大名行列
弱ったことになった。
私は人と待ち合わせをしていて、相手は午後三時の汽車で駅にやってくることになっていた。私は余裕を持って、午後一時半に家を出た。駅から自宅まで、ほんの二十分である。
ところが、駅へ行く途中の川ではどこぞの大名行列が裾をたくし上げて、ざぶざぶと川を渡り、今は中州に集まっていた。侍たちは皆、黒い笠をかぶり、刀の柄を紫の袋で包んでいた。唐櫃を背負ったものやら鉄砲をかついだ足軽やらがぞろぞろ集まり、そして、中心には大名が乗っていると思われる塗り籠が鎮座していた。
このままだと私は彼らの行列に鉢合わせすることになる。私は大名行列が通過するまで道の脇により、土下座をして待たねばならない。
知り合いは土下座をするのは大名の籠が通り過ぎるときだけで、それ以外は端によって歩けば大丈夫だと言う。
だが、それを信じて横を歩いて抜けようとすると、たちまち斬り捨て御免で首が胴から離れはしまいか? どうも私は知り合いの意見に自信が持てなかった。
そうこう考えているうちに中州で一休みしていた大名行列が動き出した。裾をたくし上げた侍が家紋入りの幟を高々と掲げ、「下にい、下にい」と銅鑼声を張り上げた。鮎か泥鰌に土下座させるつもりなのだろう。朱の花剣片喰の紋に見覚えはないが、「下にい、下にい」と怒鳴っているのだから親藩に違いない。
要領のいいものたちは既に近くのコンビニエンス・ストアに逃げ込み、週刊誌でも見ながら大名行列をやり過ごす算段らしい。屋内であれば、土下座の必要はないのだ。
私もその例に倣いたかったが、遅すぎた。行列の先頭はすでに川から土手を上がり始めていて、家紋の幟がひらひらと手抜きの鯉のぼりのように空を泳いでいる。
仕方なく私は松の木の下で土下座をした。穿いていたのが汚れても平気なジーンズだったのは不幸中の幸いといったところだ。先触れが言ってしまうと、今度は藩士たちである。皆、黒笠に紫の柄袋をしていて、全員が同じ顔に見えた。見えたといっても、土下座の状態から盗み見したので確信と言えるほどのものは抱いていない。
大名行列というのはわざとのろのろ歩くものである。大名行列というのは大名にとって自分の藩がどれだけ豊かで立派な藩士を抱えているかを天下に知らせる大切な機会でもあるのだ。だが、それも土下座を強要されては見物のしようがない。私は腕時計をちらりと見た。時間は残酷なほどはやく過ぎていた。午後二時半。午後三時にやってくる知人を駅で迎えることは不可能だ。知人は女性である。私の家までの道のりを知らない。きっと待たせれば私に小言を言うだろう。
もちろん、弁解はできる。大名行列のせいで遅れたといえば許してくれることは間違いない。しかし、彼女は都会の女性である。
すると、私は大名行列がひどく時代遅れであり、またその存在を許している我が県自体が旧弊の、非合理的な、つまらないところ、つまり救い難い田舎に思えてしまい、大名行列に対する悪感情さえ沸いてきた。
はやく終わってくれればいいのに、と思うが、大名行列は槍持ち、鉄砲足軽、曲げ物、唐櫃、藩士の順番をえんえんと繰り返している。藩主の塗り籠はまだ中洲から動いてすらいないのだ!
