表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
虚構仕掛けのユートピア 〜void incarnaters〜  作者: Noyory
1章 boundaries〈バウンダリーズ〉―境界―
2/16

1―1 boundaries ―白い胎動―

  ―1―



 まだ、夜は明けていなかった。


男が目を覚ましたのは漆黒の闇の中。無機質なアラーム音が静かな夜を台無しにして部屋に鳴り響いている。光が届くにはまだ大分早い時刻だ。

ベッドに横たえていた体は、覚醒したばかりの男が思うよりずっと機敏に動き、手探りで携帯端末を探し当てる。延々と着信を知らせるアラームの鳴る携帯端末(QPDA)を見ると、そこにだけわずかな光の明滅が見える。伏せていた画面を裏返すと、ディスプレイの時刻は午前3時の少し前。

男は職業柄突発的な呼び出しに慣れている。既にほとんどの眠気を体外に吐き出していたが、すぐには応答せずゆっくり体を起こした。目は、その瞬くような光を見つめている。


このタイミング。


その意味を覚醒した頭が把握する。


目が見開き、心臓が大きく跳ねた。


わずかな高揚、そして恐怖。しかし大半を占めるのは愉悦の感情。何故なら男は、この瞬間をずっと待ち望んでいたのだ。


端からは普段通りの自分でも、彼は心のどこかで常にこの到来に思考が奪われていた。この〈福音〉の宣告、その予感と期待に。そう、自分でも恥ずかしくなるほどに。まるでクリスマスの贈り物を待つ子供のように。


今か今かと待ち望んだ、革命の時。


始まりのなんと呆気ないことか。いや、これが5年前の続き(リプレイ)なのだと考えるとやはり大いなる喜びだ、そして…もう間違いは許されない。

目を閉じ、息を吸い、そしてまた目を開ける。その一瞬で男は平静を整えていた。そのコントロールは男の渾名である鉄の笑顔(シェイムレス)の面目躍如といえる。

着信元はよく見知った相手だ。その内容は聞かずとも分かっている。何度も検証し、予測し、検討した〈現象〉の発生を確認した時はいつ何時でも報告すること。彼にはそう依頼していた。なぜならその現象の後には、ある程度の予防措置と事後の大掛かりな復旧を各所に手配せねばならないからだ。


そう、この革命は〈災害〉と同義でもある。


時間的には発生予測の範囲内。若干の誤差はあるが、許容範囲と言っていいだろう。男は改めて自分の持つ人材の優秀さに感謝の念を持った。

男にとっては福音の報せだ。しかし今から発生する事象はほとんどの人々にとっては災害以外の何物でもない。それが残念でならなかった。躊躇する気持ちもある。男は決して他者に危害を加えることを望んでいるわけではないのだ。ただ、自分の考え方が大多数の人々に相容れないものであることは、子供の時から理解していた。

反社会的人格者。その自覚はある。男の職務を考えると皮肉なことだと思うが。

おそらく一度始まれば現在の人々の生活は破綻する。もしかすると二度と回復できない可能性もあり得た。都市主要部のあちこちで、穏やかではない事態が頻発するのは間違いがない。つまりは混乱、混沌、その始まり。それは男の職務においては、良くない状況だった。正直その災害の規模がどれくらいのものか、男にも計り知れないのだ。


だがこれは、自ら〈変革者〉となることを望んだ結果だ。


今の職などどうでもよかった。

最初の変化は派手なものだろう。しかし、実はそれは些細な事で、この事象の主要…その肝心なところはそのあとにある。


 これは、自然災害を擬装した〈革命〉。その過程で顕れる人々の反応と思考、そして行動にこそ本質がある。我々のあらゆる記録(ログ)が、その革命の糧なのだ。記録の集積、それは〈この街〉が日常的に行っている事と本質的に違いはない。


