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虚構仕掛けのユートピア 〜void incarnaters〜  作者: Noyory
3章 relievers〈リリーバーズ〉―救済の非現実性―
8/16

3―1 relievers ―青い救済―

―1―






 2度の災害、そしてテロ攻撃。


 わずか5年の間に立て続けに大きな不幸に見舞われた街。公式の発表ではそういう形となった上座市は、連日ニュースのトップを飾ることになった。そして市長、四条タツミも毎日のように人々の前に姿を見せ、状況の改善策を講じている旨、そして上座市に駐屯する軍の活動内容について、定期的に報告する取り決めを行った。


 しかし軍が復興支援とテロ撲滅の名目でこの街に入ってから約2週間が過ぎたにも関わらず、葵創介(アオイ・ソウスケ)はその姿をほとんど見かけることがなかった。パラメントシティの再開が決定した際、モール内の経営者向けに説明会が開かれた。その時モールの責任者達の後ろに黒い軍服を着た数人を見かけたぐらいである。


 市長の説明によれば、現在はテロリストグループの工作員特定の為、諜報活動を行いつつ災害地や事故現場への人員、車輌の提供を主な任務としているそうだ。事故現場にでも行けば、ひょっとすると大勢いるのかもしれない。


 しかしテロリストの特定云々は、情報を操作して作られた虚偽の事実であることを、創介は知っていた。




 創介は円卓(ラウンドテーブル)で久し振りに厨房に立っていた。久々に再会した加藤や従業員達とお互いの無事を喜びあい、近況を報告しあった。そして仕入れ先や社長である父親に連絡し、再開準備の調整をした。そして片付けや下準備に丸3日を掛け、モールの再開に間に合わせた。

 モール内は盛況に溢れていた。あれほどの被害者が出たとはいえ、建物の損害は電子設備以外ほぼ無傷である。それがわずか1ヶ月程度でパラメントシティが再開できた最大の理由であろう。


 中にはここは大勢の人が死んだ不吉な場所だと言う者もいる。

 巨大な墓標だと。


 事実、説明会の時にこのモールから撤退することに決めた人も何人かいた。しかしその選択は間違いだと創介は思う。

 ここはこの街のメインモールだ。ここが死んだままだと、この街はいつまでも“災害の傷痕”を残したままになる。


 ここを墓標にしてはいけない。

 ここは訪れた人々に娯楽を提供する場所なのだ。ならば変わらずこの場所でまた仕事をすること、それ以上の奉仕はない。創介はそう考える。

そして、誰がどんな思惑で何をしようが関係ない。自分は、自分の生き方をするだけだ。


「オーダです!」「こっちも追加頂きました!」


「店を拡張しとくべきでしたね、オーナー」汗だくの加藤が楽しそうに言った。創介も同じ状態だった。けして広くはない円卓(ラウンドテーブル)にも客が押し寄せ、朝からずっと客足が途絶えることがない。


 久し振りの充実感。それを汗だくの顔中で表現しながら、ソウスケは無心で次のオーダに取り掛かる。




 その円卓の店内、最も奥のカウンタ席。


 九龍 隼人はゆっくりと創介こだわりのコーヒーを楽しみながら、その彼の様子を覗き見ていた。






―2―





 やはりテイクアウトのコーヒーはともかく、サンドイッチはまずかったか。創介はこの忙しさの原因であるサンドイッチを作りながら、ちょっと後悔していた。

 円卓は通常、テイクアウトはしていない。そんな人員は確保していない。しかし今日ばかりは席に収まらない客に申し訳なかった。多すぎるのだ。常連客が全員押し寄せてきたような感じだった。それでつい勢いでテイクアウトを行うことを決定してしまった。

「…さすがにきついですね、葵さん」「…すいません」

「…いえいえ」「…あ、もうランチタイム終わりますよ」

 気づけばあんなにいた客も最後尾が見えてきていた。2人は頷きあい、ラストスパートをかけてサンドイッチを作り続けた。





「なんとか乗り切りましたね」

 一息ついて、加藤が達成感たっぷりに微笑んだ。水分を補給しながら、創介は店内を見回す。残っているのは待ち合わせや談笑などをしている客だけだ。もう大丈夫だろう。

「加藤さん、今のうちに休憩どうぞ」

「あ、はぁい。じゃ、お先に頂きますね」

 そう言って加藤は休憩室に消えた。やはりキッチンにもう一人増員した方がいいだろうか。いつもはともかく、今日はとても追いつきそうにない、まだティータイムと帰宅時間と山を2つ越えねばならない。やはり調理が2人だけはきついか。創介は1日の流れを頭の中で組み直しはじめた。


