ウーゴ砦
忙しいのは、兵士だけではない。
砦各所の守備兵や格納庫などの部署に朝食を届け、その後は夜勤を終えた兵士達への食事の給仕と、プロイをはじめとする職員は忙しく働いた。
プロイは、年の頃十二歳。 機関士長ドルージの孫娘である。
三年前、隊商を営んでいた両親を旅先の流行病で亡くして以来、ドルージが引き取り、この砦で祖父とともに働いている。
砦の雑用は、プロイを含む雇い入れた職員に委託していた。無論、身辺に問題がないものを雇用している。年配の職員が多い中、長い黒髪を後ろに束ねて懸命に働くプロイは、砦のマスコットのような存在となっていた。
だが、プロイはマスコットで終わるつもりはない。
一部施設の清掃をこなし、火を起こして風呂を焚き、手回しの洗濯機を懸命に回し、そして食事の準備をする。
年配の職員に混ざり、懸命に働くプロイの心は、自分を育ててくれた祖父の役に立ちたいという想いでいっぱいだった。
そして今も、仕事を終えた夜間組が、挽肉を詰めた饅頭を奪い合うように貪っていた。ブロイはそんな彼等を宥めながら配膳する。
「落ち着いて! お代わり、まだありますから……」
「プロイちゃん、お茶ももらえるかな?」
「忙しいから、自分で注いで下さい!」
「ちぇっ……」
プロイが運んできた肉入り饅頭の皿は、瞬く間にカラになる。ひと月も休暇を取り上げられた彼等にとって、食事が唯一のストレス発散と云っても、過言ではないだろう。その光景に、料理長が呟く。
「こんな状態じゃなきゃ、汁うどんとか羊の串焼き肉とか焼き飯とか、変わったものを作ってやれるんだが……」
料理長自身、同じ献立を作り続けることに飽きていた。
臨戦態勢時の食事は、簡単に食せるものとなるのが、この砦に於ける規則となっている。本来ならば、満腹になるまで食べることも(いざというとき動けなくなるので)許されないのだが、一ヶ月もの間、激務が続く状態では、もはや歯止めが利かず、黙認しているのが現状である。
この食堂が、この国本来の高床に直接座す生活風習と異なり、椅子と卓を用いた西方様式であるのも、迅速に対応するためである。
献立が饅頭や春巻きなのは、いざというときは持ったまま移動できるためであり、当然、手に油などが付かないよう、半分ほど紙で包んである。
今は料理長が気を利かし、味付けや食感を変えることで飽きが来ないようにしているが、正直、そろそろ限界である。
やがて夜間組の食事が終わり、食器を洗うプロイの後ろで、〈ツバサビト〉の――プロイと同じ年頃と思われる少女が、肉饅頭を無心に頬張っている。
「朝からそんなに食べたら、重くなって飛べなくなっちゃうよ、セレイ……」
「……途中でおなか減ったら、墜落しちゃうよぉ」
プロイの苦言にも拘わらず、セレイと呼ばれた、赤茶と白の羽根を持つ異形の少女は、手羽先の細指でおそらく三つ目と思われる肉饅頭をつかみ取る。
「それにこのお饅頭、皮の耳がサクサクしてて美味しいんだもん……」
「褒めてくれてもお茶くらいしか出ないぞ」
満足した表情のセレイに、料理長は厨房から笑みを浮かべて答える。
〈ツバサビト〉は、この世界に住む亜人の一種で、全体のシルエットこそ人ではあるが、両腕と下半身全体が猛禽類のそれであり、当然、それらの部分には羽毛も生えている。
砦勤務のセレイは袖を省いた、伝令の制服を身につけているが、亜人の中では、現在でも山岳や森林などで狩猟生活を営む原始的な種族であると云われており、人里に降りても半裸で過ごすものが大半である。
ツバサビトは、その姿通り、早馬の三倍以上の速度で飛行が可能であり、この世界に於ける最速の知的生物としての能力を活かし、希ではあるが、セレイのように[伝令][飛脚]の仕事に就くものもいる。
