三話 ターコイズの幻想
私は何かの拍子で、ふっと目を覚ました。
そう、私は、東南アジアを回る旅に出て、今はそのトルコ行き飛行機に乗っているのだった。
だけど長時間だから、ついつい座席で転寝をしてしまったみたいだった。
少し背伸びをして、機内に設置してある電光掲示板を見ると、トルコのイスタンブール到着まで、あと約2時間だそうだ。いつの間にか、日付も変わっていた。
時間は、日本時間では朝の9時頃らしい。向こうの時間では7時間の時差があるから、朝の2時頃だろうか。
下を見てみると、もう既にトルコという国が下にうっすらと見えはじめていた。街はまだ朝の2時ということで、まだ静寂の世界なのかもしれない。上から見ても、ざわめいているような雰囲気は感じられなかった。けれど、上空から見た日本とは、全体的に感じが違った。見た目も、上からみた雰囲気というものも。
―――これが外国というものだろうか。
私はいつのまにか窓に張り付いて、あと2時間近くで到着するというトルコという国を見下ろしていた。
そして、その2時間は、何に起こらずに過ぎ去っていった。そのくらい経ったかな、と思って時計を見つめていた頃、女性の声をした機内アナウンスが放送された。
『まもなくこの飛行機は、アタテュルク国際空港に到着いたします。着陸態勢に入りますので、お席についてお待ち下さいますよう、お願い申し上げます』
そのアナウンスに従ってなのか、トイレに行こうとして立ち上がった人も、慌てて席に戻っていた。
そして、本当に間もないうちに飛行機のエンジンの音が少し変わったようだった。本格的に飛行場へ着陸態勢に入ろうとしているようだった。
また窓から外を見下ろしてみたら、いつのまにか地上がさっきよりも近くなっていることに気がついた。
少し遠くに、少し丸っこい形をした、宮殿のようなところの周りに、大きく長い柱が、空に向かって手を伸ばそうとせんばかりにまっすぐに伸びている。
夜明けを迎えているイスタンブールの街が、昇りつつある朝日に照らされて、不思議な幻想を生み出していた。日本とはまったく違う建物の形や模様が、それを更に強調させていた。
あの幻想的なトルコの世界を、上空から見て30分後。
私はアタテュルク空港の入国審査を受け、そのあとにゲートを通り過ぎ、トルコで最大とはいえ成田よりも小規模のこの空港から出た。
外の世界にあふれる朝日が、私を途端に照らした。
――――これが異国。
私の瞳に映っている、この、絵本の中に出てくる魔法の国のような世界が、現実の場所となって、この場にある。
そして私は、そんな場所に立っている。夢でも幻でもない、紛れも無い現実の世界だった。
日本ではありえないような道、不思議な模様と細工が施された建物。しかもビルのように、ただ長方形ではなく、天辺の部分が丸くなっていたり、三角のようになっていたり、実に様々で、すべてをいい並べようとすればきりがない。第一、建物を構成しているものの材質が違う。
飛行機で13時間フライトをしただけで、場所がイスタンブールという場所になっただけで、こんなにも違う。
建物は、白色、茶色やねずみ色、赤っぽい色など本当に色々な色があって、材質は、日本はコンクリートだけだったけれど、この街はレンガや、知らない材料を使っている。
これと比べると、日本という国のいつも見ていたあの景色は、なんだかとても冷たいものだったような気がしてきた。
(・・・え?)
