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虚構仕掛けのユートピア 〜void incarnaters〜  作者: Noyory
4章 close down〈クローズ・ダウン〉ー監獄の誕生ー
14/16

4―3 close down ー黒の訣別ー

ー1ー






 上座市の全景が望める都市高速(フリーウェイ)の高層部。


 この道路を補強する斜張橋のケーブル、その根元のひとつで九龍隼人(クリュウ・ハヤト)は陽が落ちていくのを眺めていた。

 既に全線通行止めとなった道路には、九龍の他は天ヶ瀬美鶴(アマガセ・ミツル)しかいない。

「結局、橘直陰(タチバナ・ナオカゲ)には拒否されたのですか?」

「論外だと言われた。まあ彼ほどこちらの情報を知っていれば、我々は怪しい儀式をする宗教団体と変わらないだろうからな」

「“SOS”の説明は?」

「いいや。あくまでもWISE.opt(ワイズオプト)社への勧誘という形に留めた」その言葉に天ヶ瀬が眉を顰める。

「何故です?彼は私達(SOS)の分析官としてスカウトしに行ったのでしょう?彼ほどの人材はいないと言ったのはボスですよ」

「身内に敵を飼うのは好きではないもんでね。もし彼に我々と同等の権限が与えられれば、必ず濫用するだろう。彼の元被後見人達の為に」

「献身的なタイプの男なんですね」

「それ以外の者には攻撃的だがな。彼はこの街で我々を敵とみなした最初の人物だ。今頃懸命にこちらの思惑を探っているだろうな」

「なにかヒントを与えましたね?」

 天ヶ瀬の責めるような口調。

 それに笑顔で答える九龍。

「君にもう少し状況を楽しむゆとりがあればな。なに、ただ彼にも考え及ばないことがあるぞ、と脅しただけだ」

 それだけで橘には充分だろう。そう思ったがこれ以上天ヶ瀬の追求が続くと面倒なので九龍は発言を控えた。


 なおも訝しむ天ヶ瀬の視線に一台の青い4WDが目に入った。その運転手を見て、天ヶ瀬は意外そうに報告する。


「ようやくの1人目です。しかも切宮」

「切宮か?まさかアイツが1番手とはな。」


 目の前に止まった4WDから、切宮一狼(キリミヤ・イチロウ)が笑顔で降り立つ。

「お久しぶり、ボス。あ、天ヶ瀬も」

「私はついで?」「今回は一番だと思ったんだけどな」

 天ヶ瀬を無視して切宮が言う。

「一番だよ。天ヶ瀬は今や私の秘書だからな」

「“分析官”、です」

 天ヶ瀬の訂正。似たようなもんだろ、という切宮を今度は天ヶ瀬が無視した。

「お帰り、切宮。わざわざ車を借りたのか?」

「頂いた、かな。最初から返す気ないから」


 切宮が車に触れて、その手をなぞる様に動かす。

 上から下へ。


 その動きに合わさるかのように、青い4WDがぐしゃりと潰れ、まるで齧りつかれたような音と共に跡形も無く消え去った。


「相変わらずの“悪食”ね」

「鉄と油の味も、慣れればいけるんだぜ」

 切宮は唇を舐めながら満足そうに言う。彼の味覚には実際に鉄と油、つまり消滅した車の食感が感じられているのだ。


「折角のお早い到着だが、予定の3日後まで〈人狼〉(ルー・ガルー)の出番はないな。まさかいつも遅刻の常連がこんなに早く来るとは思いもしなかったんでね」

「あれ、そうなの?じゃあ2日も待機すんの?」

「日頃の行いのせいよ」

「あ、そうだ。今この街の兵士が全員出払ってるんだ。暇なら哨戒と地元巡りを兼ねて、街に出てもらっていいよ」

