表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
虚構仕掛けのユートピア 〜void incarnaters〜  作者: Noyory
2章 wanderers〈ワンダラーズ〉―徘徊する者達―
7/16

2―3 wanderers ―赤い指標―

―1―





 XX日の夜20時頃、上座中央区の小売店にて、店員と口論になった津田高尾48歳は、口論の最中所持していた気化式の爆薬を使用し、店舗の1階のおよそ8割を破壊し現場から逃走。死者35名、重軽傷者合わせて62名を出した。

 その後逃亡を図って立ち寄った上座神遙学園の同敷地内施設である屋内プール室に潜伏していたところ、同校の教師数名に発見され再び口論となる。その際に再び同種の爆薬を使用し施設を全壊させ、死者4名、重軽傷者およそ20名を出す被害を起こした。

 容疑者は現場で逮捕されたが、薬物の過剰摂取によるものと見られる心神喪失状態に陥っており、事情や犯行に及んだ動機などは聴取できず、現在は市の病院に収容されている。

 所持していた爆薬などから地元暴力団関係者、また以前から現地で構成員が潜伏している可能性を示唆されている〈SOS〉と呼ばれる組織的な過激派グループと何らかの関係があった疑いが持たれている。警察は組織的な犯行の可能性も視野に捜査を進めていく方針を示している。



 外の喧騒を完璧に遮断した自らの所有するビルの一室で、九龍は自身の端末でこのニュースを閲覧した。


 良くできている。津田こと呼称名〈渇望の遭難者(サスティ・サファー)〉の起こした連続爆破事件は、四条に都合の良い構成に直された後、全国に公表されていた。

 事件の肝心なところだけを隠し、起こった現象のみを“脅威”として大衆に分かりやすく伝達する。そういうコンセプトの元、四条の報道官達が上書きしたものだ。


 端末に着信が入る。九龍は無言で応答する。

天ヶ瀬(アマガセ)です。こちらの状況が終了しましたので、その報告をしておこうと」

 よく知る女の声。今は凛々しい仕事用の発声だ。

「どうなった?」「大筋は外れず、ほぼ予測通りの結果となりました。メディアの反応から見ると、明日にもニュースで取り上げられます」

「了解した。撤収してくれていい」

「そちらは?」

 九龍は窓から見える光景を、そのまま天ヶ瀬に伝える。


「現在呼称名〈乱痴気騒ぎ(へルタースケルター)〉が真下の通りで暴走中だ。彼は凄いぞ。もう2度も警官隊を全滅させた」


 窓の外では猛烈な勢いの旋回(サイクロン)が起こっていた。


 それはある1人の男が物体を超加速させて発生させた現象で、その旋回の中には対処にやって来た警官隊、そして無関係な人々が巻き込まれていた。外ではおそらく相当な轟音が響いているはずだが、九龍のいる場所は静かなものだった。


「へえ」そういった天ヶ瀬の声は、プライベートの際の地声だ。滅多に聞けないその声の方が、九龍には魅力的だった。


「おそらく目撃者すら残さず、彼も生き残るだろう。普通の人間には対処ができるとは思えない」

「では、ボスが処理を?」そう問う声は、もう仕事用のものに戻っていた。

「そうだな。残念ではあるが、彼は失敗例(FALSE)だ。それに、これ以上は被害過多だろうし、警官達にも気の毒だ。そろそろ終わらせるべきだろう」

「では、明日のニュースを楽しみにしています」そう言ってすぐに通話は切れてしまった。


 全く、仕事のできる女ほど扱いが難しいものはない。九龍は苦笑しながら、眼下の嵐を見下ろした。超硬度の防音ガラスだが、そろそろさすがに限界のようだ。


 窓に大きな亀裂が入り、静寂と一緒に砕かれる。


 無数の硝子片の中、何故か九龍は何の影響も受けることなく、外界と室内の境目から動かない。


「じゃあ、やるとしようか、〈乱痴気騒ぎ(へルタースケルター)〉を」


 九龍は笑みを浮かべたまま、最短距離で真下に向かった。



 



