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虚構仕掛けのユートピア 〜void incarnaters〜  作者: Noyory
1章 boundaries〈バウンダリーズ〉―境界―
4/16

1―3 boundaries ―白と黒の境界―






―1―




 避難指示によりとうの昔に人のいなくなったオフィスの中を、黒のスーツに身を包んだ九龍隼人(クリュウ・ハヤト)は一人で歩いていた。薄暗い屋内の、辛うじて照明が生きている通路の窓際で立ち止まる。オフィスの照明などの電気系統は次々と使用できなくなっていた。

 彼は呟くようにある大昔の楽曲を口ずさんでいた。災害の最中にはまるでそぐわないのんびりしたメロディの曲である。


 窓の外にはとてつもなく大きな光の柱が市の中心部の繁華街に屹立していた。

 時刻は午前3時の少し前。九龍は報告を依頼されていた現象の発生を先ほど確認したばかりだ。現在はあの光の影響で電子機器の一切が使えないので、そうなる前に依頼主には一報を入れておいた。事前の予測範囲内で〈光災〉が発生したことを連絡するだけの簡単な仕事だ。

 電話口の相手はとても楽しそうにその報告を聞いて、簡単に事後の打ち合わせをした後、最後に一言を残し通話を終えた。


 「これぞ、真の革命と呼ぶべきものだよ」


 その時の言葉を思い出し、九龍の口元に笑みが浮かんだ。まるで思春期のような相手の熱意に、清々しささえ覚えた自分が面白かった。

 九龍はあの場にいたはずの3人の調査対象者がどうしただろうかと考えていた。

 2度もあんな目にあうのはさぞ嫌だろうから、きっと必死で逃走を図ったはずだ。上手く行っているといいが。彼らは九龍や管理者達の双方が、今後の上座市に重要な価値を持つと判断した者達だった。


 〈心象回路〉(サイコ・サーキット)


 〈精神具象〉(スピリット・シェイプ)


 〈反逆技巧〉(リボルバー・トリック)


 九龍を含むこの街の管理者達が名付けた、彼らの呼称名。


 とりわけ〈心象回路〉の少年には生き残って欲しいものだ。彼に潜在する能力に、九龍は様々な多様性を感じていた。


「もし切り抜けたとして、そのあと待つのはおそらく〈狂信者〉の群れか。頑張って欲しいね、我が同胞には」胸のポケットからサングラスを取りだし、まばゆい程の光を遮る。


 誰もいない通路で、九龍は歌を口ずさみながら光の柱を見つめ続けていた。そして危うかった最後の照明が限界を向かえると、彼の姿も一瞬で闇に覆われた。             




―2―





 地震や洪水などでなくてよかった。


 背原真琴(ハイバラ・マコト)は今回ばかりはそう思った。〈光災〉がもしそういう破壊を伴う災害だったなら、地下を走り抜けるなどという突飛な逃走手段は思いつきもしなかっただろう。

 地下鉄の路線に入ってから、真琴達3人は全速力で約30分は走り続けた。それでもあの光の粒子から逃れられたのはつい先刻のことだ。

 その頃にはもはや昔に呑まれた渦と変わらない状態が形成されていた。耳に残る甲高い電子音で耳が痛かった。


 3人共にさすがに息が荒い。真琴は汗をかき、すでに重い制服の上着を脱ぎ捨てていた。バッグなど、走る前から駅構内に投げ捨てている。


「見ろよ」創介に言われ振り返ると、後方に光が見えた。距離にして約1kmは離れている。あそこが境界線だ。なんとか間に合ったようだ。

 〈光災〉それ自体では物理的な破壊が起こることは少ない。前の時も障害発生時に動いていた車両や列車、交通機関の麻痺による事故などの二次的なものが破壊の主要因だった。


「前回の経験があるから、今回は少ない被害で済むかもな」

「でも、あれに、巻き込まれた奴らは、死んだと思うぜ」息が荒い威織が答える。

「前も死人の大半は、アレのせいだったろ。モールの中だけで何千人かはいたかも、だろ?」

 威織の言う通り、前回の死者の大半は、あの光の渦に呑まれた者が最も多かった。死因は“感電死”である。

 光の渦が形成されると、同時に渦の内部と周囲に莫大な電流が発生する。それが感電した生物を焼き、電子機器を復旧不可能なまでに破壊してしまう。

 前回の〈光災〉は市郊外において直径約3kmの範囲で発生した。しかし電子機器の破壊は市全域、及び隣接する周辺地域にまで発生が確認されたらしい。そして、それに伴った広範囲での二次災害が死者およそ5万人という数字を残す結果となった。


