虎退治
荷物を満載した荷車を牽いていたオズが足を止めた。後ろから押していたトカウとヤージェがつんのめる。
野山の中や荒れた道を歩くこと十日余り、幾つかの村や町を経由して辿り着いたのは、小さな村だった。サージェン四等爵領との間には幾つかの貴族領を挟んでいる。
村には簡易な柵が築かれ、周囲を堀が囲んでいる。柵の内外に畑はあるが、外側の畑はかなり荒れており、あまり実りが多いとは思えない。内側の畑で作業している数人の村人達はかなり痩せている。
「農作業をしている人が少ないように感じるけど……」
動き始めた荷車を先導するリカが呟いた。
釣られてオズとタカコも周囲を見渡した。
「こっちの畑は荒れ過ぎじゃないか? すっかり萎れちゃっているよ」
「働いているのもお年寄りに女子供ばっかり。若い男性はいないのかしら?」
「ふむ。戦争でもしていない限り、男がいない村は考え難いですな。若様、事情を聞いて参ります。ついでに泊まる所があるかも。オズ殿、車を止めて頂きたい」
「うん、ヤージェ、頼むよ」
オズが荷車を再度止めると、ヤージェが村に向かって歩き出した。
村の入り口で足を止め、近くで農作業をしている中年の女に声を掛ける。
「忙しいところにすまぬが少々お尋ねしたい。良いだろうか?」
「これはお武家様、何事でございしょうか?」
「うむ、見たところ、この村には若い男がいないようだが、何かあったのか?」
「実は、少し前より大きな獣がこの辺りに住み着いております。村の若い衆が退治しようとしたのですが、何人も食われてしまいました。逃げ帰って来た者も大怪我をしており、狩りも畑仕事もできません。畑も柵の外は諦めました」
「ふむ、それは難儀なことよのう。食料は足りておるのか?」
「かなり切り詰めて冬に備えておりますが、外の畑を捨てたので秋の収穫が足りなくなります。冬を越えるのは難しいです。何人生き残れることか……」
「なんと、そこまでか。ご領主様には困窮をお伝えしておるのか?」
「先日村長が町に向かいましたが、まだ戻っておりません……」
「……なるほど。我等で何か手助けができるやも知れん。代わりと言っては何だが、暫く村に逗留できないだろうか?」
「家は幾つか空きましたのでご使用頂いても構わないと思いますが……」
「ああ、食料についてはこちらで用意するので気にする必要はない」
女に案内されたのは村の中心近くにある一軒の家だった。中に入ってみると、土間の中心に竈があり最低限の煮炊きはできるようになっている。竈から少し離れて草を編み込んだ敷物が敷かれている。また、椅子の代わりなのか、大きな石が幾つか竈を囲むように配置されている。
「狭い所ですが、ご自由にお使い下さい。後で助役よりご挨拶させて頂きます」
女が去ったのを確認してから、タカコがリジュに尋ねた。
「この辺りでは、こういう住居が一般的なのですか?」
「そうですね。村の貧しい農民や猟師の家は多少の差はあってもこういうものです」
「もう少し豊かになるとどうなりますか?」
「竈以外の床が板張りになります」
「……」
「姐さん、どうしたの?」
「ここ、作り変えて良いかしら?」
きれいに整地された土間の中心に石組みの竈がある。竈を囲むように石でできた六脚の椅子が等間隔で配置されている。椅子は座っている者に合わせて高さを変えており、足つきが良く座り易い。良く見れば竈も工業製品のように滑らかな石で組み立てられている。
竈には鍋がかけられ肉や野草を煮込んでいる。
ヤージェが状況の説明を始め、トカウが質問をする。
「さて、村長が居らぬので仮にではありますが、暫くはここに逗留することが許されました。ただ、この村は冬に向けての蓄えが足りておらず、このままでは長くもっても春には壊滅するかと思われますな」
「なぜ放置されている畑があるのだ? 柵の外の畑に手を入れれば収穫は増えるだろう?」
