第四章④
麻美子は扉の向こうに立っていた女の子が赤城真奈のルームメイトの宇佐美唯子、通称ウサコなのを見て少なからず驚いた。天樹はチラッと麻美子の様子を窺う。麻美子の瞳の大きさを見て、目の前の女の子が件の人物であると確信したようだ。天樹の言った通りになった。何か裏があるんじゃないかって思ってしまう。
「ようこそ、天樹探偵事務所へ」天樹は極上の営業スマイル。
「あ、あのっ、私、コレを見て、来たんです」ウサコは名刺を差し出した。
「ほほぅ、」天樹は天使の様に微笑む。「どなたのご紹介でしょう?」
「燦石先輩です」
麻美子はピクッとその名前に反応した。彼女は麻美子のクラスメイトで、親友、それからこの部屋に頻繁に出入りするもう一人の人物である。
「なるほど、燦石先輩とは?」
「?」質問の意図が分からなかったようだ。何かを謝りそうな顔で黙る。
天樹は一つ咳払い。「失礼、ご関係は?」
「あ、寮の先輩なんです、それで、あのっ、ルームメイトが、」
「お話は中で聞きましょう、」天樹は滑らかなアニメ声でウサコが早口で何かをしゃべろうとするのを遮った。「どうぞ、中へ、少し散らかっていますが」
天樹はずっとその台詞を言いたかったのだろう。いわゆる、ドヤ顔ってやつで掃除したばかりの部屋にウサコを招いた。けれど、依頼人である彼女は部屋を見回すこともなく、思いつめた表情のままソファに座った。麻美子が会釈すると初めて気付いた表情でウサコは会釈を返した。とても見ていられない。風邪を引いた女の子には『お大事に』と笑顔で言える。ウサコには何も笑顔で言えそうにない。麻美子の心は痛んだ。私のせいだと謝ろうと思った。ゆっくりと説明しようと思った。とりあえず、麻美子は立ち上がった。「ココアでいいかな?」
「……あっ、お構いなく」
「砂糖は四つ?」麻美子はマグカップを用意しながら聞く。
「はい、いえ、五つ」
天樹は紙とペンを用意してウサコの向かいに腰かけた。「どうも、天樹探偵事務所代表の武尊天樹と申します」
ウサコは頭を下げる。「高等部一年E組の宇佐美唯子です」
「ああ、同学年ですか、でしたら言葉づかいを砕いてもよろしいでしょうか?」
「あ、ええ、どうぞ」
天樹はニコッと笑みを作る。麻美子はマグカップをウサコの前に置いた。ウサコは麻美子に小さく会釈する。
「彼女は二年の奥白根麻美子、私の助手」
「助手になった覚えはない」
「それから今度私の嫁になる予定」
「おいっ」
「嫁?」ウサコは小さく笑った。八重歯が覗く、可愛い表情だ。
「冗談だから気にしないで」麻美子は天樹の隣に深く座り足を組んだ。
「とてもお似合いだと思います」
麻美子は苦笑いで返答した。ウサコは非常に物腰が柔らかくて心の美しい女の子だと麻美子は判断した。それはアリスのビデオカメラの印象と全く一緒だ。
「さて、じゃあ、話を聞こうか」天樹は前のめりになり話を切り出した。
「ええっと、ですね」
ウサコは何から話していいか分からない様子で言葉を探していた。整理されていないものを上手く話すことは難しい。天樹は慣れた感じに質問をしていく。ゆっくりと。
「窃盗? 人探し? 素行調査? ストーカー調査? 浮気調査? 恋愛相談? ちなみに悲しいかな、天樹探偵事務所の収入の八割は恋愛相談、恋愛相談が一番多いんだよ、まったく天樹をなんだと思っていやがる」
「あっ、費用はどれくらい?」
「大体A定食の食券三枚です、相談内容によって食券の数が変わることはないから安心して」
「安心しました、」食券三枚は現金に換算すると一〇五〇円である。「一番近いのは、人探し、でしょうか? でも、一番調査してもらいたいのは、理由といいますか」
