トカウの事情
朝からトカウがお説教されている。ヤージェとリジュが二人がかりで泡を噴きそうな勢いを見せている。トカウは神妙な顔をしている。
オズはその光景を見てクスリと笑った。笑ったオズを見たリカが怪訝そうな顔をすると、オズは笑いをいっそう深めた。
「説教するのもされるのも生きて一緒にいるからできること。昨日、リカさんが見つけなかったらどうなってたことか」
「それもそうね。ま、見つけたのはたまたまだけど」
「でも、問題はこれからよ。トカウ君が生きていて、保護する勢力がいるってバレたから山狩りが再開されるでしょうね。私達も覚悟を決める必要があるんじゃないかしら」
「覚悟って?」
「トカウ君達を匿って、警察だか軍隊だかと戦うかってこと。……今ならまだ私達のことはバレてないから彼らを見捨てて逃げることは可能よ。ここまで快適にした拠点を捨てるのは惜しいけど、今となってはどこにだって作れるわ。そうすれば、本来関係のない騒動から身を引くことはできる筈」
「あくまで彼らを匿うとするなら、いずれ衝突することになるってことよね」
「当たり前に刃物を持ってる奴等が、日本みたいにまずは逮捕、なんて考えてくれるとも思えないし、殺すか殺されるかの場面が簡単に想像できるな」
「そもそも、戦うにしても勝てるかって話よね。昨日は不意を付いたから何とかなったけど、正面からやりあった場合ってどうなんだろう? 日本にいた時に比べたら随分パワーアップしているしおかしな力も使えるけど、ここの人達の標準が分からないわよね」
「少なくとも、以前の俺は警察官とか自衛隊員五人相手に喧嘩できるかって言われたら無理だって答えるわな。ましてや殺し合いだったら一瞬でやられたね。今なら体がやたら頑丈になったから簡単にはやられないと思うけど、こっちの人達があの猫を当たり前に殺せるならちょっとまずいね」
「んー、一回ヤージェさんと試合をしてみたらどうかしら? 標準かどうか分からないけど、目安にはなるわよね」
「それだ!」
「……どうやって試合を分からせるかって問題が残ってるわよ」
「……」
タカコが地下をさらに掘り進め、五十メートル四方の空間を作り上げた。これまでと違い、床は固めておらず天井はかなり高くしてある。
所謂運動場である。
これで、洞穴は一階にリビングとオズ達の居住する大部屋。地下一階にはキッチン、浴室、トイレ、貯蔵庫にトカウ達の部屋。地下二階に運動場が設置された。
平然と地形を変えていくタカコの姿にヤージェとリジュは説教を忘れ、トカウは目を輝かせていた。
運動場の中央で向かい合うオズとリカ。間の距離は三メートル程。それぞれの手には二メートル程の棒を持ち構えている。壁際には残りの四人が揃っている。
「始め!」
タカコの掛け声と同時にリカが飛び出し、棒を上段から振り下ろす。頭上に掲げた棒で防ごうとしたオズの棒はあっさりと折れ、脳天に叩きつけられたリカの棒も砕け散った。
全員が固まった。青褪めるリカ。口をぱくぱくさせるタカコ。目を閉じて首を振るヤージェ。目を見開き口を覆うリジュ。自分の頭をさするトカウ。
「痛え」
ポツリと呟くオズ。
「え、それだけ? 会心の一撃だったんだけど」
「アホか! 殺し合いじゃないのに会心の一撃を放ってどうすんだよ! 俺じゃなかったらマジで死んでんじゃねーの?」
両手に分かれた棒を地面に叩きつけていきり立つオズを見て、残りの面々もようやく我に返った。
「オズ君、大丈夫なの?」
「大丈夫だけどさ、姐さんもこの脳筋女に何か言ってよ! 完全に趣旨を忘れてたよ!」
「脳筋とは何よ!」
「脳筋だろうが! 俺達が、何で、試合を、したのか、完っ全にすっ飛んでただろうが!」
「確かに忘れてたけど、そんな言い方はないんじゃない!?」
「開き直ってんじゃねーよ! 普通の人だったら頭割れてんぞ! 俺が死んだらどうするつもりだったんだよ!?」
「いや、それは……」
「オズ君、そんな普通の人なら死んじゃうような一撃で痛くないの?」
「不意打ちでサッカーボールがぶつかったくらいの衝撃。勢いで『痛い』って言っちゃったけど、実際は痛くもない。分かっていればヘディングレベル」
「昔から石頭?」
「んな訳ねーだろ。気だか魔力だかのお蔭。日本時代なら良くて大流血だよ」
「んー、三人の反応を見る限りでは、オズ君の堅さはここでも規格外のようね」
「嬉しいんだか嬉しくないんだか……」
その後、二人は改めて模擬戦を行い、ヤージェともそれぞれ手合わせをした。
リカは速度で大幅に上回るが技術に捌かれ、ヤージェの攻撃は身体能力に物を言わせて全て無理矢理回避したものの、終わってみると良いようにあしらわれていた。
オズは堅さでヤージェの攻撃を無効にしたが一切触れることはできなかった。
結果として、重要人物の護衛となる男に対し、「負けない」ことは可能であると確認できた。
