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虚構仕掛けのユートピア 〜void incarnaters〜  作者: Noyory
3章 relievers〈リリーバーズ〉―救済の非現実性―
9/16

3―2 relivers ―蒼い狂騒―

―1―






 暗い路地裏。


 誰も通る者などいない、何かの店と店の向かい合う狭い場所。そこに男達の呻く声が低くこぼれていた。声の主達は丸まって地面に転がり暗闇で蠢いている。


 その中に1人立つ黒ずくめが手近な男に近づき、その眼前に端末を突きつける。


『〈slaughters(スローターズ)〉を知っているか?』


『キリミヤ、を知っているか?』


『〈fem snub(フェム・スナブ)〉を知っているか?』


 質問の答えは全て否定。黒ずくめはそこで音声を切り、ダガーの柄で電撃を加える。


 きっちりと、5秒間。


 黒ずくめはその場に倒れる5人全員に同様の確認を行う。


 その全てが否定。泡を吹き痙攣する男。


 武器を回収。黒ずくめの無言の撤退。



 その全身を顔まで黒の装備で包んだ背原 真綾(ハイバラ・マアヤ)問い掛け(クエスチョン)に対し、それを答えられるものは今日も誰もいなかった。




 そのおよそ10分ほど後。

 近くの公園のトイレの中に誰もいないのを確認して、真綾は扮装を脱いだ。素早く血の付いた装備を洗い、黒いナップサックに全て収納する。いつの間にか、半年も繰り返している後始末。


 真綾は顔を洗いながら、“先生”の言葉を思い出していた。


 “間違いなく相手を倒すための技術。その最たるものは不意を打つこと。相手の態勢が整う前に全てを終わらせる。もしも武器があるのなら最初に使う。相手が準備を整える前に”。


 その通りにやれていると思う。だからこの半年、うまくやってこれたのだ。しかし真綾の心の方は、既に張り詰めすぎて引きちぎれそうだった。


 …こんなに見つからないものなのか。


 あんなサイトを持っているくらいだから、てっきり社会の裏側では有名人だと勘違いしていた。


 キリミヤ。〈フェム・スナブ〉の管理人。


 誰も知らない男。だが真綾は宮崎花菜(ミヤザキ・カナ)の口から、確かに直接聞いたのだ。あの日、寮の部屋に投げ棄てられるように寝かされていた本人の口から。


 血と涙にまみれた、花菜の顔。


『大丈夫、心配ないって誘われて…』


 苦しそうな息遣い。途切れ途切れの声。


『殴られるとこを、撮るって』


 その額には斜めに裂かれた傷。


『やめてって言ったの。でも、駄目だって』


 溢れ出て止まらない、額からの血。


『みんなに見てもらうんだって。私の』


 傷ついた顔。花菜の顔が!


『しるしだって、言って、キリミヤさんが…』



 殺意が噴き出す。


 その殺意が全てを塗り潰す。疲労も、緊張も、恐怖も、何もかも。諦める理由など何もないことを教えてくれる。


 必ずいるのだ、この街のどこかに、きっとすぐそばに。


 鏡に写る自分と約束する。


 もう何度もした、復讐の約束を。






―2―






 〈八百万屋(ヤオヨロズヤ)〉の店主、宗久(ムネヒサ)はさっきからずっと怯えてばかりだった。

 たった今テレビで見ていた笑う暴漢の集団が、いつの間にか自分の店先にぞろぞろと湧いていた。顔形は違うので全く同じ人ではないのだろうが、浮かべている笑顔は全くの同じに見えた。

 ちょうどテレビのリポータが暴行を受ける姿を見た直後だったので、宗久は心臓が凍ったかと思うほど硬直した。そして案の定手に何かの鈍器を持って彼らが入店してきた時、たまたまこの場にいた数少ない常連客が、先頭の男にその右足を繰り出した。


 その客は女の子にしか見えない小柄な男の子で、その小さな体から繰り出したとは思えないほどのキックで、乱入者達を店の外に吹き飛ばした。その時カメラのフラッシュのように何かが光った気がしたが、宗久にはもうそんなことを考える余裕がなかった。


