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事故~妄想世界~現実への復帰

 手記なんて書くほどナイーブになっていたのでずいぶん悲観的な文章だなぁと思いますが、おつきあいください。


 どのような文体で書くのが最も効果的なのか考えた末、目下の主治医である■■クリニックの△先生に読んで頂くのを前提とした書き方が最良と判断しました。実際にお見せできる機会が訪れるかはわかりませんが、ともかくそのように書いてみようと思います。


 ・事故当日


 2012年6月4日に自転車事故を起こし、九日後の6月13日まで○○病院に入院しました。この事故が単独の転倒事故なのか、あるいは相手のある当て逃げにあったのかなどは事故当時の記憶がなくはっきりとしません。事故の連絡を受けた父は『事件性もあるかもしれない』と警察(消防?)の方から告げられたそうです。

 当日のことで記憶にあるのは、アルバイトの退勤時にオウム真理教の菊池容疑者逮捕のニュースについて同僚のKさんと話したことや、帰宅後に友人とインターネットを通じてチャットをしたあとでハムスターを見るために近所のホームセンターへと出かけたことくらいです。この道行きで事故に遭いました。


 ・意識の回復


 事故後はじめて意識を取り戻したのは(事故現場で救急隊の方に対して名前を伝えたり、翌日に予定されていた仮免許試験のキャンセルを教習所に連絡してくれるよう頼んだりなどはしていたようですが、これらについては記憶に残っていません)病院のベッドの上で真夜中のことでした。

 最初はそこがどこなのかどころかそれが夢なのか現実なのかすら判然としませんでしたが、真っ暗な病室内の様子やベッドとベッドを仕切るカーテンなどを見ているうちに、『ここはミスカトニック大学の隔離病棟だ』と思い出しました。これは当時読み進めていた海外のホラー小説に登場する大学なのですが、「もしかしてここはあそこじゃないだろうか?」とこじつけて連想するのではなく、奇妙なことにそれを『思い出した』のだということを覚えています。

 その後、巡回してきた看護婦さんに対して「ここはどこなのか」と質問し、「ここは病院であなたは事故にあって入院している」と答えられたのを覚えています。

 それに対して自分は「なんの為に入院しているのか」とさらに質問を重ねました。看護婦さんは確か「怪我を治して健康になるため」というような内容の答えをくださったと思いますが、自分はなぜか閉じこめられていると思いこんでいた為、「自分はここにいるのは間違いだから解放してくれ」と訴えてしまいました。

 この夜のことかそれともまた別の夜のことなのかははっきりとしませんが、他にも「ドラゴンがどうのこうの」という妄言を真剣に訴えたのを覚えています。


 ・現実への繋がり


 夜が明けても(翌日の朝なのかそれとも別の日の朝なのかははっきりとしません)状態はあまり変わりませんでした。とにかく『ここは自分が本来属する現実的な世界ではない』という思いが強く、どうかして早く帰らなければいけない、また帰ることが出来るのかどうかという不安感ばかりがありました。

 そうした状況を改善してくれたのは、職場の同僚であるKさんとTさんがお見舞いにきてくれたことでした。

 二人が病室の入口から入ってくるのを見た時に、まず最初に『あれ?』と思いました。Kさんが前に立ち、そのすぐ後ろをTさんがついてくる場面に驚きを感じたのをはっきりと思い出せます。『ミスカトニック大学に幽閉されている』自分にとってそれはひどく意外な光景でした。

 それからまもなく、『ここは現実と繋がっている、自分がいるこれは現実の一部だ』と理解することができました。

 ほんの短い面会時間ではありましたが、二人と話しているあいだにミスカトニック大学の妄想は完全に消えていました。頭の中に病院と職場の位置関係を思い浮かべ、自転車で十分ほどというその距離の近さに唖然とした思いを抱いたのを覚えています。それまで看護婦さんをはじめとした病院関係者にいくら説明されようと納得できなかった事実が一挙に受け入れられました。そうしてはじめて安堵というものを感じることが出来ました。


 あとになって聞いたところでは、自分の様態はその頃かなり重いものであったらしく、KさんとTさんも一度は面会を断られたそうです(断られた日にも一応病室までは来てくれたそうですが、意識朦朧として一目で正気でないとわかり本当に心配したと言われました)。しかしそれでも翌日にも出直してくれた二人と会話出来たことが、結果的に最大の効果をもたらしてくれました。もしこの面会がなかったらもっと後々まで妄想を引きずり続けていたでしょうし、ひいては諸々の問題も悪化し長引くことになっていたかもしれません。本当に有り難く感じています。


 また、自分はこのお見舞いを事故の翌日か翌々日のことだとばかり思っていたのですが、実際にKさんに確認してみたところ、事故から4日か5日後のことだとわかりました(当時のニュースなどの日付を調べてみると確かにそのようでした)。病院に収容されてから目が覚めるまでに(もしくはある程度の正気を取り戻すまでに)数日かかったのか、そうでなければ時間の感覚がかなりおかしくなっていたようです。


 ・入院生活


 最初の二日か三日はベッド上安静という状態でした。父や親戚が代わる代わる面会に来てくれましたが、それ以外の時間はただひたすらに退屈でした。眠ろうとしても眠ることも出来ないので時間をやり過ごすことも出来ず、処方して頂いた睡眠の為の薬も手元になかった為、昼間はおろか夜も満足に眠れません。一日が本当に長く感じられました。

