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虚構仕掛けのユートピア 〜void incarnaters〜  作者: Noyory
1章 boundaries〈バウンダリーズ〉―境界―
3/16

1―2 boundaries―白い再訪―

―1―




 ―connect error―

 〈luminousは現在更新メンテナンス中の為サーバに接続できません〉


 橘 直陰(タチバナ・ナオカゲ)はもう30分以上もこのメッセージと睨み合いを続けている。それまでに消費した煙草は6本。現在7本目を消費中だ。


 …ふざけんな。いつまで掛かってんだ。


 自室のマンションのデスクPCでの作業中、突然事前通達もなく開始されたサーバメンテナンスにより、直陰の仕事は中断せざるを得なくなった。最初は自分の個人端末に対する凍結処置かとも思ったが、実際に何かの更新作業が開始されたようなので、どうやら本当にメンテナンスが始まったようだ。

 それから橘は、自分のPCと長いにらめっこをする羽目に陥っていた。

 イライラしながら7本目の煙草を揉み消すと、すぐに8本目に火を点ける。

 橘はほぼ真っ白の頭髪を乱雑に掻き回す。まるで老人のような髪色だが、橘はまだ20代の青年である。

 サーバ上には動作途中のプログラムが今も残ったままとなっている。それがまずい。これが第三者、特に市の管理者に見られることは絶対に回避せねばならない。

 この上座市のメインサーバである〈ルミナス〉はその使命上、自らのサーバ環境で行われる作業は全世界に向けて閲覧可能な記録(ログ)としてアップロードを行う。もし橘のプログラムが発見されれば、恐らく自分は犯罪者として身柄を拘束されるだろう。現在行っている仕事は、橘にそう思わせる程には十分法に抵触するものだった。

 橘は通常上座市のネット上での作業の際には、自分で作成した何重もの安全措置(フェイルセイフ)を張っている。しかし凍結状態の今、それが十分な機能を果たすとは思えないし、もしメンテナンス後にサーバにチェックが入ればそれを見破られる可能性がないとは言えない。その時サーバから締め出されているナオカゲには防御の術が皆無だった。

 やはり用心して、いつも通り外部委託(アウトソーシング)にすべきだった。普段なら橘は処分が容易なPCを使い、特別に管理が厳しい上座市のサーバを避け、ランダムに選んだ国外のサーバを経由して作業を行っていた。その方がセキュリティ的には圧倒的に強固になるからだ。


 ただでさえ行動が制限されてるのに、これ以上の縛りは御免だ。


 橘直陰は待つことが大嫌いである。元々ある事情により、既に公権力の監視下にあるナオカゲにとってこれ以上の縛りを増やすのは好ましくない。

 気は進まないが、橘は切り札(ジョーカー)を切ることにした。使えるものは何でも使うのがナオカゲの主義であり、それが適時適所ならためらう事は時間の浪費だ。


 橘は掛けていた眼鏡を外す。


 そして裸眼でディスプレイを見つめる。睨みつけると言ったほうが表現としては近い。


 数秒の間をおいて、その眼に赤い光が宿る。


 その時点で、橘の視る世界の色も一変する。


 視界が瞳同様に赤く染まり、次第に鈍い痛みを帯びてくる。橘はディスプレイの奥を覗くように凝視し続けた。

すると、次第にエラー表示画面が透けるように薄れ、その奥から浮かび上がるように“ウィンドウ”のようなものが現れる。そのウィンドウにはシステム内の構造やサーバの保持する数多のデータが表示されており、ほどなく部屋中の空間いっぱいに“散乱”した。


 その映像化された情報群は真っ赤に包まれた視界の中でPCから飛び出し、視界一面に散らばっていく。目前に広がる文字の中から、橘は苦痛に耐えながら自分の書いていたコードを探す。ランダムに散らばった文字群の中から目当てのものを見つけるにはこの赤い視界で“視て”確認していくしかない。記憶している自分の書いたコードを最優先で検索する。

 しかし、ゆっくりと確認していく暇はないのだ。橘は一見して違うと分かるものを次々と“視界から外して”いく。その間にも表示される情報に新たなものが増えていく。


 橘直陰が〈血まみれの世界〉と呼ぶこの赤い視界は、〈見えないものを見えるようにする〉という非常識な能力である。通常視界に反映されない情報を無理矢理に目に見えるよう変換する、といったほうがより本質に近い。現在行っているように、開けないサーバの中にある“はず”の情報を引きずり出したり、通常数値化されていないデータなどを映像として一覧したりするのには便利だ。