―2―




 午後20時。上座市の“都市高速(フリーウェイ)”は、さまざまな理由によるトラブルの影響で、その一部が安全の為封鎖されていた。葵創祐(アオイ・ソウスケ)の運転する車は、しょうがなく普通道路で自分の店(ラウンドテーブル)を目指していた。約束の時刻には既に間に合いそうにない。

 先週からずっとこんな調子だ。原因は多発する凶悪かつ大規模な事件、事故のせいだ。都市高速は迷惑ドライバーによる連鎖炎上事故で今も道路上に車が残ったまま。その前には列車が脱線事故を起こし、折角〈光災〉から復旧したところで再び運行はストップしてしまった。


 後部座席には背原真琴(ハイバラ・マコト)も同乗している。今日は学校帰りではない。学校も多発する事件の影響でほとんどが臨時休校になっている。2人の外出は橘直陰(タチバナ・ナオカゲ)からの呼び出しに応じてのことだ。その為2人とも普段着である。

 2人の間にはいつも通り会話はないが、その無言の内容は普段とは違っていた。

 彼らはもう1週間、一言も口を聞いていなかった。


 理由は1週間前に真琴の学校で起こった爆破事件。その時に真琴が取った行動が喧嘩の原因である。

 その全国的なニュースになるほどの大事件の際、なんと真琴は妹を探すため事故現場に1人で入り込み、血と肉の破片が散らばる中で発見された。そこで妹が死んだと思い放心していたところを当の妹に発見されたらしい。

 幸い兄妹共に何事もなかったようだが、その無鉄砲な行動を知り、創祐は真琴を厳しく叱った。最初は大人しく聞いていた真琴だったが、ある一言がきっかけとなり、拗れに拗れてしまった。


 創祐の言葉。

 次からは勝手に自分で判断するな。

 せめて近くの大人を頼れ。


 たとえ(マヤ)に何かあったとしても…


 その言葉を聞いた瞬間、真琴の態度が一変した。確かにあの発言はまずかった。もっと違った言い回しができたはずだ。しかし、叱りながらあの澄ました無表情を見ていると、思わず口に出てしまっていたのだ。

 それからは何を言おうが真琴の応答は、嫌だ、うるさい、創祐には関係ない、その3つの言葉でしか返ってくることがなくなった。


 今思い返しても腹が立つ。そもそも自分は間違ったことは言っていない。なのに何故コイツのために自分の方が言葉を選ばないといけないのか。要は自分の安全くらい自分で考えろということだ。その前にいい加減飯くらい自分で何とかしろ。

 もしそう言っても、どうせ答えはさっきの3つのどれかだ。ならばと創祐も意地を張り、徹底的な無視を決め込んだ。

 マヤには申し訳ないと思う。自分も原因の一端であるため、それを気にして家にいる間中ずっと創祐に謝り続け、真琴の食事の用意をし、健気に場を取り繕おうと必死だ。


 しかし、これはもう創祐と真琴の問題だった。


 創祐は予定よりかなり遅れて、重い空気に包まれた車を、未だ再開していないパラメントシティの駐車場に止めた。

 創祐はモール内に店を構えた際に預かったセキュリティキーで中に入る。鍵と言ってもQPDA内にインストールした電子キーだ。裏の関係者入口の扉から入り、誰もいない通路を2人は無言で歩いた。


 しかし何故直陰は円卓を集合場所に選んだのだろう。今更ながら創祐は違和感を持った。時間も場所もナオカゲの指定だった。


 直陰はまだ来ていないだろう。自分がいないとモールの中には入れないはずだ。だから創祐は入口のドアを開けたままにしておいた。



「遅かったな」



 しかし、円卓のドアを開けるとそこには直陰がいた。そして何故か少し離れたカウンタに威織もいるのに気付いた。「久しぶり、マコちゃん」と真琴に手を振るも、真琴は表情ひとつ変わらぬ無視で対応した。