「大繁盛みたいですね」

 カウンタの奥にいた男が創介に声を掛ける。わりと長い間その席に座っている客だ。黒のスーツに黒いシャツ。長い黒髪を後ろでまとめたオールバック。全身黒で固めた姿はビジネスマンにも見えたし、見ようによってはホストのようにも見える。

「いや、テイクアウトなんて思いつきでやるもんじゃないですね」

「じゃあ、普段はやってない?」

「ええ。ウチはそもそも空間を提供する軽食店なので」

 創介は父に教わった言葉を思い出しながら言った。

「面白い。空間、つまり雰囲気ですね」

 男は感心したような顔でコーヒーを飲む。

「そうですね。社長の訓示ですが、静かな気持ちでゆっくりとコーヒーを飲んでもらえるようデザインされた店に仕上げているそうです。でも皆さん、どうも今日はそういう気分じゃなさそうだ」

「そのお陰で儲かった」男の口角が少し上がる。

「はは、そうですね。文句は言えない」

 創介も笑顔を返す。

「ここのお店の人は、とても楽しそうに仕事をされる。見ていてこっちも気持ちがいい。料理もとても美味しいです」

「最高の誉め言葉ですね。そう、働く方もようやく仕事ができるようになって嬉しいんだと思います」

「ままならないものですね。人は一度何かを失ってから、はじめてその本当の価値を知る。普段はそんなこと考えもしませんが」


 確かにそうかもしれない。同じことをしていても、災害の前と後では自分の受け取り方が違う。すべての日常が、なにか得難いもののように感じられる。


「あなたは、前にも同じような経験がありそうだ」

「え?」

「そのような状況に陥ったことが。一度失ったものを繋ぎ止める、楔のような役を担ったこと。いや、鎖と言った方が近いかな」

 創介ははじめて男の目を見た。その目は自分を値踏みするかのような、創介の内側を探るような目だった。


「誰しも悔いている過去がある、と言う話ですよ。人はそれを取り戻そうと今を生きている。特にこの街の人々はそういう傾向が強い。あの5年前の災害から、自らの人生が大きく変化した人が大勢いる。ねえ、店長(マスタ)。あなたにもありませんか、そういう取り戻したい〈過去〉が」


 男の言葉は、創介の深層に手を掛けていた。



 過去。5年前。それからの自分達。



 化物。怪物。異物。忌み名。世界の大多数との決別。



 こちら側と、向こう側。大きな境目。



 混乱。闘争。虐殺。一面に散らばる血。



 こちら側。つまり、真琴と自分。2人だけの境界。



 血みどろの手。



 それは自分の手。切り替わり、他人の手へ。



 真琴の悲鳴、そして自分の…




店長(マスタ)、どうされました?」

「…あの。どこかで、お会い、しましたっけ?」


 鼓動が速い。収まらない。手で抑え、言い聞かせる。


 やめろ。


 思い出すな!


 冷や汗が止まらない。自分に訴える。


 何も考えるな、何も。



「私はこの店に来るのは初めてで、直接話すのも初めてです。でも実は、あなたのことをを昔から知ってる」


「…なぜ?」創介は問い掛けで精一杯だった。


 姿勢を正す男。目と目が直線で交わる。

「私からすると長年の付き合いだが、初めまして〈精神具象(スピリット・シェイプ)〉、葵 創佑(アオイ・ソウスケ)君。私が君達の監視をしていた者だ」

 もう知っているだろう、そう言わんばかりの笑みを浮かべた視線。創介は呼吸を落ち着かせ、この状況の把握に努めた。


 過去の記憶を遮断。そして今目の前の男に神経を集中する。


 創介はゆっくり3秒数え、思考を今に切り替えた。


「…あんたが、ナオ兄の言ってた管理者?」


「正確にはそうじゃない。私は九龍と言う。君の言うその彼は橘 直陰(タチバナ・ナオカゲ)、〈赤色錯視(レッド・インサイト)〉のことだね。彼には困ったものだ。こちらの思惑を常に正確に繋いでいくあの慧眼。そのせいで事実を知るものが少しずつ増えていく」


