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虚構仕掛けのユートピア 〜void incarnaters〜  作者: Noyory
4章 close down〈クローズ・ダウン〉ー監獄の誕生ー
15/16

4―4 close down ー黒く閉じゆくー





ー1ー






 楽園の誕生。


 それを見守る神がもし実在するのなら、きっとこんな上空からの俯瞰の視点だっただろう。


 初めに上座(カミザ)市の四方に白光の切り取り線が現れた。


 唐突な轟音と共に浮かび上がる十字形。

 それは正確にこの街の地形を白く縁どっていた。


 次に起こったのは街の中心部から鳴り響く大地の鳴動。

 大きな地震のような揺れの後、この街の中心である上座パラメントシティが勢いよく黒煙を吐き出した。


 閉じられた蓋を外したかのように、黒煙が空に立ち上って行く。それが何かの合図のように、パラメントシティの中からは人が次々に溢れ出していた。


 煙から逃れようと必死に駆け出てくる人々。その出入り口から広がる黒煙や、中央の吹き抜けから上る粉塵でパラメントシティの姿はすっかり黒く覆われてしまった。


 気づくとその狼煙は各所からも上がり出していた。街の中にいる人々からは見えるべくもないが、俯瞰で見るとそれらが上座市の地下を走る路線を辿っているのが分かる。

 その影響か、舗装の弱かった道路などが一部破損し、酷い箇所では地盤が崩壊した場所もあった。


 人々は僅か数ヶ月の間に、もう3度目となる恐慌に陥った。避難しようにもどこへ逃げればいいのか分からない。全体を見渡せない点に過ぎない人々には、この破壊がどれほどの規模のものなのか把握する術がなかった。



 そんな時、上座市にひとつの統一された電子音が響く。


 街全体に響く機械的で単調なメロディ。


 この街に住む全ての者が持つ携帯端末(QPDA)


 その呼びかけ(コール)


 その呼びかけは一斉に人々の元へ届き、長い時間その機械的なメロディを繰り返し続けた。まるで人々が耳を傾ける準備が整うのを待つように。


 混乱の最中にある人々は、最初その音に気を配る余裕がなかった。しかししつこいほどに鳴り止まぬ音に、次第に自らのそれを手に取って画面を見ていた。

 端末に表示される〈重要な通達〉の文字。その文字があらゆる言語で画面一杯に表示されている。


 人々はいつしか端末をじっと見つめていた。

 この音が鳴り止む頃、状況の説明が為されるであろうと期待して。

 次に自分達がどうすべきかを教えてくれるのを期待して。



 白い光は赤い炎の色に変わっていた。揺らめく光と黒煙に彩られた街で、人々はただ、その次に語られる言葉を待ち望んでいた。






ー2ー





 延々と鳴り続ける端末。


 設定した覚えのない単調な電子音。


 しかし、それを見る暇などない。


 その時葵創祐(アオイ・ソウスケ)は、もう何度味わったか分からない土の味を口中に感じていた。


 地面を削るように転がる創祐の見る先には、満身創痍の巨漢がふらつきながらも仁王立ちしている姿が見えた。その巨漢の端末も先ほどから鳴りっぱなしだ。


 本当に目の前の男は化け物(ナインライブス)かもしれない。


 ガラス玉の眼で無表情に見つめ、そんな絶望的なことを思考しながらも、創祐は今までと同じく間を置かず起き上がり、ボルツと名乗った巨躯の男に再度仕掛けた。


 対するボルツの状態は瀕死と言っていい程の損傷だった。

 片目は潰され、喉はついさっき創祐に噛み千切られたせいで、鮮血が止めどなく迸っていた。それでもボルツは口元に笑みを浮かべ、創祐の動きにだけ集中している。


 


 創祐の精神具象(スピリット・シェイプ)の発動。

 ボルツの全身にトラックでも持ち上げられそうな鎖が巻き付く。四肢の動作を完璧に戒める〈拘束〉(リストレイント)