「久しぶり。悪いが勝手に入らせてもらったぞ」直陰は店のシンボルである中央の円卓を背にしていた。すぐそばにある灰皿には、既に4、5本の吸殻があった。

「どうやって入ったんだよ」「ちゃんと裏口から、鍵を開けて入ったよ」「でも関係者以外立ち入りは…ああ」

 そうだった。この人はPC関連において、創祐など理解すらできない程の技術を持っているのだった。このモールのセキュリティを破ることなど造作もないことらしい。


「…鍵を破ってまでご来店なさった理由はなんでしょうか?」


 創祐の皮肉を無視し、直陰は勝手に取り出したのであろうコーヒーを飲む。どいつもこいつも何なんだ、という思いを飲み込み、溜め息として吐き出す。


「取り敢えず無事で何よりだ。まあ、言いたいことも色々あろうが、まず俺の話を聞け」

 直陰は創祐を睨む。睨んでいるようにしか見えない。しかし、それは直陰が真剣な時の目であることを創祐は知っていた。


 創祐と真琴も適当な場所に座る。真琴はわざわざ創祐の対角線上に、一番離れた場所に座った。いちいち癪に障る奴だ。

「OK。この状況の、納得いく説明を願いたいもんだ」創祐は思考を切り替え、まずは説明を聞くことにした。こっちの文句はそれからだ。


「まず最初に、これは“予防措置”だということを強調しておく。もしかしたら全くの徒労に終わるかも知れない。俺達がここにいるのは、相手に行動を掴ませないよう、ネットワークの外に出る必要があったからだ」

「相手って?」創祐の質問。


「“軍隊”だよ」


 直陰の状況説明は、創祐が予測もしていない単語によって始められた。





―3―





 薄暗い店内は、電気の復旧がされていない為どうしようもなかった。古風に蝋燭を立て取り敢えずの明るさを確保する。現在このモールにある電気設備はすべて稼働していない。それは〈ユピテル〉の監視カメラも同様だ。つまりこのモール内だけは、市管理者側の電子の眼は届かないことになる。直陰の言うネットワークの外とはそういう意味だろう。


「でも、どうして軍隊が出てくる?」創祐の当然の疑問。


「市管理者、絞って言うなら市長の四条巽(シジョウ・タツミ)の要請で派遣が正式に決まった。今日の午前8時頃の話だ。俺の“眼”で確認した」

 直陰の特殊な視界のことだろう。創祐は思わず端末を起動して時刻を確認しようとした。しかし端末が反応しない。

「この店には電子妨害装置(ジャマー)を設置させてもらった。半径1km位はすべての電子機器が使用できない。まあ内蔵電池の容量は持って半日かそこらだ」

「これこれ」威織が指差した方、厨房の調理台の上に開かれた4つのアタッシュケースが見えた。よくわからない機器が入ったそれらは、配線で繋がれ連動して動いているようだ。

「何かおおげさな機械だな」

「これも予防のひとつだ。QPDAは謂わば俺達を管理する為の首輪だ。こいつを外さんことにはすべてが管理者に筒抜けのままだ。しかし、その付加機能を考えると、壊すよりはこの方が現実的だぞ。因みに創祐、今の時間は午後18時だ」

 創祐が端末を触った理由を察したのだろう。直陰が言った。彼の腕時計は今時珍しい自動巻きタイプだった。創祐は最初から時計を着けていない。

「軍が最短でこちらに向かっていたとしたら、シアトルからおよそ9時間でここに到着予定だな。最先端の軍用機ならさらに1時間は早まるだろう」

「じゃあ既に到着してるかもしれないってことか」しかし創祐はまだ現実感が湧かない。

「でも、そもそもなんでこの街に軍隊を呼ぶんだ?しかも今の話からすると外国のってことだよな。自衛隊はどうした?」

「まず、1つずつ説明する」そう言って直陰は、上座市では珍しい新聞(ペーパーニュース)を投げて寄越した。


 そこには大きく“上座市で大規模テロ”の文字。次いで“軍を投入”、“JUCの迅速対応、米軍部に要請”と書かれている。


「テロ?近頃頻繁に起きている大きな事件と関係ありか?」

 その事件のひとつには、真琴が関わったあの爆破事件も含まれている。あれもテロ攻撃のひとつ?