そう言う意味では、セレイは軍人扱いされ、兵士と一緒に食堂で食事を取ることが出来るはずであるが、多くの亜人種は人間扱いされない場合が多く、職員とともに台所で食事を取れると云うだけでも、大変な厚遇と言える。
これは、ウライバ藩王国を取り囲む山々に様々な亜人種の少数部族が点在して暮らしており、建国以来、協力関係にあることが由来する。
少なくとも、砦の人間は見知った亜人種を軽蔑することはない。
当然、それはプロイも同じであり、砦に於けるセレイは、唯一、同姓、同年代の友人である。
「プロイも、少し休みなさい。見廻り組の昼食の準備は、こっちでやっておくから……」
「……あ、はい。ありがとうございます!」
給仕長の言葉に、プロイもセレイの隣の席に腰掛け、饅頭に手を伸ばす。
「やっと朝ご飯……」
「おつかれー……」
四つも焼き肉鰻を平らげたセレイは、満足げな表情で、もぐもぐと饅頭を食べるプロイの横顔を眺める。
「…………」
「え?……何?……」
見つめられていることに気付いたプロイは、食べるのをやめてセレイに向き直る。そんな彼女にセレイは、にやにやした笑みを浮かべる。
「……ここの所ナランとお話しできなくて、寂しいんじゃないかと思って」
「お、お互い忙しいんだから、しょうがないのよぉ!」
何故か頬を紅潮させるプロイは、大口で饅頭にかぶりつく。照れ隠しだろうか。
「それにしても、ナランはずいぶん明るくなったよねー……」
溜め息をつくようなセレイの言葉に、プロイも頷く。
「……去年の今頃だよね。ここに来たのは……」
プロイが最初に見たナランは、祖父ドルージに弟子入りを懇願している姿だった。必死な表情で頭を下げ、理由も言わずに、ただひたすら「機関士になりたいんです!」と叫ぶ彼に、祖父は、丁度、故障を起こしていた脚甲騎を指さした。
「こいつを直したら、考えてやる。設備は自由に使え」
その際、故障箇所を教えなかった。
後にドルージがプロイに語ったところによると、
「たいした故障じゃなかったが、どっちみち素人に直せるわけはねぇ……
最初は、音を上げたところで、違う仕事を紹介してやるつもりだった。
あいつは憧れとか夢とかで機関士になりたい訳じゃねぇのが見えていたからなぁ……
まぁ、そんな上辺だけの理由だけだったら、本気で追い返していたが……
おそらくあいつは、憎しみとか、仇討ちとか、そんな理由で機関士を目指そうとしているのかも知れねぇ。
操縦士になれるのは貴族だけ……財もコネも運もない奴が鉄甲騎に乗るなら、機関士になるしかねぇからなぁ……」
――憎しみに駆られたものが安易に力を求めれば、身を滅ぼすだけだ――
そう考えたドルージは、この少年を出来るだけ鉄甲騎から遠ざけようとしたのだ。
もとよりドルージには、少々、捻くれたところがある。
かつては先代ウライバ藩王の専属機関士を務め、現役を引退した後、ウーゴ砦の機関士を束ねる立場となった彼は、何故か弟子を取ることはなかった。
自分の子にすら、技術を教えていないのだ。
操縦士は、ある程度、身分、家柄を要求されるのに対し、機関士は純粋に技能職であり、実力主義である。機関士を目指すものは、独学で学ぶか、経験豊かな機関士に弟子入りするしかない。
しかし、ドルージという男は、一切弟子を取らないことで知られていた。
部下としてドルージの指揮下に入る機関士は、彼から多くのことを学ぶため、自然と、師弟のような関係となるものの、結局の所は部下でしかない。