 そして最大の利点は、その情報に直接干渉できるということだろう。目の前に幾重にも重なって表示された“ウィンドウ”に接触することで、実際にその情報に干渉することができるのだ。橘は問題のプログラムを探し出し、それをサーバ上から完全削除(デリート)しようとしているのだ。


 そのデメリット。延々と続くこの鈍い痛み。

 今や頭の奥にまで響いてくる痛みがこの視力には常に付きまとい、これが能力の使用限界(リミット)を決定している。

 何より問題なのは情報の流入に歯止めが効かないこと。最初こそある程度の指向性を保つことができるが、次第に無関係な情報まで収拾され、無秩序で脈絡のない混沌で視界が埋まることになる。

 そうなる前に目的のものを見つけ出すため、橘は最大限の速度で情報の検索を続ける。


 その時ふと異変に気付いた。


 目の前にあるURL、コード、プログラム。


 橘はそれらにまるで見覚えがなかった。


 しかし奇妙なことにそれらを“開いて”見ると、従来通り馴染みのあるサイトやコンテンツに繋がる。

 ただIPアドレスは今までと別物だ。橘は過去何度も同じように上座市のサーバに侵入したことがあるので、大抵のIPアドレスは半ば記憶している。

 それらのすべてが書き直されている?今までと同じ場所に繋がるように?しかし、そんなことが可能なのだろうか?


 …ありえない。第一、全く意味が無い。このやたらと長いメンテナンスの原因がこれなのだろうか?だとしたら大いなる時間の無駄だとしか言いようがない。

 それとも何らかの理由でサーバ自体を入れ換える必要に迫られたか。

 未だ目当てのコードは見つからない。それを最優先に検索しているのにも関わらず。


 そこまで考えて、橘はある可能性に思い至った。


 そろそろ痛みも耐え難くなってきたが、神経を集中し〈ルミナス〉に使用が限定されているサイトの主要なものを開き、閲覧回数の履歴を呼び出す。それは橘の〈視力〉で無理矢理造り出したキャッシュや履歴のクリアを無視した、純粋な総閲覧数を表示したものだ。


 目の前に現れた数字は、“0”。


 橘はしばらく無言でその数を睨んでいた。

 その後また別のサイトを開き同様に履歴を確認する。表示された数字を確認し、また別のサイトを開く。橘は同じ手順を3度繰り返し行った。


 その結果はすべて同じく“0”であった。


 橘は目を閉じ、自身の能力を解除する。


 シャットダウン。橘の視界から赤い色が消えて行く。


 数秒後には痛みが徐々に引いていき、次に目を開いたときには部屋中に散らばった情報の群れは綺麗に消え失せていた。

 眼鏡を掛け、デスクチェアに座り込み、先程確認した意味を考える。


 閲覧数ゼロ。文字通りまだ誰も開いたことがないということだ。つまり今までと同じサイトでありながら、実質はまったく同じ外見の別サイトを新たに作成したということだろう。

 橘はすぐに立ち上がり自室の物置から使い捨て用のPCを取り出した。常に3台は常備している中から適当に一台選ぶ。手早く立ち上げたPCで〈ルミナス〉を迂回した一般的なサーバから、同様のサイトにアクセスを試みる。

 現れたのは最初に確認したメンテナンス中のメッセージ。やはり外部からも入ることはできない。そのURLは橘の記憶に合致する従来のものだ。先程見たURLは影も形もない。

 別サーバでなら一般サイトには普通に繋がることも確認した。別サーバの回線が使えるのだから、この不具合は上座市のサーバに限られたものだ。


 不具合?いや違う。これはおそらく、何らかの偽装だ。


 メンテナンスと称し、上座市のユーザすべてをサーバから一旦閉め出して、その間に上座市のサーバである〈ルミナス〉を模したまったく別のサーバと入れ換えようとしている。誰にもそうと悟られぬよう極秘裏に。それが橘の思い至った最も合理的な結論だった。


 だが、何のために?


