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兇賊と将軍

 


 砦から出発したイバンの隊は街道を進む。

 鉄甲騎の歩行速度は遠目に見ると人程度だが、実際には歩幅の関係で、馬の常歩から速歩程度の速度はある。

 城門を出てから南に千二百メートルほど進み、西へと折れる地点を通過すると、大小様々な峡谷に挟まれた、起伏に富んだ地形となる。ジグザグに入り組んだ街道は、草木に囲まれた岩山沿いに西へと伸び、しばらく進むと峡谷を抜け、西、および南北に分かれる分岐点へと続いている。

 その分岐点には、ホドという宿場町があった。

 今日は、その付近を狩り場とする狩人の目撃証言を元に、調査する予定である。



 そんなイバン隊の動き、そして砦の動向を、岩山の頂から見ているものがいた。その者は、凝と蹲り、猛禽類のような目で、隊が街道を進む姿を確認すると、黒茶の翼を広げて北のほうに飛んで行く。

 それは、ひとりのツバサビトであった。両翼を広げたその姿は、セレイのそれよりも大柄だった。

 ツバサビトの男は、体格に見合わぬ華麗な飛翔で谷間を、岩肌を、樹林を抜け、やがて誰もが寄りつかぬ、森林の奧へと低空飛行を続ける。

 その姿を、大木の枝から見つけた者がいた。

 ツバサビトも枝の人物に気付いたのか、その側まで滑空し、隣の木の枝に降りた。足爪で枝をしっかり掴み、それこそ鳥のように蹲る。

「……お頭さんと客人さんがお待ちだ」

 男の言葉に無言で頷いたツバサビトは、再び飛翔し、さらに奧へと向かう。

 やがてツバサビトは、峡谷の影に消えた。


 そこは、岸壁を穿ち作られた石窟寺院だった――

 いや、岸壁のように見える寺院跡といった方が正解であろうか……

 かつては大勢の信者に崇められ、そして今はあらゆる者から忘れられた、荘厳かつ巨大な石造りの建造物は、苔や蔦の浸食を甘んじて受け入れ、ただ静かに朽ち果てるのを待っていた。

 そして、その朽ちた拝殿にて、悪党どもの交わす密談を、目も鼻も耳も朽ち果てた神仏の像は、見ることも聞くこともできなかった。

 その朽ちた像に、悪党の一人が殊勝にも祈りを捧げていた。

「……何の神様さんか、今となっては存じませんが、哀れな悪党と敗戦の将にささやかな塒と逆襲の機会をお与え下さり、感謝の念に堪えません……」

 薄暗い拝殿の前、辛うじて人型を留める像に、大仰な仕草で祈りの言葉を捧げる痩せぎすの男は、やがて自分のしたことが可笑しかったのか、

「ぷぷっ……くっくく……ふひぃははははははははははは……!」

 と、腹を抱え、への字に歪んだ大口を開けて爆笑する。

 歳は四十に届いているだろうか。枯れ枝のようではあるが筋肉はしっかりと付いており、細く四角い顔立ちにクッキリとした頬骨と鼻筋、この辺りでは珍しい銀髪を短くまとめ、何より特徴的な逆さ半月の白目に点のような青い瞳をぎらぎらと狂気に輝かせる色白の男こそ、ゼットス。

 彼が何故、兇賊の頭となったのかは、その内に語ろう。

「……悪党の頭と敗戦の将が傷を舐め合うなんざ、可笑しいったら、ありゃしねぇ……」

 腹を抱えて笑うゼットスの言い回しが気に入らないのか、別の怒鳴り声が神殿に響く。

「我が輩は負けたわけではない!……何が敗戦の将であるか!?」

 武装兇賊団ゼットス一党の首領である男の後ろに、使い古された絨毯が敷かれ、ランプと茶器を乗せた、真鍮の座卓が置かれていた。

 その傍で、歳の頃二十過ぎの若い軍人が、小柄だが肉付きの良い体を薄汚れた板金甲冑の内側に詰め込み、どっかりとふてぶてしく座椅子に胡座をかき、苛立ちを隠すつもりもなく体を揺する。