「マ、真琴ちゃん…!」

「奥に行ってた方がいいよ」その常連客、背原真琴(ハイバラ・マコト)はポツリとそう言うと、何を血迷ったか暴漢達に向かっていった。その足取りは準備運動をするように跳ねるようなステップを踏んでいる。それを見たのを最後に、宗久は恐怖のあまり裏の自宅兼倉庫に駆け込み、立て籠りを決め込んだ。




 邪魔者がいなくなったのを確認し、真琴が仕掛ける。


 先手必勝。


 僅かな助走で跳躍し、ついさっき蹴倒した男を飛び越える。限界まで身体のバネを引き絞った蹴りが、目の前の無防備な男の顔面を捉え、地面にめり込むほど頭部を床に叩きつけた。

 そのまま店の外に着地したところに別の男達が殺到する。接近する左右の男2人の体を踏み台に、真琴は空中に逃れた。


 宙で回転しながら、その一瞬で見回す。


 周囲には何百人もの笑顔。


 あの、降高とかいう男の模造品に違いない。


 この狭い通りを埋め尽くす、慈愛に満ちた“狂笑”。


 着地点は既に全方位を囲まれている。

 着地と同時に群がる降高のコピー達の攻撃を踊るようなステップでかわす。その回避運動を反動に使い、両足を振るって1人ずつ精確に頭部を狙う。


 “お前は非力だ。力の勝負は諦めろ。”

 以前真琴が戦い方を学んだ“先生”の声が浮かぶ。


 鉄のパイプ、金属バット、レンチ、ハンマー、その辺にある何かを投げつけてくる者。それらが鳴らす様々な不協和音の中、マコトはその全てを避ける。その動きは回避の為の運動をそのまま攻撃の為の動作に転換している為、まるで激しいダンスをを踊っているかのように目まぐるしく見えた。


 “お前に有利なのは小さな体格、その軽量さ、スピード。そして最も有用なのが、持って生まれた柔軟な筋肉(バネ)だ。”


 攻撃をかわすため地面を転がった真琴の前方に、鈍器を振り上げた大柄の男。真琴は起き上がる反動で一気に両足を振り上げる。顎を捉えたそれは、男の意識を一瞬で刈り取って気絶させた。


 “お前の筋肉は全身の駆動する速度を殺すことなく伝導するのに適している。その非力を補いつつ相手を仕留めるには、防御と攻撃の動作を連動させなければならない。”


 真琴は逆立ちの状態から両足を回転させ、周囲の男数人を蹴り飛ばす。その勢いで体を正位置に戻すと男達から距離を取るため後方に下がる。気が付くと相手の包囲から脱出していた。


 “自分の動作全てが攻撃の予備動作となるよう動くこと。回避の動きを次の攻撃の前準備にする事。その動きを全身のバネで活かすことができれば、お前の力でも人間を一撃で失神させるくらいの蹴り足が放てるようになる。”


 …分かってるからもう黙れ。


 真琴は自分の心に毒づいた。久しぶりに“戦闘”をしたからか、昔“先生”と呼んだ男の声が自動的に再生される。


 しかしその記憶は思い出したくないものだ。


 それは、真琴の忌むべき過去(トラウマ)に繋がっている。


 包囲を抜けられても何ら気にする素振りもなく、降高のコピー達は真琴に向き直る。顔には張り付いた笑顔。真琴は過去の記憶を追い出して現在の状況を考える。


 この男達は間違いなく降高の洗脳を受けた者達だ。全員一致で同じ表情を浮かべる光景は、あの時と同じ印象を受ける。


 でも、本人(オリジナル)はどこにいる?


 前に遭遇した時は自分のコピーを操る際に、舌から伸ばした荊のようなもので操作していたようだった。洗脳した者を動かすには直に接続しないといけない。少なくともあの時はそういう風に見えた。だが現状では前回の時との相違点が多い。