 九龍はその街を見下ろしながら提案する。

「そうさせてもらおうかな。ここにずっといても退屈だし。あ!じゃあ車食べない方がよかったじゃん」

「自業自得ね」天ヶ瀬の嫌味。

「何だよ、突っかかるなあ。まあいいや。じゃあボス、ちょっと出てくるわ」

顕現能力者(インカーネイター)がゴロゴロいるぞ。楽しんでこい」

「ワクワクするね」


 そんな言葉を残し、切宮は高層部の道路から飛び降りた。ポケットに両手を入れたまま、滑るように。


「哨戒なんて、ボスの顕現能力(インカーネイト)でどうとでもなるじゃないですか」

 切宮が行ってしまった後、天ヶ瀬が口を尖らせて九龍に訴えた。

「先にこの街を見せておくのも悪くないさ。きっと切宮には楽しい街になってるだろうから」

「何か問題を起こさないといいですが」

「どうも彼の事が嫌いみたいだな」

 からかうように尋ねる九龍に、天ヶ瀬は真面目な顔で返答した。



「大ッ嫌いです」






ー2ー





 夕暮れ時、北嶺(キタミネ)区の高層住宅街。

 休校が終わり、久しぶりに下校中の制服姿を多く見かける風景の中に、背原真琴(ハイバラ・マコト)と転校生の凛虎飛(リン・フーフェイ)の姿もあった。

 凶悪な事件が多発している為、くれぐれも寄り道をせず早急に帰宅するよう教師が呼びかけていたが、当の生徒達にはそれほどの危機意識がなかった。

 マヤの話では、先の事件で入院している者の見舞いや、久々に会った級友と街に出て行く者が多いという。マヤもまた、いつもの友人のお見舞いに行った。

 葵創祐(アオイ・ソウスケ)の送迎も最近は少ない。創祐はこの街の事情を無視するように、他には目もくれず仕事に打ち込んでいる。驚くべきことに、こんな状況でも市内のほとんどの飲食店は変わらず営業していた。

 


 日の沈みかけた橙色の景色の住宅街。背の高いマンションは逆光がきつく黒にしか見えない。



「ここです」

 そう言って凛が立ち止まったのは一部屋が広い造りのマンションだった。4階建ての比較的低めの建物だが、階ごとの部屋は2つしかなかった。確かにすぐそこの市営グラウンドに通うなら便利な場所だ。


「じゃあここで」そう言って真琴は自分の帰路に着こうとした。

「ちょっと上がって行きませんか?」

「いい」足を止めない真琴の即答。


「まあそう言わずに。〈心象回路〉(サイコ・サーキット)の背原真琴君」


 真琴の動きが止まる。

 〈心象回路〉。確か管理者達が自分につけた渾名。


 振り返ると凛はそのマンションの一室に入るところだった。まるで誘い込むようにこちらを見ている。

 真琴は思わずその後を追って室内に入った。


 部屋の中は家具1つない、空っぽの空間だった。


「入って来てくれて嬉しいよ」


 その部屋の中央に立つ凛虎飛が言う。しかしその声は今までの凛虎飛の声ではなく、もっと年長の者の発する低い声に変わっていた。服装もまるで違う。


 真琴の中で警戒レベルが一気に引き上がるのを感じた。完全に罠に飛び込んでしまったという認識、それを自覚すると同時にさっきまでとは別人の凛虎飛が襲い来る。

 真琴は身を屈めて前方に潜り抜け、その攻撃を躱した。だがそのせいで相手と位置を交換した形になり、出口から遠ざかってしまった。その攻撃は牽制で、立ち位置を入れ替えるのが目的だったことに、真琴は立ち上がってから気づいた。