「人手が足りておりません。獣の退治に失敗して若い男が激減した結果、柵の内側だけで手一杯だそうで」
「そういうことか。私達で何かできることはないだろうか? 我が領民ではなくともみすみす死なせるのは心苦しい」
「この村に必要なのは、まずは獣を退治することです。獣を何とかしないことには春どころか冬が来る前に全滅するかも知れません」
「獣はそんなに危険なのか?」
「村に来れば獲物がいることを覚えているかと。この村は獣にとって牧場です。腹が減る度に襲われますな」
「我々で退治できるか?」
「お任せください、と言いたいところですが私一人では少々荷が重く。見つけるにも退治するにも一人では何とも。お三方に手伝っていただければ心強い限りですが……」
ヤージェがオズ達三人に意味有り気な視線を遣る。顔を見合わせる三人。こそこそと密談をしてから、オズが口を開く。言葉はまだぎこちない。
「まず、獣の大きさ、数、習性などを教えてくれ。それに若い男達がやられた状況も。どんな獣か分からないと引き受けて良いのかの判断ができない。それと、引き受けるとしたなら、何らかの報酬は貰わないといけない」
「ご尤もですな。お三方はこの村を守る義務も義理もありません。村を何とかするのは本来は領主の役割であり、我々の想いも所詮は自己満足で我侭でお節介です。……若様、何か報酬にできるものはありますか?」
「皆さんが必要としている物は何でしょう? これまでも助けられてばかりで、既に負債がかなり溜まっているのですが……」
「んー、子供のお小遣いを巻き上げる気はないよ。報酬は村から貰う」
「子供扱いを怒るべきか喜ぶべきか悩むところではありますが、滅びるのを待つばかりとなっている村から毟り取るんですか? 死期が少し延びるだけでは?」
「……言い方はもう少し考えて欲しいかな。今日獣に喰われて死ぬか明日飢えて死ぬかどっちかを選べ、って言ってるわけじゃないから」
トカウの言葉に、憮然とした表情を浮かべるオズ。トカウは最初の内は大人しかったのに、慣れるに従って遠慮がなくなってきた。この様子では現四等爵や次期四等爵にも相当な態度を取っていたのではないかと少々心配になる。
「人が減ったのなら土地も家も余っているんじゃないかと思ってね。俺達が住む場所が欲しい。村の隅で良いから一区画貰いたい」
「仰る様に土地は余っていると思われます。村長と相談してみますが、良いんですか? こんなにところで」
「……見ての通り、俺達は他とはちょっと違う。具体的に言うと腕が少ない。こんなのが町に行くとどうなる?」
「……歩いていれば石を投げられ店に入れば叩き出される爪弾き。悪ければ忌み子扱いで殺されますね。殺した人は罪を感じることもないでしょう」
「そこまで酷いとは思わなかったよ! 忌み子? については後でゆっくり教えてもらうことにして、まあ、ここで村全体に恩を売っておけば、町よりは暮らし易いかなと思ってね」
「分かりました。私達もここに腰を落ち着けるつもりで交渉します」
暫く経って、クシドと名乗る助役が挨拶にやってきた。自分の覚えている室内と現状の室内との微妙な乖離に戸惑いつつ、簡単な挨拶の後に改めて村の惨状について説明を始めた。
ヤージェが代表して話を聞く。
「二十日程前に虎の番に外の畑に出ていた男が襲われました。近くにいた者達が追い払ったのですが、襲われた男は死にました。その後も虎は村の近くを徘徊しており、若い衆が十人程で退治に向かったのですが、逆に襲われて帰って来られたのは四人でした」
「帰ってこなかった六人がどうなったか分かるかの?」
「恐らく喰われたのでしょう。それから暫くは虎を見かけませんでしたが、最近また姿を見るようになりましたので、外の畑は諦めました」
「帰って来られた四人の様子はどうじゃ?」
「良くありません。生死の境を彷徨っている者が一名、残りの三名も命は助かっても今までと同じようには働けないでしょう」