私は、ふと思った。
街と街を比べては冷たい感じ・暖かい感じなどという評価をいちいちつけてはいなかった。
大体、冷たい、暖かいなどというものは、感じなかったはずだ。しかも相手はどちらも人間が作り出したものだ。暖かいという感覚は暖炉に近づいているとき、冷たいというのは、氷に触っているときくらいだという感覚だった。
今まで、なんの違いがあるのかと考えていたけれど、実際に今、私は日本の東京と、このトルコのイスタンブールの街を比較させている。しかも、無意識のうちに。これは、昇り始めた太陽の日差しが暖かいと思っているのではなかった。
外国とは、同じ地球上にあるにも関わらずこんなに違う・・・実に不思議な世界だ。
私はそんな風に思いながら、石畳の街角の中を、宿泊するところを探すために、少しずつ歩き始めた。空港に、近辺のホテルの一覧表が置いてあったので、それを基にしている。
日本の東京では、平べったくて、区別するための白線しか書かれていなかったが、石畳というのは、そういう科学や機械が一切関与せず、生身の人間の手だけで作られたものだ。
外国というものは、日本のように最新の機械などが普及していないのだろうか?それとも取り入れようとしないのだろうか。
そう思ってしまうほどに私が始めて見た異国の街は、機械の気配が、日本よりもずっと少なかった。
そうやって街角を歩いていると、先ほど空港でのホテルの一覧表で、私が目を付けたホテル名が書いてある看板を、延々と立ち並んでいる建物の中に見つけた。ここは宿泊料もそんなには高くないようだし、安全だという。
「ここかな」
何気なくそうつぶやいて、私はホテルの中へ入っていった。ホテルのドアを開けると、すぐに、ちょっと狭い感じのするロビーがあり、受け付けもあった。
どうやら、ホテルというのは、この受付でチェックインというものをして、部屋を借りるらしい。とにかく、話してみれば分かるだろう。
「1週間ほど泊まりたいのですけど」
私は、空港以外で、初めて、他の人にトルコ語を使って話しかけてみた。
どうやらこの、受付にいたホテルマンの男性には私のトルコ語があっさりと通じたらしく、人のよさそうな笑みを少し見せると、
「分かりました。お一人ですか?」
と聞き返してきた。私もそれを聞き取ることができたので
「えぇ、一人です。泊めてもらえますか?」
「大丈夫ですよ。ちょっと待っていてください、お部屋のキーを持ってきますから。あと、これにサインをお願いします」
ホテルマンはそういうと、チェックイン用紙と記入用のペンを私に渡して、他の部屋に入っていった。
私は彼に言われたとおり、ペンを開けて、自分の名前や宿泊日など、あれこれと即座に記入していた。けれど私が書き終わる少し前に、部屋の鍵とらしきものを右手に持ってこちらの方に戻ってきた。そして私が書き終わるのを見届けるや否や、ホテルマンはその用紙にさっと目を通したあと、私に部屋のキーを手渡した。
「あなたのお部屋は302号室です。ちなみに、貴重品、特に生活に必須の金銭が入ったものは、無防備に置いておかないで下さい。こんな世の中ですから、空き巣というか、泥棒もいないわけではないので。特に本からのお客様はね・・・。未だに日本の旅行客はかなりの金持ちばかりだっていう印象が強いもんですから」
ホテルマンは、用心深く私に念を押した。
私はそれ聞き終わったあと、自動的に少し頭を下げてから、キーに貼られている部屋の番号が書かれたラベルを頼りに、階段を使って二階の方へ向かった。
今の「未だに金持ちだっていう印象が強いですから」という言葉が、国語的に少し気になったけど、すぐにそんな気も失せた。
キーのラベルによると、今回私が宿泊する部屋の番号は202号室らしい。
ホテルの中はなかなか衛生的で、通路の方も、ほんの少しだけ埃が見当たった程度で、植木などが置いてある。
そんなレッドカーペットを歩いているうちに、『302号室』と書かれたプレートが提げてあるドアを見つけた。私の探していた部屋はここに違いないないらしい。
私は「ふぅん」と少し口こぼしてから、キーを扉に張り付いている鍵穴に差し込んで、そのまま捻った。すると、鍵穴からガチャリと、いかにも鍵が開いたような音がして、鍵を引き抜き、ノブでドアを開けた。
部屋は、とてもシンプルだけど、少しアジアン風な感じのする室だった。今までの町並みからしても、そう感じるのかもしれない。
とりあえず、まずはトランクをローテーブルの上に置いて、飛行機に乗っている間、入ることのできなかったお風呂に入る事にした。