 永遠の世界の支配者、形なき〈精神〉への訴求。


 全ての革命がそうであるように、それは今この時を破壊する。


 精神への革命。


 それをなすための、天変地異級のパフォーマンスだ。


 我々は平穏なる日々に慣れすぎ、何も起こらない現状に浸かりすぎている。日々に起こる些末な変化すら劇的に感じるほど。

 それは自らの産み出した様々な技術の進化と比べて、呆れるくらいの鈍重さを露呈している。

 人の生み出した至宝ともいえるCPU。世界を繋ぎ、そのキャパシティを広げゆく我ら人類の第三の手であり、声であり、眼。それは今や本当の身体より有用となった。

 しかし、その産みの親であるはずの人間は、その大層な目で何百年間も己と向きあい続け、いまだ自らの脳すら使いこなせていないのだ。


 人々は、自らを完成品だとうぬぼれている。


 それが種としての怠慢だと気付かず。


 もはや進化を放棄していると言っていい程に。


 この不毛な現状を打破する者は何か。


 男は長年その事を自問し、その仮定の実践に努めた。


 それは今なお続いている。


 しかし日常とは、平穏であるゆえに強固なのだ。


 ただひとりの異分子ごとき、問題にもなりはしない。


 ならば何が必要か。


 時折、自分はただの破壊指向の異常者で、退屈な日常というやつを嫌悪しているだけの異端者なのではないかと思うこともある。それでも自分の求めるよりよい理想、最適化への歩みは止めない。それが良いことだと信じているからだ。


 そして、ついに男は見つけた。


 その〈突破口〉となる兆しを。


 男は一瞬の邂逅から戻り、今この瞬間こそ本当の目覚めだと感じた。これから起こることに比べれば、今までの自分はずっと眠っていたに等しい。


 さあ、忙しくなる。


 ようやく電話に出た男の声は、その愉悦を抑え切れず、かなり明朗に、弾んだ調子で部屋に響いた。




 きっと、すごく楽しそうに聞こえただろう。





 ―2―






 時刻は午後、もうすぐ夕刻を迎える頃。


 男が深夜の電話に出る10時間ほど前の時間だった。


 穏やかな午後の陽気も終わり、賑やかさを増す市街のほぼ中央に位置するダークブラウンの校舎。

 ここ上座市で唯一の市立校である上座神遙学園カミザシンヨウガクエン。そのパーキングスペースに、葵 創介(アオイ・ソウスケ)は自分の車を停車した。

 彼の車は富裕層の多いこの上座市でも高級車に分類されるハイブリッドのスポーツ車である。それは、ちょうど下校中の学生達から注目の視線を集めることになった。その視線を意にも介さず、創介は車から出て姿勢よく校舎の入口に向かって歩いていく。その動作は自分が人からどう映っているかをよく理解しているからこその、無意識に自信の表れた動きだった。

 創介は通用口の少し横で校舎の壁に寄りかかり、下校の為次々と出てくる生徒達を見るともなく見ながら、上着の胸ポケットからQPDA(資格認証携帯端末)を取り出した。

 QPDAは上座市専用の携帯端末であり、市民に無償で支給される専用端末である。この街で生活する上では不可欠なものだ。これは上座市の結んだある契約に基づき、個人の記録(パーソナルログ)を収拾する役目も担っている。といっても普通の携帯端末として使用することもでき、インターネット接続や通話機能など、基本機能は普通の携帯端末と同じだ。最近では市から委託された大手メーカの参入もあり、機種も増えつつある。市民にはもう普通の携帯端末と変わりない。

創介は最近始めたばかりのソーシャルゲームを起動する。以前は相手に到着を連絡していたが、内容の分かっている連絡は確認するだけで応答しない主義の偏屈者なので、今では大人しく彼が出てくるまで待つことにしていた。

どうせ友人もいない彼は、ホームルームが終わり次第すぐ下校するのは分かっているのだ。


 創介がこの上座市立神遙学園を訪れるのは彼の日課となっており、ほぼ毎日のように訪れていた。よく顔を合わせる女子生徒から声を掛けられ、適当に会話したりして暇を潰す。

 自分が異性に好意的に見られる容姿を持つことを自覚している彼は、声を掛けたり、あるいは掛けられたりすることを楽しみ、快く応答していた。そんなことを続けている内に、いつの間にか多数の女子生徒と顔馴染みになってしまったのだ。今話している二人も自然とよく話すようになった顔馴染みの女子生徒達である。おそらく今創介が待っている相手よりも、間違いなく自分の方がこの学園の生徒の顔と名前を把握しているだろう。