 だが、それでも別に構わないと男の笑みが告げていた。


「わざわざ姿を見せて来店した理由は?」

 睨んだまま言う。九龍と名乗った男は肩を竦める。

「うむ。特にないんだがね。監視もばれてしまったし、別に姿を隠す意味がないなと思った」

 そう言って九龍はコーヒーを飲み干す。懐からこの街では滅多に見ない紙幣を出すと、それを飲食代としてテーブルに置き席を立った。

「顔見せだとでも思ってくれ。ナオカゲ君の言う通り、我々の目的は記録(ログ)の収集だ。君達はただ、普通に生活していてくれればいい」


「そんな言葉信じられる訳ないだろ。自分じゃ気付かないのかもしれないが、あんた胡散臭すぎるよ」

 創介はすれ違いざま、九龍を手で制し、硬貨を相手の眼前に差し出す。

「釣りはちゃんともらってもらわないと困る」

「ほう、驚いたよ。ちゃんと現物も用意してるんだな」


 九龍は感心した。かなり煽ったつもりだったが、ソウスケはもう立ち直ったようだ。


 素晴らしい精神のコントロール。


 九龍は機嫌が良くなり、つい言わなくてもいい“ヒント”を口に出してしまった。


「近々懐かしい人から便りがあると思う。どうか嫌がらずに対応してやってくれ」


 九龍は硬貨を受け取り、軽やかな足取りで円卓を後にした。対してそれを見送る創介の内情は重い。



 直陰は忠告していた。


 “情報は筒抜け”。


 でも、これが選択した道だ。後戻りなどしない。


 あんな奴ら、自分達に関係ない。


 カウンタに手をつき項垂れる。


 一気に押し寄せる疲労を感じ、加藤が出てきたら少しだけ仮眠を取ろうと創介は思った。






―3―





 市庁舎の中。今や一大研究施設となったこの街の中枢。


 その中で〈ルミナス〉についての説明と注意事項などを説明しながら、天ヶ瀬 美鶴(アマガセ・ミツル)は舎内を案内していた。

 その相手、見学者であるレビン・スミス中佐は今のところ無言で黙々と聞き、時々端末でメモを取っていた。その書き込みの少なさから、対して有益な情報は得られてないのが感じられた。〈JUC〉に所属しているなら、〈ルミナス〉についての説明など聞くまでもないことだろう。おそらく警備の為の但し書き程度しかしていないに違いない。


「ミス、天ヶ瀬」

 一通りの説明を終えた頃、初めてスミス中佐が声を掛けてきた。

「ご不明な点がありますか?」

「いえ、設備に関する説明はもう充分です。とても分かりやすい説明で助かりました」

「それは良かったです」


 へえ、この男社交辞令が言えるのか。それまでロボットのような印象を受けていたので、その言葉は意外だった。

「しかし私が本当にレクチャして頂きたいのは、この施設に関する知識ではないのです」

「では何を説明致しましょう?」


「“インカーネイター”について」


 中佐は端末から顔を上げ、天ヶ瀬の顔を見ながら言った。

「恥ずかしながら、我が隊はいまだ彼らに接敵したことがありません。私も含め、彼らの持つスペックを体感したことがないのです」

「ああ、そうなのですか」


 またしても意外。まさかこの最重要拠点に“インカーネイター”と接触したことが無いものが送られてくるとは思いも寄らなかった。だとすればこの男、よっぽど優秀なのだろう。この上座市の優先度を考えれば、単なるビギナを送ってくることはあり得ない。


「分かりました。ご説明致します」

 天ヶ瀬は、上級の笑顔で承諾した。もちろん仕事用の。段々この実直な男を気に入ってきた自分を自覚する。



 天ヶ瀬は移動しながら、現時点で把握されている“インカーネイター”についての概要を説明した。


 正式な呼称は〈elctro(エレクトロ) incarnate(インカーネイト) phychopath(サイコパス)〉。

 略称として〈インカーネイター〉と呼ばれる対象の総称。日本語に訳すと“電子的に顕現する人格”となる。

 主に心理状態や精神的な要素を、体内に発生する微弱な電子を増大、媒介して物理的に顕在化できる能力を有する者を指す。その素材となるものが能力者の心因的なものを主ベースとする為、顕在化する形状が一定ではない。

