破落戸
一行が村に居を構えてから、幾つかの季節が巡り、夏になろうとしていた。村の入り口近くに与えられた二軒の家は、外見は変わらず古臭いままだが、内部はタカコによってオズ達にとっては馴染み深く、他の面々にとっては見慣れない様式に改装されていた。扉を開けると板敷きの居間があり奥には対面式の台所が作られている。居間には木製の食卓や椅子があり、椅子には獣の毛皮が乗せられている。台所の竈の位置は高く、立ったまま調理ができるようになっている。
改装というよりも、古い家の中身をくり抜き中に新しい家を建てたに等しい。外側をそのままにしているのは、張り切るタカコをオズが必死に止めた結果である。町から役人が来た際に悪目立ちしないようにと。
家自体は小さいため、地下を掘って空間を確保したのは以前済んでいた洞穴と同じである。浴室は作ったものの、貴重な水を勝手に引いてくることもできないので、入浴の度にタカコがお湯を生み出している。
放棄されていた畑が復旧し、また虎の毛皮を売って購入した穀物によって、村の食糧不足はある程度解消され、冬を越すことができた。虎が居なくなったことで村民が狩りや採集に出られる様になったことも状況を好転させている。
これまでは税を支払った後の収穫物はほぼ村で消費されていたが、獣の毛皮や肉の一部を町に持ち込み、保存の利く食料や金属塊を入手できるようになったことも生活を改善させていた。
町との取引は新任の助役が取り仕切ることになっているが、実質的な差配はトカウが行っていた。なお、その更に後ろにはあまり自重をしない大人達が隠れたつもりになっている。
オズとリカがたまに山に入っては引き摺ってくる大きな鹿や猪は村人の腹を満たし町との取引に使われ、タカコは水の足りない畑には魔法で生み出した水を撒いた。また、手に入れた鉄を使って農具を片端から強化して回った。
村人にとって今年の収穫は例年以上に良くなると希望が持てるようになっている。少し前には壊滅の危機が迫っていた村は大きな変化を迎え始めていた。
村の中を子供達が走り回っている。畑は青く、農作業をしている村民の表情は明るい。柵は二周りほど広げられ、これまでは外にあった畑が内包されるようになったため、獣に荒らされることも少なくなった。
村から町へ到る道に人影が見えた。段々と近付いてくる。六人の男達だった。手には槍や斧や棍棒を持っており、とても友好的には見えない。男達に気付いた村民が村長のクシドに知らせようと走り出した。残りの面々は子供達を集めて村の奥に避難する。
男達の発見を知らされたクシドとサンサが村の入り口で待ち構えていると、殊更ゆっくりと歩いていた男達が漸く到着した。
「このような辺鄙な村にどのようなご用件で?」
「おう、最近この村の羽振りが良いと聞いてな。そういう時には良からぬ輩が集まって来るものである。我等が警護をしてやろうと思ってな。ああ、良い良い。我等は清貧を旨とする故風雨を凌げる屋根があればそれで良い。おお、奥のあの家なら、全員入ることができそうだ。空いているのであろう? 皆まで言わなくとも分かっておる。ああ、流石に町からここまで来るのに少々疲れた。……おお、飯を用意してもらえるか? 助かるのう」
クシドの問いかけに、先頭に立った男が一方的に捲くし立てた。男の言う『良からぬ輩』が自分達を指しており、警護と言い張って居座るつもりなのは明白であった。また、『奥のあの家』はサンサの家であり、空き家などではない。村の噂を聞きつけた破落戸が甘い汁を吸うためにやって来たに過ぎないのは、遠くで聞き耳を立てている子供達にも分かることであった。
あまりの言い草に声も出ないクシドに先頭の男が尚も話しかける。
「隣の村ではな、その良からぬ輩が暴れてのう、畑は荒らす、家は壊すで大変なことになったらしい。どうじゃ、我等が居れば心強かろう。何、礼は要らぬ。毎日少しの飯があれば良いのだ。ああ、我等は粗忽者故に満足に飯の支度もできぬ。済まぬが簡単な世話をしてくれる女人をつけてくれ」
クシドがサンサと顔を見合わせて何と答えたものかと首を捻っていると、二列目にいた男が棍棒を肩に乗せて前に出た。
「なあ、ウチの頭領が村を守ってやるって言ってるんだよ。返事はどうした? 『分かりました、お願いします』って言やあ良いんだよ。そうじゃないと、……おおっと危ない!」
ゴン!
