魔法
洞穴に戻った三人が思い思いの格好でくつろいでいる。温泉の余韻か表情は緩く、温まった体に冷たい岩が心地良い。
「気持ち良かったわねー。温泉があって本当に良かったわ」
「あたしは恥ずかしくって全身から火が出そう……」
「色んな意味で気持ち良かったんだけどね、生殺し感がハンパねーのよ。勃ちっ放しで全然萎える気配がねーし。今晩夢精するかも」
「勃つとか萎えるとか言うな!」
「硬くなりしっ放しで全然軟らかくなる気配がねー」
「言い換えても同じよっ!」
「んー、でも無駄撃ちは勿体ないわね」
「は?」
「姐さん、何言ってるの?」
タカコの一言にリカとオズが驚愕の声を上げた。顔の前で手を振り苦笑いを浮かべるタカコ。
「いやいや、変な意味で言ってるつもりはないんだけど」
「変な意味にしか聞こえないわよ!」
「だってさ、精子はタンパク質だって言うじゃない? 今後私たちがタンパク質を確保できる保証はないのよ。ってことは精子が貴重なタンパク質になる可能性があるかなと」
「……」
目をつぶり考え込むリカ。二人の顔を交互に見て数度口を開け閉めしたオズが明後日の方向を見ながら小さな声を出した。
「えー、一回の射精に含まれるタンパク質は百五十ミリグラム前後だそうです。ないよりはマシかも知れないけど、ご期待には副えないかと……」
「……何でそんなこと知ってるのよ?」
「昔の彼女に飲ませたくて色々調べました。精子を飲んだら肌がきれいになるとか言われているのは都市伝説です」
「サイテー」
「残念ね。……でもそこは若さ故の回数で……」
「ムリ。干乾びる。それに頑張るにもタンパク質が必要だし、そっちを直接摂った方がよっぽど効率が良い」
「そんなことよりも、これからのことよ! 食べ物を探さないと!」
「あー、そうね。このままだと一週間持たないわね」
「ってことで、あたしとタカコさんが食糧調達。オズ君はできる範囲でここの快適化ね」
「了解。そっちは絶対二人で行動してよ。何があるか分からないんだから」
「もちろんよ」
洞穴から出て連れ立って歩いているリカとタカコ。二人とも迷彩服を着込み、リカはリュックを背負って腰にナイフを差し、タカコの胸元は閉まらずに大きく開いている。
「狙いは果物かな。ぱっと見野菜なんて分からないだろうし。……リカちゃん、動物を捌いたことある?」
「ないわよ。精々魚を三枚に下ろしたことがあるくらい」
「そうよねー。私も。ま、捕まえられるかも分からないけど、捕まえたらやるしかないわね」
「……卒倒するかも」
「頑張りましょ」
その頃、洞穴に残されたオズは地面にある小さな石を拾っては投げ拾っては投げを繰り返していた。
「これ、風呂入った意味がねーんじゃないのか? あっちゅー間に汗まみれだぞ……」
独り言をこぼすのも仕方があるまいと思うほどに作業は進まない。歩行訓練を兼ねて杖をついて一歩進み、しゃがんで石を拾い、洞穴の入り口の方に投げる。投げるのも利き手ではないために狙いが定まらず、あくまでも『入り口の方』にしかならない。
「片足でスクワットやってるのと同じだよな。左脚が太くなりそう……」
立ち上がって腰を伸ばすとバランスを崩して転びかける。咄嗟に右脚を出しても長さが足りないので支えにはならない。何とか踏みとどまるも冷や汗は止まらない。
「……異世界ではゴミ拾いも命懸けか」
二人の食糧調達は思いの他順調に進んでいた。と言うのもリンゴに似た直径十センチほどの果実がなっている樹が群生している場所を発見できたからだった。更に『気』?に目覚めたリカの身体能力により、五メートルほどの高さにある果実をさほど苦労することもなく収穫することができたのも非常に大きい。
さすがに五メートルを直接跳べるわけではないが、タカコの補助もあって途中の枝に手をかけることはできた。
数本の樹から均等にもぎ取った果実はリュックの半ばまでを占拠し、ずっしりとした重みを肩に伝えている。
「リカちゃん、凄いわね。私だけだったら見つけても採れなかったわね」
「ふふふん、『気』よ。多分まだまだ伸ばせるよ。タカコさんもやってみれば良いのに」