 最も、アイツは無関係多数の人間を覚えるつもりなど最初から頭にないのだろうが。


「真琴のクラス、もうそろそろ終わりそう?」

「知らない。でも〈あのコ〉のクラス、担任がマジメだからまだまだかかるかもよ?」今どきの女子高生らしく、警戒心など微塵も無さそうな二人組の学生。会話のついでに相手の状況を内偵してみるが、いつも通り解放されるのは後半になりそうだ。


 〈あのコ〉か。言われてるぞ、真琴。


 創介の待ち人は、友人はいないが見た目のせいで顔を知ってる生徒は少なくなかった。待つ間お茶に誘われたが丁重に断り、店に顔を出してくれたらサービスするよ、と冗談めかした宣伝をしておく。

 創介は父親の経営する軽食店のひとつを任されている、若手の店舗経営者だった。よくいう親の七光りというやつだと自分でも思う。この待ち時間に宣伝することで、後に自分の店舗の常連になって頂けることも多い。創介はこれも仕事の一環だと思い、暇潰しと実益を兼ねて有意義に活用させてもらっている。


 二人と別れてからしばらくするとようやく待っていた相手が出てきた。間違いなくこちらの存在を確認しているが、こちらに対して何の反応も示さない。

「お疲れ」軽く声を掛けながら近づくが、向こうはこちらをチラと見ただけで、歩みを止めず進んで行く。いつものことなので、創介もそのまま横に並ぶと、「店に寄っていくか?」といつも通りの質問をする。背原 真琴(ハイバラ・マコト)は、「ん」とだけ発声すると、そのまま創祐の車へ乗り込んだ。

 いつも通りの無表情。

 楽しくもつまらなくもないのに表現をする意味があるのかと、そう訴えかけるような、印象的な無表情をしている。これが彼の常態だった。その顔はまるで少女と見紛うように整っていて、小柄で細身であることが更にその印象を助長している。ちょうど眉が隠れる長さの前髪に対して、横は耳を覆うように伸ばしている。それは右耳のピアスを隠すためでもあったが、男らしい髪型とは言い難かった。しかし、大きな瞳を伏し目がちにした状態は、無感動な印象を強めてもいる。もし実際に女性であれば、きっと学園でも目を引く存在になっていただろう。散々見慣れたはずの男子用学生服もまるっきり似合っていない、と創介は思う。

 座席に座るとそれっきり黙ったまま携帯端末を操作し、ワイヤレスのイヤホンを装着した。漏れ聞こえる程の大音量。こうなってしまった真琴は、もう自分の殻に入っていった表れだ。ポケットに手を入れ、深々とシートに沈み、視線はやや下向きの姿勢で固まってしまった。


 全く、自分の社交性を半分やりたいくらいだ。


 「了解」運転席に乗り込んだ創介は、もはや聞こえていない相手に律儀に応答して、車を発進させた。現在までのところ、今日という日は二人にとって平均的な日常といえた。



 創介の車はハイブリッド特有の静かな唸りを上げ、学園の門を出た。




 ―3―



 〈ユピテル・コミュニティ〉の一群、上座(カミザ)市。

 ここ5年間で飛躍的な発展を見せている、最先端技術を詰め込んだモデル都市である。〈ユピテル・コミニュティ〉とは全世界に点在する、災害などの被害の為、自力復興が不可能な地域に対して施される特別支援を行う団体、及びその支援を受ける都市群を指す。上座市も5年前に重大な被災を受け、この共有体に組み込まれた。