 武装蜂起に便乗し、権力拡大を図るものの、それがあっさり鎮圧されたと知るや自らの近習を引き連れて飛空船で逃走した挙げ句、墜落、そしてよりにもよって壊滅寸前の盗賊どもに身を寄せるなど、ひと月前には、それこそこの男、リチャルド・ドルトフ将軍閣下は考えもしていなかったことだ。

「だが、それも再起のためだ……我が輩はこんなところで終わる男ではないのであるっ!」

 存外澄んだ声で激高し、喉を涸らしたドルトフは、思わず拳を座卓に叩きつける。

「座卓を壊さないでくれよ?……まぁ、俺さんはあんたさんの持ち逃げした戦力が目当てで、あんたさんは俺さんの地の利を当てにしている……お互い、足りないものを補い合って、幸せになればいいじゃないか、ぇえ?

 ま、一番気になるのは利益配分だが、その前に……」

 ゼットスは、ドルトフの正面に片膝を立てて座り、炉に掛けられた把手付きの細長い瓢箪のような、真鍮製の薬罐を手に取ると、将軍の前に置かれた器に向ける。丸い胴の下部より突き出た、鶴の首のように長い注ぎ口から黄金色の液体が、湯気を立てて器に落ちる。

「……茶は、いい。心が落ち着くからな」

 ゼットスは自分の器にも茶を注ぎ、口元に近づけて香りを堪能しつつ、話を続ける。

「その利益配分だが、あんたさんが砦を掌握した暁にゃあ、当面は少しばかり乱取りをお目こぼししてくれりゃあいい。そんでもって、ウライバ全土を手にしたら、その利権から恩返しをしてくれりゃあいいさね……」

 そう言って茶を啜り、感嘆の息を吐くゼットスを見てからドルトフは、自分も茶に口を付ける。

「……支配権を半分よこせ、とかではないのであるか……欲があるのか無いのか、わからない男であるな、貴殿は……」

「そういうのは面倒なだけだよ、俺さんは……」

 それが本心かどうか、信用ならない

 肩をすくめておどけるゼットスに油断無く視線を向ける将軍は、

「あまり派手にやり過ぎるな。交易都市から人がいなくなったら、その利権が減るのであるからな……」

 と、釘を刺しつつ了承する。所詮、口約束だが。

「しかし、まっこと良い茶葉である。盗賊にしては趣味がよい……これは、東はウイゲレの……鳳凰茶であるか!?」

 改めて茶を褒めるドルトフに、ゼットスが再び話しかける。

「流石はクメーラのお貴族さん、わかってらっしゃる……

 グルズさんの調べたところによると、奴らさんの脚甲騎は今日中には修理が終わる。夕方にはイバンの野郎さんも帰ってくる。このままだと、砦の戦力は盤石って訳だが、増援も交代もないから、相当疲弊しているはずだ……」

「グルズ?……あの翼の亜人であるか……」

 暗がりの片隅に、先ほどのツバサビトが蹲るように控えていた。

 まるで汚物を見るかのような態度の将軍を、ゼットスは窘める。

「そういう目をしちゃあ、いけねぇよ。役に立つ奴は、大事に扱わなきゃ」

 言葉を発しながら、平伏すツバサビトと同じ高さにしゃがみ、その肩を親しげに叩くゼットス。

「それに、ウライバ攻略の[奥の手]さんも、グルズさんがいなけりゃ、話を付けることは叶わないんだからなぁ……」

「わかっているのである!」

 いちいち苛立つが、正論なので仕方がない。そんなドルトフの態度が少し気に入らないのかゼットスは少々声を荒げる。

「だいたい、その[奥の手]さんは当てになるのか?!」

「何を言う! 現にこうして、ウーゴ砦に増援が行かぬように手を回しているではないか……!」

 興奮して思わず膝立ちになり、両腕を振って苛立つドルトフにゼットスは、

「まぁまぁまぁ……少し落ち着けや。茶の代わりはいるかい?」

 と、自分が煽ったにも拘わらずいけしゃあしゃあと茶を注ぐ。

 叫んだことで再び喉が渇いたドルトフは、今度は不用心に、注がれた茶にさっそく口を付ける。若干濃いめではあるが、すっきりとした味わいは、荒れた心を不思議と落ち着かせてくれる。