「そうね。戻ったら試してみるわ。……今日はこの辺で終わりにしようか。暗くなる前に帰りたいし無理すると明日からがつらいしね」
「うん、帰りましょう」
洞穴に戻ってきた二人の目に映ったのは、入り口近くにやたらと集まっている石と壁にもたれて精根尽き果てているオズの姿だった。
「……燃え尽きたよ。真っ白になった」
「余裕あるじゃない」
「口だけ。石拾いが全身運動とは知らなかったよ。明日も筋肉痛間違いなし。このままだとマッチョになるかも」
「あー、そうね。……あんたも不思議パワーを覚醒させれば良いのよ」
「簡単に言うけどね、良く分かんないよ。……つーか、何その頭の悪い言い方」
「頭が悪いって言うな」
「まあ良いや。そっちはどうだったの?」
「果物ばっかりだけど大量」
「おおー、素晴らしい」
「はい、食べてみよう」
サバイバルナイフを使って器用に皮を剥いていたタカコが昨日のレトルトの器に実を並べて差し出した。外見はリンゴに似ていたが、皮を剥くと梨に見える。
早速一つを頬張るオズ。暫く咀嚼し飲み込んで一言。
「梨ほど甘くないけど十分食べられるよ。おいしい」
「どれ、……本当ね。これなら当面空腹を満たすことはできるけど、これだけってわけにはかないわね。……そこらへんで動物なり魚なりを見つけられたら良いんだけど」
「明日は温泉の下流に行ってみようか。魚がいるかも」
「そうね。そうしてみましょうか」
「俺は?」
「……リハビリ?」
「……了解です」
「あと、不思議パワーね。覚醒するのよ!」
「…………了解です」
「何か不満そうね」
「いや、不満と言うわけじゃないけどね。今日だってやらなかったわけじゃないのよ。何かあるのは感じられるのは間違いないんだけど、動かない。リカさんみたいに循環させようとしてもこれっぽっちも流れていかないんだよね。正直良く分からん」
「……二人とも何か感じてるのね。私もやってみようかしら」
「やってみて!」
「ん、ちょっとやってみる」
目を閉じて手を組み静かに息を吐くタカコ。ゆっくりと吐きゆっくりと吸う。数回繰り返し目を開ける。
「うん、確かに何かあるわね。でも、『気』なんて私、分からないわよ。気功もヨガもやったことないし。何か他にイメージし易いものないかしら?」
「……この手のお話で定番は『魔力』かな。良くあるのは体内の魔力を循環させて魔法が効率良く使えるようになるってヤツ」
「魔力を循環で魔法ねえ。……どれどれ」
再び目を閉じるタカコ。固唾を呑んで見つめる二人。そのまま暫く経つと気のせいか空気が暖かくなってくる。
タカコの額には汗を浮かび始めている。風もないのに揺らめく髪。タカコを中心に何かが渦巻いている。
目を開けたタカコが胸の前で掌を合わせる。合わせた掌をゆっくりと離すと間には直径十センチほどの大きさの球体が生まれていた。掌から離れた球体は天井に向かって浮かび上がって行く。するすると上がった球体が天井にぶつかって割れると、白熱灯のような柔らかい光が生じた。
入り口から射す僅かな光しかなかった洞穴内が明るくなり、お互いの顔が良く見えるようになった。
言葉もない二人の顔を見て、得意気にタカコが言った。
「『光、あれ』ってね」
「……うおおおっ! 何それ!? 魔法? 魔法なの?」
「ちょっ! 凄い! ずるい!」
「うん、多分魔法なんだと思う。魔力……なのかな? に意志を込めて外に出してみた。色々なことができそう。例えば……」
タカコが座ったまま地面に手を当てて目を閉じる。暫くすると地面がかすかに振動を始め、落ちていた小石や砂利が飲み込まれて平らになっていく。
「……こんな感じ?」
「え、これ、俺の今日の労働が全く無意味だったってこと?」
「あはは、ごめんねー。一日早く気づけば良かったねー」
がっくりとうなだれるオズと慰めるタカコを尻目にごそごそとしているリカ。壁面に掌を当てて目を閉じている。
「はっ!」
ドン!
掛け声と共に鈍い音が響き、パラパラと天井から砂が落ちてきた。
「……できない」
掌を離した壁面には手形が残っている。
「いや、『できない』じゃないでしょ!? 何やったの?」
「壁を平らにできないかなって……」
「……破壊活動は止めてもらえますか?」
「……気をつけます」