 現在の最先端技術を試験的に導入することで、可能な限りの早期復興の道を開く。該当都市はその代価として、技術と引換にその記録ログをリアルタイムで世界に公開される。世界に共有される実験都市(モルモット)となるのだ。人道的に数多の問題を孕むこの措置が現市長の英断の下に適用された。以来、上座市の急速な発展を鑑みれば、正に英断だったと言える。

5年前までこの上座市は首都圏外に位置する一地方都市に過ぎなかった。目立った特色や産物もなく、首都圏を往来するための通過点でしかなかったこの街で、交通機関が発達したのは至極当然と言える。しかし首都圏へのほんの手前、まさに入り口という位置に面したのが災いした。上座市は、首都への通りがかり的な存在でしかなかった為、せっかく発達した道路も都市経済の利益にはあまり反映されず、その道路の生み出す利益はそのまま首都へと流れることになった。周辺に宿泊施設やテーマパークなどが多く建設された時期もあったが、訪問者の多くは首都圏へ向かう途中にたまたま通ったに過ぎない上座市に止まることなく、そのまま素通りするのが常だった。大して収益を上げることなくほとんどが廃業していき、今では無駄に広いテーマパークの廃墟だけが、始末に困ってそのまま残っている。

 結果として単なる中継地点となった上座市が得たのは、都市を貫通するような公道と高速道路が縦横無尽に各地に向けて通った立体的な都市高速フリーウェイだけとなった。しかし住民にとっては外への交通の便が格段に向上したので、概ね好感触に受け入れられていた。当時の交通網は、上座市から出ることを主眼に造られていたと言える。


 今はその逆だ。それはまさしく逆転だった。


 道路は発展を遂げた現在も増加し続けている。しかし、その在り方が変化した。都市と都市を繋ぐような大規模なものはもはや造られなくなり、次第に主として市内を結ぶ為の立体的な網状道路フリーウェイが拡げられるようになった。つまり現在の上座市は、外に向かう必要がないほど内側の環境が充実しているのだ。首都を凌ぐほどに。

 

 その市内に繋がる道路のひとつを走行する車内で、背原真琴と創介は互いに無言のままだった。ちょうど立体交差の上側を走っている為、景色は日暮れ前の市の遠景が広がっていた。

 いつもの道。例のテーマパークの残骸を望む風景。大音響の音楽を聞きながら、遠くに見える放置された観覧車を眺める真琴、それを横目に見ている自分。

 車内には僅かに漏れ聞こえる端末から流れる音楽。テクノミュージックのような機械的で、電子音の混ざった曲。不均衡に崩れたメロディが微かに届く。

 この何気ない空気が、自分の生活バイオリズムの確かな一部となっていると実感する瞬間。


「今日は、マヤちゃんの所に寄らなくていいのか?」

 ぽつりと、思い付いた質問。

「今日は、部活」

「妹の方がよっぽど社交的だな」

「無理してるから」

 真琴は顔を上げ、窓の外を見る。少しすると、視線をまた下に向けた。真琴の興味の大半は本と音楽と妹、ほぼこの3つで構成されている。

「じゃあ、今日は二人っきりだな?」

「ん」冗談っぽく言ってみたがスルーされた。



 ほんの子供の頃から、二人の関係はなにひとつ変わることがなかった。創介が問い、真琴が答える。

 この無口で年の離れた幼なじみの面倒を、彼はもう十年以上も見てきたことになる。まあ、面倒と言うほど手間が掛かった覚えもない。「今日の晩飯の希望は?」と聞くと、イヤホンをしているににも関わらず「ない」という即答が返ってきた。気配で何となく察したのだろう。これも長年の付き合いの賜物だ。

真琴の両親が亡くなった時から、つまりあの〈5年前の惨事〉の後から、創介は背原真琴との共同生活を始めた。当時の自分はまだ高校を卒業して、ちょうど大学への進学に向け家を出る準備をしていたところだった。タイミングがよかったといえばそうなのかもしれない。しかし、もし違う時期であっても自分がそうしただろうことは間違いがない。例え父に頭を下げてでも真琴のことを放っておくつもりは、創介にはなかった。