「話に聞いてたけど、素早いね。骨が折れそうな相手だ」

 その姿は見たことのない中年の男に変貌していた。しかし目元の感じは先刻までの名残を少し残している。

 訳が分からず眉を寄せる真琴の顔を見て、男は可笑しそうに説明する。

「ああ、すまない説明しよう。今まで見えていた姿は僕の顕現能力(インカーネイト)により変装した姿だ。いや、この歳になると高校生の振りは恥ずかしいな」

 男は照れたように笑う。そして朝見た時と同じ丁寧な態度で自己紹介を始めた。

「僕は“SOS”という組織の顕現能力者(インカーネイター)、凛虎飛。呼称名は顔の無い道化フェイスレス・クラウン。僕のボスから君の監視を引き継いだ者だ」

「“SOS”って架空のテロリストじゃないの?」

「とんでもない、ちゃんと実在する組織だよ。現に君の前にそれを名乗る男がいるだろう?」

 橘直陰(タチバナ・ナオカゲ)の予測は外れていたらしい。真琴は制御装置(ピアス)を外してポケットに入れた。

「君のような有名人に会えて嬉しいよ。我々管理者側からすると、君の活躍はこの街で一番目立っているからね」

「…テロリストと管理者って繋がってるの?」

「おっと失言だ。…いや君達はもう知ってるんだったろ?よかった、また叱られるところだったよ」

 “道化”の名の通りおどけた様子で肩を竦める。しかし橘の予測は大筋では間違っていないようだ。


「さて、そろそろ仕事に入らせてもらおう。私はボスに、“事が終わるまで君に勝手をさせるな”と言われた。それで君をこの部屋に招待したという訳さ」

 凛虎飛はドアの鍵を閉めた。内側にも鍵穴がある妙な造りの部屋。部屋の鍵は凛虎飛のポケットに収められた。

「これでこの部屋から出られない。それまで僕とお話でもしてようか」

 言い終わる前に真琴は無言で接近し、凛虎飛の頭を狙って右足を放っていた。凛虎飛のおどけた顔。そこに命中する寸前、凛虎飛の姿が消えた。

 空振りして着地した真琴。その目の前にはまだ幼い子供が突然現れていた。その子供がおどけた顔で真琴に言う。


「ふむ。お話より運動がいいようだね」


 その声は凛虎飛の声そのままだった。その姿が何の前触れもなく大柄な男に変わり、真琴に至近距離からタックルを見舞った。

「……っ!」

 反応が遅れた真琴は避けられず、再び部屋の奥まで吹き飛ばされる。すぐに起き上がり凛虎飛を見ると、最初の同い年くらいの少年になっていた。


「変装って、レベルじゃないね」咳き込みながら真琴が立ち上がる。身体的に華奢な真琴は、見た目通り打たれ弱い。

「変な能力だろ?僕は他人の姿をそっくりそのまま盗む事が出来る。あまり戦闘向きではないが、“君程度”の相手ならどうとでもなる」

 身体の周りに黄色い電子を纏って、凛虎飛がゆっくりと近づいて来る。

「その盗んだ姿を、その時々で最適なものに切り替えながら戦うのが僕の戦闘術だ。ちょっと目が回るよ」

 そう言って無造作に出した手は真琴の目の前で止まった。


 次の瞬間突然巨大化した手が真琴の顔面を打ち抜いた。

 突然の衝撃に後方の壁まで下がる。目を戻すとその姿は先程の巨漢に変わっている。


「君は目がいいと聞いているからね。僕との距離感には苦労するぞ」言いながら鋭い蹴りを放つのを横に飛んで躱す。その僅かな助走で勢いをつけ、全身のバネを駆動した蹴りを返す。

 しかし一瞬前にあった場所に男の姿はない。視界の下のほうで幼女が腰溜めに拳を構えているのが見えた。それが振り上げられた時には長身の優男が目の前に現れ、反応するより先に顔を拳が捉えていた。