 しかしボルツの体に触れると同時に朽ちていく鎖。

 あっという間に屑状になって剥がれ落ちていく。


 まただ。

 すでに何度も見た現象。

 何度仕掛けても同じように無力化される拘束。


 しかし創祐はその隙を狙っていた。

 相手が拘束を解く時の、僅かな硬直時間を。


 無防備なボルツの残された片目。

 創祐は躊躇なく、そこに親指を突き入れた。


 僅かに洩れたボルツの呻き。

 その眼窩を掴んだまま、残った片手で思い切り拳を叩き込む。


 眩い閃光と共にボルツの顔が跳ね上がり、折れた歯が空中に舞った。常人なら決して耐えられないはずの攻撃。


 それでも目の前の巨漢は足を折らない。


 殴られながら掴んだ創祐の腕を引き寄せ、その勢いで反動を付けた、鉄槌のようなボルツの拳。


 創祐は無理矢理に重心を後方へ引いた。


 再びの炸裂する閃光。


 創祐の体は地面をバウンドしながら吹き飛び、またしても土の味を確かめることになった。咄嗟に防御した左腕の感覚がない。それでも創祐は起き上がり、すぐに戦闘体勢に移行する。


 衝突が始まってからの約10分間。

 2人はこの過程を幾度となく繰り返していた。


「…凄いなお前。一度の戦闘でこれだけ“殺された”のは初めてかもしれん…」


 両眼を潰されたままのボルツが、破られたはずの喉で嗤う。

 戦闘が始まって以来、これが初めての言葉だった。


 ボルツが纏う淡い緑色の粒子が、その質量を増したように濃密になる。嗤っている間にもその傷口が塞がって行くのが創祐の位置からでもはっきりと分かった。


「もう気付いていると思うが、俺の顕現能力(インカーネイト)〈不死人〉(ナイン・ライブス)とは、いくら殺しても蘇るこの肉体のことだ」

 そう言っている間に先に潰した左眼が復元した。喉元には既に傷跡すら見当たらない。いつの間にか折れた歯も揃っている。


 さっきから繰り返し見せられる悪夢。


「だが安心しろ。本当に不死ってわけでもない。九つの命(ナイン・ライブス)の名の通り、俺は命の予備を何個か持ってるってだけだ。殺し続ければいずれは死ぬ」

 実際死んだことはないから分からんがな、と続けて笑うボルツの体からは、創祐の付けた傷が綺麗に消えていく。


「…まあ、“化け猫”(ナイン・ライブス)のイメージとは程遠いとは思っていたよ」

 軽口を聞いてはいるが、創祐の負傷は決して軽くはなかった。

 直撃こそもらっていないが、防御しても意味が無いほどにボルツの腕力は常人離れしていた。そのうえこちらの拘束は何故か相手から無効化されている。左腕も今ので感覚がないまま。


「しかし、さすが我等が最上位者(マスタ)の秘蔵っ子だ。全く躊躇なく急所を狙ってくる」

 すっかり損傷が無くなったボルツの評価。


「…なんのことだよ?」


「お前の戦闘術、いや“殺人術”を褒めてるんだよ。ただ教わっただけじゃなく、しっかりと自分のものにしてるのが分かる。一瞬お前の師匠と戦り合っているかのような錯覚に陥ったよ。その“無表情”もマスタ・シュウの受け売りか?」


 創祐の表情が崩れた。

 いや、表れたと言う方が正しい。


 シュウ。創祐の忌み嫌う、その呼び名。


 氷のような無表情が、目を見開いた驚愕に変わる。


「…なんでお前が“あいつ”を知ってる…」


 あの男に教え込まれた戦い方。


 ある時期に真琴と2人、貪るように学んだ技術。


 その男曰く、“時として必要な意思表示”の術。 

 


「なんだ初耳か?お前の師匠の榊終一(サカキ・シュウイチ)は俺達“SOS”の構成員にして、偉大なる創設者だ」


 


 衝撃が全身に走る。


 ボルツの拳など比較にならない一撃。

 



 唐突に繋がった現在と過去の人物。

 自分の見ている世界が反転するような嘔吐感。




 今の自分を構成する過程(プロセス)

 その途中に仕掛けられた巨大な虚構(ウソ)