ドルーシは、弟子入りを懇願するものを頭ごなしに追い出すのではなく、無理難題をふっかけて諦めさせる。そして、これまで出題された試練を突破できたものはいなかった。
ところが……
「あいつは……ナランはやり遂げやがった。あの壊れた脚甲騎を修理しちまったんだ……
バト・ボルド・ゾグリドの倅ってぇのは本当だった……あの希代の鉄甲騎技師の教えを受けたと知ってりゃあ、違った難題を押しつけたろうに……」
確かにナランの父親は、ドルージが知るほどの名工ではあったものの、実際のところ、父の作業をわずかに手伝っていただけの少年が、たった一人で巨大な脚甲騎を修理するのは至難の業である。
それでもナランはやり遂げた。
十日を掛け、故障箇所を発見し、修理を完了させたのだ。
見かねた機関士がこっそり修理の手助けをしたり(見つかる度にドルージに怒鳴りつけられた)、プロイが食事を差し入れたり(ドルージもさすがに見て見ぬふりをした)、周囲の支援もあってのことではあるが、完了させたのは、まさに執念に他ならなかった。
作業を手伝った機関士の言葉である。
「あいつ、本当は機械いじりが大好きなんだろうな……」
彼には、作業中のナランが、少年の笑みを取り戻していたように思えた。
ともかく、ナランは、晴れてドルージ最初の弟子となったのである。
ナランを支援したものの存在、支援を受けた事実は問われなかった。
運も人徳も実力の内と考えてのことである。
「まぁ、手伝いがあったにせよ、約束を破るのは俺の性にあわねぇからな。それに、あの才能を潰すのは同じ技師の心を持つ身として許されないと思った……そこで、俺の元に置いて技を磨かせ、ついで精神も鍛えようと思ったわけだ……」
その甲斐は確かにあった。
この一年の間に、ナランは技を身につけるだけではなく、人間的にも少しずつ解れ、やがて自然に笑みを浮かべるようになっていた。
出来ないと思われた難題を克服し、念願の機関士になる手がかりを得たことによる達成感、そしてプロイやセレイをはじめとした砦の面々との触れ合いが少年の緊張感を解き、ナランは徐々にではあるが、少年らしさを取り戻していった。
だが、プロイは知っていた。
一人になると、形見であろう護符を取り出し、真剣な顔で凝と見つめるナランの姿を……
自分の目的を忘れまいとしている少年の姿を……
「プロイ、見廻り組に弁当を届けるの、手伝ってくれ」
「……あ、はい」
給仕長の言葉で我に返ったプロイは、すぐに席を立つ。
「……あ、アタシもそろそろ時間だから、そろそろ副隊長のトコ行くね」
伝令であるセレイの通常任務は、朝夕、定時報告を王都に運び、その返事を貰ってくることである。その他、臨時の伝令や偵察任務など、飛行可能なセレイの仕事は意外と多い。
ある意味、代えが効かない存在であり、それ故、冷遇されることはないとも云えた。
「シディカ様、時間にルーズだから、催促しないと……」
「じゃあ、気をつけてね……」
執務室に向かうセレイに手を振ると、自分もそれぞれの弁当を入れた鞄を持てるだけ持ち、他の給仕係の後を追う。
外では、三騎の鉄甲騎と五騎の騎馬が出発の準備を整えつつあった。各機の前には、揃いの小札で鎧う操縦士達と、ウライバ様式にアレンジされた板金甲冑に身を包んだ騎兵が、出発前の最後の打ち合わせをしていた。それぞれの機関士はすでに乗り込んみ、機体の調整を進めている。
「イバン大隊長、弁当、出来ました」
「お、ご苦労さん……みんなに配っておいてくれ」
声を掛けた給仕長に気さくに答えてはいるが、イバンは、妹シディカともども、ウーゴの領主である父ダルバから砦の守備隊の指揮を任されており、ついで、ウライバ藩王の親戚筋でもある。国が国なら、給仕係が気安く声を掛けて良い相手ではない。