 空中でバランスを崩した形の真琴は地面に着地する前に凛虎飛に腕を掴まれ、そのまま目の前の壁に叩きつけられる。


 予想外の衝撃。目の焦点がぶれた。


 そのぶれた視界には先程の巨漢よりさらに大きい禿頭の男が映った。全身筋肉のような男が反対の手で真琴の首を掴み上げ、足が地面から離れる。


「……ぁ」

「このように盗んだ姿を、そのままの身体能力で使える。こういう一対一の対決では滅法有利だ。そして」

 凛虎飛の纏った黄色い電子がさらに増し、真琴の体まで伝導した。その影響で真琴の体が僅かに震えた。

「その盗み方というのが、こうやって相手に僕の固有電子を浸透させることなんだ。これで、君の姿も頂いた。…ん?」


 凛虎飛は自分の腕を掴む真琴の手が青白い電子を帯びていることに気付いた。


「……っ!」

 しかし時既に遅く、凛虎飛の振り払った手に真琴の〈心象回路〉(サイコ・サーキット)が発動し、一瞬だけ接続(コネクト)された。


 途端に凛虎飛の頭の中が真っ白になる。焦げ付いたような匂いとショート音。自分が侵略される感覚。


「なに…?制御が…」

 ただ一瞬の接続で自分の能力が制御できなくなった凛虎飛。激しい頭痛と共に自分の姿が不定形になっているのが分かった。とにかく能力を抑えなければ。


 次々と姿が変わる凛虎飛を見ながら真琴は転がるように入り口のドアまで近づく。脳震盪でも起こしたのかまだ視界がぐらついている。その手には凛虎飛のポケットから奪った部屋の鍵があった。


「…!くそ…いつの間に……!」

 気付いた凛虎飛が真琴に迫る。しかしまだ抑えられていない能力の暴走でその動きは鈍かった。その姿は無貌の男とも女ともつかぬ不均衡な姿だった。


 鍵を開け外に出た真琴は振り返る


 顔の崩れた怪物の追ってくる姿を見えた。


「お返しだ、顔無し(フェイスレス)


 そう言ってそのドアに思い切り反動を乗せた蹴りを放つ。


 響き渡る轟音と閃光。


 ドアは凛虎飛と共に部屋の最奥まで吹き飛び、その壁にめり込んだ。




 それを見届けた真琴は、10秒間息を落ち着かせて、その場から逃走を図る。

 恐らくあれくらいで死んでいるはずはない。それよりも自分の不覚で受けたダメージの方が深刻だった。この状態で戦闘を継続するのは避けたい。ふらつく足どりで、可能な限り早く進む。


 自分の身体の脆弱さを恨みながら、真琴は既に暗くなった夜の道を走った。




 数分後、叩きつけられたドアをどかし、中年の男がその部屋で立ち上がった。男は服をはたきながら立ち上がる。片手で端末を操作してどこかに電話を繋いだ。


「すまない、逃げられたよボス。ふう…しかし恐ろしい能力だ。全くこちらの障壁(レジスト)が役に立たなかったよ」


 男は真琴を追う気配もなく、先程の戦闘をただの世間話のような感じで電話先に報告する。

「まああの子の“形”だけは頂いた。それでなんとか許してくれ。…うん、あと3人分もなんとかしよう。潜入と攪乱こそ、僕の真骨頂だからね」


 






ー3ー





「へえ、遊南(ユウナミ)区でもだいぶ端の方なんだ」

「そうなんです…家賃の安さでつい」


 葵創祐は自分の車を運転中だった。もう既に日が落ちて随分経つ。助手席にはアルバイトの吉野が乗っていた。例の電車通勤の女の子である。

 結局上座市の地下鉄線は、午前の運行のみで全線ストップしてしまった。復旧工事の機材などの搬入の為、というのがその理由だった。創祐は加藤に店を任せ、途方に暮れていた吉野を家まで送る役目を引き受けたのだ。

しかし実際に来てみて驚いた。創祐は遊南区の端の方にほとんど来たことがなかったが、本当に何もないのだ。中央区近くこそ住宅や店がまだ見られたが、そこを抜けて20分もすると今創祐が走っている場所のように、更地とそうなる途中の半壊した建物が延々と続いている。

「…本当にこの辺にマンションがあるの?」

「あるんです、それが。なんか将来の発展を見込んで早めに建てたマンションらしくて、それでとても格安だったんですよ」

 話によると中央区の同等の物件と比較して、5分の1程度の家賃、敷金礼金なし、共益費なども全て込みの値段だという。確かにそれくらいじゃないと誰も寄り付かないような立地だった。