 創祐の足元が揺れる。

 まるで虚構(かりそめ)の地盤に立っているような錯覚。


 その目の前に立つボルツの腕に力が篭もる。


「まあ俺にはどうでもいい話だ。俺は喧嘩狂い(ファイトフリーク)でな。こういう真剣勝負(リアルファイト)の機会があればそれでいい。この顕現(インカーネイト)のおかげで、“死ぬほど”それを満喫できるからな」


 茫然とする創祐にボルツの渾身の一撃。


 創祐は反応できず、無防備にその一撃を受けた。




 体が比喩ではなく、本当に宙を舞った。






ー3ー





 マンションのドアを開けると、妹の背原真綾(ハイバラ・マヤ)が既に帰宅していた。

 予想外。もしそうなら普通の姿を整えてきたのに。しかし街の異常な事態を考えれば当然かもしれない。どうやら思ったよりも自分の頭は回っていないらしい。


「お兄ちゃん!」


 自分の状態を見るなり駆け寄って来るマヤ。

 なんだか最近は心配を掛けてばかりだ。

 それは自分の不注意のせいでもあるが、単純に一緒にいる時間が多くなったことが一番の原因だと思う。


「大丈夫」

 自然と2人の時には笑える自分が不思議だ。他の人と話していても、こんなに自然に笑顔が出ることは皆無。創祐にでさえ。


「さっきの凄い音のせい?何だったのあの光?ああ、血が出てる。待ってて、救急箱…」

「大丈夫だから」

 マヤを抱き、その背中を撫でる。ちょっと転んだだけだからと、信じるはずのない嘘をつく。でもその言葉だけでマヤが落ち着くことを背原真琴(ハイバラ・マコト)は知っていた。


「…携帯で連絡しようとしたけど、動かないの。ずっと鳴りっぱなしで変な文字が出るだけ…」

「僕のもだよ」


 兄妹は家の玄関口で寄り添い合って座っていた。そこに存在する音は端末からの電子音だけ。


「…心配だった。いつもお兄ちゃんは何かがあった時、傍にいてくれないから」

 マヤの口から洩れる、きっとずっと言いたかった不満。

 その通りだと思う。大事だと思っているのに、肝心な時には離れた場所にいるのが常。肝心な時は大体自分が危ない目に合っている時だから、自分が離れるていることでマヤを守った気になっている。


