第五章⑬
かなえは洗濯工場までのルートをおさげ髪を揺らして走った。
立ち止まったのはそのルートを四分の三くらい行った地点。
人通りが少なく、アイスの自販機が近くにあって、ウサギ小屋の前のベンチ。
絶句した。その前で梨香子が蹲っていたからだ。
「梨香子、梨香子、ねぇ、大丈夫?」介抱していたのは比奈。
一瞬、何も考えられないくらい頭が真っ白になった。
「かなえちゃん!」
比奈がかなえに気付いて叫んだ。かなえははっと我に返って心の空白を無理やり埋めて支障のない状態にした。比奈は涙目だ。かなえは比奈のそういう表情を初めて見る。かなえは駆け寄って腰を屈めた。「何があったの、比奈さん? ねぇ、リカちゃん、大丈夫?」
「……腕を、折られた」梨香子が絞り出すように声を上げた。こんな苦しそうな表情の梨香子は初めて見た。額には脂汗。顔色はブルー。それでも梨香子は余裕をかますようにかなえに言うのだった。「カッコ悪いなぁ、くそ、油断した」
「しゃべらないの」比奈が優しく叱責した。
「……余裕かましてんじゃないよ、バカっ!」かなえはキンキンする声で怒鳴った。それからかなえの両目には、よく分からないけれど、涙が溢れてきた。
「……かなえ、泣かないでくれ」梨香子が言う。
「泣いてないもん!」かなえは涙を擦りながら叫ぶ。
「……嘘つき」梨香子は右手でかなえ頭を撫でた。
「泣いてないって言ってるだろ!」
「かなえちゃん、貸して、」比奈はかなえの手からスマートフォンを奪った。「救急車、呼ばなきゃ、あ、もしもし……」
「……比奈、大げさだよ、救急車なんて」
「強がってんじゃねぇ!」かなえは梨香子の左腕を叩いた。
梨香子は声にならない声を上げて体を丸めた。「かなえ、お前ってば、もう……」
「……はい、はい、お願いします、」比奈はスマートフォンを耳から離した。「もうっ、かなえちゃん、何やってんの!?」
「誰っ!?」かなえは梨香子の顔に顔を近づけて怒鳴る。「一体誰がやったの!? 誰がリカちゃんの腕を折ったの!? まさかミソラの言っていた怪物、真奈さんを狙ってるっていう、……あれ、そういえば真奈さんは、リカちゃん、真奈さんは!? 真奈さんがいないじゃん!?」
「かなえ、お願い、揺らさないで」かなえが肩を揺するから腕がガンガンといたんだ。梨香子の顔は血の気がなくて、腕は腫れあがっていた。さすがの梨香子も涙声だった。
「止めなさいかなえちゃん、」比奈がかなえを梨香子から引き離した。「梨香子が死んじゃう」
「比奈さん! 真奈さんは!?」
聞くと、比奈はかなえから目を逸らして言った。比奈らしくない。「連れていかれちゃった、ウサコちゃんに」
「そんな!? リカちゃんがついていながら!?」
梨香子は芋虫みたいに這って木の下に移動して、幹を背に楽な姿勢を取った。「麻美子もいたなぁ」
「ええ、」比奈が頷く。「裏切ったんだわ、私たちを、生徒会も、風紀委員も」
「嘘、あの麻美子さんが、」かなえは軽くショックを受ける。「じゃあ、リカちゃんの腕をやったのも?」
「違う、」梨香子は首を振る。「この腕をやったのは金髪でミリタリーブーツの女の子だ」
「天樹さんね、ミソラは天樹さんのつぶやきを見て、私を走らせたの」
「ええ、そうよ」比奈が同意する。「それにしてもミソラはいつも勘がいいのね」
「二人とも、あいつを知っているのか?」梨香子が苦しそうに尋ねる。
「武尊天樹、彼女、ちょっとした有名人よ、」比奈が説明する。「去年空手で全国優勝してた」
「そうなのか?」梨香子は意外だ、という表情。「金髪だったから分からなかったのかな?」
「むしろ金髪で、変わり者で有名なんだけど」
「へぇ、知らなかったな、あんな奴が明方にいたなんて」
「そんなことより、真奈さんはどうするのよ!?」
かなえの叫び声はサイレンの音にかき消された。すぐに赤いランプが見えた。大学の附属病院の救急車だった。かなえたちの前で停車する。中から女性の救命士が三人出てきた。梨香子は担架で救急車に運び込まれた。かなえも救急車に乗り込んだ。その際、比奈にミソラのスマートフォンを渡した。「何かあったから、比奈さん、ミソラに連絡しておいて」
「え? ちょっと、かなえちゃん、」救急車は行ってしまった。比奈は一人残され、頭を悩ませる。「私、上手く説明できる自信ないよぉ!」