 真琴は災害後の“空っぽ”の街を覚えている。


 動くもののない、静寂に包まれた光景を。


 そして、その時から自分はーーー


「…早く外の状況が知りたいな。どこかに整備用の通用口とかないかな?」創祐の問いで思考を遮られ、真琴が答える。

「…走ってる途中に何ヵ所かあったよ。多分等間隔で、何百メートルかおきに」

「じゃあ、次にあったら上がろう」

「マヤが心配だ」

 “心配”と言う言葉を自分が使うのは、おそらくこの世で妹に関することだけだろう。

「そうだな、寮に帰ってれば大丈夫だとは思うが」

 妹は中等部の寮で生活している。帰っているなら問題はないはずだが、早く確認を取りたかった。こんなとき携帯端末が使えないのが悔やまれる。今後の復旧もいつになるかわからない。


 路線内の照明はすべて破壊されてしまったが、〈光災〉の影響でまだ周囲は見えていた。次の通用口まで位は光が届くだろう。戻って光に近づくよりは先に進むほうがマシだと思う。


「マコちゃん、足疲れてない?おんぶしようか?」ようやく呼吸を整えた威織が最初に言った台詞がそれだった。真琴はいつものように無視して歩き出す。


 程なくして通用口を見つけた3人は、ドアを蹴破り階段を登った。






 意外なことにその出口付近で、3人は人の歓声を聞いた。


 恐れと、敬いの念の籠った、暗き歓声を。





―3―





 天へと突き抜けた迸る光は依然として衰えを見せず、人間の可聴域の限界なのではないかと思わせる高音を発し続けている。

 5年の歳月を経て再びその姿と対面した降高晶(フルタカ・アキラ)は、その荘厳な姿から目を離すことができなかった。

 その光への敬愛を共有する同志と共に、彼は皆と掛け声を上げながら光の方へ歩みを進めていた。短く刈った髪と頭ひとつ抜けた長身は、三、四百人はいるであろう歓声を上げる群衆の中でもとりわけ目立っている。

 彼は〈光災〉を神の救済と信じる人々の中心だった。再びこの街に現れた光の柱の現出に、彼はすぐさま同志達を召集した。そして彼らをその内部に導く為、自ら先導を買って出ていた。


 降高晶は精神科医である。

 運良く大学病院の精神科に入ることができた降高だが、元々臆病で引っ込み思案だった性格が災いし、患者からの信頼を上手く得られず四苦八苦していた。

 そもそも降高が精神科を志したのは、対人恐怖症に近い自分の性分を何とかしたかった為だった。自分の精神すらもて余している自分に、他人の病のケアなどできるはずもなく、結果は当然だと言える。

 患者とのコミニュケーションが不得手な分、それを情報と知識で何とか補おうと、降高はあらゆる関係書物を読み漁った。

 しかし逆にその知識が災いし、他人と関わることにより一層の恐怖心が芽生え、患者との間に壁を作る原因となっていた。


 そんなだんだんと袋小路に追い詰められていくような毎日を送っていたある時、今と同じ光の柱が降高の前に出現した。逃げる間もなく、彼は光の中に呑み込まれた。


 ああ、これは神の御業だ。

 災害などではない、自分のような迷える子羊を救済するため、神が現世に顕した御手に違いないのだ。


 5年前に光の中に迎えられた時を思い出す。


 直接彼の脳内に訴えてきた、神の啓示を。


 その時自分は救われたのだ。


 啓示によって得た、神の力で。


 それ以来、降高は“神の布教”の伝道師となった。

 仕事の一貫となった、被災者のメンタルケアを担当する仕事に自ら志願し、その機会を利用した。自分と同じ被災者の元を次々と訪問する毎日。

 