「そうだ。それら一連の事件が“SOS”と名乗る過激派グループによって起こされたテロ攻撃であることが、この国、そして〈Jupiter(ユピテル) union(ユニオン) community(コミュニティ)〉の連名で発表された。同時にテロ支援対策として米軍の一個師団を派遣し、指定都市の防衛、つまりここでの活動抑制に充てることが正式に決まった。名目上はな」


「名目上…本当は違うってことか?」

「どうもこれは情報改竄によってでっち上げられた紛い物のテロだ。目的は別のところにある」

「でっち上げ…ってことは、テロ犯の仕業じゃない、と?」

「どう思う?」直陰の真琴に対しての質問。

「お前の見た爆破事件の犯人が、テロリストだと思うか?」


「あいつは同類だった」


 耳を疑う真琴の発言。

「何だって?」

「あの爆発は爆弾によるものじゃなかった。あの男の能力は、多分物質を変化させて爆発する気体に変える、みたいな能力だったんじゃないかと思う。あいつの周囲だけ、空気の質が違った」

「お前なんでそれを黙ってた」

 創祐の言葉と怒りを真琴は無視した。

「でも、能力をうまく扱えていない様子だった。制御できなくて混乱してる。そんな感じだった」

「おそらく推測通りだ。津田はこの間の〈光災〉で能力を得た新たな俺達の〈同種〉だ。人類の異分子、〈インカーネイター〉と呼ばれる特殊能力者、その生まれたてが起こした〈事故〉だと言えるな」


「インカーネイター?」


 聞き慣れない単語をよく聞く日だ。ソウスケの理解などとっくに超えた異常な話の連続だ。


「俺の“眼”でこの男の最近の動向を追跡してみた。本人はモールの中の店舗勤務の従業員だ。テロなんてやる暇がないくらい毎日仕事に追われているな。そして災害当日、残業の為あそこに残ったまま、あの光に呑まれている」

 直陰の視界はやろうと思えば任意の場所のカメラなどを検索して閲覧できるという。それにはかなりの集中が必要となるらしいが。

「真琴、お前の学校のプールも覗いてみた。災難だったな」

「見えたの?」

「どうもあの津田の能力は、水分を気化、増幅させて水蒸気爆発を引き起こしたようだ。あの噴煙はまさにそれだ」

「そのあとは?」「爆発でレンズが破壊され、それ以降の映像は残ってなかった」直陰が別の視点を得るには、それを記録している媒体が必要だった。

「そう」それを聞くと真琴は心なしか安心したように創祐の目には写った。ほんの僅かな違和感を覚える。


 直陰は煙草に火を付け、ずっとこちらを見ている。どうも主に真琴と自分に話している感じだ。

 威織を見ると、何か別のことを考えているような顔で天井を見ている。どうも先に直陰の説明を聞いているようだ。この二人、いつの間にそんなに仲良くなったのだろう。


「葵、やはりユピテルや市管理者は俺達のような変種に気付いていた。そして〈インカーネイター〉という固有名を付け、密かに監視と検証を行っていた節がある」

「ずっと監視されていたと?」

「そうだ。この上座市ほど何かを監視するのに向いてる場所はないだろ?そしてあの2度目の〈光災〉を契機に、管理者はその計画を一気に進行させた」


 創祐は頭を抱えそうになった。

「具体的に言ってくれ、もう理解が追いつかない」


「インカーネイター。すべてがこれに帰結する」


 直陰が立ち上がる。本題に入ると言わんばかりに。


「2度目の〈光災〉発生直後から、事前にそれを予測していた管理者達は、まず新たに生まれるであろう〈インカーネイター〉を、ただの被災者の中から選別した。光災中心部の光に呑まれながら生き残った者がその主な対象だろう。そして何日間かの経過観察の後、そいつらの得た能力をカテゴリ分類し、一覧化した」


 直陰はここ何日間かの新聞(ペーパーニュース)を抜粋したファイルを二人が見やすい位置に置いた。


「計画の進行に奴等はこの分類の際、失敗例(FALSE)に仕分けされた者を利用した。この“カテゴリF”の奴等は自分の能力を制御できず、いずれ何かしらの問題を起こすのは時間の問題だった。そしてカテゴリFが事件を起こすと、奴等はその事件をテログループの仕業に仕立て、それを1つに結び付けた」