 滑稽だ。


 なのに自分は、またそれを繰り返そうとしている。


「嫌いになった?」


 そうであればいいのに。

 もしそうであれば自分も諦められるだろう。

 ただそう言ってくれるだけでいい。

 そうなればこんなに苦しませずに済むのに。


 しかしマヤは首が心配になるほど横に振るだけ。


 自分も同じだった。一度近づいてしまったら、お互いにどうしようもなくなるのは分かっていた。そう、もう遅い。


 鏡を見ているような顔。自分を見ているような共感。

 しかし自己愛とは違い、内側ではお互いを別々の人格と認め、惹かれあっているのに気づいてしまう。


 その繋がっていると思える心地良さ。


 気持ち悪い、おぞましいと思いながらも、そんなものを遥かに上回る相手への好意。

 自分が愛情というものを持ち合わせているとは思えないが、もしこれがそうなら、それはとても素晴らしい感情だと思う。



「ずっとここで座ってるのも変だね」

「…そう。そうだね」

 そう言って2人で笑った。幸せな時間だと素直に思った。リビングに2人で戻る。でも、落ち着いたら言わなくてはいけない。


 自分が狙われていること。

 一緒にいると余計に危険だということ。


 上手く話せるか自信がないが、それでもまた別れることだけはしないといけない。それこそ嫌われてでも。


 それは自分のマヤに対する責任だ。

 唯一の家族として、兄として、そして……




「久しぶりだな、2人とも」




 リビングに入ると全身黒ずくめの男が立っていた。




 いつどうやって入ったのか分からない。2人が玄関にいたというのに、ふと湧いたように現れた自分の師。


 肩にかかる黒の長髪、目元までその黒髪で覆われている。丈の長いロングコートも黒一色、その中に着ているシャツも、パンツも黒で統一された出で立ち。


 昔、一緒に過ごした時と寸分変わらぬ男の姿。


 まるで過去から顕現した亡霊。



「シュウ先生……」



 マヤの呟き。


 それが、目の前の男が幻影ではないことを示していた。






ー4ー






 突き上げるように放たれた拳で打ち上げられた体は自然落下で落ちて来るまでに数秒を要し、創祐を地に叩きつけた。


 酩酊したように定まらない視界。辛うじて意識は保っていたが、体がまるで言う事を効かない。


 ボルツは足元に倒れる創祐を見下ろす。


「…てっきり避けるだろうと思ったが。そんなにショックの強い話だったのか?拍子抜けしたぜ」


 創祐はまだ回っている視点の中で、自分の過去と現在が同じように回転する情景を見ていた。


 自分が少年の頃、“先生”と呼んでいた男。


 榊終一。


 真琴と自分に計りしれない影響を与え、同時に決して塞がらない傷跡を心に刻んだ。


 その古傷が抉られたような胸の痛み。

 そこに交差するように新たに刻まれる傷。



「…シュウが、俺達の監視者だった…?」

 創祐は二度と口にしないと決めていた、その名を呟いた。


「お、まだ意識があったか。そう、もう8年くらい前からになるか。お前ともう一人、背原真琴(ハイバラ・マコト)って奴の記録(ログ)が取られ出したのは」


 それは最初の〈光災〉よりも前の事。

 〈ユピテル・コミュニティ〉がこの街に介入するよりも前。



 最初から最後まで仕組まれていた事だったのか。


 “あの事件”も。


 創祐の中で、シュウに対する明確な殺意が渦巻く。



 立ち上がろうともがき出した創祐の背中に、ボルツが大きな足を乗せて阻む。それだけで潰される体。

「もう足掻くな。この街の閉鎖までお前達を自由にさせるなってのが俺の任務だ。別に殺しはしない。今回はな」


「…足を、どけろ」

 這いつくばったまま凄む創祐。それを面白そうに笑って見下ろすボルツ。

「どかしてみな、お兄さん」


 いいだろう、見せてやる。

 お前があの男の代わりだ。


 精神具象(スピリット・シェイプ)の発動。


 自分に対する戒めを解く。


 自身に対する〈感覚施錠〉(ロック)の解除。


 〈限界設定〉(リミッタ)の解除。


 青白い粒子が顕れ、創祐の周囲で弾けた。



「お?」

 ボルツが異変に気付いた時、既に創祐は足を“軽く”跳ね除け起きあがっていた。ボルツが状況を把握するより早く、フルスイングの拳を顔面に叩き込む。


 巨体が遥か後方まで吹っ飛ぶ。ボルツが殴られたことに気付いたのは、地面に転がされた後だった。

 すぐに起き上がるその眼前に創祐の足。再び蹴り倒されたボルツの頭が地面にめり込むほどの一撃。


 すぐに飛び起きるボルツ。しかし地に立つ足が震えているのに気付き、本当に驚愕した。打たれて足にくる感覚を、ボルツはこの時初めて味わった。


 創祐の方を見ると、その胸に青白い粒子が灯っていた。


「…なんだそりゃ」

「切り札ってやつだ」言いながら仕掛ける創祐。


 限界設定の解除により体力や重力の制約から逃れた創祐は、文字通り目にも止まらぬ速度でボルツに迫った。 

 ボルツは全く見えない拳を腕で防ぐ。その太い腕があっさりと砕かれる。膝が踏み抜くように蹴られ、左足が破壊される。そのせいで頭が下がった所に延髄を狙った右足で首の骨が折られた。その不安定な頭部に超高速の後ろ回し蹴り。