だが、イバンは身分を笠に着ることを嫌う性格のようで、身分の貴賎問わず、誰でも気軽に話しかけられる雰囲気を作ることを心がけている。
無論、指揮官としての役割は忘れてはおらず、必要な場合は、毅然とした態度で事態に対処するだけの器量、判断力は備えている。
「……今日もイバン大隊長が見廻りに出掛けられるのですか?」
機関士の分を含む二つの鞄を手渡しながら、心配そうに顔を見るプロイにイバンが笑いかける。
「まぁ、人手不足な上、戦力不足もあるからな……今、まともに動けるのは私直属の第一小隊だけだ。
砦の指揮は、シディカに任せてあるから、大丈夫だろう……」
そう言って、自機を見上げるイバン。
彼の乗機であり、ウライバ藩王国の主力鉄甲騎でもある〈バイソール〉は、建造から五十年以上が過ぎている旧式騎ではあるが、度重なる改修を繰り返し、辛うじて現行騎に対抗できるだけの性能を保っている。
その姿は、決して優美とは言えない――と言うより無骨そのものではあるが、見た目通りまさしく重厚な甲冑を思わせる。あるいは、角こそ無いものの、猛々しい雄牛と云った雰囲気だ。
ちなみに、イバンの機体は、外見こそ他のバイソールと同一であるが、内部は相当、改造されており、操縦性を引き替えに、性能が強化されている。
バイソールの隣には、部下の乗る脚甲騎〈リストール〉が二騎、控えている。主力とはいえ、数を揃えるには困難な鉄甲騎を補うために購入した機体であり、スクラップを寄せ集めた、胴体にめり込んだ頭部(無いと言っても通じる)が特徴の、継ぎ接ぎだらけの箱のような外見ながら、内部には手を加えられており、性能は悪いわけではない。
ウーゴ砦に配備されている機種はバイソールが三騎、リストールが六騎。
それぞれバイソール一騎に対し、リストール二騎が随伴する形が、一つの小隊として扱われているのである。
これはウーゴ砦に限ったことではなく、小国ならば、大抵はこの編成である。実際、バイソールのような鉄甲騎だけで部隊を組めるのは、よほど裕福な軍隊か、あるいは国王直属の旗本衆くらいであろう。
現在、まともに小隊を形成しているのはイバン大隊長の隊だけである。
本来なら、指揮官は砦に於いて全てを指揮、統括しなければならないのだが、二週間前に起きたゼットス党討伐の際、第二、第三小隊のリストール各一騎、合計二騎が激しく損傷しているというのが現状である。
「……ゼットス一党はこの前、徹底的に叩きのめしたから、当面は鳴りを潜めるだろう。だが……」
「……まだ、クメーラ王国のほうが片付いていんですよねぇ。はぁ……」
書き終えた報告書を筒状の容器に詰めながら、イバンの妹にして、砦の副隊長であるシディカがため息混じりに呟いた。
「仕事したくないよぉ……本読みたいよぉ……研究したいよぉ……」
魔導師特有の長衣に守備隊の紋章入りの外套を着こなす、艶やかな黒髪、細く美しい顔立ちの若い美女も、瓶底のような眼鏡と、だらけた姿勢で椅子にもたげ、手足をばたつかせる姿で完全に台無しである。
シディカは、求めてこの役職に就いたわけではない。
花嫁修業のためにクメーラ王国に侍女として赴いた折、宮仕えの識者に才能を見出され、花嫁修業そっちのけで[魔術]と[錬金術]の習得に没頭してしまい、それ以来、彼女の行動原理は、知的欲求を満たすことに集約されるようになった。
修行の末に残念才女と化してクメーラ王国から帰還したのちは、知的欲求の赴くまま独立工房都市への留学を希望していたが、両親からの反対に遭い、やむなく独学で研究を続けていたものの、領主の姫君がなんの仕事もしていないのはけしからん、と、云うことで、趣味として学問や研究を続けても良いという条件で、最近になってウーゴ砦守備隊の副隊長として着任した。