創介にとって、背原真琴は少し年の離れた弟のような存在であり、親友だった。父親や母親などより、ずっと長い時間を一緒に共にしてきたのだ。放っておけるはずがなかった。


立体道路を抜け、道路が地表と同じ高さになると、大きな交差点に出る。そこはもう上座市の中心街であり、交通、流通の中心だった。各地区へと伸びる網状道路フリーウェイの始点であり、終点でもある。一際目を引く流線型の巨大な建物、上座中央駅が繁華街の主要部だった。大手ショッピングモールと併合され、今では若年層を中心に常に人が集まる名所、〈上座パラメントシティ〉と建物名を改めている。そのモールの中に、目的地である創介の店舗が入っているのだ。二人は一日の終わりに、夕食をそこで取ることが習慣となっていた。自分の裁量で扱える場所があることはありがたいことだと思う。少なくとも衣食住のうち、食には困らないで済むのだ。

木造の茶色のドアには英字で〈円卓ラウンド・テーブル〉と記されていた。創介の店の名前だ。店名の下にはデフォルメされた騎士と豪華な円卓を表したロゴがあしらわれている。

ドアを開けて入ると、中央に店名の由来である円形のテーブルがある。その他にはテーブル席が6つとカウンター席が5つの小規模な店である。店内の席はほぼ埋まっていた。夕食にはまだ早い時刻だが、大体いつもの集客率である。

父曰く、軽食・喫茶は時間帯を選ばず利用者のいる唯一の飲食店だという。あながち的外れでもないらしい。

店内を素通りしてそのままキッチンへと入り、店長の加藤に挨拶する。

「ああ、オーナーお疲れ様です。真琴君も、こんにちは」もちろん真琴は無言だ。

「お疲れです加藤さん、今日も厨房使わせてもらいます」

「はは、ご自分のお店なんですから御自由にどうぞ。あ、作り置きの小皿、出来たばっかりですからどうぞぉ」

「いや、それはルール違反です」手をかざし、申し出を断る。創介は自分達の分は必ず自分が作ることにしていた。料金ももちろん支払う。いくら自分の店でも、食事するなら当然だ。いくら店長の加藤が許しても、それは単なる横暴だと創介は考えている。

「律儀ですよねオーナーは。たまには試食と思ってつまんでくださいよ」

「食べちゃうと加藤さんがミスったとき怒りにくいじゃないですか。餌付けされたら敵いません」

「あらら、作戦失敗」笑いながら料理の手は止まらない加藤は、手際よくオーダーを片付けている。創祐は彼のおかげで、店の運営はあまり気にしたことがなかった。

 真琴は休憩室の端に座りこみ、携帯端末(QPDA)を見ている。おそらく電子書籍だろう。真琴は読書家だった。ペースが早く次々と読むものが変わっていく。早いときは一日に3冊ほど読破しているようだ。あまり本を読まない創介からすれば驚異的なスピードである。ジャンルは偏っており哲学書、エッセイ、なんと学術論文。聖書や宗教を扱ったものなどの場合もある。何が楽しいのか創祐には全く理解できない。将来本でも書くつもりなのだろうか。真琴の一日の時間は学校以外のほとんどを音楽と書物が占めていた。


「よし、やるか」

 上着を脱いで袖を巻くると、創介は夕食の準備に掛かった。

 円卓ラウンドテーブルは洋食専門だ。野菜をたっぷり使ったパスタでも作ろう。

 健康に気を使ってやるのも保護者の役目だ。




 ―4―



 今日は満月だ。


 満月の夜は血が騒ぐっていうが、ただの迷信じゃないらしい。


 三城威織(ミキ・イオリ)は、空を見上げ感心していた。昔から伝わるものには、何かしら意味があるものだ。


 時刻は夜の8時を回った頃、上座市の中心街は昼間の学業や仕事を終えた人々で益々賑わっていた。市が急発展を遂げてから、上座市は俗に言う眠らない街となった。この喧騒は深夜を跨いでも衰えることがない。