 ドルトフにとって、ゼットスが薦めた茶が、クメーラでも親しまれている茶葉と煎れ方であったことが幸いした。もし、この地方で時折見られるバター茶であったなら、彼は決して口にしないだろう。強いて不満を言うなれば、この場に何の茶菓子もないことくらいであろうか。

「……それよりも、貴殿の方はどうなのだ。一騎とはいえ貴重な鉄甲騎(キャバリ)を……その中でも一番の手練を貸し与えたのであるぞ!」

 とりあえず落ち着いたとはいえ、やや怒気を含んだ将軍の責めるような言い回しに辟易しながらも、ゼットスは自信たっぷりな表情で茶をすする。

「……あんたさんの鉄甲騎に加え、俺さんの温存していた脚甲騎二騎でイバンの野郎さんを足止めすれば、砦の守備は六機に減る。そこに、俺さんの[切り札]さんでウーゴの街を後ろから襲いかかり、挟み撃ちって訳よ……」

「それである……ウーゴの砦は、貴殿の地の利を持ってしても侵入口は無いと言っていたではないか?……」

 ドルトフの言うとおり、ウライバへの入り口は、ウーゴの街を除き、深い森林と岩山の連立する峡谷に囲まれ、鉄甲騎はおろか、兇賊の足を持ってしても走破は困難で、また、飛空船を用いても、構造上、高々度飛行が不可能であるため、ツバサビトでもなければ突破は不可能と言われており、それ故、この国は建国以来六百年もの間、望まぬ半鎖国状態を続けているのだ。

「その歴史も、今日で終わりよ……俺さんの[切り札]さんがウーゴの砦を落とし、あんたさんの[奥の手]さんがウライバへの道を手引きする……それで俺さんは、晴れて砦の奴らさんに仕返しができ、あんたさんは、めでたく独立国家の王様さんになれるってぇ寸法だ……くくく……ふははは……!!」

 高笑いするゼットスに、呆れたような表情を浮かべているドルトフ……

 薬罐を乗せた小さな炉に、赤く熱した焔石の光が輝いていた。



「大隊長、お茶が沸きました」

「お、すまん……」

 焔石が輝く携帯用の炉から降ろされた小さな薬罐、そこから器に注がれた濃茶を受け取ったイバンが、膝立ちの姿勢で駐機するバイソールの足下から見上げていたものは、林の中に墜落した、全長八十メートルを超す大型双胴飛空船の残骸だった。