不本意ながら、させられたのだ。
「こんな時に武装蜂起なんて起こしてぇ……挙げ句失敗して逃走ぉ……」
「あのー副隊長?」
西方暦八〇八年五月――
ひと月前の出来事である。
ウライバ藩王国より西に位置するクメーラ王国にて、ある辺境伯が陰謀を巡らし、武装蜂起を計画した。
王直参の近衛を丸め込み、一部の諸侯を味方に付けた辺境伯の謀反そのものは直前で阻止したものの、呼応して挙兵した反乱側の諸侯鎮圧には、現在の戦力では時間が掛かり、このままだと、本格的な内戦に発展してしまう。
この非常事態に、クメーラ国王は、国を取り巻く十を越える藩属国に援軍を要請することを決した。
ウライバ藩王国を含む藩属国は、その肩書き通り形的にはクメーラ王国を宗主国とした支配下にあるのだが、軍事権、外交権は制限付きながら認められており、その代わり、要請があれば、兵役、労役などに資材、人員を提供するなどの助力を求められるという、実質的には上下関係がはっきりした同盟関係と云ったほうが良い。
だが、今回の要請はちょっとした博打でもある。
もし、藩王国の中に、謀反の側に付いたものがいた場合、あるいは、この機に乗じてクメーラの支配下を脱することを画策するものがいた場合、結果、敵対勢力増加を招くだけになってしまう可能性が生じるのだ。
そんな中、当然ながらウライバも出兵の要請を受けた。ウライバ藩王レイは、すぐさま派兵を決定、虎の子の大型飛空船二隻に鉄甲騎を十二騎、装甲騎馬五十騎を含めた兵二百五十人を乗せ、王自らクメーラへと出陣した。
本来であれば、有事の際の備えとして、大型飛空船の内、一隻は国内に留めておくのが通例であるため、これはかなりの異例と云える。
目的は、クメーラ王国支援のためである。名目でもなければ、建前でもない。まして、偽りでも謀りでもなかった。
これは六十年ほど前、クメーラ王国危機の際、先々代のウライバ藩王がクメーラ国の王太子を匿い、立て籠もった経緯から、彼の国のウライバに対する信頼は篤く、藩王国としては、対等同盟国並みとも云える破格の待遇を受けていることもあり、それに応えるものではある。
また同時に、謀反を起こした辺境伯による藩王国の扱いに不満があったことに他ならない。もし彼の辺境伯が政権を取れば、全ての藩王国がクメーラに吸収され、独立が保てなくなるばかりか、属国以下の扱いを受けることは必至であった。
ともかく、ウライバ軍は出陣した。上空を通り過ぎる二隻の大型飛空船をウーゴの人々が驚愕の眼差しで見送ったのは、まだ記憶に新しい。
そして藩王率いる軍団は、治安維持活動のため、いまだ帰還していない。
そんなとき、ウーゴ周辺でも事件が起きた。
これまで散発的だった兇賊団〈ゼットス一党〉の活動が、ここに来て急に活発化したのだ。
おそらく、出兵したことでウライバおよびウーゴ砦守備隊の兵力が減少したと踏んだのだろう。
奴らはこれまでも、街道を通る隊商、近隣の街や村を襲撃し、そのたびにイバン大隊長率いる守備隊と争い、追い払われてきたが、今回はこれまでになく大胆に、そして、より大規模に活動を始めたのだ。
だがイバンは、この状況を逆に利用した。
活動が大胆になったことで油断、そして隙が生まれ、馬脚を現わし、綻びを見せた組織は脆い。
セレイによる空中からの偵察で拠点を突き止めたイバンは、半ば危険とも言える、守備隊全軍投入による強襲を敢行した。