 そもそも今回は本人が見当たらない。これではあのときのように本体を潰す手は使えないから、このまま延々とコピー達を相手にしなければならなくなる。


 ここは1度離脱して様子を見た方がいい。


 前方にしか奴らがいない隙に。

 そう考えて走り出そうとした真琴の耳に複数の足音が届く。今まさに向かおうとした、後方から。



 振り返った先には、笑顔、笑顔、笑顔。



 またしてもの狂笑の集団、その増援。道を塞ぐように幅を取って進軍し、こちらの退路を閉ざしている。振り返ると、先程の奴らも同じように広がって向かって来ていた。


 反射的にピアスを外そうと手を伸ばす。

 途端に例えようのない痛みが電気のように体に走る。

「ぃ……ッ!」


 手を引くと痛みも一瞬で消える。

 真琴はこの痛覚に覚えがあった。以前にも1度同じことをされたことがある。


「…ソウスケぇ…っ!」


 それは、葵創祐(アオイ・ソウスケ)精神具象(スピリット・シェイプ)の能力。

 創祐の創り出せるものは拘束具や錠などの制約、拘束を司るものに限られる。しかし物質だけではなく概念としての制約、拘束を創りだすことも創祐の能力はできる。そして電子を通す物質なら、その〈制約〉を記憶させることもできる。


 今着けているピアス。

 真琴の能力を制限するため橘直陰(タチバナ・ナオカゲ)が作製したこの制御装置(ピアス)に、いつの間にか創祐は重ねて〈制約〉を加えていたらしい。


 つまり拘束されたのは、真琴の“ピアスを外す行為”。


 真琴が勝手に自分で外せないように。



 「…恨んでやる…」


 先程より倍増した狂信者に再び包囲された真琴は、嫌々ながら戦闘態勢に入る。とにかく動かなければ。



 もう目の前には、慈愛に満ちた狂気が押し寄せていた。






―3―





「うーん、何故こうなるんだろうな…」

「何故でしょうね」


 九龍隼人(クリュウ・ハヤト)天ヶ瀬美鶴(アマガセ・ミツル)は、2人並んでWISE.opt社の中にあるシティ・モニタ管理フロアで、上座中央区のカメラを眺めていた。

 このやたらと広いフロアは、仕切りがひとつもないワンフロアに総数500台を超えるモニタが整然と並べられている。常時最低50名ほどのスタッフがモニタリングし、未だCPUでは認識できないような問題の対処を担っている。

 このフロアの壁面は、うち2面がモニタの映像をピックアップ、拡大表示できる大型ディスプレイとして使用可能になっている。最大で画面を24分割して表示することが可能だ。しかしその代償として映像を視認しやすくする為、フロア全体が常に薄暗い。九龍と天ヶ瀬は、現在16分割で表示されている上座中央区の映像、その1つを見上げていた。


「本当に何の刺激も加えてない?」

「そう聞いています。そもそも初の試みのため刺激を与える方法が分からない、という発言を技術者がしています」

「それでこうなる、か…」

 2人の見上げる画面には、今日営業を再開したばかりの上座パラメントシティの現在の映像が表示されていた。

 映っているのは気味の悪い笑顔を浮かべた集団が、モールの内部を彷徨する映像だった。

「降高アキラの能力自体は働いているようだが…」

「はい。彼の生成する固有電子の拡散には成功していると言っていい結果です」

「これが成功か…」九龍はモニタを操作し、別の箇所の映像を拡大した。パラメントシティのモール入口付近である。


 そこには笑顔の集団が恐怖で逃げ回る人々を暴行する姿が映し出されていた。その“笑う集団”はモールの入口から次々と出てきている。襲われている者達は怯えている顔、抵抗して目を剥く顔、それぞれがその状況下にふさわしい表情をしている。つまり、降高の能力の影響下にない者達だ。

「自分らの同類とその他の区別はついてるみたいですね」

「そこに降高の意思が介在している可能性は?」

 天ヶ瀬はその質問に対し顎に指を添えて、少し考える仕草をしながらゆっくりと話し出した。


「今日の午後レビン中佐と少し話したのですが、その可能性はないことはない、と私は思います」「ほう、根拠は?」


「私達の顕現能力(インカーネイト)はその発現のとき電子を発生させますね。その電子が能力者ごとに異なることはご存じですか?」

不定形(プロテウス)電子のことだな」

「そうです。その電子に含まれる構成要素は未だに解明されていないと聞きます。それは、個々人ごとにバラバラなことだけが判明しているくらいしか情報がありません。そして顕現能力(インカーネイト)には私達の人格的偏向(プロペンシティ)が大きく影響する」