 知って欲しかった。自分を救済した神を。


 降高は真摯に訴えた。あの光の中で見た救済を全ての人に伝えたかった。それを語るとき、降高は自分でもおかしなほど饒舌な伝道師となった。

 その結果がこの群衆だ。降高は多くの人々の“共感”を得て、光への道を共に歩んでいる。


 見ると皆、思い思いの言葉で神への敬愛を表している。


 幸福だった。


 今、ここにいる彼らと私は共感している。


 さあ、神の御許へ。


 共に行こう、神の“信者”達よ。



 その時、前方の扉から人が出てくるのを降高は見つけた。普段あまり使用されてなさそうな扉だ。おそらく地下鉄の整備などに利用する通用口の入口だろう。


 出てきたのは意外にもまだ少年と言っていい年頃の若者達だった。整備員には見えないので、おそらく光の柱から何らかの方法で逃れてきた結果なのだろう。

 どうも我が“信者”達の行進に驚いているようだ。

 無理もない。世間的には災害とされる光に喜んで向かっていく集団が目の前にいるのだから。


 ここは指導者として、彼らへ説明せねば。




―4―




 外は予想以上に明るかった。街灯など今や機能しているものはひとつとして存在しないようだが、それを補って余りある光が現れていた。少なくとも発生範囲から1kmほどは離れたはずだが、光の柱の巨大さがその距離を意味の無いものにしていた。


 真琴の目から見ると、それはもう壁にしか見えない。初めて外から見る光の柱は視界に収まりきらないほど巨大で、全ての物質を透過し、何物にも妨げられることなく規則的に流れを保っている。


「すごいな」

「すごいなんてもんじゃねえよ、耳がいてえ」創介と威織も通用口から出てきた。ずっと電子的な高音が続いているが、不思議と声などが聞き取りづらいということはない。耳で捉える音域が分割されたような妙な感覚だった。


 耳に響く不快な電子音を聞く領域。そして通常の音を聞く領域。真琴は後者の領域で人の声を捉えていた。それも一人や二人ではなく、大勢が上げる叫び声のような。それは地上に出る前からずっと続いている。

 光の反対側を向いた真琴が見たのは、数百人の集団が大声を張り上げ、こちらへ向かってくる光景だった。


 その集団を見て、真琴が最初に思い浮かべたのは、映画などでよく見かける生ける屍(グール)だった。


「なんだありゃ」二人も気付き、こちらに近づく群衆を見やる。


 集団の足取りは夢遊病者のようだったが一定しており、奇妙な一体感があった。その顔は統一されたように無表情で固まっており、時々思い出したようにひとりが声を上げると、別の者がそれを山彦のように引き継ぎぐ。まるで数百人で輪唱でもしているかのようだった。

 その先頭のひとりがこっちに気付いたのだろう、はっとした表情でこちらを見た。


 遅れて“後続の数百人全員”が全く同じ表情を表し、真琴達の方を向いた。


「なんだ、あいつら…」

 創介が警戒を強めたのが伝わった。真琴も集団から視線を離さず、集団の次の動きに備えた。


 するとぴたりと集団は前進をやめ、その群れの中程から人の間を掻き分け、一人の背の高い男が先んじて近付いてきた。


「こんばんは」

 そんなこの異常事態にそぐわない普通すぎる挨拶を掛けてきた男は、ぎこちない笑みで真琴に話し掛けてきた。

「失礼だが、君達はあの場所から、逃げてきた人かな?」

「はい」真琴は応答しながら男の背後の集団を見つめ続けていた。まだ遠くてはっきりと見えない。

「大変だったね。あ、もし私達がその、怖がらせたならほんとに申し訳ない。でも別に暴徒とかじゃないから安心して」男はあまり話し慣れてなさそうな、辿々しい言葉で話した。

「なんでこんな所に?」

「ああ、君らからするとその、変に思えるだろうけど、私達はあの光に向かうところなんだよ」

「光に?」

「そう。私達はあの光を災害だとは思ってなくて、むしろ私達が救われる為の手段となるものだと考える人の集まりなんだ」男は妙に誇らしげに自分達の正体を明かした。

「実は前回の時、私はあの光の中に呑み込まれた。死んでしまいそうな痛みを受けたけど、その時私はそこで神の声を聞いた」男はそう言って、胸に手を当て姿勢を正す。

「私はその神の伝道師役を引き受けた、降高晶という者です。説教により神の正当性と、その価値を皆さんと共有するために存在する小間使いと言っていいでしょう」


 この降高という男の話は、真琴には意味不明だった。聞いてもいないことを長々とよく喋る。感想はそれだけだった。

 ただこの男が5年前にあの光の中に入ったこと。そしてそこから生還したことはしっかりと記憶した。それだけで真琴の中の警戒レベルが1段階引き上がった。

「あの中に入ったら死んじゃいますよ。中は高圧電流の嵐だって話ですから」創祐の制止。それは半分嘘だ。創祐も真琴も、この男と同じく光の内部を知っている。威織もそうだ。