 その理由がまったく分からなかった。


 上座市のサーバ〈ルミナス〉は、現在も支援を受けているユピテル・コミュニティ専用の特殊共有サーバである。わざわざそれを遠ざけようとしているということは、現行の記録(ログ)の定時報告義務を拒否することと同義だ。これは重大なコミュニティ規約違反であり、前例はないが公になれば国際レベルの問題となるのは間違いない。

 もしこれを行っているのが個人かグループならば、橘の想像もつかない超特A級のハッカー集団の仕業と言わざるを得ない。〈ルミナス〉の管理はそれほどまでに徹底しているのだ。それは橘にはとても非現実な仮説に思えた。


 ならば最も合理的な結論は?


 橘は今日9本目となる煙草に火を点けた。

 深く吸い込み、そして吐き出す。

 自分の思考と一緒に。


 最も妥当な可能性。

 それはサーバ入れ換えを行っているのが上座市の管理者達自身であるという結論だ。そう仮定すると、この秘匿された大仕掛けの必要性に十分な理由ができる。

 ユーザとユピテル・コミュニティを欺き、尚且つ自分達の作業時間を確保することも容易になるのだ。現にこの進行の早さがそれを物語っている。

 わずか一時間足らずで全く同じ別のサーバを構築するなど、膨大な事前準備と人員がいなければ不可能に近いが、それを市の管理者達が主導しているなら無理な話ではない。その構築や設計のノウハウの雛型を管理者達は元々保持しているはずだからだ。

 そして、ユピテル・コミュニティにも隠そうとしている以上、この換装は上座市の独断の可能性が高い。


 橘はソファに体を預け、早くも10本目の煙草に火を点ける。この時点でナオカゲの当初の懸念はほぼなくなった。サーバ自体が交換されれば自分のプログラムも一緒に粗大ごみとして破棄されることだろう。

 この短い時間にニコチンを多量に消費したせいで喉が痛かった。いつ淹れたのか忘れてしまった冷たいコーヒーで僅かな潤いを喉に与える。

 

 しかし、なお残る疑問。何故こんなことを?


 コミュニティに背いて、市管理者になんの得がある?


 裏があるのは間違いなかったが、もう自分には関係ない。依頼された違法な銀行口座の操作プログラムの仕上がりが少し遅れるだけだ。なにか調べるとしても、ここからはただの好奇心以外の何物でもない。

 しかし、興味を惹かれるのも確かだ。これが成功するかどうかだけでも知っておきたい。


 …少しだけ網を張っておくか。


 橘はQPDAを操作して電話を掛ける。相手はすぐに応答した。

「なんだ?」「調べてほしいことがある」

「保護監察中の奴がその監察官に言う台詞じゃないな」軽い含み笑いが電話越しに耳に入る。

「今仕事中か?」「くだらん書類整理だ。どんなに文明が発達しても警察は紙とペンを手放せんらしい」資源の無駄だと言いながら何かにかぶり付いた咀嚼音。

「何を調べる?」「今現在のサーバメンテで何か警察に問題がでてないかどうかだ」

「メンテ?…ああ、確かにネットに繋がらん。しかしこれがウチと何か関係あるのか?」「それを知りたい。もしくはこのメンテナンスについて何か警察に通達が行ってないかだ」「通達?」

 この男は会話の初めを必ず疑問符で聞き返す癖がある。相手の言葉を繰り返すのは、何も考えていない証拠だ。苛つきを抑えて辛抱強くそうだと答える。

「分かった、とりあえず署内の奴らに聞いてみてやる。お前さんにはたんまり借りがあるからな」

「頼む」橘はさっさと電話を切った。

 あんな小物では上の考えていることなど伝達されていないだろう。それでもこの件を警察がどれくらい把握しているかは確認が取れるだろう。


 橘は部屋で唯一の掛け時計を見た。時刻は午後10時を少し回ったところだ。


 まだ何人か繋がりやすい知り合いがいる。


 橘は再びQPDAを取り数少ない知人に電話を発信した。




―2― 



 時刻は午後11時を回った頃。葵創介の軽食店〈円卓〉も既に看板を下げていた。

「じゃ、お疲れさまですオーナー」

「ご苦労様でした。明日遅番でいいですから」

 閉店業務も終え、帰り支度を整えた加藤がにこやかに店を出ていった。加藤の笑顔に対し、真琴は無言の会釈で見送った。創介は加藤の私服を密かに自分の参考にしていた。彼の服装は地味ながら洗練された落ち着きを感じさせる。あの大人っぽさは是非とも自分のものにしたい。

 創介は店のPCで店舗の実績を入力中である。仕入れや売り上げを計算し、実際に得た1日の利益を出して月末の予測を行う。それを元にして日々の買い付けなどを算出するのだ。