「まるで研究者みたいだな」

「茶化さないでください。いいですか?この2点を踏まえて考えたのですが、もしかするとその不明な構成要素とは、私達の意思、もしくは精神そのものが、それこそ顕現(インカーネイト)したものではないか、ということです」

「うん…なるほど、筋は通るな」

「でしょう?」天ヶ瀬は少し得意気に言った。九龍と同じく黒のスーツに黒髪のストレートロング、その顔立ちは大人びているが、案外その“地”は少女のように可愛らしい。

「もしこの仮説が概ね当たっているとするなら、その不明な構成要素の中にその能力者の意思は“ある”ことになります。今回のテストでの能力抽出、及び拡散の方法であれば、その可能性はさらに高まると思われます」

「君はもう、ほぼ間違いないと思ってるんだろ?」

「何よりその仮定なら、不定形電子の要素がいつまでも分からない理由にも答えられます」「その答えは?」


「人の心は、誰にも量れないからです」


 九龍は大きな声で笑ってしまった。本当に少女のようだ。だが、その単純な答えには確かに説得力があった。


「馬鹿にされてますか?」「いや、すまない。そんなことはないよ。私は君の仮説を全面的に支持する」

 九龍はそう言ってモニタを切り替えた。


 大きなディスプレイの一面に、市庁舎で眠る降高の顔が映った。毛髪を剃ったその穏やかな顔はまるで禅僧のように静かだ。この街の騒乱の首謀者がこの男だとは誰も思わないだろう。


「では、彼の意思がこの事態を引き起こしているとして、彼はどんな目論見の下、笑顔で人を襲っているのだと思う?」


「言ったはずです。人の心は量れない、と」


「ふむ。原因は謎のままか」


「彼の情報から推察するなら、やはり“救済”のつもりなのでしょう。笑って人を叩くのが教義の宗教ってありません?」

 天ヶ瀬は急速に興味を失ったように適当な推論を言い出した。インカーネイトの要因には関心があるが、降高の思想自体はどうでもいいらしい。

 実は九龍もそうだ。せめて、神になった気分くらいは味わっていて欲しい。それだけは本当にそう思う。


 その理由はひとつ。彼が神を信じていたから。


 実際にいるかいないかは問題ではない。


 彼がそれを望んだ。重要なのはそれだけだ。






―4―






 上座中央区、パラメントシティのモール内。

 その1階のフードエリアのほぼ中心に広い円形の空間がある。そこには緑とベンチが配置されており、モールの利用者の足と満たされたお腹を休めるスペースになっている。


 しかし今そこを利用しているのは、血まみれの手をした笑う集団だけだった。辺りには運悪く彼らの標的になってしまった、無惨な一般客の姿が散見される。生死は分からない。動くものはいない。動いた者は、動かなくなるまで殴り、蹴られ続けた。


 その円形スペースの周囲は様々な飲食店で囲まれている。その中の一画に、葵創祐の経営する円卓(ラウンドテーブル)もあった。



 円卓の店長である加藤はその入口のドアを僅かに開き、隙間からその様子を観察していた。笑う集団が約30人、そして倒れているのが20人ほど。

 大丈夫だろうか?心配ではあるが、あの集団がいる限りここから出るのは自殺行為だ。加藤は申し訳ない思いで静かにドアを閉めた。


「無理です。あの人達はしばらく動きそうにありません」

「そうですか…」

 葵創祐と加藤は可能な限りの小声で話し合う。外観が窓のないプライベート形態だったのが幸いしたのだろう、周囲の店舗は襲撃にあってしまったが、ここだけは今のところ被害を免れている。


 恐怖のあまり泣き出してしまった女性の客を、従業員の女の子が何人かで宥めていた。今、円卓の中にはその従業員5人と店にいた客が6人、そして襲撃が始まった時に逃げ込んできた男性が1人いた。創祐を入れて13人。もしかするとモール内の“普通の人間”は、ここに残っている者で全てかもしれない。


 今創祐達は店内の奥、入口から一番離れた休憩室の中で、息を潜め固まっている。午後20時。最初の襲撃から既に一時間は経過したと思われたが、警察や救助の者が来た様子は未だになかった。

「…なんで警察は来ないの?」「この前外国の軍隊が来たって言ってたのに…」「ひょっとしてその軍隊の仕業じゃないか?」「いや、テログループが潜伏中とか言ってたぞ。そいつらの方が怪しい」