 創介はそのことは言わないことに決めたらしい。確かにこの降高という男の考えは真琴にも理解し難い。関わらないほうが無難だ。第一あの中に神などいなかった。



 あったものはーーー



 降高は落ち着いた笑いを浮かべていた。

「私はあの中に入ったことがあると言ったじゃないですか。確かに一般に言われるように、中は恐ろしい高電圧の塊だ。実際に多くの方が亡くなられたことももちろん知っています」

「だったら…」

「しかし、神もいます。全知全能たる情報を持ち、それを超えた力を授けてくれる、導き手としての神が」


 真琴は降高の様子が変わったのを感じた。小心な態度がなくなり、少しずつこちらへと近寄ってくる。


「思うにあの中での生と死の差は、我々受けとる側の問題なのです。私は神からの啓示を受け取ったとき、全てを委ねました。この身と、精神。そしてこの命をも。だからこそ神は私に慈悲と恩恵をくださったのではないかと、そう思うのです」

「好きに思えばいいと思います」真琴は男の言葉を9割程聞き流した。


 その時ふと気付いた。降高の口内に微かな光が見えることに。それは彼が喋れば喋るほど強い光を帯びてきているようだ。


 真琴の中で、警報が鳴る。


「亡くなった多くの人々。彼らに足りなかったのは、つまり身を任せる心構えだったのです。全てを神に捧げれば、万事すべて上手くいく」

「創介、この人多分…」

「分かってる、もう離れよう」二人は後ろに下がり距離を取ろうとした。しかし、その分降高は距離を詰めてくる。

「つまりは逃げてきた君達も、本当は逃げる必要などなかったのです。受け入れる心、それさえあれば。その心を私が教えてあげましょう。そして、共に神の恩恵を得るのです。さあ」


 口内が見えた。降高の舌に(イバラ)ようなものが刻まれており、その文様が光を発していた。

 次の瞬間にその荊は口内から飛び出し、眼前の二人に向かって伸びてきた。


「真琴!」創介の声の前に、真琴は身を翻して横に飛んでいた。創祐も下がり、大きく距離を開けた。


「む。どうやらまだ説教が充分ではなかったようだ。それに二人とも予想以上に素早い」口から荊を伸ばしたまま降高は喋っていた。どうやら荊は物質ではなく、電子的な質量を持ったもので、会話の妨げにはならないらしい。


 つまり自分の能力(チカラ)と同じ原理だ。


 あの光の中で、自分が覚醒したものと。


「真琴、逃げるぞ」創介の撤退指示。

「無理だよ」「なに?」


「そのとおり、我が“信者”達が逃がしはしない。もう私は君らを一緒に連れていくと決定した」

 さっきまでの降高とは、もはや別人だった。


 降高の後方の集団が近付いてきている。横に広く幅をとって、道を塞いで包囲を狭めてきていた。


「君達にも、我が“信者”となってもらおう」

 その表情は、狂喜の慈悲にまみれている。


「なんだ、お前同類か?」興味がなかったのか、話している間は離れて待っていた威織が寄ってきた。

「…君達は何か知っている口ぶりだな。今までの者と反応が違うし、神の力の効力も弱い」降高も警戒を強めたのが気配で伝わってきた。

「普通、これだけ話をすれば心の共有が成るものだが…。同類とはどういう意味かな?」

「うるせえ、秘密だバカ」威織は腰を屈めた戦闘体勢に入っている。目の前の男と背後の数百人を既に敵として認識している。


「これはどうやらもっと話を聞く必要がある。…無理矢理にでも」

 降高の荊が背後の集団に無数に伸び、その身体に巻きつく。まるで絡めとるように。そしてその攻撃意思が伝わるかのように、全員の表情が統一された怒りに変わった。


「さっさと来いよ」威織の邪悪な笑み。


「しょうがないな」創介の静かな諦め。


 真琴の無言の戦闘体勢。


 向こうの仕掛けもほぼ把握した。


 あとは、実力で排除するだけだ。




―5―




 後方にいたはずの集団の何人かが一気に間を詰め飛び掛かってきた。さっきまでの緩慢な動きが嘘のような速さだ。それを一番近かったイオリが、逆に突っ込んで目の前の二人を飛び膝蹴りで撃墜した。

「こっちはもらった」威織はとても楽しそうだった。


 逆側から三人程真琴に向かって来るところに創介が割り込む。信者達の振り上げた攻撃を最小限の動きで避けながら、その反動を利用した左右のフックで、二人ほぼ同時に撃退した。かわされてたたらを踏んだ三人目に、真琴が跳躍して放つ、全身のバネを駆動させた蹴りが命中した。