「でも駅はあるんだ」

「そうです、それが決め手でしたね。…でもこれからどうしよう」

 明日からの事だろう。もし電車が止まったままであれば彼女は仕事どころか買物すら大変そうだ。

 創祐は仕事のことは気にせず、吉野が無理しなくて済む範囲で来てくれればいいとだけ伝えた。




「すいません助かりました」

「気にしないで。とりあえず明日は休んでゆっくり考えてみて。本当に上京とかも、考えてた方がいいかもね」

「はい。すいません御迷惑掛けました」


 創祐は吉野をマンション前で下ろし、手を振って別れた。

 吉野の住んでいる場所は本当に開発中の地域の端という感じで、入口の裏側は何もない更地が広がっていた。

 視界を遮るような高い建物が少ない為、すぐそこの地下鉄の入口や有名な廃棄された観覧車が見通せた。

 こうして見るとテーマパークは比較的中央区寄りに建てられていたのが分かる。


 創祐は車をUターンさせて、今来た道を戻ろうとした。

 その耳に自分の車とは別のモーター音が届く。


 「…そうきたか」


 すぐ間近にまで迫った爆音。


 創祐の車の側面に、黒い軍用のジープ。


 それが恐るべき速度で突っ込んできていた。


 夜の広大な更地に大音響の衝突音が響く。


 創祐の車は一瞬で元のサイズの半分ほどになり、盛大にスピンしながらマンションの向かいの壁に激突した。





 マンションや周辺の住民が何事かと外に出てきていた。先ほど部屋に入ったばかりの吉野は、自分の階からプレスされたかのような創祐の車を見て、慌てて地上に戻った。


「オーナー!葵さん!」

 しかし近寄った車に創祐は乗っておらず、それどころか衝突したジープにも誰も乗っていなかった。



 その時創祐はそのマンションの裏側、何もない更地の場所で男と対峙していた。

 ジープが激突する前に、創祐は既に車から降りていた。ずっとライトを点けずに自分を追走する車に気づいた時から、創祐はこうなるだろうと予測していた。

 相手は激突した後で車から出てきたが、特に損傷を受けた様子は無かった。


 落ち着きすら感じる笑みを浮かべた、見事な体躯の巨漢。


 創祐は特に逃げるでもなく、巨漢も強いて追うでもなく、ただお互いに視線は外さずにこの広大な広場まで歩き続けた。


 2人が望んだ、邪魔の入らない戦闘地帯へ。


「全く動じた様子が見られんな。わざわざ無灯で追跡したのに、俺の追跡はバレバレだったらしい」

 足が止まると同時に楽しそうに言う男は、真琴の遭遇した“顔の無い道化”が変身した巨漢の姿だったが、創祐はその事を知らない。


 創祐はただ無表情に男を見返した。その顔は何の感情も反映していないが、内心では諦観を伴う日常への郷愁と、煮えたぎる殺意が拮抗していた。


「お前、管理者側の人間か?」

「いいや?今回の俺の役柄はテロリストだ。政府を脅迫して要求を突きつける。まあ、自作自演ってやつだがな」

 男は南米の血が混ざった外国人であったが、流暢な日本語で、特に何でもない事のように秘密を口にした。

 

「テロリスト…“SOS”か。本当にいたんだな」

「馬鹿げたことをする奴らだと思っただろ?」

「結局“SOS”と管理者は裏で繋がってたんだな。ナオ兄の予想は概ね当たっていたってわけか」


 創祐は我知らず動き出していた。


「…おお、すごい迫力だな」

 巨漢は無表情の創祐が醸し出す殺気を称賛する。


「つまり管理者も“SOS”も俺の敵だってことだ」


 それが確定した。目の前の男に手が届かない距離がもどかしい。一刻も速くこの男を、この手で殴りたい。創祐の中からは、日常への未練がどんどん消え失せていっていた。


「教えとこう。この街は“人類の未来”になる。今はその為の前準備と言ったところだ。外部との接触を絶つのは、単にそれが邪魔になったからだな」


「わけ分かんねえよ」創祐の本心。


 巨漢も同じく歩き出していた。創祐との距離がどんどん狭まる。至近距離で見る創祐の顔は、凍てついたような無表情。


 その時創祐は、自分の日常と訣別した。


 それを見て男は、ようやく顔の笑みを消した。


 久しぶりに感じる高揚感。血の滾り。


 命のやりとりを望む相手を得た満足感。


「名乗っておく。俺は“SOS”の一人、デミトリィ・サン・ボルツ。呼称名〈不死人〉(ナイン・ライヴズ)。俺を殺すには相当頑張らんとな、〈精神具象〉(スピリット・シェイプ)