「失踪の動機」
「いえ、謹慎の理由です」
「謹慎の理由、なるほど、詳しい話を聞かせて」
「はい、」ウサコはココアで口を濡らした。「謹慎になったのは、私のルームメイトの赤城真奈さんという女の子です、いなくなったのは昨日の朝でした」
「いなくなった? 謹慎なのに」
「はい、謹慎でどこかへ連れていかれたんだと思います、いつ、どこへ連れて行かれたかは全く分からないんですけれど、マーブルズの方に調べてもらいました、でも分からなかったんです、謹慎だと分かったのは今日の朝でした、寮のポストにこの紙が投函されていて」
ウサコは紙をテーブルに置いた。天樹は顔を近づけて確認する。生徒会の謹慎通達文書である。「なるほど」
「でも、そこには真奈さんが謹慎になったとだけしか書かれていません」
「そうだね、とても簡潔に書いてある、何も書いていないのとほとんど一緒だ」
「一昨日転校してきたばかりでした、それに真奈さんはとても素敵な女の子です、そんな子が謹慎になる理由なんて想像もできません」
「例えば、なんだと思う?」
「分かりません、」ウサコは少し俯き加減で言う。「分からないからココに来たんです」
「違うな」天樹はあぐらをかいてソファに持たれた。ミリタリーブーツの光沢が目立つ。一度ウサコの視線はソコに言った。少し、天樹を疑うような顔つきになった。いや、まず天樹の外見は人の信頼というものを得られないようになっている。ウサコだから開けた扉をもう一度閉めなかったのだろうと麻美子は思った。天樹探偵事務所に出入りするのはほとんど身内から成り上がった常連さんである。一見さんはなかなか珍しいのだ。「違うでしょ、宇佐美さん」
「違うって、なんのことでしょうか?」
ウサコのその言葉は本心のようだ。声が掠れたようになっている。
「別に宇佐美さんは謹慎の理由を知りたいわけじゃない、」天樹はウサコに結論を早く伝達したいために多少早口だ。「赤城真奈さんの理由何てどうだっていいんでしょ? 宇佐美さんが天樹のところにやってきた動機は一つ、理由を知って真奈さんの謹慎に納得するためじゃない、理由を知って真奈さんの謹慎に反発するためっしょ? 宇佐美さんは天樹に何を頼みに来たの? 赤城真奈さんを取り戻してほしいから来たんじゃないの? 天樹はA定食の食券でなんでもする安い女の子なのだ、だから、安心して、依頼をしたらいい、回りくどいのは嫌いだ」
ウサコに上手く伝達しただろうか? 結果は? 結果はともあれ、天樹はウサコの背中を思い切り押したのだ。心の内を解放したとも言える。麻美子は天樹を地球の重力のようだと思った。月へ行ってしまった人間を引き寄せて立たせる。本能を刺激する。
麻美子はウサコを見る。ウサコの視線は膝の上だった。自分の優しい気持ちに折り合いをつけているように苦悩している。反発とか、取り戻すとか、そういうものに触れ合ってこなかった女の子なのだ。ウサコは明方女学園にあって非常に珍しい純真な女の子だ。
「わ、私、」ウサコは口を開く。じっと天樹を見据え言った。「真奈さんを取り戻したい」
一瞬の沈黙。
そして天樹は麻美子を横目で見てから、膝を叩いて立ち上がってアニメ声で叫んだ。
「ウサコ、よく言ってくれたよ!」
「へ? どうして私のあだ名を?」ウサコは小さく首を傾けた。
「実はこの事件の真相は、」天樹は腕を組みながら窓の方に歩み寄る。宵の口をブルーの瞳で睨んでから言った。「全て分かっているのだ」
「……ええっ!?」ウサコも立ち上がって叫んだ。「どういうことですか?」
「麻美子、」天樹は特注品の椅子に座り、まるで助手に言葉を投げるように言った。「説明してあげなさい」