 残っている者達が小声で憶測を話し合い出した。色々な説が出るがどれも想像の域を出ることはない。話をすることで落ち着きを取り戻そうとしているようだ。


 「…あれは、洗脳だ。俺はその場にいたから分かる。公共の電波を利用して怪電波を流すってやつだ。間違いない」


 そう言い出したのは襲撃時に逃げ込んできた40代くらいの男性だった。怯えて震えていたが、ようやく落ち着いて来たのだろう。彼は小さな声で自分が見たものを語り出した。


「モールの真ん中に大きなテレビがあるだろ。あの起業の宣伝とかに使われる、あれだよ」

「吹き抜けの、街頭テレビ(パブリックビュー)のこと?」

パラメントシティの中心部は吹き抜け構造になっており、主にイベント用の催事場として使用されていた。確か今日はモール再開記念として、有名バンドの無料開放の演奏が予定されていたはずだ。

「そう、うちの娘がその音楽のファンだった。俺はそれでここに送迎に来たんだ。着いたらもう始まってて、娘はすぐに飛んでって人混みに紛れてったよ」

 男は自分の手で、目頭を強く押さえつけた。その娘の姿でも脳裏によぎったのだろう。

「そのとき、そのテレビにはイベントのオープニング映像が流されてた。みんなその映像を見ていた。俺は興味ないからそのまま帰ろうとしたんだ。でも、そしたら…」

 男の体がまた震えだす。甦った恐怖。

「それを見てたやつらが急に薄ら笑いみたいな顔になって、その辺の人を襲い出した…。そのテレビの映像を見てた奴ら全員が!笑ったまんま、笑ってない奴らを殴り始めた!」

 聞いていた女性客が短く悲鳴をあげて耳を塞いだ。

「やめて!もう聞きたくない!」構わず男は続ける。

「その暴れだした奴らの中には俺の娘もいた!む、娘はテロリストでも軍人でもない!そんな訳あるか!あのテレビだ、あれの映像を見た奴らが洗脳されて、こんな滅茶苦茶をやってるんだ!」

「静かに!声が漏れるとまずい」加藤の嗜め。

 男は足を抱えその場で泣き出した。つられてか恐怖からか、他の者達も嗚咽を漏らしている。


「葵さん、どう思います?」加藤の問い掛け。

「洗脳…ですか。簡単には信じられませんけど…」

 内心創祐は大いに心当たりがあったが、いまひとつ確信が持てないというのが正直な気持ちだった。


 あの〈光災〉の日にあった降高という男。

 あの男が救済と称して行使した能力と似ている。


 だが男の話が本当なら、今回降高は絡んでいないことになる。しかしあの笑顔は、あの日降高の見せた慈愛の表情と同じもののような気がしてならない。


 その時創祐の端末が着信を受けて鳴り出した。創祐は素早く電話に出たが、全員がその音量で外にバレはしないかと緊張したのが伝わった。


「創祐か?」

「…なんか前もこんなタイミングだったな、ナオ兄」

 相手は橘直陰だった。前回の〈光災〉のとき同様、ことが起きたのを見計らったかのようなタイミングだ。

「お前も毎回災難だな、そこは笑う集団(ヴィクティムス)の最多生息域だぞ」

 どうやら直陰にはこっちの位置が分かっているらしい。またカメラをハッキングでもしているのだろうか。

「待ったナオ兄。“そこは”ってことは、ここ以外にもコイツらみたいな危ないのが出てきてるってことか?」

「ん?ああ、そうか。お前はまだ外の様子をを知らんのだな。今、この上座市が置かれている特殊状況(シチュエーション)を」

状況(シチュエーション)?」



「現在、概算で約5000名の笑う集団が、この上座市の中央区と東雲区を占拠中だ。笑う集団は市の発表で、テロ組織“SOS”による電波洗脳を受けた敵性被害者(ヴィクティムス)ということになっている」