 ここから先に言葉は要らない。


 2人はお互いの手が届くまで近づく。


 そして、間を置かず戦闘に突入した。


 一人は満足感を。


 一人は、日常への喪失感を得て。






ー4ー






 ギャンググループ“ロボス”のメンバー達は、現在撤退中だった。

 誰に当たっても恨みっこなしという約束だけ決め、全員が散り散りになって逃げた。相手はたった1人なので確率は30分の1程か。


「ってもリーダーが一目散に逃げるのはカッコ悪いからなあ」


 三城威織(ミキ・イオリ)東雲(シノノメ)区の現在休業中の工場で、自分でテロリストだと名乗った外国人と対峙している。その痩身の男はさっきからずっと妙な呼吸を繰り返していた。


 あの呼吸がヤバイのだ。


 威織は広い敷地の端、色々な資材が山のように積まれた場所にいた。ここが迎撃にはベストだ。防御にも、そして攻撃にも。


 その顔色の悪い外国人は、一呼吸毎に周囲の空気を汚染していた。毒なのか悪臭なのか、それを浴びた今日の遊び相手達は全員男の足元で悶え苦しんでいた。


 青ざめた顔を威織に向け、大きく吐息。それは10mは離れた筈の威織にまで真っ直ぐと、“目に見えて”迫ってくる。


 まるで巨大化した、無数の緑色をした細菌。


「…気持ち悪ぃ」

 威織は顔を顰めながら何かの機材の裏に隠れる。その機材に到達した緑色の菌は、そこに染み込むように消えていく。


 そして、あっという間に腐蝕して原形を無くした。


 溶解したように崩れるその裏に、しかし威織の姿はない。細菌の主はその落ち窪んだ目で周囲を探る。本人の周りにも同じ細菌がシャボン玉のように浮遊していた。

「…どこへ行った…?」男は顔色通りの暗い声で呟く。漂う細菌はその男の意思に連動するようにその範囲を拡げた。しかし感知機(レーダ)の役割も果たすそれに、威織の姿はない。

「…逃げたか…」


「そりゃあお返ししてからだな」


 予想外に上から降ってきた声に、青ざめた男が見上げる。

 そこには積み上げられた鉄骨の上に立つ威織の姿があり、その周囲には紫色の粒子で編んだ蜘蛛の巣が張られているようだった。


「…〈反逆技巧〉(リボルバー・トリック)…」

「何でテロリストがその名を知ってんだろうな?」

 威織の邪悪な笑み。その挑発。


 蜘蛛の糸の先端には、宙に吊られた無数の鉄骨。

 それが一斉に持ち上がり、細菌の主に向かい“落下”した。


 緑色のシャボン玉が一斉に動き、その鉄骨の迎撃に動く。衝突したものから一瞬で腐って墜ちていく。単純な落下の為か、幾本かが狙いを外れて男の周辺に落下する。

 それには気を配らずに、自分に向かってくる鉄塊だけを冷静に墜としながら、威織のいた場所まで細菌を飛来させる。


 しかし手応えはない。


 鉄骨の落下による盛大な音と粉塵。男は何も見えない視界の中で尚も警戒を解かなかった。緑の細菌で全方位の警戒。それを視界が回復するまで保った。


 その頃にはとっくに威織の姿は無く、腐蝕により絶命しかける街のごろつき以外、動くものは何もなかった。


「…今度こそ、逃げたか…」

 男は目に掛かる黒髪を除けながら、携帯端末(QPDA)を取り出して発信する。相手が応答すると、暗い声で状況を伝えた。


「…モルダーだ…〈反逆技巧〉の確保は失敗……ああ、侮れん奴だ…」

 モルダーと名乗った男は自分の周囲の惨状を見ながら報告する。


「…奴は応用を心得ている…自身の“常識”を覆す能力の……」






ー5ー






 有り得ない。あまりに無謀すぎる。


 橘直陰は自分の目の上に冷やしたタオルを乗せて、ソファの上で仰向けになっていた。視界に何かが映るだけで激痛を発する。この数時間で、もはや開いてすらいられないほどに橘の目は酷使されていた。