 付近の狩人やホド住民より得られた様々な目撃情報から、この位置を割り出し、先刻、発見したばかりである。

 失われた技術の中で不可解にして貴重、そして高価な〈飛翔装置〉を用いて浮上し、回転羽根にて推進力を得る飛行機械……それが〈飛空船〉である。

 現在用いられているのは例外なく軍事用で、主に兵員輸送、特に鉄甲騎などの輸送、前線への展開に貢献している。

 大抵は、[方舟]型をしており、墜落している双胴型は、珍しいと云える。

 その構造は、強靱な骨格を持ちながらも、軽量化のために薄い鋼板で覆われ、焔玉機関を動力とした大型発電機で発電された電力で飛翔装置を駆動させている。

 現在の飛空船は、飛翔装置の性能が前文明時代より低下しているため、低空を飛ぶことしかできない。故に、飛行機と云うよりは、地上を走る船と言った方が正しいとも云える。

「紋章の照合確認……間違いなく、手配にあったドルトフ将軍の乗船〈メリアンヌ号〉です。それにしても、さすがに双胴は大きい……」

「……大隊長、貨物室には、何も残されてはいません」

「飛翔装置が全て取り外されています……発電用の焔玉も残っていません」

 探索に当たった部下の報告を聞いたイバンは、ふうむ、と考え込む。

「騎兵の報告では、地面に鉄甲騎どころか人馬の足跡もなかった……この痕跡を消す巧妙な手口……まさか、ゼットス一党?」

「連中の生き残りが、墜落した船を襲撃して貨物と鉄甲騎を奪ったとしたら、厄介ですね……」

「いや、それにしては、争った形跡がない。消したにしても、なさ過ぎる。だいたい、兇賊が絡むなら飛空船がこんな簡単に見つかること自体、怪しいと考えるべきだ……」

 捜し物というのは往々にして、見つかるときは呆気ないものである。

 それにしても、簡単すぎる。昨日まであれほど見つからなかったものが、今日になって、街道より程近いとは言わないまでも、決して遠くない場所で簡単に発見できたというのは、少々出来すぎではないか……

 胸騒ぎを覚えたイバンは、すぐに下知を発する。

「ここには脚甲騎二騎、騎馬一騎を残し探索を続行、残りの騎馬は、私と一緒にホドで再度聞き込みだ。何か知っている者がいるかもしれんからな」

 イバンは、茶を一気に飲み干す。その傍では、ヘルヘイが茶道具をてきぱきと片付け、すぐに機体へと駆け上がる。

「リストールの修理だけでは心許ない。せめて、増援が得られれば……」



「そのまま、そのまま……よし、止めろ!」

「左肩部接続を確認次第、油圧作動筒と補助電動機の取り付けに掛かれ!」

 砦の格納庫ではドルージの指揮の下、リストール三号機および六号機の修理が進められていた。作業に携わるのは、整備士も兼ねた予備機関士と、機体専属の機関士と操縦士、そして待機中の機関士と操縦士全員である。

 隣接する修理工場では、大型の鍛造機械による、取り外された装甲の打ち直しが行われている。

 機関士は鉄甲騎の整備、修理技術も持ち合わせている。本来であれば、専門の技師に任せたいところなのだが、あいにくと現在のところ、ウーゴ砦には専門の鉄甲騎技師はいない。従って、自分たちで行うしかない。

 この設備と人員で対処しきれない場合は、ウライバ王城の工場か、最悪は工房都市に持ち込むこともある。だが、それでは時間が掛かり、第一、王城の技師、そして運ぶための飛空船が二隻とも出払っているのだ。

「四番の伝導管を接続……パッキンも忘れるな!……固定の[魔術]も施しておけよ!」

「三番の蒸気伝導菅に亀裂確認! こりゃ、交換の必要があります……」

「じゃ、さっさとやれ」

「もう、予備がありません」

「じゃ、直すか、作れ」

「無理ですよ……街の工場に頼んでも、三日は待たされます!」

「しょうがねぇな、副隊長を呼ぶか……」

 足場から降りたドルージは、机にある電話器の受話器を取り、ハンドルを回して交換士を呼び出す。

「隊長室に繋いでくれ……」


 程なくして、シディカが欠伸をしながら格納庫へとやってきた。

「……私は鍛冶屋じゃないんですけどぉ」

「すまねぇ……シディカの[錬金術]じゃねえとこの亀裂は直せねぇんだ」

「所詮応急処置ですよぉ。それとぉ……」

 何かを言いかけ、そして諦めたシディカは複雑に曲がった伝導菅を受け取ると、持参していた黒地の布を地面に広げる。それは、二メートル四方の大きさいっぱいに描かれた、金糸による複雑な文字と図形の[陣]だ。