「虎の大きさはどの位かのう?」
「大きい方で三歩分ほど、もう片方は少し小さいくらいです」
「行動する時間帯は?」
「一般的に昼間に行動し夜は休むようです。見かけたのも日中でした」
「攻撃方法は?」
「鋭い爪で切り裂くか強靭な顎で噛み砕いて獲物を狩ります。この村の柵位なら噛み砕かれそうです」
「つまり、現時点では虎に対しては成す術が無く、ご領主の助けを待つのみということか」
「……恥ずかしながら。村長のテンゲイが窮状を訴えに町に向かいましたが、首尾良く帰ってくるかは分かりません。援助を頂けなかった場合は、冬になる前に村を捨てることも考えなくてはなりません」
「難儀なことよのう」
ヤージェがオズに目を合わせると、前に仕留めた猫を大型にしたら虎になるのかと考えていたオズが頷く。二頭なら何とかできそうとの判断ができた。
「さて、クシド殿。件の虎退治、わし等が引き受けても良いと思っている」
「本当ですか!?」
「これ、慌てるでない。引き受けても良いが、ちょっとした報酬が欲しい」
「報酬ですか? 村中の金を集めても大した額にはならないと思いますが……」
「金は要らぬ。ああ、誤解するな、飯も酒も要らぬ。村の隅で良いから、土地を貰えぬか? 小さな家が二軒建つ程度の広さで良い」
「土地でございますか? 男衆が六人亡くなりましたので、確かに土地に余っておりますが」
「何か問題があるのか?」
「……いえ、土地だけと言わずに家もどうぞ。後ほどご案内いたします」
「うむ、ありがたい。虎退治は任せて欲しい」
「怪我をしている人達はどこにいるのかしら?」
ヤージェとクシドが握手をし、虎退治の請け負いと報酬が決まったところで、タカコが口を挟んだ。怪我人の話を聞いてからずっとそわそわしていたが、話が一段落したところで我慢ができなくなったようだ。
タカコの剣幕に驚いたクシドが戸惑い気味に答えた。
「全員村長の家で寝かせています。女衆が手当てをしていますが……」
「私に診させてもらえませんか? 何かできるかもしれません」
「良いのですか? 治療費のお支払いはできませんが……」
「構いません。今回は虎退治のおまけと考えてください。確実に治せるとお約束はできませんが、少しはお力になれるかと思います」
村長の家は村の入り口から奥まった場所に建っていた。周囲の家と比べると、幾らかは大きく丈夫に作ってある。扉のすぐ奥に土間があり、敷かれた藁の上に四人の男達が寝かされている。血を吸って赤黒くなった布を体中に巻かれた姿は痛々しい。明らかに手足が折れている者もおり、このまま傷が塞がっても何らかの障害が残るのは間違いないと思われた。
四人の内、三人は痛みに耐えかねて呻き声を上げているが、一人は完全に意識を失っている。
「一番酷いのは……、この方ですね?」
意識を失っている男は、六肢は辛うじて繋がっているが、そこかしこを喰い千切られており、まだ生きていることが奇跡のように見えた。血を流し過ぎたようで、肌の色は白く呼吸は細い。
傍らにしゃがんだタカコが布を丁寧に剥がすと腐りかけて変色した傷口が現れた。
村人達が見守る中、タカコは合わせた掌を静かに離す。掌間に生じた直径二十センチほどの透明な球体がゆっくりと移動し、男の傷口に触れると見る見るうちにどす黒い色に染まっていく。球全体が黒く染まったところで傷口から離れると、腐りかけていた肉がきれいな色に変わっている。
「次に……」
再度生み出された球が色の変わったばかりの傷口を覆うと、球が小さくなるにつれて体組織が内側から再生されていく。
周囲からどよめきが上がった。
「これなら……!」
タカコの掌から小さな球が溢れ出すと男の全身を包み込んだ。黒く染まったものは弾き出され、きれいな球が足されていく。体の前面が再生すると、ひっくり返しうつ伏せにしてもう一度。