男がわざとらしくよろめいて棍棒を叩きつけたのは近くの家の扉だった。吹けば飛ぶような作りに見える家は、見た目とは裏腹に棍棒の一撃に傷もつかず、揺れることすらなかった。
予想外の手応えに棍棒を取り落とした男は、落とした棍棒を拾い腰をいれて強振した。
ゴツン!
木の扉を叩いたとは思えない硬い音がする。扉に変化はない。
「何だ、こりゃあ!」
向きになって棍棒を振るう。普通の扉なら何十枚と壊せるほどの連打にも扉は揺るがない。男が叩きつかれて肩で息をしていると扉が内側から開いた。中から出て来たのは機嫌の悪そうな顔をしたオズだ。オズは無造作に男の手から棍棒を毟り取ると、男を後ろに向かせる。
「おい、てめえ……、ぎゃあ!」
何か言いかけた男を無視して振り抜かれた棍棒は男の尻を強打した。倒れて尻を押さえる男の背中や尻に棍棒が振り下ろされる。
「いたっ! やめ! 助けて! ……」
頭は狙っていないようだが無言のまま容赦なく痛めつける姿に、破落戸のみならず村民までが呆気に取られている。力を入れ過ぎたのか棍棒が根本で折れた。男はピクリとも動かない。折れた棍棒の先がコロコロと転がり、村長と隊長の間で止まった。手元に残った棍棒の残骸を放り出したオズは破落戸達を睨みつけた。
「棍棒で扉を叩くな。用があるなら手で叩け」
一際大柄な男が周りの面々を押し退けてオズの前に立った。オズよりも頭一つ分程背が高い。体の厚みは三倍以上ありそうだ。
大男が手に持った斧をオズに突きつけ何かを言おうとしたところで、無造作に斧を引っ張られて体勢を崩した。跳び上がったオズの右膝が男の鼻っ柱に突き刺さる。鼻を押さえて蹲った大男の側頭部を両手で掴むと、そのまま何度も右膝を突き上げた。普通の膝でなく、木製の義足の膝を。鈍い音が何度も響く。時折地面に落ちる白い物は折れた歯のようだ。
膝を真っ赤に染めたオズが手を離すと、男は地響きを立てて倒れた。うつ伏せになった顔の辺りから血溜まりが広がっていく。
「刃物を人に向けるな。怪我をしたらどうする」
不意打ちとはいえ、力自慢の仲間が立て続けに酷く痛めつけられて熨されたのを見て動揺する破落戸達。隊長はオズの実力を見極めるかのように注視したところで、腕が二本しかないことに気付いた。
「何だ、腕無しが何しやがる!? おい、村長! 片輪を表に出すんじゃねえ!」
村長に視線を移した隙に近寄ったオズの左手が頭領の胸倉を掴む。右腕は既に振りかぶられている。
ボキン!