 シディカは陣の中心に油を入れた壺を置き、その上に三脚台を被せる。そして受け取った鉄製の伝導菅に、機関士に持ってこさせた鉄片を亀裂部分に重ね、紐で縛り付け、それを台に乗せて、最後に何やら書き込まれた紙の札を、両手でしっかりと伝導菅に貼り付ける。

「……終わるまで音を立てないで下さいよぉ? 気が散りますからぁ」

 その言葉の直後、シディカの表情が変わった。別人のように、真剣なものになったのだ。

 操縦士、機関士達が見守る中、シディカは両手を組み、祈るような姿勢で精神集中を続ける。

 その両手には、細かい文字が刻まれた、青い宝石が嵌め込まれた腕輪を一つずつ身につけている。

 突然、シディカが両手の印を素早く変え、念を込めて叫ぶ。

「……転移っ!!」

 その瞬間、油壺から盛大に炎が上がり、部品全部を包み込む。

 気がつくと、周囲は整備に携わる者だけでなく、給仕、兵士などが集まりだしている。その光景に皆が息を呑む中、シディカが両手を勢いよく左右に広げた瞬間、部品を包んでいた炎はボンッと音を立て、そして、消えた。

「……直りましたぁ」

 伝導菅に目を向けると、シディカの言葉通り、それは亀裂どころか汚れ一つ無い新品同様に変化していた。直後、感嘆の声が上がる。

「あくまで応急処置ですよぉ……この方法では、劣化が早いですからぁ……」

「……やっぱり副隊長の[魔術]はすげぇ……」

「だから、[魔術]でも[錬金術]でもなく〈心象具現方程式〉ですってばぁ」


 人々が[魔術]としている〈心象具現方程式〉または〈心象具現化術〉と呼ばれる術法は、〈火薬〉と並ぶ、前文明崩壊後に発明された、新しい技術の一つである。

 その発祥の起源は、実のところ定かではない。八百年より以前にはすでに原型となるものが世界各所で確認され、それが西方の研究者の手により学術的に統合、確立されていったのは、三百年ほど前と云われている。

 西方では、〈リアライズ・エクウェイジョン〉または単純に〈リアライゼーション〉あるいは〈リアライズ〉などと呼称されている。

 簡単に言えば、[人が心に描いたものを現実のものとして〈具現化〉する]ものである。例えばナランが使用した[発火]も、その一つであり、この世界では日常に於ける道具感覚で人々に使われている。


 この術は、媒体として〈蒼石〉または〈蒼玉〉と呼ばれる石を通して行使される。

 蒼石は焔石同様に、人々の間に普及している鉱石であり、想像した現象を実体化する特徴は、ある意味では、熱と云う形で、破壊の力を生み出す焔石とは対照的ではある。

 一方、蒼玉は、焔玉同様、蒼石を精錬、結晶化したものではあるが、こちらは製作の手間が非常に掛かり、焔玉以上に希少で、高価である。

 術の行使は、まず、実現したい現象、風景を想像し、その[念]を蒼石ないし蒼玉に込める。その[念]は蒼石(玉)の中で仮想平行時空として形成され、それを術者の精神力によって蒼石(玉)を刺激し、現実世界に仮想平行時空を[転移]する事で具現化する。


 その中で、広く世間で用いられているものは〈単式心象具現化〉と呼ばれ、少しコツを覚えれば、誰でも使用できるが、ごく簡単な現象しか引き起こせない。例えば、[小さな火種を起こす]とか、[わずかな間、周囲を明るく照らす]などである。

 ただし、専門としている職分にかなり精通しているもの――主に名工とか名医などは、自身の職分に見合う、より強い心象具現化を行うことが可能であり、たとえばベテラン機関士などは、より大きな[発火]が行使できる。そう言う意味では、ナランは高い才能を持っていると言えるだろう。