 頭がもがれるほどの衝撃で再び後方へ飛ばされるが、今度はボルツは踏みとどまる。

 その全身に濃密な粒子が顕れ、すぐに損傷が消えていく。そのボルツの顔は歓喜に溢れていた。


「ははは!なんと本気じゃなかったってのか。人が悪い奴だ、葵創祐。最高だ、いいよお前」


「気安く名前を呼ぶな。次はその首を捩じ切ってやる」

 再び感情のない機械のような創祐の宣言。

「はは。ようし、やってみろ」

 それに対して、楽しくてたまらないボルツの返答。


 両者が再び仕掛けようとした時、あまり聞き慣れない火薬の破裂する音が響いた。


 同時にボルツの側頭部に穿たれる穴。

 ゆっくりと倒れるボルツの巨体。


「葵!」


 呼ばれた方向から紫のSUVが走って来る。橘直陰(タチバナ・ナオカゲ)の車だ。その運転席から身を乗り出し、拳銃を構えた橘の姿が創祐にも見えた。


 凹凸の激しい道を猛スピードで走ってくる車は、創祐の目の前で止まった。

「ナオ兄、どうして…」


「いいところを奪って悪いが早く乗れ。まだ他にも拾う奴らがいるんでな」

 橘の睨む目から切迫したものを感じた創祐は、とりあえず後部席に飛び乗る。その目の前でボルツが起き上がろうとしている。


「あいつはまだ生きてるぞ」

「“視ていた”から知ってる。あんな面倒な奴の相手は後にしろ」


 橘の急発信。アクセルを限界まで踏み抜きボルツに車を突っ込ませる。右手だけ外に出し、その手の拳銃で精確に頭を狙うかボルツの太い腕でその銃弾は防がれた。


 その右足に車が衝突する。

 ボルツが錐揉みしながら再び倒れ込む。


 橘は速度を弛めず、全速力でその場を離れる。

 後ろからボルツの喚いている声が聞こえた。どうせすぐ治るのだろうが、もうこちらに追いつくのは無理だろう。車は自分のと同じく廃車同然だ。





 携帯端末(QPDA)の音は一向に鳴り止まず、狭い車内でも音を発し続けている。

「悪かったな、葵。まさか管理者達の自作自演とはいえ、“SOS”が存在するとは思ってなかった」

 橘は煙草に火を点けながら謝罪する。その炎に照らされた眼は真っ赤に染まっていた。ずっと赤色錯視(レッド・インサイト)で探っていたのだろう。それで創祐の位置と状況を知っていたのだ。


「…いや、知ってても何が変わったわけじゃない」

 きっと自分は同じように、日常に逃避しただけだ。


「それよりナオ兄、何をそんなに焦ってる?」

「実はほんの少し前、真琴も“SOS”に襲われた」

「なに?」思わず身を乗り出す創祐。


「安心しろ、負傷したが無事逃げ切った。ついでに言うなら三城威織(ミキ・イオリ)も時を同じくして襲われている。どうやら俺達は思った以上に管理者達に気に入られているみたいだ」


 この街の閉鎖。それをきっかけに一気に管理者側が接近してきている。自分達の包囲が狭まっていく感覚。


「真琴は自宅に戻っているが、このまま放っておくのは危険すぎる。何といっても敵は“管理者”なんだからな。こっちの住処なんざバレバレだ」

 橘は言いながら煙を吐き出した。

「俺は頭のチップのせいで北嶺(キタミネ)まで行けない。悪いが真琴を拾うのはお前に任せる」

「ああ、確か中央区と遊南区までが許可範囲なんだったな。でも、ナオ兄はどうするんだ?」


「新しい家がいるだろ?俺はそっちを準備しておく。端末(QPDA)は使えないからこれを持って行け」

 そう言って投げてよこしたのは謎のコール音を発していないオーソドックスな端末だった。

「この街に無くて、世界のどこにでもあるごく普通の端末だ。QPDAじゃない。こっちに場所を連絡するから、俺は中央区で下ろせ。まだ死にたくないもんでな」


「…それはつまり、俺達の日常はここで終わりってことか?」


「勘違いするなよ創祐。日常というのは目の前に見えている世界のことだ。つまり俺達の日常ってやつは、今のこのクソったれな状況のことなんだよ。お前が思ってるような平凡で退屈なもんじゃない」