 その瞬間、足先から迸る閃光。


 加速された真琴の蹴りは、三人目を元いた場所よりはるか後方まで吹っ飛ばした。


 降高の目が驚愕に見開かれた。そしてその他の数百人も一斉に驚いた表情に変わる。

「な…なんだと」今の一連の流れは降高の目には一瞬にしか写らなかった。気がつけば襲いかからせた“信者”が全員地に伏していたのだ。そして真琴の足先から迸った閃光。降高は真琴の方を見やる。

「あんたも知ってるんじゃないか、この現象は」腕を軽く回しながら創介が尋ねる。

「身体に妙な電気が走って、身体能力が格段に上がる。思いきり動作すると、今みたいなフラッシュが起こる。あんたも経験あるだろ?」

「…なるほど。同類とはそういうことか」

 降高は舌先から伸びる荊を一斉に前方、つまり真琴達の方に振りかぶった。それに繋がっていた信者達が引っ張られるように襲い掛かって来る。

 降高は反動で後方に下がる。信者達の群れの中に紛れ、姿が見えなくなった。真琴達が第二陣を撃退したときには、もうどこにいるかすら判別できなかった。

「ノッポの癖に、膝でも抱えてんのかよ」

「…つまり君達は既に光の中で神の力を得ているわけだな。私と同じく5年前に」喋ったのは降高ではなく目の前の信者の一人だった。

「へえ…。代弁させることもできるのか」創介も相手の能力をほぼ把握しているようだ。

「どうも価値観の違いかな。その神ってさ、そもそもどこから出てきた発想なんですかね?」どうやら創介は降高との話し役を引き受ける気らしい。真琴も威織も既に話をする気などないので、彼以外にその役はいなかったが。

「一度啓示を受けたにも関わらずそんな質問をする意味がわからん。あの超常の場に立ち、何も感じなかったと言うのか?」

「確かにいろんな知りたくもないことを聞かされた。いろんな感情も。でもあんたの言う神は見てないな」

「見なくても感じられる」

「そう思い込んでるだけだろ」

「…話すだけ時間の無駄だな」苛つきの籠った言葉と共に信者達が再び迫ってきた。今度は数十人。


 創介の能力(チカラ)の発現。一瞬で周囲一帯に電子が拡がる。その電子が収束して具現化し、目前の信者達を戒める〈鎖〉を象った。


電子で創られた、質量を持った〈拘束具〉。


 信者達は5、6人ごとにひと括りにされ無力化された。もがいているがそう簡単に〈鎖〉は壊せない。


「俺はどうも堅い(タチ)らしい。なんでも創れそうなのに、生み出せるのは〈拘束具〉だけだ」


 それでもお構い無しに信者達は突撃してくる。本当にもう話す気はないようだ。創介は信者をかわしながら、それでも会話を続けた。

「あんたの能力(チカラ)は他人の洗脳だな。会話した相手の頭を乗っ取ってる。その舌の荊で。確かに〈伝道師〉としては一流かもな。相手を自分の思考で支配するんだから」右から来る相手はカウンター気味に殴り倒し、左の数人は〈鎖〉で脚を拘束した。連なって派手に転倒する。


 創介の能力(チカラ)は周囲4、5mの範囲で物質を自由に創り出せた。しかし本人の言うとおり、その物質は拘束具の形以外では形成できないという制約がある。


「しかし俺のも、あんたのも、結局はただの電子の異常な作用形態にすぎない。俺の〈鎖〉も、あんたの〈荊〉も」創介はかつて橘 直陰(タチバナ・ナオカゲ)に聞いた、自分達の能力(チカラ)についての説明を思い出しながら、降高に語っていた。

「おそらくその荊に捕まったら、あんたの頭と直結されるんだろうな。この〈信者〉とやらを見てると、どうもそんな感じだ。でもそれも、ただの電気信号の作用にすぎないんだぜ、っと」

一人信者を蹴り飛ばしたところに、真琴が上空から下降してきて、迫っていた別の男に踵をめり込ませた。

「だから、頭に衝撃を与えればあんたの支配を妨害できる。それが分かればただの一般人と変わらないね、このグールも」真琴が言葉を引き継いだ。

 真琴も気付いていた。この洗脳がそんなに強固ではないことを。おそらく広範囲に影響を及ぼす為、個々で見ると微弱な電子によっての支配しかできないのだろう。だから操作する時には荊で直結する必要があるようだ。

