表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/3

思考についてこない感情、頭と心のちぐはぐ感

 どうも俺は感情を司る部分が壊れてしまっていたらしく、『思考はそこそこ正常なのに感情がそれについてこない』という状態が顕著でした。

 頭じゃわかってるのにハートが! ってやつですね。

 ・迷惑メール


 退院後の自分の精神にはじめて大きな悪影響を与えたのは、大したことではないと思われるかもしれませんが、携帯電話に届いた迷惑メールでした。内容はありきたりな架空請求で、『利用料金を払わなければ起訴をする』というようなものでした。このメールが送られてきたのは6月18日のことで、○○病院を退院後はじめて△△クリニックを受診しに行くその道すがらのことでした。その日の相談にあげさせていただいたのでもしかしたら先生もお覚えかもしれません。

 普通の精神状態の人であれば一読することもなく迷惑メールと捨て置くようなメールでしょうし、その時の自分も頭ではそれが単なる迷惑メールであることを理解していました。

 しかし頭ではそうとわかっていても感情がついてこず、実際に耳に聞こえるほど動悸があがっていたのを覚えています。社会に悪が実在し、その悪意がしばしば善良に生きている人たちに向けられることがあるという実例を目にした気がして恐怖を感じましたし、また怒りを感じもしました。

 幸いというべきか、すぐ近くにAUショップがあったのでその足で相談に行きました。スタッフの方に話すとやはりよくある迷惑メールらしく、『もし頻繁に送られてくるようであればメールアドレスを変更してはどうか』と勧められました。

 自分はその解決方法にひどく納得のいかぬ思いを抱きました。まっとうに生きている人間が間違った人間に対して些かなりとも譲らなければいけない世間のあり方に腹が立ちました。

 自分はさらに『被害届を出したいのですが、実際に被害を受けなければ難しいでしょうか?』と質問し、必要であれば自分がメールに記載されている方法で金を振り込み被害届を提出する資格のある被害者になると言いました。

 自分が非常識なことを言っていると頭ではわかっていました。店員さんは『まずは国民消費者センターに相談してみてはどうか』と教えてくれました。


 結局友人に手伝ってもらいメールアドレスを変えることにしたのですが、その後は携帯の着信音が鳴るたびにビクっとするようになりました。

 それからはテレビを見ても余り慰めにはならなくなりました。

 たとえばワイドショーなどで『街のお店特集』のような平和な内容が放送されていても、その情景の中にも悪が潜んでいるのかもしれないと意識してしまうようになりましたし、またそこに主として映し出されている『幸せに生活している人たち』が悪意の対象にされてしまうこともあるのだとどうしても考えてしまいます。NHK教育などの子供向け番組を目にしても、『これをいま夢中で見ている小さな子たちにも悪意が向けられるのかもしれない』と考えるととても悲しい気持ちになってしまいます。




 ・退院後の生活について


 退院から数日は一日の半分以上を寝て過ごしていたと思います。十日足らずの入院生活で驚くほど体力が落ちており、また頭蓋骨折に由来すると思われる慢性的な頭痛にも悩まされていたためにちょっとした距離の外出でも遠くに感じました。また本や音楽を楽しむことが出来なかった為、時間は病院に居た時と同様やり過ごすものという感じでした。『退院すればいくらでも楽しいことがある』と入院中は思っていたのですが、この文章を書いている今となっては、『楽しみがなかった』のではなく、『楽しむことが出来なかった』のだということがよくわかります。

 骨折が原因のこの頭痛はだいたい二週間ほどで治まってきたと当時のメモにはあります。退院したばかりの時は本当に痛くて痛くてたまらなくてロキソニンの一日三回制限では足りなくなって同時服用出来る別の薬を買い求めたのを覚えています。それから、この頃はいくら寝てもあまり夢は見なかったようです(しっかりと眠りに落ちるのではなく横になるだけのことが多かったからかもしれませんが)。

 退院後二週間ほどは上記の迷惑メールなどを抜きにしてしまえば安定していたように思います。外傷を受けた脳がまだ精神的に不安定になれるほど回復出来ていなかったのかもしれません。


 事故以降、精神の作用などについて友人と素人なりにあれこれと意見を交換することが多くなったのですが、その中で友人が発した『感情の動きは脳にとってとても負担が大きいことだ』という言葉がとても印象に残っています。『我々は通常ならその負担を楽しんでいるんだな』と自分は返しました。『思いがけず良い表現が見つかった』と言うと『君はこういうところだけは以前通りだ』と呆れられたのを覚えています(このやりとりは八月二十日のことで、ルーランの副作用で気分がひどく平坦になっているという話の流れからのようです)。


 記録によると、6月の終わり頃には音楽も音楽としては聞こえるようになってきていたようですが、まだ耳心地の良さを感じられるほどではありませんでした。また記憶を自由に引き出すということもほとんど出来ませんでした。たとえばある聞き慣れた歌を聞きながらその先の歌詞やメロディを思い出すということは出来ず、その曲を聴きながら『これはこういう曲だ』と新しく覚え直すような感じでした(元々の記憶とは別に、二重に)。まだ本は読めなかったと思います。


 7月4日に○○病院で再度CTスキャンを受け、身体的にはもう完治したといっていいとあちらの先生に言われました。

 スキャン写真について『脳の黒い部分が傷痕だ』と説明されました。脳というものについてそれまで何か超然とした臓器という印象を持っていたので、そこに傷跡が残るというのがひどく不思議なことのように思えました。

 これと同じ日に職場にも復帰しました。前日に三時間だけリハビリでレジ打ちをさせてもらったのですが、その際お見舞いにきてくれたKさんに「家に帰ってきた気分だろ」と言われ、実際に自宅以上に「帰ってきた」という実感があったのを覚えています。

 事故以前は週に一日は九時間のシフトが入っていたのですが、復帰初日は五時間で足が痛くなってしまいました。やはり随分体力が落ちているのだなと痛感する反面、レジを打ったり新聞を陳列したりという作業は多少のなまりはあったものの問題なくこなせ、身体に染みついた経験の記憶とでもいうものの強固さに驚きました。


 おおむね順調ではありましたが一つだけ新しい違和感にも直面しました。お客様に対しての『いらっしゃいませ』や『ありがとうございました』などの声かけの際、音調がまるっきり自分の発しているものという感じがせず、自分の声も今までとは全然違うもののように感じられました。本来声が発せられる領域のほんの少しずれた斜め左下から発せられているというか、斜め右上で聞いているというか、これもまた説明の難しい感覚です。

 離人感という言葉についてはじめてご説明を受けたのは確かこの後、7月10日頃のことだったと思います。



 余談かもしれませんがもう一つ、職場に復帰するまでのあいだ、自分の頭の中には「去年(2012年からの去年、2011年)の7月にも事故で救急車に乗った」という情報と情景が記憶として存在していました(救急隊の方に名前を聞かれ答えたことや、ストレッチャーで運ばれる場面も覚えています)。しかし常連のお客さんや同僚と話しているうちに、「事故で運ばれた記憶」はあるのに「シフトに穴を開けた記憶」はないのだということに気付きました。よくよく思い返してみると、多少の問題はあれど健康に過ごした2011年7月の記憶もあることに気付きました。

 たぶん今回の事故で救急車に乗った記憶を去年のものと思いこんでいたのだと思いますが、どうしてこんな錯誤がおこったのかはまったくわかりません。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