 〈単式~〉においては、触媒は小さな蒼石で十分である。

 大抵は首飾りなどの装飾具に加工され、多くはナランのように[護符]と称されている。


 一方、シディカのような専門家が使用するものは〈複式心象具現化〉と呼ばれている。

 〈複式~〉では、触媒は蒼玉が必要とされる。

 こちらは同じ装飾品でも、より豪華に作成されるか、逆に、盗難防止のため、目立たぬよう質素に作られていることもある。

 複式~は、無意識レベルで使用される単式~と違い、心の中で発生させる現象の具体的な原理――例えば、先の部品修理であれば、部品を構成する材料の大まかな成分、元の部品の強度、形状、構造などを把握する必要がある。

 従って、行使する術使用者に相当の知識が要求され、故にその探求に余念が無く、その技術の高さと研究する姿から、人々からは[賢者][魔術師][魔導師]と呼ばれている。


 本来、この術は複雑な呪文、(蒼玉以外の)触媒、儀式などは必要とせず、単に「想像し、願えばよい」のだが、実のところは言うほど簡単ではなく、複雑なこと、大規模なこと、永続するものを具現化するためには、堅固なイメージを浮かべ、維持する必要があり、それは、想像を絶する精神力を費やしてしまう。

 そのため、精神を集中する手助けとして、あるものは呪文を唱え、あるものは様々な道具で、あるものは儀式を行うことで自らに暗示を掛け、〈具現化〉の手助けとしている。

 特に、複数人で行う儀式などでは、意思統一の手段として、呪文が用いられることが多い。


 ちなみに、シディカをはじめとする術者は、[魔法][魔術]などの呼び名を快く思っていない。彼等、彼女等の間で術の行使は、[心の中で方程式を構築する]ように例えられていることから、[科学]として位置づけられており、それ故、この術は[方程式]の名で呼ばれることがある。

 強いて云えば、彼等術者は、[識者]と呼ばれることを好む。

 だが、一般の人々にはあまり理解されておらず、[魔術]、[精霊行使]、[錬金術]、[気操術]などと好き勝手に呼ばれていることが悩みである。

 もっとも、心象具現化は確立以来、研究が進められているものの、実のところ実体化の原理や元となるエネルギー源そのものはいまだ解明されていないため、[魔法]と云っても過言ではないのだが。

 そしてそれは、焔玉機関をはじめとする発掘技術も同じ事で、それらは発掘品を手本に複製しているに過ぎず、しかも、材質的に不明なもの、技術的に再現不可能なものは心象具現化術で補っているのだから始末に悪い。


「[わからないもの]を[わからないもの]で補うなんて、訳がわからないから、訳がわかるようになるために、私たちが研究しているんですよぉ……」

 訳がわからないことを言いつつ、修理された伝導菅を手渡しながら、シディカは作業が再開された脚甲騎を見上げる。

「前の戦いが激しかったからな……予備部品を全部使い切ってしまった」

 ドルージは手元の書類を見ながらぼやく。

「工房都市とは言わないまでも、せめて王城の工場でオーバーホールが受けられればよいのですがねぇ」

 時折、西方語が混ざるのは、シディカがクメーラ王国に留学していたせいであろう。

 いや、シディカだけでなく、他の人々も、最近は西方語混じりの言葉を使うことが多いと聞く。

 シディカから渡された伝導菅を、改めて確認した上で機関士に手渡しながら、ドルージは思い出したように問う。

「そういや、ゼットス党との戦いで分捕った脚甲騎の部品、あれの使用許可は出したのか?」

「昨日には出していますからぁ、今日にも返事が来るとは思いますがぁ……」

「……藩王陛下が御不在の間は、ダーマスルの野郎が仕切っていやがるんだったな。期待はしねぇ方がいいか……」

 そう言って、ドルージはこめかみを押さえる。


 二人の心配を余所に、修理は続いていた。

 その中で、ナランも懸命に働いていた。

 皆が副隊長の[魔術]を夢中で見物している間も、である。

 補助電動機を解体、点検し、組み立て、起重機で持ち上げ、電動工具で腕部に取り付ける。続いて鋼管、電線を接続し、電導試験器を繋いで通電を確認する。

 天性の才能か、ドルージの教えが良いのか、ナランの修理技術は、他の機関士の目から見ても明らかに上達していた。そして、機械に向き合うナランの顔は、明らかに活き活きとしていた。

