を消していった。
更に歩き続けると、もはやざわめきどころか人の足音ひとつ、この路地には響かなくなって、建物だってさっきまでのような、まだ人気のするようなものはなくなってきて、既に家の主人を失い、朽ちているものまで出てきた。
ふと足元に目をやってみると、さっきまでしっかりと整備された石畳とは違って、隙間とだらけの荒れた道と化していたのだった。更に砂埃もさっきより目立ってきている。
ここら辺は、最近はあまり整備などはされていないらしい。
歩いていると向こう側から、何か馬に荷物を引かせている人がやってきた。ロバが引いている荷物は山のように積まれていて、その荷物の上に、馬の主人らしき人が手綱を持って座っている。
それから近づいた頃に私をチラッと見て、すぐに横を通り過ぎていった。
そして、また20分ほど、少しペースを速めて歩いていくと、何か建物がぽつんと建っていて、そのすぐそばに、大きな柵が長々と立てられている。
何か木製の看板が立てられていたので、駆け寄って見てみると『アンカラ牧場』と書かれていた。
間違いない、駱駝が飼育してあるという、あの気難しいらしい主人が運営しているあの牧場だ。
私は一週間ほど、この場所に来るために歩き続けたのだと思いながら牧場の建物を見ていると、何だか無性に体が軽くなってゆく感じがした。
そして、私は少し呼吸をしたあとに、牧場の中で主要と思われる建物のベルを鳴らした。
すると、数秒後に、このベルを聞きつけたのか、中から人の足音が聞こえてきて、だんだんと近づいてきた。
そのあとにドアノブのところにガチャリという音がして、ドアが開けられた。
「誰でしょうか?」
ドアを開けたと思われるこの青年は、その爽やかというべき笑顔を振りまきながら私を見つめた。街で聞いた噂とは真逆だった。黒髪と大きな目が印象に残る。
「こちらの責任者の方はいらっしゃいますか」
「あぁ、父ですね。今はちょっと出払ってるんですけど・・・失礼ですが、どなた様ですか?」
「えっと・・・知り合いでもないんですけれど、私、日本から来ていて、イスタンブールからここに来るために1週間、歩いてきたのです」
「えぇっ?イスタンブールから歩きでだって?・・・これは驚いたなぁ、そういえば飛行機が使えないっていうし、仕方も無いですね。お疲れでしょう、まずは入ってください」
その青年は、驚きながらも、快く私をその建物の中に入れてくれた。室内は外に比べて気温もちょうどよく設定されていて、少しのテーブルと椅子のセットがあった。
青年はそのテーブルのところを指差すと
「どうぞ、そこに座ってて下さい。何かご用意しますから」
というと、違う部屋の方へ入っていった。
私はそれを見届けると、ご遠慮なく・・・と言わんばかりに、すぐにそこの椅子に落ち着いた。
しばらく座っていなかったから、足を休めるという意味でもすごく楽だった。
そしてそのすぐ後に、その青年が、暖かそうな飲み物と食事を手にして戻ってきた。
そしてそれをテーブルにきちんと並べて、青年も向かい側の椅子に座った。
「良かったら食べて下さい。きっと、お腹も空いているでしょう?」
青年は、またにこっと微笑んだ。
私は食事をじっと見つめた。お腹が空いているのかどうかは分からない。けれど、食事を見たら、とにかく食べたくなった。どうやらこれが、人間が「空腹」と呼ぶものらしい。
「それじゃあ、頂きます」
私は青年に一言ことわって、並べられていたスプーンで料理をすくい、口に含んだ。この料理は一体何なのか分からないけれど、途端に口の中に、甘さにも似た味が広がってきた。
―――おいしい。とてつもなく。
そう思った私は、食べるスピードをどんどん上げていって、いつの間にか、あっという間に食事を平らげてしまっていた。
日本ではあまり食べたことのない味だったけれど、本当においしかったと思う。
「ごちそうさま」
「やっぱりお腹、空いてたんだね。いい食べっぷりだった。・・・でも、どうしてこの牧場に来るためにそんな大変なことを?」
青年から質問を受けて、私は満腹の中から、ここに来た動機を思い出した。というより、食事に夢中ですっかり忘れていた。
「実は、ここの駱駝を一頭、頂きたいんです」
「駱駝、をですか?」
「えぇ。そうでないと、旅を続けられないんです。日本に帰る事も、他の国に行くことも、飛行機がない以上はできない。これから砂漠に行くことにもなるでしょう。それを超える為に、相棒となる駱駝が、一匹、どうしても必要になるんです」