岩山の影に隠されたその場所が、本当に兇賊の本拠地であったかどうか、実のところ定かではない。だが、様々な盗品と多数の脚甲騎が隠されていた大洞窟は、連中にとっては重要な拠点であったことは間違いない。
そして、強襲は成功した。
激戦の末、脚甲騎二騎が損傷したものの、賊の脚甲騎を全滅させ、敵戦力の半数を壊滅に追い込んだのである。
残念ながら首領のゼットスをはじめとする組織の半数は取り逃がしたが、暫く鳴りを潜めるだろう。あとは、藩王の帰還を待ち、改めて討伐隊を編成すればよい。
少なくとも、兵を休ませることは出来る。
そのはずだった。
クメーラ王国の使者が、新たな危機を知らせてきたのだ。
辺境伯側に属する、辺境警備軍指揮官ドルトフ将軍が、王国より東方面、すなわちウライバ藩王国の方角に逃走したというのだ。
逃走には大型飛空船が用いられ、その中には将軍直属の旗本衆である鉄甲騎六騎、装甲騎馬軍団二十騎、そして、先祖伝来の凱甲騎が搭載されているとのことである。
これが、ゼットス一党との戦闘後、臨戦態勢が解除されない理由である。
「兄上、早く悪者やっつけて、私に休暇くれないかなぁ……でなきゃ、将軍が別の国とかに逃げてくれないかなぁ……」
副隊長とは思えない言葉を呟きつつ、シディカが窓辺にもたげたそのとき、
「副隊長!」
「……はいっ!?」
気がつくと、セレイが肩を怒らせ、頬をふくらませながらシディカの側に詰め寄っていた。
「……報告書、届けなきゃならないんですけど!」
出発の準備を整えたイバン隊の頭上を、一瞬、影が過ぎった。報告書を携えたセレイが執務室の窓から飛び立ったのだ。
セレイは、一度空中で輪を描くように旋回しつつ上昇、その後、東の空へと飛び去った。
「セレイが帰ってきたら、上空偵察をしてもらうか……」
そんなことを考えながら、イバンは膝立ちの姿勢で駐機するバイソールによじ登る。
「件の将軍は、南方防衛の要塞指令と聞き及んでいますが……」
自機に乗り込み、「ほいメシ」と昼食入り鞄を手渡してきたイバンに、それを「どうも」と受け取り、後席の脇に置きつつ、機関士ヘルヘイが尋ねる。
「自分に手が回ることを予想していた将軍は、旗本衆を予め郊外に逃がし、闇夜に紛れて飛空船で逃げたとか……ただ、大国の将軍という地位にしては、取り巻きの数が少ないような……」
操縦室に腰を下ろし、固定具を付けたイバンは、半分呆れ顔で答える。
「まだ着任したばかりの若輩者と聞いている。[親の七光り]でなったような奴だから、着いてくる者が少なかったのだろう……
それにしても、謀反失敗に備えていたとは……将軍はよほど用心深いのか、なんとかって辺境伯は配下からも信用されていないのか……」
報告によると、飛び去ろうとする飛空船を発見した鎮圧部隊は慌てて砲撃したものの、間に合わずに逃走を許してしまった。だが、砲撃の一部は命中し、飛空船の船体に損傷を与えているらしく、それほど遠くには飛べないと思われていたのだが、その油断から、逃走を許してしまったらしい。
結局、飛空船は東の方角に逃走したことが判明しただけである。そして、その後の調査で将軍の船は、ウライバ近くに逃れたことが発覚したとのことである。
クメーラ国内は、鎮圧されつつあるものの、いまだ混乱状態にあり、討伐隊を編成する余裕はないとのことであった。
「ともかく、この街道沿いには山が多い。飛空船を隠すにしろ、乗り捨てて逃走するにしても、隠れる場所に困ることはない……
だが、鉄甲騎が七騎に騎馬の部隊となると、そう簡単に隠せるものじゃない。昼間であれば、空中からセレイの目で見つけることも可能かもしれん」