 主要素として、能力者本人の心因的〈偏向(プロペンシティ)〉により顕在化する電子形状がある程度固定されるものと推察される。

 また、この〈偏向〉により能力の強度や指向性、限定条件が決定付けられていると思われる。

 その種類は能力者の数だけ存在すると思われ、分類、カテゴリ分けはあまり意味を為さない。とはいえ大きな分類として、心理作用型、心因具現型の2つに大別される。


 現時点で確認されている能力者は後天的に能力が発現したものが多数を占め、その原因として考えられる要素が、近年になって局地的な災害指定とされた〈光災〉または〈超自然発生型電子災害〉と呼ばれる現象である。

 能力者の多くは上記の能力に加え、身体的能力も強化される傾向があり、これは神経伝達等で発生する生体電気のバランスが変動・増幅した影響であると推定される。その為作用が起こるとその部位に閃光(スパーク)を伴い、その光量が能力者の扱える許容量の目安となる。 

 


「以上が現状把握されている概要です。なにかご質問は?」

「現在、ということはまだ解明されていない部分があると言うことですね?」

「と言うより、常に不確定なのです。次々と発見されるインカーネイターの能力に、いまだ同じものは1つとして存在しません。ひとりに1つ。逆に能力と言えるものがなく、生体電気の増加による強化しか変化が見られない者は多いです。しかしそういった者が本当に能力がないかというと、やはりそれも不確定です。後に発現する者もいれば、周囲に気付かれない程の影響しか持たない能力などもあります」

 中佐は先程とは比較できない数のメモを端末に書き込んでいる。天ヶ瀬は歩を進めつつ、彼の次の質問を待った。


「そういった者が、失敗例(FALSE)カテゴリ?」

「そうではありません。FALSE、〈カテゴリF〉のインカーネイターは、自身の能力を自分で制御する技術が無いものを言います」

「では、〈カテゴリA〉は?」

architect(アーキテクト)、創造者、設計者を表すカテゴリです。最も重要な価値を持つと思われる、その個人独自の能力を産み出した者が〈カテゴリA〉に分類されます」


「なるほど、よく分かります。貴女も〈カテゴリA〉?」


 不意の質問に、一瞬だけ視線に刺が出たかもしれない。しかしすぐに天ヶ瀬は切り返した。

「そうです」変わらぬ口調で答える。

 中佐も変わらずの無表情。

「ご存知だったのですね?」

「失礼。貴女達ミスタ九龍の部隊は全員がインカーネイターだと事前に聞いておりました」

「そう。私の呼称名まで?」

「いいえ。失礼に当たるかと思ったが、実際に伺って確認しておきたかった。もし驚かせたなら謝ります」

「いいえ、お気になさらず」

 邪険な返答にならぬよう最大限トーンを抑える。おそらく市長が伝えたのだろう。天ヶ瀬は内心かなり腹が立っていた。これはプライバシーの侵害ではないのか。


 その後は、しばらく無言の歩みとなった。


 そして苛立ちが収まる頃には目的の部屋に着いた。部屋の入口はまるで手術室かなにかのようである。

「ここは?」中佐の質問。

「この中には、無力化されたインカーネイターが収容されています」

「なぜ無力化を?」

「理由は様々ですが、こちらがそうしたというより、収容された時点で既にそうなっていた者達です。正常な思考力を失い、能力の使用どころか外界に反応すらしません。中にいるのは主にFALSEですが、現在は一人だけカテゴリAがいます。」


「カテゴリAが?どうしてですか?」


「それをお目に掛けようと思います」


 そう言って天ヶ瀬がドアを開けた先は、病室と何ら変わらない雰囲気の場所にベッドに寝かされた人間が何名かいた。彼らは確かになんの反応も示さず、ただじっと中空を見ていた。


 その奥に部屋を区切られた一室があり、そこには頭にケーブルを繋がれた男が寝かされていた。ケーブルは細い端子で頭部へ直に突き刺してあり、頭髪はすべて剃られていた。


「彼がカテゴリAの?」

降高晶(フルタカ・アキラ)。呼称名〈盲目の羊飼いブラインド・シェパード〉です。彼はあるインカーネイターと戦闘になり、その結果脳を破壊されてここに収容されました」

「今はその治療中ですか?」

「いいえ。今は彼を、彼の能力を利用した新たな試みが為されています」

 降高は時折痙攣するかのように微動していた。しかしそれはケーブルからの刺激によるただの反射運動のようだ。そのケーブルの先にはモニタが繋いであり、数多くのグラフが表示されていた。