 実はこの辺の予算管理も加藤のほうが得意なのだが、加藤は「オーナーはあなたです」の一点張りで経営の方は一切ノータッチだ。創祐の経営者としての成長を促す一貫なのだろう、アドバイザ的な立ち位置を堅持している。公私共々加藤から得るものは多かった。ありがたいことだったが、創介自身はもっと厨房の方に参加したいと思っていた。


 ふと見ると、真琴は休憩室のソファに寝そべりまだ本を読んでいた。疲れないのだろうか。いつものことではあるが、たまに創祐は本気で心配になることがある。読書中の真琴は横で人が喋っていようとも興味を惹かれない限り決して反応することがない。

そう、まさに今のように。


「ねえマコっちゃん、その本面白い?今度なんか適当にパクってこようか?リクエストがあったら言ってくれよ。そうだ、今から暇?俺の仲間がこれから遊びに行こうって話しなんだけど一緒にどう?あ、でも20人位いるからうっとうしいかも。やっぱここがいいかな?」

 三城威織(ミキ・イオリ)は現れてからずっとこんな調子だった。よく無反応な真琴を相手に小一時間も喋っていられるものだ。

 創介は3人分の食後のコーヒーを淹れた。威織はちゃっかりと夕食もご相伴に預かっている。

 三城威織は真琴の小学校からの知り合いで、真琴の知人と呼べる数少ない相手だった。創祐とも何度となく顔を合わせており、いつからか親しい間柄となった。

 創介、真琴の分はブラック、威織の分だけ角砂糖を3つとミルク入りである。威織は極度の甘党だった。

「あ、葵さんあざーす」威織はまるで清涼飲料水でも飲むかのようにイッキ飲みした。

「ぷはー!やっぱうまいっすここのコーヒー」

「そりゃよかった。こっちは淹れた甲斐があまりないけど」せっかくの選びに選んだ豆を無駄にされた気分だ。

「お前服に血がついてるぞ」

「え、どこ?…うわ、ホントだきったねえ」威織の服の袖には点々と血痕が付いていた。

「また喧嘩か?」

「そう、また喧嘩」威織は悪戯っぽい笑みを浮かべながら悪びれもせず答える。

「最近さ、上座市(ここ)も血の気の多い輩が増えてんだよね」

「それはお前も変わらないって気もするけどな」溜め息混じりに答える。「まあ、それだけこの街がすっかり復興したってことだろ」

「だよねえ。まだ5年そこそこでこんなに便利な街になるなんて思わなかったよ」威織の感想はこの街の者の意見の大半を占めるものだ。

「ほんと市長サマサマって感じ」威織はわざとらしく手を組んで天に祈る仕草を見せた。



 現市長である四条巽(シジョウ・タツミ)が被災当初から果たした役割は、この街で知らぬ者がいないほどの偉業として世界的に知れ渡っている。

 当時第3セクターと呼ばれる半官半民の企業である情報管理セキュリティ会社WISE.opt(ワイズ・オプト)の取締役だった四条は自らの持つコネクションを最大限に活用し、半ば強引に上座市に〈ユピテル・コミュニティ〉を介入させた。その時政府に向けて彼が行った演説の動画は、今なお視聴数が増え続ける名コンテンツとして記録されている。

 それ以降上座市はあらゆる最高水準の設備を次々に導入され、その有用性の証明と実績を世界に公開する実験都市となった。

 市全域に〈ユピテル・コミュニティ〉管轄のカメラが設置され、市民の行動や物品の購買傾向、公私問わずの施設の利用など、その生活全てが何らかのサンプルとして世界に寄与するべくコミュニティへ提供される。

 この説明(アカウント)は当初、市民側に〈私〉を犠牲にして〈実益〉を得るシステムだと受け取られた。現代の〈個〉を重視する世相とは正反対のこの施策は、当時の市民側から相当の反発を受けたことは想像に難くない。