 そして繁華街を外れると、今なお開発工事が進む箇所が上座市にはいくつも存在する。今威織がいる場所もその中のひとつだ。彼とその仲間は、そういうポイントを夜の間だけ拝借して、自分達の集まりや遊び場として利用していた。こういう場所は当然、夜間は業者も帰宅し、一般の住民も立ち寄る理由がない為、まるでエアポケットのように人がいなくなるのだ。最新鋭の監視カメラだけが彼らをただ見つめている。それは今現在も威織達の生活環境を記録(ログ)として市のメインサーバに送り続けてているはずだ。威織達はよくこの場所を利用するが、今のところ咎められたり警備が強化されたりすることはなかった。


「おいでになったみたいだぜ」威織がマキと呼ぶ相棒が報告する。彼は威織の相棒だが、マキと言う呼び名以外は連絡先しか知らない。今ここにいる十数人の仲間は皆そんなものだ。なにか不味いことがあれば自己責任。楽しいことだけを共有する純粋な趣味仲間だ。威織と彼らはグループであり個人だった。彼らは全員が白を基調とした服を着ていた。


 入り口から大勢の男達が入場してくる。彼らは一様に自分達の柄の悪さを主張するような服装をしている。手にはバットや木刀、ナイフに、あと何だか分からない鈍器。それらを地面にぶつけながら、非常に近所迷惑な騒音を出しながら接近してくる。

 彼らが今日ここに威織達を呼び出した相手のようだ。確かナントカいうドラッグの密売の下請け。威織はその大元の会社の名前すら知らなかった。

 「お前らか、〈ロボス〉ってガキどもの集まりは」代表格らしい大男が問いかける。見るとメンバーの大半は三十過ぎのオッサンばかりだった。もしかしたらヤクザの下部組織か何かなのかもしれない。今日ここに集まったのはこのオヤジ達に呼び出しを受けた為だった。「どいつが頭だ。ガキどもの見分けなんかつきやしねえ」

「あ、オレオレ」威織は今喋った男の前に出る。目の前の男の取り巻きと威織の仲間達が、自然と二人を囲むように円を作った。

「お前ら、何で俺達の仕事の邪魔をする」

「あんたらは何でクスリを売ってるの?」凄む男の声に対して、威織の声は羽毛のようにフワフワしていた。

「聞いてるのは俺だ」言いながら持っていた金属バットを思い切り地面に打ちつけた。耳障りな音が一帯に響き、聴覚を奪う。

 乱入者達は各々の武器で不揃いの音楽を奏で続け、それはまるで鼓動(ビート)のようだった。

「いいね」ククッと笑い、威織は準備運動を始めた。「話し合いが聞いて呆れるぜ。思った通り、コイツら最初からやる気満々のご様子だ」後ろからマキが言う。


「それは俺らも一緒だろ」


「言い訳を聞く気はない。お前ら全員にケジメをつけさせる」リーダー格の男が目の前の威織に言う。「悪戯ごっこか何かのつもりだったんだろうが、お前らの襲撃のせいでウチは今月大赤字だ。その分はお前らにキッチリ補填してもらう」言うが早いか、乱入者達は怒りの音楽を奏でながら距離を詰めてくる。


 チッチッと舌を鳴らし、指を立てて威織が答える。


「ごっこじゃない。真剣に〈悪戯〉してんだよ」

そう言った威織の顔は邪悪な笑みに満ちていた。


 リーダーの振りかぶったバットを避けもせず、威織はそれに向けて勢いをつけた蹴りを放った。その瞬間、弾けるような光が威織の足先から迸る。光に後押しされるかのように閃光のような速度を得た蹴りが、バットを遥か彼方先へと弾き飛ばした。リーダーの男がそれに気付く刹那に、そのままの勢いで放った回し蹴りが男の顔面を捉える。先刻と同じ閃光を発した高速の蹴りは、威織よりも大きい男の身体を取り巻き達の所まで飛ばして、数人を巻き込みながら地面に落ちた。