「彼は〈光災〉を神が起こした神秘的な現象と捉えていたようです。そして発現した能力を使用し、自分と同じように苦しむ人々を彼なりに救済しようとした」

「その能力とは?」

「他人への洗脳です。いえ、正確には他人に自身の思考を押し付ける、といった方が近いでしょう。結果、彼に接触した人々は彼と同じことを考え行動する、もう一人の彼になります」

「自分が増殖する、と」

「そうです。今行っている試みは、彼を媒介にその洗脳を第三者が操作することは出来ないか、というものです」


 その時、降高が突然目を開けた。その目はすぐ近くの者、すなわち天ヶ瀬とスミス中佐をじっと見つめていた。


「彼に意識はあるのですか?」

「覚醒はしていますが思考はしていません。限りなく脳死に近い状態です」

「ではまだその試みは実施できていないのですね」

「いえ、今まさに実行中です。彼の能力を抽出し、現在上座市に浸透させている最中です」


 天ヶ瀬はモニタのキーボードを操作し、降高の頭の上に設置された大型のディスプレイを表示した。そこには横のモニタと同じ表示の他、何故か上座市のマップも表示されている。それは地区ごとに分割され、何ヵ所かが青く点滅していた。


「インカーネイターの能力とは、言ってみれば人格の現れです。それは精神の現れと言い換えてもいい。電子を媒介に、物理世界に影響を及ぼす形ある精神。それが顕現能力(インカーネイト)だと私は思います。もしかすると、そこには〈意思〉も存在しているのかもしれない」


 またひとつ、マップの示す場所が青く染まり、ディスプレイに文字が表示される。



 Permeate(感染):〈|Kamiza central《上座中央区》〉


「もしそれが事実なら、今この方は全能感を感じているのでしょうね。まるで、自分が神になったかのように」



 レビン・スミス中佐が、男の顔を覗き、次いで降高の感染が拡がっていくディスプレイを見つめた。


 その表情は、ずっと変わることがなかった。







―4―






 背原真琴(ハイバラ・マコト)は1人で街を歩いていた。

 学校はいまだ休校のまま。創介は最近少しずつ声を掛けてくるようになったが、真琴はまだ一言も返していない。妹の件に対して向こうが折れるまで、会話をする気は真琴にはなかった。

 その創介も、今日は円卓の営業再開日ということで朝から既にいなかった。マヤは今日も事故に遭った友人の見舞いに行っている。休校してからほぼ毎日だ。聞けばもう半年以上入院しているらしい。よっぽどの大怪我なのだろう。


 真琴は家の中で午前、午後と本を読んで過ごし、日も暮れた頃に初めて外出した。

 真琴は太陽が苦手だ。暑いのも嫌だし、明るいのも好きではない。自分が夜型であることを、真琴ははっきり自覚していた。学校も夜間の方がよかったのに、それは創介が許さなかった。


 真琴が外出した目的。

 それは単純に読むものが無くなった為だ。普段は書籍をQPDAで閲覧、購読しているのだが、稀にまだ電子化されていないものがあるのだ。

 最近ではそれも珍しい出来事になってしまった。誰にも言ったことはないが、真琴は紙の本の方が好きだ。なのに最近ではどんどんそういう本を売る店は減ってきている。

 確かに資源の無駄遣いなのだろう。将来的に紙媒体のものが、電子化されたものの価値を上回ると言われ出してからもう何年も経つ。


 でも人に無駄だと思われるのが、贅沢品の価値だ。



「あ、ちょっと、今ヒマ?」「良かったらご飯でもどう、奢るけど?」

 目の前にアクセサリを(すだれ)のように装着した男が2人、真琴の進路を塞いだ。

「暇じゃないです」

 そう言って歩みを止めない真琴に、男達は尚も食い下がる。

「まあ、そう言わずにメシ行こうよ。モール再開記念にさ」

「美味しいとこ知ってるよ、お兄さん達」


 創介がいないとき、こういうのが面倒だ。相手は自分のことを女性だと勘違いしているのだろう、そしてこれを否定しても、

「またまた、そんな警戒しなくていいから」

「ホント、ただご飯食べるだけ、ね?いいでしょ?」

 余計に面倒が拗れるだけだ。


「邪魔、どいて」真琴がそう言うと、男達は愚痴を吐きながら去っていった。真琴には何がしたくて彼らが街にいるのかも理解できない。


 それから少しして、目的の店に辿り着く。上座中央区では残り少ない紙媒体専門の古書店〈八百万屋(ヤオヨロズヤ)〉。本屋の形態としては珍しい新品、中古を並べて扱う店だ。