こんな私でも、ちゃんとお風呂に入ることは習慣になっている。習慣は人間だけれど、やっぱりまだ、私が人間なのか機械なのかははっきりと分からない。
確かに今までと違うことは起きているけど、これだけはまだ結論が出ないままだった。
せっかくきたのだから、早く出さなくては・・・とも思うのだけれど、そういうときに限って、自分というのは動いてくれない。なんて不便なのだろう。
私はそんな自分を客観的に見ては、哀れに思いながら、風呂場のシャワーのノブを捻った。日本と比べると、少し水の勢いが弱かった。やはり発展途上国とやら故だろうか。
きっとあれだけ科学と機械が普及しているのだ、日本はきっと先進国の中でも先頭に立っているに違いないだろう。
でも、なぜ私はそんな進んだ、満たされているはずの国から、わざわざ祖国より発展が進んでいない国へ足が向いたのだろうかと、今さらながら、後悔ではないにしても、不思議を感じていた。しかも、更に不便そうなシルクロードに沿って。
けれど、金銭面はどうやら大丈夫そうだった。
最近は便利で、お金をその国の通貨にいちいち両替しなくても、100万円だったら100万円分のカードにして払うことができる。
とはいっても、最近はセキュリティーの面々で、100万にすると、自動的に50万ずつで2枚に分けられたりもする。一枚だけにしておいたら、万が一それを盗まれでもしてしまったら、旅の全財産を失う事になるからだ。
お金というものは、どの時代でも一番大事なものである。これがなければバスに乗って移動する事もできないし、食料だって買えないし、ホテルにだって泊まれない。
そして私は、その50万円分のカードを2枚、持っている。
昔はキャラバン用に無償で泊めてくれる『キャラバン・サライ』という、王族などの寄付で成り立っている宿があったそうだが、今はそんな時代ではない。
なんにでも、大きなお金が必要なこの時代だ。
そして、旅の汚れなどを綺麗さっぱりに落としてから、私はお風呂を出た。
出たらすぐに、さっきまで着用していたのとは違う服を着て、フロントの人が言っていた「泥棒」が入っていないかどうかを適当に確かめた。
幸いにも、この部屋は泥棒は入っていないらしい。というより、入ってくる方が珍しいと思うのだけど。
それから、まだ湿ったままの髪を乾かす意味もあってホテルの窓を開けてみた。
日本とは違う匂いを、なんとなく吹いている風が運んできている。
下のほうに目をやってみると、だいぶ明るくなってきたせいか、ちらほら人が出て来始めていた。
どこかに出店を出すつもりなのであろうか、たくさんの商品を荷台に乗せて、人力で押し車を押している人もいる。
けれど、今でさえまだ、日本時間で早朝の五時ちょっと過ぎだった。
そういえば、飛行機でもちょっと転寝をしていただけで、殆ど睡眠をとっていなかったのを思い出した。
天野教授といた時は、少しでも床に付くのが遅れると、天野教授は「睡眠はちゃんと取らなければならない」・・・と、とにかく言われ続けた。
少しくらい睡眠を取らずとも平気なように私を構成したのは他の誰でもない、研究の軸である天野教授だったというのに、なぜわざわざそこまで言ったのだろうか。
けれども、その成果なのか、しばらく睡眠を取っていないことを思い出すと、とにかくベッドに入るという習慣がついてしまった。
今でもこの習慣はまだまだ抜けておらず、私は少し安っぽさを感じるベッドに向かって、そのまま布団を被った。すると、自然とあっさり眠りの世界に入る事ができた。
――――あれから、何時間経っただろうか?
私はゆっくりと目を開けた。ぼやけた世界が、まぶたを開けるにつれて、どんどんはっきりとしたものになってゆく。それからベッドの上に横たわっている自分の体を少しひねって、ベッドの横に置いてある時計を見た。どうやら私はあれから4時間半ほども眠っていたようで、トルコは日本時間の9時半頃になっていた。
そのあと、ベッドからゆっくりと降りて、寝起きの背伸びをしながら少し粗末な洗面所で、適当に顔を洗った。
そして用意していた上着を着ると、ポケットに財布を突っ込んで、部屋を出た。鍵を閉めるのは忘れない。
ホテルの階段を下りてみると、あまり広いとはいえないロビーで、人々が話していたりする姿が見えた。けれどその姿にはあまり関心を示さないまま、フロントに自分の部屋の鍵を預けてホテルを出て街へ出た。
街は私がこのホテルに入ったときよりも随分人の数が増えて、老若男女、色々な人が道を行き交っている。中でも目に留まったりしていたのは、その人々が着ている服だったり、この国の人の表情だった。