私は、とにかく、思いの丈というのか、とにかく思うことをある程度言ってみた。
青年はしばらく驚きを隠せないといった顔をしていたが、やがて落ち着いてきたようだった。
「・・・そうでしたか。あなたは日本人でしたね。そうだ、名前を聞いていなかった。名前は?」
「天野・・・早紀です」
「早紀さんか。僕の名前はイフサン。・・・駱駝が必要と言っていましたけど、僕は一頭くらいなら構わないと思ってます」
「本当ですか?」
「だけど、ここの権利を持っているのは僕の父だ。父に聞いてみないことには・・・」
そう○○が深刻そうに呟いていた時、私がこの建物へ入ってきたときと同じドアが、がチャリと開いた。
入ってきたのは、想定で50代後半くらいの男性だった。けれど私はその人に見覚えがあった。
さっき通りすがった、馬に荷物を引かせていた人だった。
向こう側にも私に見覚えがあったようで、少し驚いた顔をしていた。
「その方は・・・」
「あぁ、早紀さんって言うんだ。イスタンブールから、徒歩でわざわざ来てくれたんだよ」
「イスタンブールから歩きで?・・・そりゃあまた随分なこった・・・。で、何のご用ですかな」
このおじさんは、息子のイフサンとは対照的に、固い顔のまま、テーブルについた。
「こちらの牧場の駱駝を一頭、頂きたいのです。もちろん、タダでとは申しません」
「駱駝を、ですか。さしずめ、駱駝に乗って旅をしようって事でしょう?」
「はい。飛行機も使えませんし」
「そうか。・・・だけど、駱駝はうちにとってもかなり利用価値のある動物なんですよ。お金を出すからといって、そう簡単にお譲りするわけにゃあいきませんな」
「父さん、何でだい?」
イフサンが口を挟んだ。
「うちが大事に育ててきた駱駝だ。それを、そう簡単に、外国から来た見知らぬ人間にはいどうぞって渡せるか?」
この主人は、私の人目を考えずにどんどん言い放っていった。
―――この話の流れだと、最終的に駄目だという結論を出されて、追い出されそうだった。
でもそう思ったとき、主人が最後に補足をした。
「・・・でも、あんたがただのよそ者じゃないなら話は別だ」
「というと・・・」
「そもそも、イスタンブールからここまで歩いてくる根性は俺にもなかなかありゃあしませんからね。だから、あんたがうちの駱駝、一匹にでもあんたに懐かれたら、そいつを差し上げますよ」
「本当ですか?・・・ありがとうございます」
「まぁ、懐けばの話ですが」
この主人は、大真面目な顔をしていった。私は、少し安堵をした。見たところ、ここにはフタコブラクダがたくさんいた。その中からなら、一匹が二匹、懐いてくれるに違いなかった。
けれどそんな私と対照的に、イフサンは心配そうな顔をしていた。
そして私と牧場の主人とイフサンは、「砂漠の舟」と呼ばれている駱駝たちがいる小屋に向かった。なるほど、ざっと見ただけでも、さっき私が庭で見たものに見合うほどの数はいる。
「さぁ、一匹ずつ、対面してみてください。顔を舐めてくれりゃあそいつに決定だ」
主人は、私にそう声を掛けた。私は即座に、右側の列から、最初の駱駝に向かい合ってみた。
・・・けれど、その駱駝は私を少し見ただけで、すぐに他所を向いてしまった。この駱駝は駄目らしい。
それから私はしばらく、隅から隅への駱駝たちと向かい続けてみたけど、私に関心を示そうとする駱駝は、一匹として現れてはくれなかった。そして最後の一匹として残った駱駝も、ついに同じ結果で終わってしまったのだった。
「残念でしたね。うちの駱駝は主人に似て気難しいんだ。・・・数日の間はうちに泊まって、その後は他を当たって下さいよ」
主人は、まるでこの結果になることを分かりきっていたかのように毅然として言うと小屋から出て行ってしまった。
一方でイフサンは、呆然と立ち尽くしている私に駆け寄ってきた。
「ごめん・・・僕、最初から親父がああいうお題を出した時から心配してたんだ。うちの駱駝は、気難しい連中だから・・・本当にごめんよ」
「・・・いいの。動物の心なんて、人間の意向でどうなるものでもないし・・・仕方がないわ」
私は力なく言うと、イフサンと一緒に部屋へ戻っていった。そして彼に私が数日の間泊めてもらう部屋を教えてもらい、その部屋のベッドで体を横たえた。今はまだ昼だったけど、ものすごく眠気が出てきた。
今まで、眠気なんてよく分からなかったけれど、これが眠気というものらしかった。
そしてすぐに私は、眠ってしまった。
・・・それから私が目を覚ましたのは、真夜中だった。みんな寝静まっている。