私は立ち上がり、土手の道を突っ走り、行列を横切ってやりたくなった。侍たちはみな柄袋をしているし、鉄砲は火縄がはめておらず、槍も穂先は袋に入っている。すぐに私を斬ることはできまい。逃げ切ってしまえば、知人との待ち合わせに間に合うし、我が県の旧時代の遺物に対し、一県民としての気概を表すこともできる。
よしやるぞ、やってやるぞ、と心を決めたとき、藩士たちの表情が突然厳しくなった。何事かとちらりと上目で辺りを見ると、ついに藩主の籠が動き出したのだ。
途端に藩士たちが殺気立った。その殺気に私の気概は削がれて、結局、このまま土下座して待つことにしようという気になってしまった。しょせん、私は侍ではないのである。
藩主の籠が動き出すと、行列はさらにのろく動くようになった。無限に引き伸ばされた時間のなかで侍たちに頭を下げ続けることは決して愉快なことではないし、人を待たせているとあってはなおさらだ。午後三時十分。遅刻は確定した。
私は大名行列が恥ずかしくてしょうがなかった。こんなもののために多くの人々が土下座を強要され、それに従わないと斬られてしまうなんて、なんと馬鹿馬鹿しいことだろう。誰かが声を上げねばならないが、しかし、藩主の籠が近づいてくると、情けないことに生まれつき偉い人間に逆らえない小市民的な性格が頭をもたげてきて、結局、侍に生まれつかなかった私はこうして頭を下げ続けるしかないのだと一種の諦観さえ生まれてくる。
諦観はときに大胆さを与える。私は無礼討ちにされないギリギリの角度で頭を上げて、黒い漆がピカピカ光る塗り籠をじっと睨んでやった。
すると、椿事が起きた。行列が停止したのである。私の目の前には藩主の籠がある。しまった。睨んだのがばれたのか。私はそう思い、心底震え上がった。民間市井の平民づれが親藩の藩主に挑戦的な視線を送るというのはひょっとすると侍の世界では、それだけで人を斬るだけの大義名分をクリアしているのかもしれない。もし、そうならば、柄袋が取り外され世界一良く切れる剣が次々と抜かれて、私は弁解の余地もないまま抜き打ちの一撃で逆袈裟に斬られ、さらに数人の侍たちが間違っても私の命が助からないように倒れた私をぶすりぶすりと刺すのだろう。
藩主の籠の小窓は開かない。小窓には小さな隙間があるが、あまりに籠のなかが暗いので、藩主がその隙間から私を眺めているのかどうかすらも分からない。ひょっとすると尿道結石が痛み出して止まっているだけかもしれない。とにかく行列は止まったままだ。
我が町には京と江戸のあいだを六十九の宿場町で区切った名残があり、本陣が現在も市役所によって運営されている。きっと彼らの目的地は本陣に違いない。だとすると、こんなところで止まっている場合ではないはずだ。あののろのろとした歩みでは日が暮れる前に本陣につかないだろう。もっともそういうときは融通を利かせて、藩士も鉄砲衆も荷物持ちも駕籠かきもばたばた走っていくのかもしれない。しかし、そんな推測は私が今おかれている厄介な状況を理解する一助には到底なりえない。
午後三時四十三分。ああ、彼女はそうとうお冠だ。その言い訳に大名行列のことを口に出さねばならないことが情けなくて、それを考えるとポロポロと涙が出てきた。その一方で口のなかはツバも吐けないほど渇ききっていた。
私は中洲を盗み見た。まだ多くの藩士や人足たちがいた。その行列は対岸の瓦屋根の並びまで続いていた。
籠のなかからシクシクとすすり泣く声が聞こえた。それは間違いなく若い女性の泣く声だった。その声にわたしはぎょっとさせられた。まるでわたしが泣くのを待っていてかのように泣き始めたからだ。そもそも、この籠には大名ではなく、姫が乗っているようだ。つまり、一番大切な大名の籠は川の向こうの甍を並べた町の中をぐずぐずしているに違いない。
「口惜しい。口惜しい」
息を吹きかけただけで消えてしまいそうな細い声がそう言った。塗り籠のなかからトン、トンと畳を叩く音が聞こえる。藩士たちも籠かきたちもやんごとなき姫君が泣いていることを知っているが、無表情で立っている。
籠のなかの音は止まらない。行列は止まったままだ。籠のなかにいるのが涙を流している姫君だと分かった途端、わたしのなかで斬られてもかまわないから立ち上がりたいという衝動が再び沸いてきた。
わたしはそれが恐ろしくなった。そんなことをすれば斬られてしまうのに手足が今にもぴょこんと跳ね上がりそうなのだ。それを押さえるために必死で歯を食いしばり、松ぼっくりを握り締めるが、松ぼっくりはすぐに壊れてしまう。
「口惜しい。口惜しい」
声はさっきよりも大きく高くなった。まるでわたしが何かをしなければいけないのにやっていないことを責めているようにも聞こえた。そのぼんやりとした不安がわたしの体を震わせている。