「……だいぶ、手際がよくなったな。ここのところ、めきめき上達している」

「へへっ……」

 褒められて喜ばないものはいない。脇で作業をしていた機関士の言葉に思わず笑みがこぼれ、得意げになるナランだが、次の一言でその笑みは消える。

「名工の倅は伊達じゃないな……お前は、立派な技師になれるぞ」

「……僕がなりたいのは、機関士です」

 ナランの言葉に一瞬、戸惑う機関士だが、すぐにその意味を悟る。

「……そう、だったな。すまん」

 そのとき、格納庫内にプロイの声が響いた。

「皆さーん、昼食ができましたよぉ!」

 入り口側に、プロイをはじめとする給仕達が、昼食を入れたであろう大きな籠を担いでいた。

「すまんなぁ、プロイ……みんな、メシだ!」

 修理が一段落したこともあり、ドルージ含む全員が足場を降りた。ナランも、さすがに空腹には耐えられないのか、足場を降りる。


 臨戦態勢の中、ひとときの休憩が訪れた。

 作業に携わる皆が、運ばれてきた籠から薄く焼かれたパンと茹でた香草入り腸詰めを取り出し、大薬罐から茶を注がれた椀を受け取り、思い思いの場所に腰掛けて食事を取る。

「……隣、いい?」

 昼食を手にしたプロイが、地面に座し、腸詰めを挟んで丸めたパンに齧り付くナランの傍に座る。

 もちろん、答えは聞いていない。

「……いつも逢っているのに、ゆっくり話をするの、久しぶりな気がするね」

 プロイの声に、ナランは食事の手を止める。

「……まだ、ゆっくりなんてしてられない。食事が終わったら、すぐに作業再開だから」

「でも、日が傾く前には終わりそうだって、おじいちゃんが言ってたよ」

「隊長達の鉄甲騎の点検や補給も手伝わなきゃならないんだ。それに……」

 ナランの顔は、奧に鎮座する鎧武者――サクラブライの鎧に向いた。

「あいつの機関に焔玉を入れて、水もタンクいっぱいに入れなきゃいけないんだ。明日から、あれを実際に動かしての訓練だから……」

「……ナランが、鉄甲騎を動かすの?」

「……え?」

「だって、ナランはまだ、実際に動かしたことはないんでしょ?」

 心配そうに問うプロイに、ナランは軽く笑って答える。

「僕は機関士だ。実際に操る訳じゃないさ。それに……」

「……それに?」

「あれは……動かないよ。いや、動けないんだ……」

 そう呟きながら立ち上がり、正面からサクラブライの鎧を見上げるナランは、少し寂しそうだった。

「……ナラン?」

「僕はまだ見習いで、あの機体が練習台なのはわかっていたはずだった。

 でも、しばらく機関室の中で訓練しているうちに、情が移ったのかな……」

 ナランの視線は、鎧の顔である面頬……その奧でわずかに光る硝子の目に向いていた。

「いつかあの機体にイバン大隊長みたいな、すごい操縦士が乗り込んで、僕は機関士として一緒に戦うんだと、勝手に想像していた……」

 そう言って、ナランは床に再び腰を下ろして茶を一気に飲み干す。

「だから、あの機体に[火を入れる]って言われて、うれしくなった。夢が叶うのも近いって……

 でも今日、あの鉄甲騎、いや、あの鎧が何なのかを知って……」

 続ける言葉に迷ったのか、苛立つナランは左で頭を掻きむしる。

 その苛立ちが、真実を知った絶望からなのか、それとも、今の自分同様、何もすることが出来ないサクラブライの鎧に同情したためか、ナランには判断が付かなかった。

「あーもう、何を言ったらいいのかわからないや!」

「ナラン……」

 自分の思いが表現できず、苛立つナランを見たプロイの胸に、複雑な思いが過ぎる。