全ての球が消えた後の男は、傷口だった箇所が薄紅色の肉で覆われた状態で呼吸も安定している。
全身に汗をかいたタカコが大きく息を吐く。
「ふう。では、次の方を……」
「姐さん、大丈夫? 息が荒いよ。残りは今すぐ治療しなくちゃ間に合わないってわけじゃなさそうだから、少し休んだら?」
「んー、残りの人は今の人程酷くないから何とかできそう。その後は暫く休ませて貰おうかな」
「そう、無理はしないようにね」
言葉通り、残りの男達の治療を済ませてから仮の宿に戻る。虎退治に関する村との打ち合わせは翌日にして。なお、助けられた男達の家族は何度も頭を下げて一行を見送った。
一行が村に着いてから数日が経った夕暮れ、村中に警戒の声が響いた。
「虎が出たぞー!」
町に続く道に二頭の虎がいる。何かを食べているようだ。入り口に集まった村人を掻き分けて到着したオズが目を凝らす。
「……人を喰ってる」
はっとした村人達は慌てて家族の顔を確かめる。
「このままにしとく訳にもいかないな。手遅れだとは思うけど、遺体くらいは回収しないと。リカさん、行くよ。」
「分かったわ」
「では、わしも」
虎に向かって歩き出すオズ、リカ、ヤージェ。少し後ろからタカコが続く。四人が近付くと虎は食べるのを止め、警戒を露にし、威嚇の唸り声を上げた。
「うるせえ」
オズの右手人差し指から光が迸ると、大きい虎が右目から煙を上げて倒れた。肉の焦げる臭いが周囲に漂う。小さい虎は咄嗟に踵を返し逃げ出そうとするが、回り込んだリカに行く手を阻まれた。立ち止まった虎に、剣を抜いたヤージェが斬りかかる。虎はヤージェの剣に追われて逃げようとするが、その度にリカに邪魔をされる。イラつきの叫び声を上げたところで足元で何かが破裂するような音がした。注意が足元に向いた瞬間に、リカの棒が首筋に叩きつけられる。続いて振るわれたヤージェの剣は何とかかわしたものの、隙だらけになった背中に棒を捨てたリカの掌が触れる。
「はっ!」
虎は地面で弾み、転がって止まる。背骨が折れたようで体が変な角度で曲がっている。力なく呻る虎に近付いたリカが首を踏み折ってとどめを刺した。
「タカコさん、音、ちょうど良かった」
「見計らってたもの。当然です」
虎に食べられていたのは村長のテンゲイだった。町からの帰り道、村まで後僅かの所で虎に襲われたようだ。嗚咽を漏らす村人達。テンゲイはそれなりに慕われていたようである。
五等爵の領地にあるこの小さな村では代官が送られてくることもなく、村長に何かがあれば助役が次の村長になるのが慣例となっている。慣例に従いクシドが村長に繰り上がり、テンゲイの長男であるサンサが助役に就任した。ちなみにサンサは虎に体中を喰い千切られ死にかけていたあの男である。なお、村長と助役は村の開墾を始めた二家が交代で務めている。
結局、テンゲイが領主からの助けを得ることができたのか分からないまま、再度町に使いを出し、村長の交代を届け出ることになった。町に行く序に、虎の毛皮を売って食料を買い込んできてはどうかと助言をしたのはトカウだった。かなり大きい上に傷が殆ど無い。それなりの値段がつきそうである。これだけで一冬分の村の食料が賄えるとは思えないが、かなりの足しにはなるだろう。
爪や牙や骨は何かに、と言うより武器にできないのかと聞くオズに、骨よりも鉄の方が硬いと真顔で答えたのは村でたった一人の鍛冶師だった。オズは骨粉を鉄に混ぜたり牙や爪を鍛造したりはしないのかと食い下がったが、鉄が熔ける温度になれば骨の多くは燃え、残るのはごく僅かであり、また熱した牙や爪を叩いたところで脆く砕けるだけだと明快に否定された。
日本で何度か参加した納骨の光景を思い出しがっくりと膝をつく。隣には同じように膝をついたリカがいた。二人は日本語で呟いた。
『本当にファンタジー成分が少ないわ』
『動物の骨はただのカルシウムか……!』