 橘の核心を突いた言葉。

 今の創祐にはすんなりと受け入れられる。


「そうだな」


 目の前の現状を見ろ、目を逸らすな。


 逃げてもどうせ付き纏う。


 それが嫌なら自分で変えろ。


「真琴を連れて戻って来る。そしたら始めよう。俺達の日常の続きを。気に入らなかったら自分で変えてやる」


「ようやくすっきりした答えが聞けたよ」

 橘の口元に笑みが浮かぶ。珍しい部類の仕草。



 唐突に携帯端末(QPDA)の音が止む。

 ディスプレイが暗転し、誰かの声がまず聞こえてきた。


『…上座市の市民の皆さん。この映像は強制的に全市民に配信しています。緊急の事態につきご了承頂きたい。現在上座市がSOSなる反社会的組織によって蒙った被害について、状況を説明させてもらいます』


 徐々に映し出されたのは、上座市長四条巽(シジョウ・タツミ)が壇上に立つ姿。


「市長自らの御高説か」

「聞かせてもらおう。どんな言い訳を振りかざすのか」


 2人は中央を目指しながら端末の中の男を見る。


 今やはっきりと自分達の敵となった男の姿を焼き付けるように。






ー5ー





 橘直陰からの短い連絡。


『中央区にいろ。そこでついでに拾ってやる』


 一体なぜ拾われないといけないのか分からない三城威織は、シャボン玉を使う外人から逃げた後、他に行くあてもないので言われた通り中央区を目指していた。


 そうこうしているうちに大規模な爆音と光が街に谺する。


 どうもまた管理者の連中が何かやっているらしい。威織は直感的に、橘の呼び出しはこれを予期したものなのだろうと察しをつけた。


 途中ロボスのメンバーに安否確認の連絡を入れたが、マキと数名の仲間から返信があったあと、端末が謎の音を鳴らしながら固まってしまった。周りで右往左往している人々も同じ現象が起こっているらしいので、威織は端末のことは放っておくことにした。


「うわ、やべぇな」


 中央区のいつもの通りに出ると、黒煙に包まれた上座パラメントシティが嫌でも目に入った。これはしばらく使い物にならないだろうなと横目に見ながら、葵は大丈夫だろうかと考えた。

 

 いつぞや橘と初めて会った喫茶店に辿り着く。待たしてもここが待ち合わせの場所だった。さすがにこの騒ぎで営業などしてないのではないかと思ったが、店は普通に開いていた。人の良さそうな店主も店内に見えた。


「チィす」

「いらっしゃいませ」

 外の騒ぎに気がついていないのかと思うほどこの前と変わらない店内の雰囲気。適当に席に座ると店主がオーダを聞きに来る。

「何になさいますか?」

「…じゃあ、クリームソーダで」

 普通に注文を取った店主に対し、威織は思わず尋ねていた。

「なんか外大変見たいですけど」

「左様でございますね。しかし私に出来る事などいつも通りにこの店を開け、お客様にご奉仕をすることだけですので」

 そう言ってカウンタに戻る店主に、威織は格好よさを感じた。あれが大人の貫禄と言うやつだろうか。この街の大多数も見習えばいいのにと思う。


 そんな時ポケットに放り込んだ端末から声が聞こえた。直ったのかと思い取り出してみると、この街の市長がディスプレイ越しに真剣な顔で威織に訴えかけてきていた。


『…現在市街地に大きな被害は出ておりません。最も大きな被害は上座パラメントシティの内部です。地下鉄全線の爆破工作により、噴煙が集中していますのでお気をつけください』


 市長直々に被害報告か。でも確かこれ自分達でやってんだよな。

 さっき襲ってきた“SOS”を名乗った外人もグルなんだろう。なんか色々知ってたし、“同類”だし。まあそれも、橘の推測が全部当たってればだが。


『主な被害はこの街の境界位置に集中しています。隣接地域への道路、沿線が攻撃目標であると推察されます。市民の皆さん、下手に避難するよりも自宅で様子を見ることが一番の対策となり得ます。幸い地下鉄線も復旧作業中で運行が停止していた為、人的被害は最小限に抑えられています。ですが市境界部では現在この犯行を行った“SOS”の構成員と支援軍が戦闘を行っている箇所があります。決して周辺には近付かず、自宅で次の情報をお待ちください』