「威織も分かってるみたいだな。さっきから、ちゃんと頭ばかり狙ってる」

「アイツのは本能みたいな、ただの勘だよ」

 見れば嬉々とした威織の目の前で、互いの頭部を殴り合って昏倒する男達。何度見ても性質の悪い、アイツらしい能力だと思う。


 その威織が何かに気付いたように上を見上げた。

「おお、どうやら終わるみたいだぜ、皆さん」

 威織の指差したのは光の柱がある方向だ。そちらを見ると、その柱が格段に小さくなっていくのが分かった。


 〈光災〉が収束していく。辺りが急速に闇に包まれていき、煩かった電子音も小さくなっていく。


「そんな!ま、待って、待ってくれ!もう一度中に、神の御姿を見せてくれ!」

 群衆を掻き分け、降高が狼狽して現れた。降高はなにやら喚き散らして呼び掛けていたが、すぐに光は消えてしまった。それを見て降高が膝をついて放心すると、彼の信者達も失望が伝わりくずおれていった。

「諦めろよ、降高さん。あれはただの災害だよ。神の仕業じゃあ、残念ながらない。頭のいい俺の知り合いが言うには、あれは〈情報の災害〉なんだってさ」

「情報の…」

「あの中で生き残れたのは、ただの運だ。あのあり得ないほどの高圧電流に晒されて、光に呑まれた人の大半は死んだ。…きっと今回も死んだんだろうな」創介は降高の説得をまだ諦めてないようだ。

 無駄だ、と真琴は思う。

「そんな中で生き残った俺達は、その人曰く“偶然の産物”らしい。あの電子に晒され、俺達の情報は書き換え(リライト)された。それに適応してしまった結果が、この能力(チカラ)なんだとさ」

「偶然の、産物…」

「その人の仮説が合ってるかどうか俺には分からないけど、一応の説明はつくと思ったよ。俺はそれで納得した。つまり、これは今までにないタイプの人に影響する情報災害で、あんたのいう神なんて、そこには介在していない」


 辺りは既に暗闇に包まれている。降高は嗚咽のような呻きを上げ続けている。他の信者達も、静かに泣いていた。思考の共有で降高の悲しみが伝わっているのだ。

「なんか面倒臭い能力だな。なに?喧嘩もう終わり?」威織がぼやいているのが聞こえたが、姿は見えない。暗すぎるのだ。〈光災〉の光が無くなった為、付近の光源が失われていた。

「じゃあ、俺達は失礼しようか。マヤちゃんのこともあるし、移動した方がいい」

「このノッポさんは?」「打ちひしがれる時間をやろう。俺達になんとかできることじゃない」


「そんな簡単にいくわけないだろ」

 真琴が自分達のはるか後方に目をやる。その顔はいまだ警戒を解いてない。その先から足音が聞こえてくる。まるで地響きのような、大勢が駆ける音。


 降高の嗚咽は、いつの間にか笑い声に変わっていた。その声は狂喜を帯びて、暗闇に響いた。

「…これはとんでもない愚者達だった。神と接見して尚、その存在を認めていないとは。…もういい。我々の再訪を邪魔した償いをしろ。死体はここに捨てていく」

「あんたまだ言ってんのか…」

「そんなどこの誰とも知らぬ者の仮説など信じられるか!私は神の伝道師!信者達よ!この罪深き者達に報いを与えるのだ!」


 暗闇で見えないが、足音がすぐ近くまで迫っていた。


 真琴は右耳のピアスを外した。創介が気付きはっとなる。


「創介、使うよ」一応の断り。


「駄目だ、お前は…」真琴はその言葉を無視した。


 背原真琴の能力(チカラ)の発現。

 青白い発光と共に、マコトの周囲に電子回路(サーキット)が展開された。そしてその光に照らされて、足音の正体が見えた。


 先ほどの数より、遥かに多い信者の群れ。


 最早人の顔ではない、獣の表情。


 それが駆け足で真琴達に迫ってくる。


「私がこの5年間、何人の被災者と会ってきたと思う!既にこの街の1000人近くが我が“信者”なのだ!」


 真琴達を認識し、咆哮を上げて襲い掛かる信者達。真琴は自身の手をかざし、信者達に向ける。近付いてきた信者達の周囲にも電子の回路が引きずり出された。そこに真琴の回路が拡大し、信者達に向かって拡がる。


 そして、接続(コネクト)