 しかし、それを補って余りある恩恵を得た上座市が大人しくなるのに、そう時間は掛からなかった。実際に受けた支援の有益さを見れば当然の結果である。

 おかげで上座市は現在、世界でも有数の技術力を持つ街のひとつに数えられるほどの最先端情報技術都市となった。

 被災から1年も経った頃には〈ユピテル・コミュニティ〉への信頼が揺るぎないものとなっていたのはむしろ当然の成り行きだったと言える。

 そしてその主導者であった四条巽は、市民からまるで英雄のように扱われ、この街の市長として受け入れられたのである。



 創介は壁に飾られた〈円卓〉のオープン当時の記念写真を見ながらコーヒーを飲んでいた。

 その写真には今から約3年前の自分と、中等部に進学したばかりのマコトが写っている。マコトの無表情はこの頃から何も変わっていない。

「ほんと、よくここまで復興したもんだよ…」

 当時に思いを馳せ、創介はつい口から漏れる言葉を止められなかった自分を笑った。




―3―




 食後のコーヒーを飲み終えた3人はそれぞれ別のことをして過ごした。創介は店内の清掃、真琴は相変わらずの読書、威織はひたすら真琴に喋りかけ続けていた。ちなみにその間真琴の発した言葉は創介に対する「おかわり」の一言だけである。

 気付くと時計の針は間もなく午前0時を過ぎようというところだった。

「真琴、そろそろ帰るか」真琴は無言で頷くと帰り支度を始めた。といっても学校のバッグ以外に荷物はない。創介もジャケットを羽織るのみなのであっという間に身支度を終え、1分後には店内の消灯を終えていた。


「妙に明るいな」

 創介はふと違和感を覚える。照明をすべて落とすと普段なら店内は暗闇に包まれる。軽食喫茶〈円卓〉はオープンカフェではなく、窓を配置しないプライベートカフェの形態である。そのためモール通路の明かりは店内に届かないのだ。しかし今は手元どころか真琴や威織の顔すら見える。

 まるでこの場全体の光量がいつもより増しているようだ。

「変だよ。どこにも明かりはついてない」真琴もぽつりと呟き周囲を見回していた。普段を知らない威織だけがなんのことか分からず首を傾げている。


 その時創介の端末が鳴った。

 ディスプレイを見ると橘 直陰からの着信を知らせている。創祐は少し驚いた。彼からの電話は非常に珍しい部類に入る。

「ナオ兄?どうしたんですか珍しい」

「葵、今どこにいる」

「ちょうど店から出るところですけど」

「出るな」


 橘の声から緊張が伝わる。創介はその鋭さに今感じていた違和感がさらに増幅するのを感じた。

 真琴が創介の裾を引っ張る。

「話させて」

 真琴は創介の表情から異変を察したようだ。創祐は端末を顔から離し、スピーカにするとテーブルに置いた。

「どうしたの」「真琴も一緒か。不幸中の幸いだな。もう一度言うがお前ら店から出るなよ」

「理由は?」



「また〈光災〉が起こる」




 一瞬その意味を把握できず、沈黙が場を支配した。



「はあ?」最初に反応したのは威織だった。

「なんでコイツにそんなこと分かるんだよ」「威織ちょっと黙ってろ」「誰かまだ他にいるのか?」

 威織と橘は面識がなかった。

「三城威織だ、覚えとけテキトー野郎」「誰か知らんがお前も出るな、死にたくなかったらな。少なくともこれから2、3時間後までには間違いなく発生する」

「だからなんでお前にそれが分かんのかって聞いてんだよ!」威織は声を荒げずにはいられなかった。それは彼なりに今の異常事態を敏感に察知している表れでもあった。

「威織、本当に黙れ」創介が諌める。その眼はガラスのように冷ややかだった。 威織はなお苛立っていたが創介の眼を見ると、不満ながら言われた通りに口を閉じた。

「根拠は?」真琴は同じ口調で質問を再開した。だが普段無表情な瞳は、半眼ではなく大きく見開かれていた。


 彼ら三人にとって〈光災〉の名は看過できなかった。


 5年前。


 すべてを消去(リセット)した厄災。


 すべてを改変(リライト)した災害。


 そして、忌避すべき自分との邂逅(リュニオン)


 真琴も、創介も、威織も、そして橘も。


 あの日を境に自分の一部を喪失し、そして全く異質な自分と向き合うことになった。


「きっかけは〈ルミナス〉のメンテナンスだった。そのせいで仕事を邪魔された俺は、その仕事の痕跡を消す必要があった。それでサーバに侵入した」三人は橘の言葉を黙って聞いていた。一言も聞き漏らすまいと。

「すると上座市のサーバだけが偽装されていることに気付いた。メンテナンスは終わって普通にアクセス出来ているが、今現在のサーバは偽物だ。まったく同じ外見だが、接続先は今までのサーバとは別のアドレスに変わっている」