「物騒なものですね。まさかこの国のこんなに近くで戦闘があるとは思っていませんでした」

 ちょうどクリームソーダを持ってきた店主が言う。 

「まあこの為に呼ばれた軍隊だから本望なんじゃないすか」

 威織の適当な返事。でも本当の所どうなのだろう。

 もし自作自演のテロ事件なら戦闘なんかしてないはずだ。

 じゃあ何をしているかと考えても自分が分かるわけはない。まあ何をしているにしろ、悪だくみなのは間違いないだろう。


 ふいに、ぼんやりと見ていた端末の映像が切り変わった。

 まるでぶつ切りにしたような唐突な終わり。


「お」


 映像は屋外に移動していた。やたらとだだっ広い空間に顔を伏せた人間が1人、黒い外套のようなものを羽織って立っている。やや近すぎる距離の為、見えるのはその上半身と闇だけだ。


『偉大な功績のある市長の話を遮って申し訳なく思う』


 断りを述べながら顔を上げる。その人物は仮面を被っていた。


 ガイ・フォークスの仮面。


 白塗りの顔に髭を生やした、見ようによっては笑っているように見える道化の顔。しかしそれが反逆者を象徴する仮面であることを威織は知っていた。その仮面の声は間違いなく男だ。


 その仮面に見合った大仰な振る舞いで挨拶をする男。


『お初にお目にかかる。我々は市長の言う反社会的組織、その名を尋ねられれば“SOS”を名乗る集団。私はその組織を代表する1人と思ってもらって構わない』


 深々と頭を下げる。身を起こし、右手を胸に当て、こちらに向けて語り出した。


『まずは不安と恐怖を与えたことに対する謝罪を述べたい。我々にはこの街の人々に危害を加えるつもりは一切ない。ただ教唆を行うために存在する。我々がこの反逆の仮面を付け、こうして非合法な活動を行う理由。それらの目的はただ一つ、神のごとく振る舞う“ユピテル・コミュニティ”の横暴を許さない為だ』


 仮面の男が拳を作り、顔の横で力を入れる。


『世界各国に点在する、ユピテルの庇護を受ける指定都市。それは広大は奴等にとって鉱脈だ。最先端の技術と急速な復興の約束という餌を撒き、弱者となった被災に喘ぐ人々から情報を巻き上げる悪徳の権化、それがユピテルの創り出した“楽園”だ。そうやって得た個人の情報が世界の至る所で閲覧されているという、この情報化された時代にあるまじき事実。その高値で取引されるモルモットの数を増やし続ける強欲の化身、それがユピテルだ』


 その手が仮面の額に指を当て、間近に迫る。


『我々はその横暴に抗うために頭を使った。あまりに巨大な共同体(ユニオン)の為、正攻法ではどうにもならない。そこで我々はその搾取された都市そのものを切り取るという搦手を思いついたのだ。その栄えある第一の都市に選ばれたのがここ…上座市だ』


 額の手が横へと伸びる。連動するように映像が移動していく。


『今やこの都市は孤立した。都市間を結ぶ道路は千切られ、地下を走る道は閉ざされた。そう、まだ気付いているものは少ないかもしれないが、電子の網も同様だ。外からは入れるが、この街からのあらゆる電子通信は街の外に届かない。一方通行のネット…これがユピテルに対する記録(ログ)の収集を阻む根幹となる』


 男の姿が画面の外へ。誰もいない画面には街の遠景。

 高所から撮影されているその遠景に見慣れたものが映る。


 この街の誰もが必ず知っている、廃棄された観覧車。


『だが安心してほしい、我々は貴方の身近にいる。同じ場所に立ち、同じ物を見聞きし、そして何処にでも現れる協力者だ。この街に住む貴方の背後にできる影。我々はその影に潜み第三者的に貴方を支えるもう一つの影だ。故にその名を影の中に立つ影シャドウ・オブ・シルエットという』


 画面にフェードインしてくる仮面の男。

 その両手が耳の辺りに当てられている。


『影である我々には常に君らの囁きが聞こえる。たとえ楽園であろうとも、我々は家畜にはならないと抗う声が。貴方達はこれから選択を迫られる。抗うのか、逃げるのか、それともただ流されることを良しとするのか。残念ながら逃げ出すという選択肢は我らが奪ってしまったが、それ以外のあらゆる選択肢が君の前で選ばれるのを待っている』


 仮面の男が画面一杯になる。


『そのどれもが正解だ。間違いなどない。貴方の選択がこれからを創る。この街は決して楽園になどならない。ここは、これから貴方達が創っていく〈理想郷〉(ユートピア)となるべきなのだ。

 楽園と理想郷の違いを知っているか?