左の鎖骨に振り下ろされた義手の右拳が骨を砕く。
隊長は悲鳴を上げて下がろうとするが、胸倉はオズに掴まれたままのため仰け反ることしかできない。顔でも体でもどこでも良いとばかりに殴りつけるオズ。隊長は必死に四本の腕で防ごうとするが、オズは防御の腕でも構わずに拳を叩きつける。堅い義手に腕も肋骨も鎖骨も胸骨も砕かれた隊長は痛みに耐えられずに気絶した。口からは泡を噴いている。
「腕はちゃんと二本ある。腕無しじゃない馬鹿にするな。それと、差別は良くない」
破落戸達は言葉もない。高々数十人しか住民が居ない村。若い男はせいぜい十人程度でこちらは武器を持っている上に喧嘩慣れしている。楽な仕事になるはずだった。暫く、或いは永くこの村に君臨して甘い汁を吸う。
それがおかしな腕無しの男に全て台無しにされた。熨された三人は生きてはいるようだが、まさに壊されている。次に壊されるのは自分かも知れないと思えば、一刻も早くこの場を立ち去り町に帰りたい。
「さて、そもそもお前達は何だ? この村では見たことのない顔だがどこから何しに来た?」
今更な問いかけである。オズは誰が何をしに来たのかも確認せずに、出会い頭に男を三人ぶちのめしたことになる。いつか大きな事件が起きるような気もするが、今回は破落戸達の出鼻を挫く良い働きだった。クシドは未来の不安には一旦目を瞑り、数分前の破落戸達の台詞をオズに伝えた。
「もう、何て言うか細かいところは違っても大凡トカウ様の予想通りでした。私は本当に押しかけ用心棒が現れるとは思っていなかったんですが……」
「いつの世も自分では汗をかかずに人様に集って生きようとする奴はいるもんですよ。嘆かわしいことですが。……おい、見ての通りお前ら程度では用心棒にはならん。この三人を連れてさっさと帰れ」
破落戸達が慌てて怪我人を担ぎ上げ逃げ出した。村民達は日常に戻り、それぞれの仕事を再開する。残されたのはクシドとサンサ、それにオズと地面の血溜まりだけになった。
夜になった。クシドの家に大勢が集まっている。一つ目の輪はクシド、サンサ、トカウ、ヤージェ、リジュ、オズ、タカコ、リカの八人。それを囲むようにして村の男衆が座っている。
「オズ殿に無理をして頂いたお陰で、まずは撃退に成功しました」
「気にすることはないよ。俺達も村の一員だし。やれることはやるさ。幾らろくでなしだって分かっていても、人を殴るってのはあまり気持ちが良くないねえ。まあ、腕が少ないことも含めて危ないヤツがいるって印象は与えられたかな」
「問答無用でやってもらいましたからね。でも、今日の男達がもっと人数を増やしてやって来ると思います。あの手の輩は面子を重視するのでやられっ放しはまず我慢できないので。町に戻って仲間に声をかけて、適当な得物を集めてで再び現れるまでに二三日程度ですかね。次もしっかりと対応すれば、それなりに噂が広まって馬鹿なことをしようとする奴らが少なくなると思います」
白湯を啜りながらのんびりと話すのは、この場で最年少のトカウだった。周囲の大人達は子供と馬鹿にすることなく真剣に耳を傾けている。
「村の近くで夜になるのを待つ。寝静まったころに何人かが忍び込んで女子供を人質にする。人質を盾にして抵抗を封じて自分達の要求を呑ます。ついでにオズ殿を痛めつけて溜飲を下げる。……恐らく彼らの作戦はこんな感じでしょう。オズ殿が一人いるだけで正面からでは分が悪いと悟ったでしょうから」
「なるほどね。で、こっちはどうするのかな?」
「んー、徹底的に潰します。この村に手を出すのは割に合わないと心身に刻み込んでやりましょう。町の破落戸程度には負ける気がしません。ただ、その後がちょっと問題になりそうなんですよね」
「具体的には?」
「それはですね……」
田舎の村には娯楽など多くは無い。トカウの語る作戦に皆夢中になり、作戦会議と言う名の独演会は遅くまで続いた。 ちなみに、終わったのは息子の健康を心配するリジュの視線にトカウが耐えられなくなったためである。いくら頭が良くて大人びていても、トカウはまだ十二歳である。身体の成長のためにはしっかりとした睡眠が必須なのである。