 真琴の回路に触れた途端、接触した者達から何かが焼き切れたようなショート音。そして、糸が切れたように次々と倒れていった。

 その顔は、もはや何も思考していない、本当の生きる屍と化したかのようだ。


「な、なんだ!?」

「真琴、止めろ!」降高の疑問と、創介の制止。しかし創介の方にも信者達が迫っていた。


「分かってる。操られている人には極力使わない。狙うのは、本体のヤツだ」


 言って、降高の方に身体能力を加速させた真琴が、異常な速度で迫る。小柄で軽量な真琴は、他の二人より更に素早かった。あっという間に信者をすり抜けて、降高の眼前まで接近した。


 降高が悲鳴に近い叫び声を上げながら、後ろにいた信者全員を真琴に差し向けた。その数はおよそ50人ほど。


「真琴!」創祐の声。再びの無視。

 真琴は近づくもの全てに対し、その電子回路を発現させる。瞬間、視界が真っ白になるほどの電気閃光(スパーク)


 信者達は散り散りに崩れ落ちた。脳内を焼かれ、心身喪失の状態となり行動不能に陥る。


「馬鹿野郎!全員殺す気か!」

 創介が怒鳴りながら真琴に詰め寄る。

「こいつがまだやる気なら。でも、もう終わるよ」真琴は地に這いつくばる降高に近付く。降高も先ほどの真琴の攻撃に巻き込まれていた。

「…あ、あ」既にまともな思考ができる様子ではなかった。何百と蠢いていた信者達も、その支配から解放されたようだ。次々と意識を失い、その場に崩れ落ちてゆく。


「…他人の心なんて、救えると思うのが勘違いだよ。そんな大袈裟なものじゃない。結局心って自分しかいないんだ。それに侵入(ハック)されることを繋がりと呼び、攻撃(クラック)された痕を傷と呼ぶ。言い方が違うだけで、CPUみたいな機械と根本的にはたいして変わらないと思う、そんな偏向が形を成した精神が、この回路(サーキット)なのかな」

 おそらく言葉の意味を理解できていないだろう降高に、送別のようにマコトが囁きを続ける。


 そしてゆっくりと降高に手を伸ばした。


「それを破壊(クラック)するのが、僕の能力だよ」


「もう止めろ」創介が真琴の服の襟を思いきり引っ張った。軽量の真琴は簡単に降高から引き離される。

「これ以上は止めとけ」

「でも、この人は危険だ」

「お前の能力よりはマシだ」


 真琴の能力。それは電子回路の形状で精神の動作を表し、それに干渉できる能力だった。回路同士が接続されると、その相手との精神が共有できた。それは奇しくも降高の精神洗脳に似た能力と言える。しかし真琴の能力は、接続した相手を“侵食”する。その“侵食”は脳を一瞬で焼くほどの破壊力を持っていた。


 危険な能力だった。だから橘に抑制するための歯止め(ピアス)を造ってもらった。電磁波を乱す素材で造られたそれは、普段真琴の能力を抑えてくれている。

 それを装着して以来、真琴が自分からそれを外したことはなかった。創介の知る限りでは。


 真琴が大きな瞳で創介を見ている。少女のような顔。何の感情も籠っていない、無垢な瞳。


 もしかして、本当に何も考えていないのでは?


 たった今、数十人を壊しかけたというのに。


 そう考え、創介は深い憐れみの感情が沸くのを抑えつける。


「創介がそういうなら、分かった」真琴は手を下ろし、ポケットからピアスを出して装着する。


「…よし、もう行こう。ここにいたらまずいと思う」

「警察とか消防とか、そろそろ動きだしてんじゃないかな。光の柱も無くなったし」

 確かに危険性が無くなり、救助活動が始まってもおかしくない頃だった。

「この暗闇なら紛れて行けるな。真琴、家に着いたら話があるからな」

「その前にマヤの所に寄って行く」

「OK。車も電子制御だから使えないからな。ちょっと走るぞ」

「俺も仲間が心配だな。あいつらが巻き込まれてないか確認してくるよ。くっそ、こんなとき携帯使えないと不便だな」

 威織の言うとおりだった。特にこの上座市では金銭、許可証なども端末に依存していた為、復旧しないと今後の生活がかなり困難になる。

「分かった、気を付けろよ」「了解(ラジャ)


 威織は信者の体を軽やかに避けながら闇に消えていった。創祐、真琴も学園の方向へと向かい駆け出していった。





 あとに残された降高と、その信者達の横たわる姿。総数にしておよそ約800人ほどの倒れた人間。


 その場所に九龍は足を踏み入れた。スーツに手を突っ込んだ姿勢で、倒れた者の体を観察しながら跨いでゆく。


「これはこれは…。能力の習熟度に差がありすぎたようだ」

 九龍は面白そうに現場を散策している。そして、いまだ呻いている降高の前にたどり着いた。

「カテゴリとしては君の能力も彼らと同列なのに…。なぜだろうね、この完全なる敗北は」降高は答えない。答えられない。真琴の攻撃から、まだ思考できるほど脳が回復していない。