まず、服の模様や色合いから、着こなしまでが日本とはまったく違う。
まぁ日本の・・・と言っても、教授や研究員たちの私服くらいしか見たことがないから、簡単に大げさなことも言えないけれど、とにかく違うことだけは確かだった。
それに、この国の人の表情。
邦人と何がどう違うのか、詳しく述べろと言われてもよく分からないけれど、肌の質や色、髪の色や質までもが違う。
同じ人間ならば、日本人とも大して変わらないであろうと思っていた私の考えは間違っていた。
そうだった、上空からこの国を見たときに思った時を思い出せば、決して矛盾などしていないなのにまだ尚驚いている私も、不思議といえば不思議だろう。
そうやってこの国の人々を観察しながら歩いていると、街案内の掲示板に突き当たった。
見上げてその言葉を読んでみると
「右へ・・・アヤソフィア宮殿へ、左へ・・・パザル」
と書いてあるようだった。アヤソフィア宮殿と書かれている部分には下に2行くらいの、簡単な補足説明が付いている。さっき、上空からみたあのお城の事だ。
一方でこの「パザル」という聞き覚えのない名前の下には、補足説明がついていない。
私はどちらに曲がるか、考えてみた。
けれどどうせ宮殿は逃げるわけでもないし、この「パザル」という、あえて得体の知れない場所に向かって、左に曲がっていった。
そしてしばらくパザルという場所に向かって石畳の道を上を歩いていると、だんだん、歌うかのようなざわめきと、その人々の足音が私の耳に響いてきた。
街角の向こうの方に目を凝らしてみると、上には色鮮やかな布のようなものが吊るしてあって、その下の街角の脇には、出店が延々と立ち並び、溢れるような品々の数え切れない色が、ところどころに散らされている。
どうやら、「パザル」というのは、この国での市場の事を指すらしい。さすがにこの言葉の意味までは知らなかった。
そしてその市場の中をまた、大勢の人たちが行ったり来たりしては買い物を楽しんでいたり、あるいは、値札と睨み合いをしている中年女性などもいる。
店で品を売っている側の人も、その品を購入したりする側の人も、心から笑っているような人が殆どだった。
まるでこの街全体が生きているのかと思うくらい。
そんな風に思いながら私も、人々の流れに沿って、パザルの中へ入っていった。
店のジャンルは幾多にも及び、服や布類、食べ物類・・・。
食べ物類といってもたくさんある。今が旬の果実たちの鮮やかな色が並ぶ店や、魚介類を取り扱う店。しかも店によって並んでいる品は違う。
その中で私はまず、衣類などを見た。私が今着ている服は、この国の服装と比べると、いかにも外国から来たのを見せつけているようなものだった。
「泥棒がいないわけではない」と、宿泊先のホテルの人が言っていたのを思い出し、狙われないようにするには、現地の人と同じような服を着るのが一番いいと考えたのだった。
やはり売っている衣類も日本人の私から見れば独特以外の何でもないものだったが、決して趣味の悪い模様ではないので、ちょっと高いところに吊り下げられている2着の服に目をつけた。
「すみません、あれとあれを買いたいんですけど」
「はいはい。あれね。ちょっと待って」
店のおばさんは、私が指差した2着の服を取ってきて、
「この2枚で、5YTLだよ」
と、服の値段を言ってきた。
私はさっと、50万円分のカードを、そのおばさんに差し出した。
するとおばさんは、驚いた顔をした。
「あれまぁ、カードじゃないの。驚いたわ、ここら辺に50万円分のカードを持った人なんてなかなか来ないもんだからねぇ」
おばさんは苦笑いしながら、慣れない手つきで、戸惑いつつもカードの処理をし始めた。
それから処理が終わったのか、私にカードを返してきて、にこにこ顔で二着の服を差し出してきた。
「はい、ありがと!またうちで買ってよね!」
と元気よく言ってきた。品物を受け取ったあと私は一言「ありがとう」と告げると、他の店を回り始めた。
次は、現地の食材だった。
見ただけで、この国は衣類だけでなく食文化も違うことが分かった。
だから、早く異国の食べ物になれるためにも、食べてみなければと思った。
そこで不意に私の目に入ってきたのは、輪の形をしたパンだった。私はそのパンを置いている店に寄って、そこの主人に話しかけた。
「これは何?」
「スィミットだよ。焼きたてでうまいよ、一個や2個、買ってみない?」
店の主人は、人懐こい笑顔を浮かべながら、自分の店に並べられてある商品の宣伝をした。