 相変わらず店内には客はいない。真琴が来店した時に客がいたことはほぼ皆無と言ってよかった。


「お、久しぶりやね真琴ちゃん。今日も可愛らしいわ」

 お陰ですっかり顔を覚えられてしまっている。マコトにはそれが少し面倒くさかった。どこの方言か分からない訛りのある店主にメモを渡す。

「相変わらず小難しいのが好きやねえ。ちょっと待ってん」

 そう言って、店主は奥の方に消えてしまった。この店がタイトルを書いたメモを渡せば、並んでいなくとも探してくれるのを知ってから、真琴はここの常連になった。

 待つ間、真琴はショーケースの中の本を眺める。ふと、そこに映る自分の姿が目に入った。丈の長い青のパーカ、黒の7分丈のパンツ、頭に耳の付いた黒と白の縞模様のニット帽。いずれも創介が買ってくれた服だ。真琴にとってはいつも通りの服装。


 可愛い?そんな要素はこの帽子の耳くらいだ。


 マコトは服装には無頓着なので与えられたものは何でも着てしまう。その為その服がすべて女性用であることにまったく気付くことはなかった。


「お待ちどう。今日も何とか見つけたわ」

 もうまったく見かけなくなった手打ちのレジで金額を打ち込む。旧式のレジだがしっかり電子マネー対応だ。QPDAをかざして会計を済ませる。

「あら、今日は創介君は一緒じゃないん?気をつけんといかんよ、何か物騒やけん」

「何が?」

「何がって事件や、事件。隣の地区でストライキか暴動か、知らんけど起こっとるよ、真琴ちゃんニュース見てないん?」

 確かにテレビを見ないので、そんな情報は知らなかった。


「隣って、どっちの?」

 上座市は中央区を文字通りの中心として、東西南北を囲むようにそれぞれ地区が置いてある。つまり、どこだって隣の地区なのだ。

「ああ、そうやね、どこやったっけ」

 心配するわりにあまり情報を持っていない店主は、レジの上に乗ったこれまた旧式のテレビの電源を入れる。付けるとすぐに店主の言うニュースが流れた。

「あ、そうそう東雲(しののめ)や。東区やな」

 東雲区は市民から産業地区とも呼ばれる、大小様々な会社や工場が建ち並ぶ地域だ。朝出勤するサラリーマンの多くがそこに向かっている。


 テレビを見ていた真琴は、その暴動を行っている男達を見て、ある既視感を感じていた。



 その男達の表情。


 まるで、テンプレートされたかのような同じ顔。


 皆、同じ顔で笑っている。


 その笑顔のまま、破壊を振り撒いていた。



「〈光災〉の時の、あの男…?」

「ありゃあ、さっきより拡がっとるやない。いや、ホント怖いわ」

 店主が口元に拳を当て、不安げな顔でテレビを見つめる。女のような仕草だが、店主は髭面の男だ。

 リポータが中継しているすぐ近くまで数人が迫る。リポータは怯えながらも果敢にマイクを向けた。


 笑顔の男が、そのリポータの頭に思い切りシャベルを降り下ろした。


「ヒィッ」店主の短い悲鳴。


 テレビの映像はカメラに複数の笑顔が肉薄し、手に持った長い鈍器をぶつけた後暗転(ブラックアウト)した。


「…今の現実?」

「さあ、どうかな」


「ヒィッ…!」店主が外を見て、また短い悲鳴をあげた。その声は先程よりも真に迫ったものだ。「あ…あれ…」


 真琴が指差された方向を見る。



 そこにはさっき見た笑顔、笑顔、笑顔。



 店の外に、まったく同じ笑顔の人間が溢れていた。




「どうやら、現実だったみたいだね」


 


 




 





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