「それがなんで災害が来ることに繋がるんだ?」

「俺は何故こんなことをするのか疑問だった。無意味だからな。警察や企業なんかにも探りを入れてみたが、この事を知っている奴は一人もいなかった」電話の声が止まり、溜め息のような吐息が聞こえる。恐らく橘が煙草に火を点けたのだろう。彼は重度のヘビースモーカだった。

「メンテが終わった後、入れ替えられたサーバにも侵入した。するとこれが恐ろしい程の脆弱なセキュリティだった。攻撃を受ける事を想定していない、本当に間に合わせのサーバという印象だ。つまり、現サーバは破壊されても構わないものに換装されている。むしろ壊れるのが前提のものだと言える」

「壊れるのが前提?」「そうだ。ますます意味の分からない事態だが、ふと思った。じゃあ本物のサーバは今どうしているのかと」

 確かに今使われているのが間に合わせなら、本物のサーバが廃棄される訳がない。少なくとも保持されているはずだ。それが今、眠っているのか、密かに稼働しているのか。

「この大規模な偽装を個人やテロリストごときが実行するのは不可能だ。それが可能なのは国家か、コミュニティか、この上座市自身くらいだ。そう思った俺は、もう一度〈ルミナス〉に侵入した。その本物の方を辿ってな」威織は既に理解出来ていないようだが創介と真琴は無視していた。二人は創介の持つ特殊な眼の事をを知っていた。

「結論を言えば、本物の〈ルミナス〉は現在も稼働中だ。上座市の情報(ネットワーク)を管轄するWISE.opt(ワイズ・オプト)の内部に限定されて使用されている。そしてそこではただひとつの観測だけが行われていた」

「それが〈光災〉の…」「そうだ。発生予測の算出を目的としている膨大な演算だ。そして現時点で〈ルミナス〉の弾き出している発生予測範囲が誤差2時間から3時間の間だ」



 再び沈黙が光量の薄い店内に広がった。端末のディスプレイの時刻は、間もなく午前1時を示そうとしている。

「なあ葵さん」口を開いたのはまたしても威織が最初だった。

「…何だよ」「このタチバナも〈俺達〉と同類なんだな?」

 その眼は殺気を感じるほどの真剣味を帯びていた。

「…そうだ」

 勝手かとは思ったが、創介は肯定した。何故なら威織の言う通り、彼ら四人は〈同類〉だった。


 あの〈光の嵐〉に呑みこまれ、帰還した時から。


「分かった、信用するぜ」恐らく大半の説明は理解出来ていないはずだが、創介の答えで威織は全てを汲んだ。

「マジで、またあれが来るってことだな」

「正確にはもっとタチが悪いかもしれない。状況から考えて、上座市はこの災害を利用してなにかを企んでいる可能性が高い。そうじゃなければ予測しておいて、公にはなんの対応も行わないことの説明がつかない」

「待ってくれ。また何万人も死ぬ災害が起こって、折角発達した技術もまた失う。それと天秤にかけて優先するほどの企みなんてあるのか?」

「ここからはまだなんのウラも取ってない。仮説として聞け」

「話して」真琴は微動だにせず橘の言葉にだけ集中している。読書の時と同じく。それ以外には目もくれず。

「この街の本質を思い出した」

橘の沈黙。少ししてから長い吐息が聞こえた。今日何本目の煙草だろうか。

「この上座市は〈実験都市〉だ。被災後から今の今まで、その課程を技術面と生活面それぞれから観測されてきた。そしてここに住む俺達は行動をモニタリングされる言わばモルモット。それが本質だ。その事実を覆い隠すように与えられた恩恵、この快適な環境、利便性をもたらしたあらゆる技術…。そういう幾重にも築かれた多重防壁(フェイルセイフ)をすべて剥ぎ取るとその真実が浮かび上がってくる」

「それで?」真琴は結論を求める。それが自分の納得のいく答えかどうか。真琴には自分の納得以上に価値のあるものは存在しなかった。

「コミュニティと上座市の関係。それは観測者と実験動物の関係だ。実験動物はある状況下に置かれてそれに応じた行動を起こす。観測者はその行動を記録し、研究の材料にする」橘は実証出来ていないと言っていた。たがその口調から、橘は今語っていることがほぼ間違いではないと確信しているのだろうと創祐は理解した。橘は不確定な推測を長々と語る男ではない。