「“SOS”か?」「そうだ」


 創祐はファイルを見た。それはこの2週間何度もニュースで見た、凶悪事件ばかりだった。


「このファイルの全部が…?」

「失敗例の〈インカーネイター〉が起こした事件だ。これらの情報の裏付けはすべて俺の“赤眼(せきがん)”で取った。探せばまだまだあるだろうというのが俺の見解だ」


 そこには真琴が遭遇した“爆弾魔”津田の起こした連続爆破事件に始まり、西園地区のビル立て籠り事件などの大きなものから創祐が知らない小さな事件まで、総数で約30件の記事がぎっしりとファイルされていた。


「こんなに…」「管理者はこの中から使えそうな事件をピックアップして、“SOS”の名で大規模なテロ行為に編成し直した。そしてこの国、いや、この上座市に軍隊を入れることに成功した」


「それが目的?」真琴の質問。

「その結果どうなるの?それでなにか変わるの?嘘をついてまで軍隊を呼んで」


「分からないか?その結果上座市(ここ)は本当の意味での実験場になるんだ。〈インカーネイター〉のな」


 直陰は煙草の火を消した。そのファイルに押し付けて。


「軍隊によって管理者は物理的な力を得た。もし俺達のような能力者が暴れても、それを抑えることのできる強力な戦力を。そして〈ユピテル〉の管理システムがある限り、俺達の記録(ログ)は絶えず管理者に提供され続ける」


「今までと何が違うの?」再び真琴が質問する。


「以前俺が言ったことを覚えてるか?実験動物は〈ある特殊な状況下〉に置かれてそれに応じた行動を起こすのが役目だ。俺達がその役を振られた実験動物(モルモット)ってわけだ。だからきっと、俺達にはその〈特殊な状況〉ってやつが用意されるんだろう」


「つまり、まわりで何かひどいことが起きるってこと?」


「少なくとも、それを決めるのは俺じゃない。この街の管理者達だ」





―4―





 店内には妙な静けさが戻ってきていた。直陰は大筋の説明を語り終えたらしい。ライターで事件のファイルに火を付け、キッチンで焼き捨てていた。


「結局、なんで監視から外れる必要があったの?」真琴はそもそもここに呼ばれた理由を聞いてみた。


「理由は2つ。軍が入ってきた時どういう行動をするか分からなかったからな。家にいていきなり拉致される恐れも無くはなかった。どういう動きをするか分かるまで、姿を消しておくに越したことはないだろう。そろそろ軍もここに到着した頃かもな。それからもうひとつは…」


 直陰がキッチンから戻ってきた時、その手には紙の紙幣の束があった。この街ではあまり使用されないそれを創祐と真琴の前に置き「とっとけ」と言った。


「もしお前達がこの街を出る、と言った場合、それをやり易くする為だ。100万ずつある。ここにいると忘れるが、外ではまだこっちが主流だからな」

「ナオ兄…」

「おそらく今が最後のタイミングだ。今後どんな状況になるか分からないし、今を逃すと一生監視されることになるかもしれない。この5年監視対象だった俺達の情報は、奴等にほぼ筒抜けだ。個人情報はもちろん、俺達の能力に至るまで」

 そう言って、直陰は創祐を指差した。


精神具象(スピリット・シェイプ)

 続いて真琴。

心象回路(サイコ・サーキット)、そして俺には赤色錯視(レッド・インサイト)。しっかりと呼び名(コードネーム)まで付けられているくらいには把握されてる。それだけで状況はかなり不利だ」

「俺は反逆技巧(リボルバー・トリック)だってさ。なんかカッコ良くない?」後ろで威織が何故か嬉しそうに言った。そしてそれは完全に聞き流された。


「本音を言うと、お前達には街を出てほしいと俺は思ってる。既に警察の監視下にある俺からすると、やはりそんな制約をお前達には負わせたくない」

 直陰の抱えた事情。そのせいで彼は、街はおろか今の住居すら自由に出ることができない。それを鑑みての、保護者としての意思だろう。

 直陰は煙草を探り、箱が空であることに気づき舌打ちした。

「まあ、これを決めるのも俺じゃない。お前らの人生だ、好きにするといい。おい三城、煙草持ってないか」直陰はそそくさとイオリの方へ行ってしまった。一応、選択肢は用意した。あとは自分達次第。そういうことのようだ。