けれど綺麗さっぱり、眠気が取れた私は、何となくまた、あの駱駝のいる小屋に向かってみた。
小屋の中をのぞいてみると、確かにみんな眠っている。・・・けれど、その中でたった一頭だけ、眠らずにいる駱駝がいた。
私はその駱駝に近づいた。
「おまえは眠くないの?」
私はじっと駱駝の目を見てみた。駱駝もまた、私をじっと見つめ返している。まつげが長くて、なんて大きな瞳だろう。昼間、私は駱駝の目をろくに見ていなかった。
その駱駝が、私を見ながら少し違う行動をし始めた。繋がれている紐を、首を動かしながら引っ張り始めたのだった。
そんな姿が、私には「出たがっている」という風に映った。
「おまえ・・・今、外に出たがってるの?」
「ブルルルッ」
駱駝は人間の言葉をしゃべる事ができないから、動物の鳴き声でしか言えない。けれどこの子は確かに、私の言葉に反応したと思った。
そのあと私は、手を伸ばして、その駱駝を繋いでいる紐を柱からはずして、私が手綱を持って誘導をしてみた。駱駝は暴れる様子もなく、私についてきている。
そして、私とこの駱駝は牧場の平原に出た。
夜風が吹いていて少し寒気も感じるけれど、駱駝の方はまるで平気そうだった。
私はふと、その駱駝の横腹を、少し手で撫でてみた。
駱駝は抵抗するつもりもないらしく、ゆっくりと座って、気持ちよさそうな顔をしていた。
だから私の方も手を止められなくなって、ずっとその横腹を撫で続けた。
やがてその駱駝は、気持ち良くなったのか、どうやら眠ってしまった。せっかく眠れたのに、また起こすのも悪い気がした私は、その駱駝にゆっくりともたれ掛かって、眠り始めてしまったのだった。
そして、何時間後かに私は目を覚ました。夜が終わり、今は早朝らしい。そして私を起こしたのは、牧場の仕事に取り掛かろうとしていた牧場の主人とイフサンだった。
「早紀さん、早紀さんってば、なんでこんなところで眠ってるんだい?」
「・・・朝・・・」
「しかも駱駝と一緒たぁ、どういう事だ?」
私と駱駝は、親子して首をかしげている二人をよそに、体を立ち上がらせた。
―――すると、この瞬間に、奇跡が起きた。
一緒に眠っていたこの駱駝が、その長い舌で私のほほをゆっくりと舐めたのだ。
私たちは驚いて駱駝の方を見た。何となく、駱駝の顔が笑っているようにも見える。イフサンは喜びの声をあげた。
「ほら父さん、見ただろ?一番賢いこの駱駝が早紀さんに懐いたんだ!」
「・・・信じられん・・・うちの駱駝が・・・今まで、どの客にも懐かなかったというのに・・・」
「あぁ、ほんとに奇跡だ!」
「分かった、その駱駝をお譲りしましょう」
主人が、唖然とした表情のまま私に告げた。この瞬間から、この駱駝は私のものになった。
このとき、私は何だか、心がとても沸き立つような感覚があった。駱駝の目を見てみると、普通の人間と同じように微笑んでいる私の顔が映っている。
・・・私が笑っていたのだった。
17年間生きてきて、初めて私は、この一頭の駱駝によって笑った。
笑うとは、微笑むとは、こんな感覚だったのか。
まだ慣れないけれど、笑うというのは、こんなに心が浮き立つものだったのだと、初めて知った。
駱駝は、そんな私を祝福しているかのような顔をしていた。
このあと数日間、私はここに留まって駱駝の乗り方や扱いなどを教えてもらって、その後は駱駝とずっと一緒に過ごしていた。駱駝と一緒にいるのが、妙に好きになってしまった。
名前をつけるべきだと言われたので、「タケ」にした。100年ほど昔の、日本の音楽グループのリードボーカルのニックネームだった。何となく、目の感じが似ていた。
そして、この日、私と、旅を一緒にしてゆくタケと共に旅立つ事になった。見送りには、イフサンと、その父である主人が出てきてくれた。
「駱駝に乗って各国を周るなんて大変な話だけど、頑張ってね」
「ありがとう」
「まったく、お前さんには本当に驚かされっぱなしだったな。うちの駱駝、しかも一番頭が良いやつを手懐けるなんて。・・・そのタケと一緒に、頑張ってくれよ」
「はい。・・・ありがとうございました」
私は、まだ少し慣れていないかすかな笑みを見せながら、タケのコブの間に跨ると、ある部分にトランクをつけて、手綱を握った。私が合図を送ると、タケはゆっくりとその方向へ動き出した。
背後から、イフサンが手を振っているのがかすかに見えた。私も同じような手振りをしてから、タケと一緒に新しい道へ向かっていった。
書き始め:2008、11、9
書き終わり:2008、11、10