ちなみにタカコは近接戦闘型ではないのでヤージェとの手合せはしていない。
「単純な体の性能で言えば二人はかなり上位にいるみたいね。それに発勁とかレーザーとか使えばそう簡単には負けないんじゃないかしら」
「何でもアリで一対一ならそこそこ。でも、魔剣とか聖剣とかヤバい武器を持ち出されたら厳しいんじゃないかな。ファンタジーだと防御無効とか普通にあるじゃん」
「当たらなければどうってことないわ」
「リカさんは、狭い場所で囲まれたらどうにもなんないだろ? つーか、アンタ、どこの少佐だ?」
「一人の人間に攻撃できるのは一度に四人らしいから、それだけ捌ければ良いのよ!」
「また信用ならない情報を自信たっぷりに……」
「ユージローの言うことに間違いはないわ」
「……昨日は人数も少なかったし不意打ちもできたしで何とかなったけど、いつもあんな風に上手くいくと思ったら大間違いなんだろうね。向こうはどれくらいの人数を動員できるのかな?」
「聞いてみるしかないわね」
「まあね」
タカコがたどたどしい現地語でヤージェに話しかけた。すぐにトカウが近づいてお互いの会話の補助を行い始める。すぐにオズとリカ、リジュも会話に加わる。
時折、ヤージェが興奮し声を荒げたり、リジュが涙ぐむ場面もあったが、今すぐに知りたい内容はおおよそ聞き出すことができた。かなり長い時間が必要だったが。
領主の私兵団が百人程度であり、非常時には住民が動員され総勢で七百人程になるということ。
私兵団は治安維持も担当しており、一度に動員できるのは精々半分であること。
町はタナンという名前で住民は五千人程度であること。近隣には百人程度の村が四つあること。
トカウは前領主の孫であり、リジュは母親、ヤージェはトカウの護衛であること。
領主の統治範囲は町と近隣の四つの村であること。
現在の領主はトカウの叔父であるヘツギ・サージェン四等爵であり、トカウの父親は地位を継ぐ直前に事故死していること。
父親の事故死はかなり怪しく、おそらく現領主による暗殺と思われること。
ヘツギの息子よりもトカウの方が優秀であり人望もあるため、何かにつけ嫌がらせをされてきたが、押さえであった祖父の死を契機に命を狙われ始めたこと。
命を狙われたトカウとリジュを連れてヤージェが逃げたが追いつかれ交戦、何とか振り切ったものの力尽きて倒れたところを三人に保護されたこと。
トカウ自身は領主の地位に拘泥していないが、ヤージェはヘツギを打倒してトカウに領主になって欲しいと思っていること。
ヤージェの腕は私兵団の中では半分よりは上だが上位というほどではないこと。
私兵団の中にはそれなりの腕利きも数人おり、魔術師が二人いること。
ヘツギの統治の方針は前領主と変わらず常識の範囲であり、住民が虐げられているわけではないこと。
王はヘツギを領主として認めており、関係は悪くないこと。
「だからと言って、殿の無念を晴らさずにおれますか!? 本来であればサージェン家はトカウ様がお継ぎになるべきもの。本筋に戻す必要があります! それに仇討ちをしないのは武家の名誉を失うことじゃ!」
「仮に討ち入りしても目的を果たせないでしょう。少なくても何十人かは倒さなくちゃいけないのよ」
「有象無象が何人おっても関係ない。一命を賭してヘツギを討ち果たしてくれよう!」
「いや、これは無理だよ。仇討ちだけなら何とかなるかもしれないし、ヤージェさんの気持ちは分からんでもないけど、素直に別の町だか村だかに逃げて暮らした方が良い。領主をやっつけても、その先がない。下手したらお家取り潰しでしょ」
「しかし……」
「ヤージェ、私だって父上の仇を取りたい。叔父上が憎いのも良く分かる。気持ちは同じだ。だが、今仇討ちに成功したとしても子供の私では領主になれぬ。良くて王都から送り込まれる代官による統治。悪ければオズ殿の言われたようにサージェン家の取り潰し。タナンは暫く叔父上に預け、今は機会を待とう」
「若様……」
「済まない。今暫く辛い思いをさせるが、私に力を貸してくれ」
「かしこまりました」
途中、ヤージェが激高して声を荒げる場面もあったが、タカコやオズの意見を聞き入れたトカウの決断により、暫くはタナンを離れて生活をすることになった。
「さて、話もある程度まとまったところで、引っ越しの準備をしないとね。この間の奴らに顔を見られているかもしれないし。俺達もいつまでも山暮らしってわけにもいかないでしょ。暫く一緒に動いても良いかな」
「そうね、私達は常識から何から分からないことばかり、彼らは身を守る手段が乏しい。お互いにメリットがあるわ」
「ここはどうするの?」
「水回りは元に戻して、後は封鎖しようかと思ってるわ。いつか使うこともあるかもしれないけど、水場を残しておくと黴ちゃいそうだもの」
「準備をしつつ、魔法を含めた常識の確認をしますか」