 我々は、影からそれを支えよう』

 そう言って丁寧に一礼すると同時に映像が消えた。


 楽園と理想郷の違い?


 それっきり端末は静かになった。通常の画面表示に戻り、再び市長の演説が始まる気配もない。


「なかなか趣向を凝らしたテロリストだな」


 その声に驚いて威織が振り向くと、目が真っ赤に染まった橘がいた。いつの間にか後ろから覗いていたらしい。


「…来てたんなら言えよ。ていうかなんだ、今の」

「パフォーマンスだよ。SOSを明確に位置付ける為の」

 血走っているように見える橘の顔は凶悪そのものだったが、威織はもはや慣れてしまった。この男はこれで平常の顔なのだ。目が若干おかしいが

「お前SOSは架空の組織って言ってたじゃねえか」

「どうやら違ったらしい。」「これで、この街は2つの勢力が対立する構図になった。奴ら、色々と自分達に都合の良いように持っていっている」

 威織には意味が分からない。正直あの仮面の話も半分も理解できていない。

「今ので管理者とSOSは表向き敵同士ということで認知されただろう。でも実際には裏で手を握り合う同一の組織だ。今後街で何が起こっても、全てはSOSの仕業にできる大義名分を手に入れたってことだ」

「つまり?」既に威織は考えるのを止めている。


「これからはもっと派手に動けるってことだ。行くぞ、とっとと隠れて落ち着きたい。またSOSに襲われたら面倒だ」

 橘は勝手に会計を済ませると、そのまま店を出ようとする。


「行くってどこへ?」

 威織は慌てて飲み干すと橘の後を追う。そんな威織を睨みつけながら、橘は宣言するように言い放った。



基地(ベース)だ。俺達本当の反逆者のな」






ー6ー






 真琴は自分が榊終一に再び出会った時、どんな行動を取るだろうと何度となく想像したことがある。


 もしもそれが別れてすぐ、3年前の裏切りの直後であれば、きっとすぐに飛び掛かり殺そうとしただろう。あまりの殺意に発狂したかもしれない。それほどの怒りと憎しみはあった。


 しかし3年の年月が過ぎた今、実際に目の前に現れたシュウを見ても、真琴の心は冷静だった。


 長い別れのせいで、気持ちが消去されたのかもしれない。


 燃えるように揺らめく長髪、何の感情も窺い知れない顔。それは経過した年月を忘れさせるほど昔のまま。



「真琴」



 シュウの視線にはその顔と同じく何の感情も篭っていない。

 もしかして本当に何もなかったのではないかと錯覚するほど、ごく自然に自分の名を呼ばれた。



『はい、先生』



 昔の自分の声が聞こえた。

 今よりも随分素直で弱かった自分。いつもそう返事をすると決めていた。自分があるがままで生きるための術を教えてくれる相手への、子供なりの敬意。



「何をしている。復讐の好機だぞ」

 当然の事のように言うシュウが指先で招く。



 その言葉が脳に届くと同時に、消去されたはずの殺意が蘇った。

 雪崩のような殺意に、思考する自分が呑み込まれていく。


「復讐…?」

 後ろにいるマヤの声が遠い。離れていて欲しかった。どうなるにしろ、酷いことになるのは分かっているのだから。




 変われないのは自分も同じか。




 たった十数秒の再会の後、真琴は榊終一に攻撃を仕掛けた。


 心象回路(サイコ・サーキット)の発現。


 青白い粒子。宙空に浸食していくような精神の走査。


 マヤが初めて見る顕現能力(インカーネイト)の発現に声を無くして硬直しているのが見えた。



「離れろ。近くに寄るな」



 マヤがその時に見た、自分の兄の顔。



 その顔は目を逸らさずにはいられないほどの、恐ろしい表情をしていた。


 

 


 

 







 





 

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