 橘直陰は昔からこうだった。頭の回転が速いのだろう、いつも先を読み、自分達の進行方向に道筋を作っておいてくれる。そして決して強制はしない。選ぶ道は必ず自分達に決めさせた。それは、こんな異常な事態においても変わらないようだ。


「ナオ兄」真琴が歩み寄り、直陰の肩に札束を突き返す。

「余計なお世話」ただそれだけ言った。


「ありがたいけど、俺もお断りだな」創祐は1枚だけ紙幣を抜き取ると、残りはそのままにした。

「これは場所代として頂いておくよ」

 創祐は紙幣をはためかせて席を立つ。


「ほら、俺が言った通りだろ?言ったじゃん、2人ともホントは回りのことなんて全っ然気にしてないんだから。特にマコちゃんなんてまんまそうだろ」

 威織が嬉しそうに言う。

「自分の芯がしっかりしてりゃあ、回りがどうなろうが、どこにいようが関係ないんだよ。ま、保護者としては世話焼きたいんだろうけど」「黙れ」

 そう言いつつ、直陰もある程度予想していたのか、特に止めることはしない。

「帰るか?」

「うん。記録(ログ)が欲しいなら好きなだけくれてやるさ。ナオ兄、ちゃんと鍵は閉めといてくれよ」

「じゃあね」


 そう言って、2人は先に帰っていった。


 直陰は溜め息をつき、電子妨害装置(ジャマー)の電源を切った。「やっぱり徒労に終わったな」

「じゃあ俺も失礼するかな。俺、マコちゃん達がどうするか知りたかっただけだし」

「お前は片付けを手伝え」

「はあ!?なんで!」

「その代わり家まで送ってやる。ほら、早くしろ。精密機械なんだ、壊すなよ」

「…ったく、大人のくせにわがままだな」


 2人はお互いを罵り合いながら、円卓の店内を元通りに片付け始めた。






―5―





 午後9時過ぎ。

 アメリカ、シアトルから移動してきた陸軍の一個独立大隊が上座市に到着した。空港、沿岸を持たない上座市に入るには車輌で陸路を使うしかなかった為、最寄りの空港からかなりの威圧感を伴っての行軍だった。

「壮観だな」

 その入場を市庁舎の中から眺めながら、四条は物珍しさで楽しくなった。その横には一足先に現地への挨拶に来ていた隊長が控えていた。

「本部からの指示は了解しております。我々は現時刻より、あなたを上官として任務に当たります、ミスタ、四条」

 指揮官の男は滑らかな日本語で挨拶をした。四条はにこやかに握手をし、そのブロンドを短く刈った指揮官を見た。

「日本に来たことが?」

「学生の時以来です。私の好きな国です。ここに配属されたのは幸運でした。それに、あなたの下で働けることも」

「私を知っていらっしゃる?」

「我々JUCの中で最も意欲的に働かれていると聞いています。ここ上座市は数あるモデル都市の中でも、情報価値がずば抜けて高いと」

 その男の階級章は中佐を表していたが、着ている軍服はアメリカ軍のものとは別物で、黒を基調としたその服に所属を示す表記は一切なかった。その口ぶりから、米軍の所属ではない。男はまだ30代半ば頃、背は外国人としても高い方だろう。

 素直そうな良い男だ。命令には無心で従うタイプだろう。四条はこの青年にも満足をすることができた。

「そのJUCの本懐を全うする為、時には非人道的な指示を下すこともあるだろう。その認識はおありかな?」

「この軍に配属されたときから覚悟しております。すべては人類の可能性をpromote(助長)するために。我々はその為の銃であり、壁です」

 四条は破顔して笑った。完璧にお誂えの人材だ。


「ようこそ上座市に。我々はあなたを歓迎する。〈ユピテル・コミュニティ〉第6大隊指揮官、レビン・スミス中佐」






評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