正直言うと、天樹とウサコのやり取りを黙って眺めていたのは頭痛が痛かったという理由がある。まさか本当にウサコがココを訪ねてやってくると思っていなかったからだ。ウサコが来てしまったら天樹がいようがいまいが麻美子はウサコの知らない赤城真奈のことを全て話してしまいたくなる。それは麻美子自身の過失を謝罪することと同じだ。だから苦悩が絶えない。頭痛と腹痛が併発している。ウサコを悲しませることをしてしまった自分が許せないのだ。そしてどうにかウサコの恨みを買わないような言い訳ばかりを考えている。そんな自分が嫌で頭痛が痛い。でも、天樹は上手く話を運んでくれた。ウサコには何が何だか分からないと思うけれど。「まず最初に謝らせてくれ、ウサコ、すまない」
麻美子はウサコに赤城真奈のことを全て話した。時折謝罪の言葉を交えながら、ウサコの切実な質問に応じながら、麻美子は自分が風紀委員であることを始め、あらゆる事情を話してしまった。生徒会の女の子しか知りえない秘密も教えてしまった。だから、実質、麻美子は生徒会を裏切ったことになり、風紀委員の職務に反したことがある。けれど話しているうちに心の重荷が軽くなっていくのが分かった。隠しているよりもずっと楽になった。恨まれるならそれでいいという気分になる。つまり、麻美子は自分の正義心に背いているのが耐えられなかったのだ。そのことに気付くと私はなんて自己中で、面倒くさい人間なんだと思った。もちろん、天樹には言わない。きっとお見通しだろうから。
「信じられません、あのミソラがそんなことをするなんて、あの、ミソラは一体なんのために、女の子を、その、コレクション、ですか? しているのでしょうか?」
真相を知るごとにウサコは前のめりに質問してきた。火がついている状態だ。
「部活でも作るんじゃない?」天樹がアニメ声で言った。
麻美子は首を振る。「目的は分からないな、問題児たちはモダンライフって自分たちで言っているけど、ただ第五核シェルタに引きこもっているとしか思えないけれど、私も詳しくは知らないんだ、ミソラが具体的に何をしているのか」
「そうですか、……どうして真奈さんだったのでしょう?」
「セーラー服」天樹がアニメ声で言った。
麻美子は首を横に振る。「そればっかりはミソラに直々に聞かないと分からないな」
「ミソラから真奈さんを取り戻す方法は、あるんですよね?」
「私は風紀委員だよ、すでに情報は掴んでいる、というか、何もしなくても目に入る」
「カッコいいです、麻美子さん」ウサコの目は輝く。
「謹慎期間の間、女の子が労働しているのは知ってる?」
「はい」ウサコは頷く。
「労働するためには風紀委員への申請が必要なんだ」
「あ、もしかして」
「そう、昨日、赤城真奈の申請が上がっている」
「すごい」ウサコは手を合わせた。
「場所は洗濯工場、労働の終了時刻は、もう間もなく、行こう、解決は早い方がいい」
天樹は立ち上がりカーテンを閉めた。麻美子も立ち上がりココアを口に含んだ。ウサコは立ち上がりながら言った。「あの、」
「何? 今日は都合が悪い」
「いえ、そうじゃなくて、立場上、麻美子さんはミソラも生徒会も裏切ることになるのではないですか?」
「ああ、そうだね、そうだ、私は裏切り者だ」
「どうしてそこまでして、麻美子さんは私に協力してくれるんですか?」
「そういうのは、もういいんだ、それよりウサコは私を怒らないの、私だよ、悪いことしたのは」
「そういうのはいいんです」麻美子とウサコは小さく笑い合った。
「ほら、早く行くよ」天樹が電気のスイッチに手をかけ二人を呼んだ。