「5000!?いや、冗談だろ?」

 思わず声が大きくなる。とてもじゃないが信じられない。言葉どおりの冗談にしか聞こえない。


「それが本当なんだな。因みに今お前がいる場所は、ほぼ1番最初に占拠された場所だ。そこから出るにはかなりの人数を相手にしなきゃならんぞ、葵」


 創祐は言葉も出ないままだ。直陰はその創祐に言葉を続ける。まるで創祐に挑むかのように。


「さあ、これが管理者どもが実験動物に与える最初の特殊な状況下(シチュエーション)というやつだ。そしてこれはお前達が自ら選択した結果でもある。さあ、どうするんだ?お前はこの状況でどんな記録(ログ)管理者達(ヤツラ)にくれてやる?」



「俺は…」

 その続きは言葉にならず、宙空へと消えた。





―5―





 古書店〈八百万屋(ヤオヨロズヤ)〉のある、狭く薄暗い路地。


 そこは今、何百もの倒れた人間で埋め尽くされていた。男も、女も、老人も、子供も。一切の区別なく撃退されて昏倒している。その顔には何の表情も現れておらず、先刻まで張り付いていた笑顔は消失していた。


 その通りの先で、背原真琴はまだ立っていた。


 激しい呼吸の乱れ。汗まみれの全身。


 笑顔の数は、あと4人にまで減っていた。


 真琴は壁に寄り掛かり、激しい呼吸を整える。


 向こうの動きも鈍く、持っている鈍器を振り上げる動作も緩慢なものになっていた。彼らは1時間近く戦闘を続けていたのだ。真琴はギリギリでそれを避け、そのまま男に飛びつく。倒れる時に頭に膝を乗せ、全体重で地面にぶつけた。


 あと3人。立ち上がって距離を取ろうとしたが、すぐ後ろに回っていた男に気付かず、背中を思い切り蹴られた。軽い真琴はそれだけで壁まで戻され、激しく咳き込み出した。

 残りの2人が振り降ろす何かの鈍器で殴られる。殴られながら1人の頭を掴み、もう1人の振り下ろした鈍器の盾にした。


 あと2人。呼吸は収まらない。咳をしたせいでさらに苦しい。立ち上がるのも難しい状態の中、真琴は相手の足を掴み、地面に倒した。近くにあった鈍器を取り、力任せに顔面に打ち付ける。殴った後で、相手が女であることに気づいた。

 もう一撃を加えようとした時、後ろからパーカのフードを思い切り引っ張られる。最後の1人が真琴を掴み、背後から両腕で首を絞めてきた。さらに呼吸がキツくなる。

 頭を振って相手の頭を壁にぶつけようとしたが、足が地面から離れてしまい、思うように動けない。真琴の体から酸素が無くなる。同時に意識も消えかけていた。

 ほとんど無意識の状態で、真琴は宙に浮いた両足を前に振り上げる。その足を降ろす勢いでほぼ1回転した真琴の踵が男の後頭部に命中した。同時に真琴の頭も地面にぶつかった。

 最後の男が前のめりに倒れる。


 …これで、ゼロ。


 朦朧とではあるが、真琴はまだ意識を保っていた。荒い呼吸と全身の痛みが、気を失うことを許さなかった。


 地に倒れた真琴の目の前に、青いハイヒールが見えた。

 そしてその背に殴られた激痛。


「……ッ!」


 見上げた先には、先程顔面を鈍器で殴った女。失神するには至らなかったらしい。その顔は、血にまみれながらも慈愛に満ちた笑顔だった。


 起き上がろうとする真琴を女が殴る。その度に漏れる声と衝撃が呼吸を妨げる。女の足を掴んだが、もう引き倒す力も出ない。その一撃ごとに意識が途絶え出した。




 その攻撃が急に止んだ。目を開ける。いつの間にか閉じていたらしい。

 目の前に血まみれの女の顔があった。その気絶した顔は、不思議と先程までの笑顔よりも安らかに見えた。


「真琴ちゃん!大丈夫、目ぇ開けて!ねえって!?」

 途切れかける意識の中、自分が古書店の店主に抱きかかえられているのが分かった。近くに転がる折れた木刀。

「…ああ。…まだ、いたんだ」

「あぁ、よかったあ!絶対死んだと思っとったし!」

 店主は涙目で真琴の怪我を見ている。

「ていうか、あんたこれ1人でやったん?なに考えよっと!ホントに死ぬが!」


 店主はまだ何か言っていたようだったが、その言葉を最後に、真琴の意識は今度こそ途絶えた。



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