確かに、パンの出来立てという話のとおり、暖かさがこっちにまで伝わってきて、なかなかおいしそうだった。
私は踏み切った。
「お値段は?」
「一個、4YTLだよ」
「じゃあ2個買います」
「まいどありっ!」
4YTLは、日本円でだと360円くらいだった。
主人は嬉しそうに、私が出したお金と引き換えにその2つのスィミットを差し出した。
けれどその時、その店の主人が何か思い出したような顔をした。
「そういえば、あんた、旅行してる人だよね?」
「えぇ、日本から」
「いつから?」
「つい数時間前に・・・」
「そりゃあ飛んだ災難だな」
「災難?」
私はつい首をかしげた。ホテルの受付の人も、災難が起こっただなんて話は一切言っていなかった。
なのに、この主人曰く「旅行者にとっての災難」とは、どういう事だろうか。
「災難って、何のこと?」
「知らないのかい?実は、ここら辺の飛行機が、機械のトラブルで使えなくなっちまったんだってさ。まぁ、知らなくても仕方が無いかもしれないな。ついさっき俺も聞いたんだ」
「飛行機のトラブル・・・!?」
「あぁ。復旧は、かなり長く掛かるって話だ。数年だって言うんだからな。大体は行けるらしいんだが、数カ国な・・・。ほんとに困った話だよな、仕事があっても隣の国に行けねぇってのは・・・。まぁ日本とかだったらもっと早いんだろうけど、何分こっちだからな」
店の主人は、呆れたような表情で話をしていた。
一方で私は、一気に体内の血の気が引いたような感じがした。
―――飛行機のトラブル、しかも復旧まで1年近く掛かる。
一体、何のトラブルが起こったというのだろうか。私が来た時まで何の異常もなく、このイスタンブールに降り立ったというのに。
「じゃあ、移動はどうするのですか?」
「そうだなぁ、ここら辺だと、徒歩とか、バスだとか・・・それか、駱駝だな」
「駱駝?」
「あぁ。昔、シルクロードとかで使ってた動物だ。バスとかタクシーは最近、色々とあるらしくてさ、あくどいのが相当増えてるって話だ。特にあんたみたいな若い子は気をつけなきゃな」
「そう・・・それで、駱駝はどうやって手配すればいいのでしょう?」
「そうだな、アンカラの方に駱駝の牧場なんてもんがあるから、そこから賢そうなやつを、言えば一匹くらいくれるんじゃねぇかな?そりゃ、タダじゃないけどね。もしそうするつもりなら、頑張りなよ」
「ありがとうございます」
私は教えてくれた礼を言ってからすぐにこのパザルを出て、もときた道を急いで戻り、自分が宿泊しているホテルに飛び込んだ。
確か部屋には、テレビも置いてあったはずだった。
もし、さっきの店の主人が言っていた話が間違いないことだとすれば、こんな大事ならば、どこのチャンネルもニュースで臨時放送をしているに違いない。
そう思って私は、フロントに預けていた自分の部屋のキーを受け取るのもそこそこに、小走りでホテルの階段を駆け上がって、自分の部屋の鍵穴に鍵を差し込んでドアを開けた。そしてろくにロックも掛けないままテレビのスイッチを入れた。
すると、数秒後に、テレビの画面に、私の想像したとおりのものが映り出した。ニュースだった。案の定、女性キャスターが飛行機関連の話をしている。
そしてしばらくそのニュースをじっと見ていたが私は唖然としていた。あの店の主人の言う事は本当の出来事のようだった。
復旧の予定日も、なぜこの現代でこんなに掛かるのかと思うくらい遅いものだった。
しかもニュースを見ていると、私が行く予定であるイラン・パキスタン・インド・ネパール・中国、そして日本への飛行機は完全に麻痺しているらしい。原因さえまだ掴んでいないという。
これは今までになかった前代未聞のトラブルであり、機械を作ったはずの人間でさえ、修理の方法があまり分かっていないのだという。
冗談じゃなかった。
・・・だが、慌てているわけではなかった。
幸いにも、さっきのパン屋の主人から、今後どうすればいいか、ちゃんと聞いておいた。つまりこれから私がすればいいのは、アンカラという場所に行って移動用の駱駝を手に入れる事というわけだ。アンカラに行く道も、指を差す程度だが、方向は教えてもらった。建物が密集していても、方向さえ分かれば大丈夫のはずだ。
―――現地にやっと到着して、いたって平穏な旅が始まったと思っていたけれど、思っていた以上にこのシルクロードの旅は、とてつもなく大変な事になりそうな予感がした。
かき始め:2008、11月8日
かき終わり:2008、11月9日