 あらゆる情報を無制限に開示する〈赤色錯視〉(レッド・インサイト)

 その限界を超えた連続使用の結果がこのザマだ。


 いつもの自室。その部屋に鳴り響く虚しいコール音。

 橘は発信し続ける端末を握ったままだった。


 葵創祐は電話に出ない。きっともうSOSの誰かに襲われている最中なのだ。


 何もかも手遅れ。


 全てに於いて後手に回っている。


 橘は九龍が出ていったあと、ずっとその足取りを追跡していた。あの空っぽの男から覗けるものは何もない。だからその周辺、九龍の会話する誰か、立ち寄った何処かから、次に何が起こるのかを見い出そうと試みていた。


 “俺達(インカーネイター)の包囲が狭まる。それも思いも寄らぬ形で。”


 あの男がそう言うからには、きっと近く何かを起こそうとしているのは間違いない。しかも橘も気を配っていない方向から。


 その後の九龍の足取り。

 市庁舎、軍の駐屯するグラウンド、秘書のような女とドライブ。そして人のいなくなった都市高速(フリーウェイ)、その斜張橋の根元の管理所に。


 それまでに出会った人物。

 市長四条巽(シジョウ・タツミ)。彼との短い会話のひとつ。

 “いよいよ時が迫ったな。SOSの活躍に期待する”


 “SOS”の実在。そして管理者達との確かな繋がり。


 あるいは根元を同一にする一対の存在。


 秘書、天ヶ瀬美鶴。

 全てを承知しているかのように、挨拶以外一言も発さず、黙々と九龍を都市高速へと運んだ。


 レビン・スミスという軍指揮官。

 一時的に上座市を離れる旨を九龍に伝言。SOSに後を託す。当たり前のように結ばれるテロリスト役と軍隊の協力関係。

 上座市から離れる道程で突然の昇進。上官の出迎えのはずが、自分の部隊の検閲に変わる。そしてレビン少将の師団は新たな名を冠せられる事となった。 


 JUC(ユピテル)特務師団〈ケルビム〉。


 その数約3万名の一個師団。


 その任務。上座市の閉鎖と管理。


 上座市と外部を分かつ、黒い門番の誕生。


 閉じられた楽園の智天使達(ケルビム)



 上座市とユピテルの独断で行われつつある街の閉鎖。

 こんな暴挙をこの国の政府や世界各国が黙って見過ごすはずがない。普通なら。

 例え3万の軍隊を擁するとはいえ、世界規模で見ればそれはちっぽけな力に過ぎない。とても無謀を通せる状況ではない。


 その無謀を容認せざるを得ない大義名分。


 テロリスト“SOS”の誇大広告(キャンペーン)。実際は僅か十数人で構成されるだろあ傭兵集団が、まるで上座市の裏の支配者であるかのようなメディアの喧伝。



 



 自室のドアが開けられる音。

「おーい、橘さん大丈夫ぅ?差入れ持って来たよ」

 スポーツ用品店“ヴェニス”の店主、余市が部屋に入って来た。夜だというのにトレードマーク代わりの重厚なスポーツサングラスを掛けた、パンクロッカーのような世紀末な服装。

「何で電話かけっぱなしなの?」

 余市に言われ、橘はようやく発信を止めた。そしてゆっくりと起き上がる。タオルをどかし、目を開けてみた。

「うわ、ひでえな。もうちょい横になってなよ」

 橘の目は両眼とも真っ赤に染まっていた。それは充血というより、元々その色だったかのように定着していた。

「…問題ない、普通に見える」

「それで見えるのが信じらんねえ」

 橘は起き上がり、持って来た差し入れを自ら食べる余市と向き合った形で座る。

「お前、街を出なくて良かったのか。どうやら本格的に出入り禁止になる。軍隊が帰ってきたらもう無理だぞ」

 橘はあることを頼むついでに、余市にこの街の行く末について説明していた。本当に今が最後の機会だろう。

「んー。考えたけど別にここに閉じ込められても、俺あんま困らないんだよね」

「この先どうなるのか分からんぞ」

「でも衣食住は保障されるんだろ。橘さんそう言ってたじゃん。ただ監視されるだけなら今までと変わんねえもん」


 目的はあくまで記録(ログ)。そうであるなら今までと変わらない生活が送れるも可能性は高い。要はこの街にいる顕現能力者(インカーネイター)を管理者側が確保することが目的だろう。ただ街から出れなくなるだけだ。