「能力が生まれた時期は彼らと同じなのに。…ふむ。おそらくそれが、〈インカーネイター〉としての資質の差、と言えるのだろうな」九龍は勝手に一人で納得した。そして懐からQPDAを取り出すと、自分の部下へ電話を掛けた。〈光災〉の影響下であるにも関わらず、その電話は正常に機能した。

「九龍だ。カテゴリAの献体を確保した。搬送の手配を頼む」

 簡潔に指示を出して通話を終えると、九龍は倒れた降高の眼前へ顔を近づけて呟いた。


「君に、神の気分を味あわせてあげよう」






―6―





 端末が使えないので正確な時刻は分からないが、おそらくもう夜明けに近い時刻だろう。創介と真琴はあれから1時間ほどをかけて、上座神遙学園に向けて急いでいた。

途中〈光災〉の発生で慌てふためき、怯える市民達と大勢すれ違った。どうやら公共機関も緊急停止し、足止めを食らったままの人々も多数いるようだ。

 しかし、この様子からすると〈光災〉の被害は最小限度で済んだのかもしれない。創祐は息を切らせながら、街並みを見やった。事実、学園方面に近付くにつれ、街は平静を保っているのが分かった。やはり、前回の経験が活きているのだろう。


 真琴はこの1時間、一言も口を開かず黙々と走り続けている。華奢な外見のとおり、真琴の体力は常人より少ない。汗まみれで時折ふらつくほどに疲労しきっていた。


 ようやく目の前に上座神遙学園が見えていた。学園の校門まではあと少しの距離まで近づいた。


「なあ、真琴」創祐の問い。

「思ったんだが、マヤちゃん、ウチで一緒に生活させないか?」


 その質問に、真琴の足が止まる。顔を見ると、汗に濡れた顔は、驚愕で眼を見開いていた。


「…お前の言いたいことも分かるけど、今はこんな状況だ。もしそうすればこんな心配は、しなくて済むんだ」


 真琴は茫然としている。もしかすると、酸素が足りないのかもしれない。だが、そうではないことを創介は知っている。


今の提案が、この兄妹にどんな意味があるのかも。


「…考えても、見なかった」息を切らせながら、真琴が言う。


「別にずっとじゃないんだ。この災害の状況が、落ち着くまで。そうしたほうがいい。お前の為にも、マヤちゃんの為にも」

 真琴は沈黙した。しかし、状況が状況だけに、そうするのが一番なのは考えるまでもなかった。


「…。…そうだね。創介の言うとおりだ」


「ああ。そうしよう」


 二人は校門を潜り、学生寮を目指して走った。意外なことに避難処置はされておらず、寮生は自室待機の指示にとどまっていた。






「お兄ちゃん!」

 背原真綾(ハイバラ・マアヤ)はドアを開けた真琴の姿を認めると、涙で濡れた顔のまま駆け寄り、真琴に抱きついた。

「お兄ちゃん!お兄ちゃん!よかった、わたし、またお兄ちゃんがあの光の中に呑み込まれちゃったんじゃないかって、心配で、もう怖くて…」

 マヤはこぼれる涙を拭いもせず、真琴の肩に顔を埋める。真琴より少しだけ小さい体は小刻みに震えていた。

「大丈夫。…ごめん、すぐ連絡できなくて」

 真琴は安心させるように笑顔を浮かべる。マヤは顔を左右に振り、また顔を埋めた。

「いいの、お兄ちゃんが無事なら…。ホントに…。本当に良かった…!」

 創介は部屋の外で待っている。ドアが締まり、部屋には二人だけだ。マヤは、真琴と双子のようにそっくりだった。少し真琴より髪が長い程度の違いしかない。


 マヤの震えが止まるように、真琴は強く肩を抱いた。マヤも震えが止まるように、体に力を込めているのが伝わってくる。


 ふいに、マヤの顔が上を向き、真琴の眼を覗いた。


 泣き腫らした、瞳。


 少し充血して、兎の目みたいだった。


 その目を閉じ、マヤが顔を近づける。


 唇が、合わさるように。


 一瞬。ほんの一瞬だけの迷いのあと。


 真琴もまた、その目を閉じた。



 



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