 二日目に父に頼んで本(小説ではなく、事故以前から愛読していた一話完結型の漫画本です)を買ってきてもらったのですが、その本も面白いとは感じられませんでした。話の筋は理解出来るのですが登場人物の心理や作品に込められた情緒などが理解出来ず、ひどく無味乾燥な内容に思えました。

 これについては自分の感受性に問題が発生していたのでしょうが、この時はそのことにまったく気付かず、ただ本自体がつまらないのだと思っていました。


 後で書きますが、感受性の問題に気付いたのは退院後のことです。2013年1月にこの本を再読したところ、普通に面白く感じられるどころか、『話のあらすじは知っているのに一度も読んだことのない本を読んでいる』という異常な印象を受けました。


 ベッド上安静が解かれたあとは点滴スタンドを押しながらですが院内を出歩けるようになりました。このときはじめてトイレの鏡で自分の顔を見ました。左目が青黒く腫れ上がって白目の部分が赤くなっていましたが、『夜道でこんなのに会ったら驚くだろうな』と無感動に思う程度で、外傷の度合いを深刻に受け止めるようなことはありませんでした。

 昼間はテレビと雑誌、新聞の常備された談話コーナーでほとんどの時間を過ごしました。普段の生活ではテレビなどほとんど見ないのですが、入院中はテレビを通して自分のいる場所が外部(日常的な世界)と繋がっていることを確認出来るのが、嬉しいというか安心出来て、特に午前中のワイドショーなどを好んで見ました。タレント同士の和やかな会話や東京スカイツリーの話題などに安らぎを感じたことをよく覚えています。


 しかし入院生活は基本的にはやはりとてつもなく退屈で、時間をやりすごすのに大変な苦労をしました。友達がくれるメールが楽しみで仕方がありませんでした。他の入院患者の方と話すこともよくありました(ほとんど自分が聞き役に徹していました)。夜も眠れない時はトイレや水飲み場によく出かけました。病院の外がことさら楽しい場所のように思え、一日も早く退院したいと毎日思っていたのを覚えています。



 ・自分と自分の不一致感


 入院最終日にCTスキャンを受け、許可をもらいその日の午前中に退院しました。

 待ちに待った退院でしたが、家に帰り自分の部屋に入るとなにか正体のわからない違和感のようなものがあり、入院中に『退院したら』と期待していた半分ほどもリラックスが出来ません。また、入院中には感じることのなかった種類の不安を感じもしました。

 パソコンを立ち上げ、ひとまず友人に退院してきたという報告をしながら事故以前に愛好していた音楽を再生してみたのですが、断片的に聞き覚えのあるまったく知らない曲というか、聞こえ方がまるっきり違うというか、ご理解頂けるかわかりませんが『音楽として聞こえない』のです。音楽が備える楽しさであるとか耳心地の良さであるとか、そういったものが感じ取れず、音は知っているのにメロディはわからないというか……この感覚はとても説明が難しいです。

 仮眠を挟んで再度音楽を聴いてみましたが、やはり音楽には聞こえません。ジャンルや方向性の異なる曲を数曲試してみましたがやはりどれも同じような感じでした。

 それから録音保存してあったラジオ番組を再生しました。伊集院光さんがDJを務める深夜放送で内容も楽しく気分の盛り上がるものであったはずなのですが、聞き慣れているはずの伊集院さんの声がまったく知らない人の声に聞こえてしまい、内容どころではありませんでした。

 ともかく気分を刺激する必要があると感じ、次は本に向かってみましたが、やはりよく知っているはずの内容なのに感じ方が違うというか、ストーリーは理解出来るのに感情が動かないような感じでした。『この文脈、この場面で感動した』という感情の記憶を頼りに漫画や小説を何冊かめくりましたが、記憶にある感情が自分のものではない感じがしました。


 今にして思えば自分にとってかなり深刻な症状が出ていたのだと思いますが、こうした事実に対して即座に焦りや恐れを感じることはなかったと思います。退院してきたばかりのこの時はただ気味の悪い違和感に対する不快さばかりを覚えました。

 ある程度時間を置いたその日の夜か翌日あたりから、過去の自分と現在の自分の不一致感のようなものを覚えるようになりました。本棚の本も自分のものではなく『以前の自分の遺品』という風に感じます。自分が書いたはずの文章も誰か別の人の書いたもののように思えました。書きかけの小説を読んでも、自分がどのようにそれを書き進めていくつもりだったのか(ストーリーではなく文体の選択や描写のトーンについて)がわからず、やはり誰か他人の書きかけ小説を覗き見ているという感じでした。本棚の本と同じように面白さも感じない為、過去にそれを書きある程度の達成感や満足を感じていた自分に対して失望感を覚えもしました。

 他には食べ物の味が妙に味気ないなど(しょっぱい、甘いなどはわかるのですが、風味や『美味しさ(旨味というのでしょうか?)』が希薄で、それまで好きだったものを食べても知ってる味と違うように感じました。

 この『自分と自分の不一致感』はこの後もさらに大きくなっていきました。

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