 乱入者達の制止。威織の仲間からは歓声が上がる。

「な…なにが」「なんで光った…?」「まあ気にすんな、ただの手品だよ」首間接を鳴らしながら動揺する男達をまとめる。「威織、もういいか?コイツらも待ちくたびれたってよ」マキが後ろの仲間達を示しながら近づいてくる。見ると前方の男達と似たような凶器を素振りする仲間の姿が目に入った。

「そろそろ暴れたいってよ」

「悪いな、今日は何か血が騒いじまってさ」「あ?」

「満月だから」

「狼男かよ」マキが笑いながら前に行くのを手で制して、

「やらせろって」威織が更に前に出る。マキはつまらなそうにため息をつくと後ろに下がり、円に戻った。

「一人でやるって」途端に仲間からブーイングが始まる。皆暴れたくてここに集まったのだから当然だ。いつもなら仲間達と一緒にこのパーティを分かち合うところだが、それでは今日のこの胸騒ぎはとても収まりそうになかった。

「じゃあリーダー、もっと派手な手品見せてくれよ!」仲間達の誰かが叫んだ。もちろんそのつもりだ。今日はおもいっきりメチャクチャにしてやる。威織はすっかり放置された乱入者達に無造作に歩み寄ると、目の前の一人の肩に手を置き、「よし、続けようか」と告げる。


 それが乱痴気騒ぎ(パーティ)のオープニングだった。


「調子に乗るんじゃ…」叫んだ男は威織に向かってナイフを突き出した、つもりだった。しかし、そのナイフは自分の隣にいた男の腕に突き刺さっていた。顔は威織に向けたまま身体を不自然に捻った格好で隣の男を突き刺したのだ。

「は?」刺された男が腕を押さえながら悲鳴を上げる。

「痛えぇ!お前何で俺にぃ!!」言いながら、自らも他の男に向かって鉄パイプを振り下ろしていた。

「やめろ!裏切ったのか!」

 いつの間にか乱入者の大半が仲間達を襲撃しあっていた。その姿勢は妙に不恰好で動きと意志がちぐはぐな印象受ける。鋭い金属音のビートは、次第にくぐもった重低音へと変わっていった。奇妙なダンスを踊り、次々と昏倒して倒れる男達。威織の仲間達はそれを見て汚い言葉で囃し立てる。

「なんだよ!なにが起こってる!?」自分の意思に反する身体に恐怖しながら、他の奴らも自分と同じ状態なのだと気付いた男が、その饗宴をニヤケ顔で傍観する威織に泣き声に近い声で訴える。

「お前なにしたんだよ!止めろ、止めさせろ!」

「何をしたって?」ククッと笑いながら地面を指差す。つられて視線を落とした男はハッとした。

 自分達の立っていた場所に鈍い光が見える。それは網状に周辺に広がっていた。訳も分からず視線を戻した男は、更にそれが威織を中心に周囲数メートル広がっていることに気付いた。自分がまるで蜘蛛の巣に捕まった餌のような錯覚に陥った男は、恐怖の限界を迎えてその場に座り込んだ。


 「さっき言ったろ?これは〈手品〉さ」


 もはや戦うどころではない男の後ろで、最後の二人が互いの鈍器で殴りあって倒れた。残った男に威織が近づく。

「心配すんな、命までは取りやしねえ」芝居がかった口調で男に言う。

「いいか、お前のボスに伝言だ」威織は男の着ている服の襟をつまみ、軽く持ち上げた。力を全く入れていなかった男の身体が、それだけでバネ仕掛けのように一瞬で立たされていた。もう訳が分からない。男は驚愕と恐怖で遂に本当に泣き出した。