 ――ナランには機関士でなく、機械技師になってもらいてぇんだ……

 何時かドルージが呟いたこの言葉が、プロイの心に過ぎった。


「なーに暗くなってんの?」

 その言葉の直後、二人を温かい羽毛が包んだ。

「……ちょっとセレイやめろくすぐったい」

「セレイったら、もう……いつの間に帰ってきたの?」

「ついさっき……報告書の返事を渡そうと思ったら、シディカ様、こっちだって言ってたから……」

 この砦の中で、十代前半の少年少女は、この三人だけである。

 常に年長、年配者に囲まれている三人にとって、同じ年頃の友人同士の会話は、それだけでも、励みと慰め、そして気晴らしになるものである。

 ようやく場に明るさが戻ったところで、プロイが切り出した。

「今度、さ……非番になったら、街に行ってみない?」

「街?」

「ウーゴの街には、異国の品物とか人とか来るから、たまには気晴らしにどうかなぁって……」

 プロイの誘いに、セレイも、

「そーそー、街はいつ行っても珍しいものばかりなんだから!」

 と、興奮を隠さない。

 この時代、旅と言えば巡礼か商用、戦争を求める傭兵、あてのない放浪者くらいのもので、娯楽を求めての観光旅行なるものは確立していない。よって、外国の情報はそうした旅人からの見聞を頼るほか無く、そう云った意味では、ナラン達のようにウーゴのような貿易都市に住む者たちは、異国の文化に触れる機会が多いので、幸運と言える。

「でも、今は臨戦態勢が続いてるんだぞ。いつ、暇になるって言うんだ」

「大丈夫、午後からアタシが空から偵察するから、そしたら、すぐに見つけて大隊長にやっつけて貰うから!」

 ある意味、ナランとプロイにとって、セレイは羨ましい存在だった。それは彼女が[空が飛べる]ことではなく、同じような年齢でありながら、裏方である自分たちとは違い、伝令と偵察という重要な任に付くことで、実質[軍人]として目立って役立っているからであろう。

 無論、鉄甲騎の整備や食事の準備などの後方支援は軍事に於いて最重要ではあるのだが、まだ若い二人には、派手に写るセレイの活躍が眩しく見えるものだ。

 突っかかるナランに、得意げに胸を張るセレイだが、[空]という言葉に何かを思い出す。

「……そういえば朝、門から自働車が街に入るのを空から見たよ」

「自働車だって!?」

 セレイの言葉に、ナランはこれまでになく興奮する。

「どんなだった!? 音は?色は?形は!?……街道を走ってくるなんてすごい自働車だよ! ああ、早く見てみたい……」

「近いっ!近いっ!」

「ナラン、どうっどうっ落ち着いて……」

 満面の笑みでセレイに詰め寄るナランを、羽交い締めで引き剥がすプロイ。

「もう、機械の話になると、すぐにこれなんだから……ホントに……」

 ナランの乱れた襟元を直してやりながら、ホントに機械技師になったほうが良い、と言いたくなったプロイだが、それは、ぐっと堪えた。

「はぁ……はぁ……もう街にはいないよ、たぶん。なんか、馬車みたいな自働車が、馬車を引き連れてキタル山のほうに登ってったのを見たから……」

「山道を登る!? ホントにすごいや!!」

 ますます興奮するナランを、怒鳴り声が正気に戻す。

「昼休みの[見せ物]は終わりだ! 全員持ち場に戻れ!」

 [見せ物]という言葉が気になって周囲を見渡したナラン達は、恥ずかしさのあまり顔が真っ赤になった。周囲では、操縦士や機関士、給仕達がにやにや笑みを浮かべて三人のやりとりを眺めていたのだ……





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