そう言ってイバンは座席の右にある槓桿のひとつを引き、バイソール胸部の搭乗扉を閉じる。それと同時に、操縦士の前面に降りてきた受像器に、鉄甲騎の[目]である撮像器から入る情景が映し出される。
受像器の両脇には操縦桿が取り付けられており、それぞれの先端には、大小二つの引き金のようなものを含め、複数の釦と、小さな槓桿が長短ふたつ取り付けられている。イバンが右操縦桿先端の短槓桿を親指で左に倒すと、受像器の映像が左に旋回する。バイソールの頭部が左を向いたのだ。
バイソールの撮像器は、開きっぱなしの格納庫を受像器へと映し出しており、その中では現在、前回の戦闘で損傷を受けていたリストールの修理が急ピッチで進められていた。それぞれ機体の足場には、待機組の操縦士と機関士、整備士を兼ねた予備機関士、そしてナランとドルージを加えた計二十四名が作業に当たっていた。
「そっちは任せましたよ、ドルージ殿……」
「今日中には修理してやるよ!」
拡声器を通じたイバンの声に、手を振って答えるドルージ。それを見たイバンは、槓桿から親指を離して機体頭部を前方に戻し、今度は座席左の横に倒れた槓桿を引き上げる。それと同時に駆動音が響き、受像器の風景が上昇した。バイソールが立ち上がったのだ。
イバンは、出発の前に再びバイソールの首を動かし、足下近くで見送るプロイに目を向ける。
「……辛いだろうが、もう少し耐えてくれ。近いうち、皆が少しでも休暇を取れるようにしてみよう……」
「ありがとうございます!」
その心遣いに、大きく頭を下げて礼を述べるプロイを見たイバンは、
「……本当に、どうにかしなきゃ、行かんな」
と、呟きつつ、バイソールの首を定位置に戻す。
その瞬間、大人に混ざり、懸命な態度で修理に励むナランの顔が写り込む。
「子供まで、働かせているんだ……私たちがそれに応えなければ……」
「汽罐圧力正常、焔玉機関出力安定……前席、発進よろし」
「……全隊、前へ!」
号令と共に、イバンは右側二つの接続槓桿を[巡航][歩行]に入れ、その直後、足下にある三つの踏板のうち右側を軽く踏み込む。その操作にわずかに遅れてバイソールはゆっくりと、一歩ずつ、地響きを立てながら、重々しく前身を開始した。
その後ろから、短槍を装備したリストール二騎と、騎兵五騎が追随する。
鉄甲騎の操縦は実のところ、動かすだけならそれほど難しくはない。基本動作は魂魄回路を通じて機体に覚え込ませてある為、決められた槓桿や踏板、開閉器を適切に操作すれば、それに従った動作をしてくれる。バランスなどの細かい制御は、(機関制御を除いて)全て魂魄回路が担ってくれるのだ。
鉄甲騎の基本的な操縦とは、それらの操縦装置を操作し、様々な動きを行わせることであり、操縦士は、一見簡単な動きを複数組み合わせることにより、鉄甲騎を自在に操ることが出来る。
戦闘行動も同様である。攻撃目標を視界に捕らえ、照準器で狙いを定めて対象を固定すれば、機体の方で、ある程度追尾するようになる。操縦士は機体を武器の射程まで接近させ、操縦桿の引き金を引くだけでよいのだ。
ただし、それらはあくまで動かす[だけ]の話であり、乗りこなすとなると、そう簡単にはいかない。単純に攻撃だけでも、敵との間合いを計り、適切な射程と角度、力加減などの判断は全て操縦士に掛かっている。
更に付け加えれば、操縦士は自分の機体の特性を知る必要がある。特に、機体の反応速度は重要である。往々にして鉄甲騎は、操縦士の操縦に即答することはない。従って、機体ごとのタイムラグを読み取り、時に先手を打って機体を操作しなければならないのだ。
操縦士に求められるのは、的確な判断力と、柔軟な応用力であると云っても良いのだ。