「だが外部との隔絶が必要な事となると、考えられる可能性は少ない。外に洩れては困ることをおおっぴらにやる為か、中の人間に逃げ場を与えないためか。どっちにしろ“内側”にいる俺達にとっては、ろくな事にならない」

 そんなこれからの暗い展望を遮り、余市が言った。

「いいってもう。俺は死ぬまで橘さんに付き合うよ。それだけの恩がある。あんたが“それ”のせいで出られないんなら、俺も残る。そう決めた」


 余市の指差す“それ”。橘の頭部。

 橘の頭の中、その表面のどこかに小さなチップが埋め込まれている。JUCが刑罰の省力化、効率化の為に導入した措置。

 触ってもどこにあるか分からないそれは、監察補助(プロベイト)チップと呼ばれる、犯罪者の制御装置だ。上座市で重犯罪を犯した者、中でも保護監察などに処された者に試験運用(プロベイション)される監視装置。

 これのせいで橘はこの街、それも許可された地域内でしか移動ができない。もしそのエリア外に出ると、その代償は命で償う事となるらしい。今まで出た者がいないので真偽は不明だが。


「まあ、お前がいいなら構わんさ」

「ドライだなあ、ここは感謝するとこだろ?ほい」

 言いながら余市は、真っ黒の包みを橘に差し出した。

「御要望の品でござい」「悪いな」

「使う機会が来ない事を祈るよ。“こんなもん”扱ってる身としては言えた義理じゃないんだけど」


 橘が包みの中身をひっくり返す。


 重い金属の音と共に、黒く鈍い拳銃が転がり出た。


 そのグリップを握り、慣れた手つきで弾倉を装填する。


「使わない予定の物を頼んだりはしない」

 そう言ってゆっくりと立ち上がり、橘は部屋を出る支度を始める。

「どうする気?」


「実は今まさにウチの被後見人が“SOS”の1人と交戦中だ。恐らく分が悪いだろうから、ちょっと行って助けてくる。」

「…まじかよ」

「もうすぐ軍隊も帰って来るだろう。それまでにこっちも身の振り方を決めておきたいんでな」

「んじゃあ俺も行くよ、さすがにヤバイだろ」

「お前は“最後の仕入れ”を抜かりなく果たせ。くれぐれも納品先を間違うなよ」


 慌てて身支度する余市を残したまま、橘はおそらく二度と帰ることのない部屋を後にした。






ー6ー






 暗闇に包まれた九龍ら“SOS”の集合場所に少しずつ近づく騒音。それは近づくにつれ轟音となり、指揮官の正確が知れる整然とした隊列で進んできた。

 九龍は斜張橋の管理所から出て、律儀に全車両のエンジンを停止させたレビン・スミスを出迎えた。この男はやはり、本来は静寂を好む性質なのだろう。


「お早いご到着ですね、少将」

 九龍の言葉にレビンが一瞬眉を寄せる。

「貴方も知っていたのですか、ミスタ九龍」

「さすがに一個師団まとめて連れては来られませんでしたか」

「先行して工兵隊のみを連れてきました。まず最初に働くのは彼らですから」


 レビンの手を振る合図で控えていた兵士が一斉に動く。まるでこの男の為に造られたような沈黙の兵士達。

「現在各ポイントに工兵を配置しています。おそらく最後続の部隊が到着するまで一時間と掛からないでしょう」

智天使(ケルビム)の名に相応しい兵達のようだ。きっと問題なく任務は完遂されるでしょう」九龍の称賛。


「“SOS”と、我が司令の準備は?」

 さすがに少し緊張しているのだろう。彼にすれば少し急ぎ過ぎているように感じた。


「我々はいつでも。おそらく市長も同様です。いつでも始められますよ、“楽園の創造”を」



 九龍の言葉に、レビンは無表情で頷いた。







 






 

 




 


 


 







 


  

 

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