「またやりたいなら大歓迎だ。兵隊でも殺し屋でも送って来い。俺達はいつでも応じてやるよ」

威織は男ではなく、設置された監視カメラを不敵な笑みで睨みながらお別れの挨拶を告げた。


「また悪戯小僧(ロボス)と遊ぼうぜってな」



 ―5―



 遊びが終わって、繁華街に向かうロボスのメンバー達は、リーダーである威織に対する文句で賑やかだった。

「俺ら今日何のために集まったの?」

「抗争だって言うから来たんだぜ、リーダー」

「いっつも大袈裟なんだよなあ、威織さん」

「悪い悪い、またすぐ次があるって」

 適当になだめながら威織は最後尾をマキと二人で歩いている。「しかし相変わらず謎だな、お前のその催眠術ってやつ?」「やってる本人も謎だからなあ」


 威織は自分の能力について、仲間には催眠術の一種だと説明している。似たようなものだと思ってもいる。妙な能力ではあるが、威織は仲間には別段隠すことをしていなかった。


 他人に対し〈身体に嘘を刷り込む〉能力。威織の認識ではそうだ。頭の中までは刷り込みできない。だからあのようなちぐはぐな光景になるのだ。先程の場合は自らの敵を〈横と後ろにいるやつだ〉と奴らの身体に思い込ませた。それだけだ。そして攻撃しようとすると、自分達で自滅していくことになる。


「さっきの奴ら、また来るかな」

「来てくれたらいいなあ」


 威織とマキは二人して敵の再訪を期待していた。暴力を楽しむのも、ロボスの目的のひとつだった。

 彼らロボスはただの無軌道な若者の集まりに過ぎない。特に目的もなく、退屈を嫌い、悪いことが大好きな不良少年達。白ずくめの服装をトレードマークに、退屈しのぎに喧嘩もすれば公共施設に落書きもするし、街でクスリを販売している輩を見つけたら暇潰しに妨害したりする。そういうくだらない、世間的には禁忌(タブー)とされることを好んで行う悪戯集団(フリークス)。それが彼ら〈白のロボス〉と呼ばれるギャンググループだった。マキはQPDAを操作して、先程の男達から巻き上げた現金(キャッシュ)を計算している。


「いくら?」「ん…10万位か。一人当たり約8千だな。まあ、小遣い程度には十分だろ」そう言いながら今日集まったメンバーに〈送金〉する。本日の報酬の振り分けだ。

 上座市では今や紙幣や硬貨などの現金は用いられていない。全ての財産がQPDAによるサーバ上の電子バンクで取り扱われていた。もし買い物の際に現金でも出そうものなら露骨に嫌な顔をされる。それくらいこの電子バンクシステムは上座市に浸透していた。今回得た収入も、倒れた男達のQPDAを介して回収したものだった。使用頻度が上昇した反面、便宜の為セキュリティ的には甘くなってしまった事が現在の改善すべき要点だ。現状では第三者でも比較的簡単に財産の出し入れが出来てしまうのだ。マキのような操作に長けた者であれば簡単に現金の移動が出来てしまう。彼はロボスのサブリーダであり、金庫番も兼ねていた。

「送金完了。そんじゃ、パーティの打ち上げにでも繰り出しますか?」「あー、悪い。ちょっと今日はパスさせてもらうわ」威織は申し訳なさそうに断りを入れる。

「はあ?またマコッちゃんのところか?」「多分、この時間ならまだ 〈円卓(ラウンドテーブル)〉に居るんだよね…」「あーあ、やっぱウチのリーダーはあっちの気があるわ」「バ、バッ、違えよ!昔からの親友は大事にしないとだなぁ…」威織は弁明しながらも声が尻すぼみだった。「向こうはそう思ってないようだけどな。分かったよ。こっちは適当にやっとくから行ってこいよ。創介さんにもよろしく言っといてくれよ」

「お、おう。モチロンだ!」そう言ってさっさと駆けていく威織を見ながら、マキは苦笑する。


 その時、マキの手中のQPDAにはサーバのエラーを示すメッセージが表示されていた。それは上座市の全端末に送信された緊急情報だったが、それに気付いた者もごく少数を除いて、大して注意を払うことはなかった。なぜなら現在も上座市のネット環境は最適化を求めて、常に更新作業が行われている。そしてその間、ネット環境に接続できないことは今までにも何度もあった為だ。


 故にその事実に気付くものは、現時点では誰もいなかった。


 既にこの街の中枢が、機能していないということに。






評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