「そのモルモット達の目前にある危険が迫ってきているとする。コミュニティ、もしくは上座市の連中はどうする思う?おそらく奴らはその危機に陥ったときにモルモット達がどうするか、データを採取しようするはずだ。観測者の本分としてな。だからこそサーバをダミーに切り替えて〈ルミナス〉を保護し、その時が来るまで温存させてるんだろう」

「被災するのを…傍観するってことか?データを採取するために…。ただそれだけの為に?」創介は愕然とした。

「十分な理由だと俺は思う。あの光の渦に呑まれ、生き延びた俺やお前には分かるはずだ。その後の俺達がどうなったのかも、その身をもって。俺はこの事を上座市の管理者どもが知らないわけがないとずっと思っていた。自分達のモルモットに混じる〈変種〉の存在を」



 突然威織が創介の肩を掴み引っ張った。

「葵さん、どうも話の続きを聞くのは難しそうだ」

 顔を上げた創介は、いつの間にか昼間のように明るくなった店内を見た。

「これは…」その原因は雪のように周囲を舞う、雨粒程の光の粒子だった。粒子は壁や地面を透過して、緩やかにある一定の方向に流れている。


 それは何度も繰り返し再生した、あの日の光景。


「あのときも見た…。渦を巻く光の雨」


 5年前に見た悪夢の始まり。


 今もまだ夢に見る。いや、見なくとも思い出せる。


 感覚に刻まれた、あの日の記憶。


「葵、何が起こった」

「…ナオ兄、まずい。どうやら発生地点はこの辺りみたいだ」

「なに?」橘の声にノイズが混じる。

「5年前と同じだ。あのとき見た光の球体が俺達の周囲で飛び回っている」「速度は?」

「まだ緩やかだ。今逃げればなんとか間に合うかもしれない」

「急いだほうがいい、もしあノとキトいっショナ…。…」

 端末から聞こえる声が歪み、すぐに聞こえなくなった。


 この粒子の影響による電波障害だろう。あのときも電子機器の類いは全て機能不全に陥った。創介の端末は完全にブラックアウトしていた。他の二人のものも同様だろう。

 同じ順序で〈光災〉が始まるなら、この光の粒子は徐々に速度を早めていき、やがて巨大な光の渦を形成するはずだ。もしそうなった時、あの渦の中に呑まれていたら。


 想像して創介はゾッとした。


 フラッシュバック。


 自分が光の中で見たもの。


 記憶、記録、情報の波。


 脳内を掻き回すような、膨大で荒ぶる波。


 二度と見たくない、感覚したくない体験。


「すぐに避難する。俺の車まで急ごう」

 創祐の声に二人は迅速に反応し、威織を先頭に早足で店から出る。


 そこには、かつて見た光景が広がっていた。


 周囲一面に、雪のように舞う光。


 一定の方向に規則正しく、整然と動く、巨大な渦の一部分。


 深夜ではあるが、モール内にまだ多く見られる人の群れは、今まさにパニックに陥ろうとしているところだった。上座市の市民の約7割は災害当時からここに住む者達である。

 5年前のトラウマが甦り、取り乱して怒号や奇声をあげる者が徐々に現れ始めていた。


「車は?」「1階の東側、E33」

 ざわめきを増す人ごみを抜けながら駐車場に向けて3人は進む。他の人々も避難を考えての事だろう、大多数が同じ方向へ進んでいた。

「こりゃ駐車場で大渋滞になるぜ、葵さん」

「車は諦めたほうがいいか…」しかしモールの出口も似たような状況であることは予想できる。どのみち右往左往する群衆の間を抜けるのは相当な時間のロスだ。

「地下鉄の路線を通ろう」真琴が呟く。

「どうせもう電車も動いてない。きっと足で移動した方が早いと思う」真琴はぽっかりとそこだけ人の少ない方を指差す。本能的に下へ降りることを避けているのだろう、確かに地下へと降りる通路は空いていた。

「名案だな」

 3人は人波に逆らい、モールの最下層へと向かった。



 時刻は午前2時を指した。

 光の粒子は上座市の中心部、周囲5km程の範囲で渦を形成しつつあった。〈上座パラメントシティ〉はその範囲にすっぽりと収まるように位置していた。


 光は徐々に早くなり、ひとつひとつが流星のように残像を引く程の速度になりつつある。


 その上空では、甲高い金属音とも電子音ともつかない耳障りな音が響き始めている。



 〈光災〉が、再び始まろうとしていた。





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