イバン隊が砦の城門に差し掛かる。
そこには、ウーゴへの入城を希望する隊商や旅人が、手続きのため列を成していた。砦はウーゴ市街、延いてはウライバへの入り口である。この地を訪れるものは必ずウーゴの城門を通り、取り調べを受け、定められた税を支払い、入城が許される。
また、滅多にあることではないが、旅人が鉄甲騎で街を訪れた場合、砦で預かることになる。
交易都市であるこの街には毎日、多くの商人が訪れる。逆に、この地は峡谷に囲まれた複雑な地形のため、また、ウーゴより先はウライバで袋小路となるため、目的のない、通りすがりの旅人が宿を求めて立ち寄る街でもない。
入城手続きを待つ人々が列を成す中、手続き待ちの馬車のひとつに、イバンの関心が向いた。
いや、それは馬車ではない。
「……乗用の自働車とは珍しいな」
それは、最近普及し始めた〈自働車〉と呼ばれる乗り物である。外見は、幌を畳んだ屋根無しの豪華な中型馬車といった感じであるが、後方に水容器と汽罐が見えるところから、焔石機関を動力にしている事は間違いない。
もともとは、牛馬に依存していた大砲などの重量物を引く作業を効率よく行うために開発されたものであるが、最近では、このように一部のものが乗用として使用することも増え始めている。
「頭のターバンから見て、運転している老人はトバンの商人ですかね……街道を自働車で来るなんて、無謀すぎませんか?」
後席から覗き込んだヘルヘイが驚くのも無理はない。自働車は速度こそ馬車を凌駕しつつあるが、出力、耐久共に不安が残り、更に云えば乗り心地もあまり快適とは云えない、発展途上の交通手段なのだ。
ちなみに、この世界では、現在のところゴムタイヤは存在するものの、全てソリッドタイヤであり、空気入りゴムチューブタイヤは発明されていない。
ついでに言えば、履帯も発明されておらず、もし、それらのものが発明されれば、この世界の交通事情は格段に変化することだろう。最悪の場合、鉄甲騎の存在さえ危ぶまれることになる。
もっともそれは、遠い先なので、現時点では物語に影響を及ぼさない。
イバンは、バイソールの首を動かすことなく、左操縦桿の短槓桿で撮像器のみを傾けて自働車を観察する。
「見たところ、どこかの工房都市で拵えた特注品だな……それよりも……」
イバンが気になったのは、自働車の後部席に座している、巌のような体躯の男の存在だった。
ゆったりとした袖を持つ前袷の衣服に、虎模様の羽織、ボサ髪を後頭部にまとめて結い上げる独特の髪型……何より、肩に担いだ、組紐が幾重にも巻かれた鮫革の柄を持つ、黒漆塗りの鞘に収まる緩やかに反りかえる湾刀……
「ありゃ、〈サムライ〉だな……」
「サムライって……あの遙か東方の島国にいる武者のことですか!?」
「そうだ。私もよく知らんが、西方の騎士に似て異なる文化と価値観を持っているそうだ。巷の噂では、優れた〈気〉の技で鉄甲騎すら斬るとか……」
イバンの言葉に、ヘルヘイは肩をすくめる。
「そんな莫迦な……生身で鉄甲騎と渡り合える奴なんて……」
「いない訳じゃないさ。私も逢ったことはないが……」
そう言いながらも、イバンはそのサムライから目を離さない。
ふと、サムライの目がイバンと合った。
――気付いた?
そんなはずはない。イバンはバイソールの頭部を動かしてはいない。あくまで撮像器の視界範囲内で見ていたのだ。
だが確かに、車中のサムライは不敵な笑みを浮かべ、バイソールの目を通して見ているであろうイバンの視線と自身の目を合わせていた。
「噂の真偽はともかく、敵として逢いたくない男ではあるな……」